« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月27日 (日)

雪の新庄教会へ

Shinjo1102_2

「雪の聖母」に捧げられた山形県の新庄教会を訪問してきました。私も理事を務めている山形県内のカトリック幼稚園2園を統括する学校法人双葉学園の理事会が昨日土曜日に山形教会で開催され、せっかく山形まで足を伸ばしたのですから、日曜日のミサを新庄教会へ行ってこようと考えました。山形教会は今日が信徒総会であったため、主任の本間師は山形教会を離れられず、私ひとりで出かけました。普段は第二と第四の日曜日の午後2時からミサをしているとのことですが、今日は私の都合で午前10時に時間を変更していただきました。それでも写真にあるように、30人を超える方々が集まりました。何人かの方は昨晩からすでに泊まり込んで、今日の用意をしてくださったとか。

多くの方々の支援をいただいて、新庄教会は昨年10月に誕生しました。信徒の大部分がこの地域で結婚しているフィリピン出身の方々です。もちろん以前からの日本人信徒もおられますが、ほんの数名だけ。大多数がフィリピン人女性の共同体です。とはいえ、写真を見るとわかるように、新潟教区の共同体としては子どもの数が多分一番多いところでもあります。この子どもたちも含めて、日本語と英語、そしてタガログをはじめとしたフィリピン語と、様々な言葉や文化が入り交じった共同体に育ってきています。

Shinjo1101

カトリック新聞に雪下ろしの写真付きで先日紹介されましたし、またメンバーのひとりが支えてくださる方々への感謝の言葉を投稿もしました。自分たちで何とか教会を支えていこうとしています。今年の冬は積雪が非常に多く、結局業者に雪下ろしを3度も依頼せざるを得なくなりました。その経済的負担も小さなものではありません。

ミサが終わって、台所のある集会室で一緒に昼食会をしました。持ち寄りのちょっとしたパーティーです。このメンバーの中には20年以上、教会が近くにできることを待ち望んでいた方々もいます。全く言葉も文化も異なる土地で、妻としてまた母として生きていくことは、決して楽なことではなかったでしょう。しかもこの大雪の地です。その人達が、今こうして一緒に集まる場を得て、一緒に祈り、一緒に食事をし、一緒に話し込む。この場を与えてくださった神に感謝。まさしく今日の福音の通り。「空の鳥を見なさい。・・・今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえこのように装ってくださる。まして、あなた方にはなおさらのことではないか」

5月1日に、もう一度新庄教会を訪れることにいたしました。ミサの時間は、これから本間神父様と調整いたします。

昨日の朝、新潟を6時に車で出ました。山形での会議は10時半。だいたい普段でも3時間はかかる道のりです。途中、小国の町のあたりから大雪。路面も凍結。本格的な冬のドライブとなり、当然のろのろ運転に。それでも4時間で山形に到着。今日の帰りは新庄から最上川沿いに鶴岡へ抜け、海岸線の国道7号で3時間。雪もなく快適でした。

| |

2011年2月25日 (金)

あれから30年

「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です」

この力強い言葉が広島の平和記念公園で響いてから、今日で30年です。1981年2月25日。日本を訪問中の教皇ヨハネ・パウロ2世は広島に飛ばれ、この日の午前中に平和記念公園で祈りを捧げメッセージを読まれました。私は当時まだ修練者で、他の修練者と共に2月23日、来日初日に関口のカテドラルで行われた聖職者の集いで初めて教皇様を目にすることができました。その日、教皇様のメッセージが力強い日本語で、驚き感激したこと、また集まりの最後に皆で一緒にクレドを歌って感激したことを、今でも忘れません。

その二日後に、教皇様は歴史に残るメッセージを、力強い日本語で、広島から響かせたのです。

「過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです」

しばしば引用されるこのフレーズを、教皇様はメッセージの中で3回繰り返しておられます。現実的な視点を持ちながら、しかし同時に理想の追求を怠ることなく、平和に対する責任を個々人が自覚するようにと呼びかけられました。その上で次のように述べておられます。

「この地上の生命を尊ぶ者は、政府や、経済・社会の指導者たちが下す各種の決定が、自己の利益という狭い観点からではなく、「平和のために何が必要かが考慮してなされる」よう、要請しなくてはなりません。目標は、常に平和でなければなりません。すべてをさしおいて、平和が追求され、平和が保持されねばなりません。過去の過ち、暴力と破壊とに満ちた過去の過ちを、繰り返してはなりません。険しく困難ではありますが、平和への道を歩もうではありませんか。その道こそが、人間の尊厳を尊厳たらしめるものであり、人間の運命を全うさせるものであります。平和への道のみが、平等、正義、隣人愛を遠くの夢ではなく、現実のものとする道なのです」

ヨハネ・パウロ2世が、「生命の文化と死の文化」という概念を用い、いのちを守ることの大切さを繰り返し説かれたことはよく知られています。神からのたまものであるいのちは、その誕生の瞬間から終わりに至るまで、すべての段階で等しく尊重されなくてはならない。ヨハネ・パウロ2世の考えはその点で一貫していました。広島平和メッセージの終わりは、祈りとなっています。(全文は中央協のホームページ

最後に、わたしは自然と人間、真理と美の創り主である神に祈ります。
神よ、わたしの声を聞いてください。
それは、個人の間、または国家の間でなされた、すべての戦争と暴力の犠牲者たちの声だからです。
神よ、わたしの声を聞いてください。
それは人々が武器と戦争に信頼をおくとき、いの一番に犠牲者として苦しみ、また苦しむであろうすべての子供たちの声だからです。
神よ、わたしの声を聞いてください。
わたしは、主がすべての人間の心の中に、平和の知恵と正義の力と兄弟愛の喜びを注いでくださるよう、祈ります。
神よ、わたしの声を聞いてください。
わたしはすべての国、またすべての時代において戦争を望まず、常に喜んで平和の道を歩む無数の人々にかわって、話しているからです。
神よ、わたしの声を聞いてください。
わたしたちがいつも憎しみには愛、不正には正義への全き献身、貧困には自分を分かち合い、
戦争には平和をもってこたえることができるよう、英知と勇気をお与えください。
おお、神よ、わたしの声を聞いてください。そして、この世にあなたの終わりなき平和をお与えください。

あれから30年。私たちの世界は、いのちを尊び愛し、平和を追求するものとはなっていません。

| |

2011年2月24日 (木)

神言会総視察官が新潟に来訪

Gvisit

神言会のローマ本部総顧問の一員であるブラジル出身のアリンド・ディアス・ペレイラ神父は、総視察者として日本管区を訪問中です。昨日から新潟教区にいらしてます。今日は朝から教区についていろいろと説明をさせていただきました。その後長岡にいるフェルディマール神父が同行して、長岡の表町と福住の両教会、並びに十日町教会を訪問。明日は朝から「いなほ」に乗って秋田県へ移動されます。管区の総視察は6年ごとに行われ、視察者は総会長からの任命で1ヶ月ほど滞在します。以前はすべての会員の面接が義務でした。いずれにしろ本部に戻ってから報告書を作成するためにも、総視察者はできる限り全員と面談して状況を把握し、修道会の精神をそれぞれの管区がしっかりと生きているかどうかの、総本部による判断材料とします。(写真は新潟司教館の前で)

アリンド神父は私が日本管区長を務めていた頃、ブラジル中央管区の管区長を務めておられました。管区長の任期の間に一度、日本人会員の終生誓願式に出席するためにサンパウロを訪れる機会があり、そのときからの知り合いです。3月1日まで新潟教区内で、主に秋田地区を訪問されます。

| |

2011年2月22日 (火)

少しは暖かくなった札幌から

Sapporo0222

日曜日の夜の飛行機で札幌へ来ました。日曜日に一仕事終わって移動するのに都合良く、夜の7時半に新潟を出る飛行機があります。残念ながら4月からは、新千歳と福島を結ぶ便との機材やりくりのためだと想像しますが、新潟から新千歳へ行く午後便は3時50分発に変更になるとのこと。こうなると、日曜に新潟あたりで教会へ出かけたりしていると、その晩のうちに札幌へ移動するためには、例えば夕方に東京へ出て羽田最終の8時頃に乗るか、一泊して月曜の朝一番で羽田から飛ぶか。今年の予定表を見ると、けっこう間に一晩しかない札幌と新潟の移動が多いので、どちら方面へ行くにも、都合の悪い航空スケジュール改訂となりました。

さて、この二日間の札幌滞在で、5つの会議をこなしました。たまにしかこないので、集中します。まず昨日月曜の午前10時半から、花川のマリア院で札幌地区司祭の月例会。今回は特に時間をとって、横浜教区が昨年まとめてくれた解説書をひもときながら、第二バチカン公会議で復興された入信の秘跡について改めて学びなおしました。この解説書、「求道者と共に歩む信仰の道」は女子パウロ会から出版されています。その後3時からは同じ場所で札幌教区の顧問会。今日は司教館横のベネディクトハウスで午前10時半から、札幌教区司祭連絡会。これは通常の司祭評議会に代わり、年に二回開催する司祭代表による会議です。教区長が空位の場合、司祭評議会は解散となるためです。1997年に宣教司牧評議会が提言した札幌教区のビジョンと課題を、今日の会議の流れの中で改めて確認しました。すばらしい出来だと感心しましたが、その存在が周知されているかどうかには疑問が残ったところです。

そしてそれが終わって3時半頃から教区の予算についての財政の打ち合わせ会議。それが終わって6時半からは、札幌カリタスの運営会議。札幌教区には教区カリタスが存在しています。毎年一回、札幌カリタスの日が定められており、その日の小教区献金を主な原資として、教区内の様々な活動に対して助成金を出しています。今日はその審査の日でもありました。また会議の最後には、カリタス家庭支援センターの活動についても、報告を頂きました。家庭支援センターは先ほど触れた教区のビジョンに沿った事業の一つとも考えられる、重要な活動だと感じました。

明日は朝から新潟に帰り、午後には神言修道会の総本部から現在日本管区に派遣されている総視察者を新潟に迎えることになっています。(写真は今日の札幌司教館)

ニュージーランドで大きな地震が発生し、多くの人が被害に遭われたと報道されています。時間が経つにつれ被害状況が明らかになると思われますが、都市部を襲った地震ですから、被害は拡大するかもしれません。祈りのうちに、経過を注視していたいと思います。

| |

2011年2月20日 (日)

100周年を祝うということ

新潟教区が単なる宣教地から教会全体の中の一つの単位として独立したのは、「知牧区」となった1912年のことです。この地域は1907年から神言会が福音宣教省から宣教の委託をされていた地域です。そこで神言会員のライネルス師が教区長に任命されました。その50年後、1962年には「司教区」になり、伊藤司教が初代司教として任命されたことはご承知の通りです。従って来年は新潟教区の100周年となります。委員会が設置されており、すでにいろいろな記念の行事が計画されております。中心となるのは来年2012年の10月7・8日に新潟で開催される教区大会です。すでにテーマも決まっております。ご存じですか。

テーマ: あなたがたは地の塩、世の光である

サブテーマ: 100年の歩みに感謝し、宣教する共同体を目指して

実行委員会では現在、ロゴマークも作成中です。またこの行事のための特別献金も、すでにお願いしたところです。ご協力に感謝いたします。今日も教区の各地区からの代表が司教館に集まり、それぞれの地区での100周年の取り組みについて、情報交換の会議をしてくださいました。委員の皆さん、本当にご苦労さまでした。

100年という節目を祝うことにはいろいろな意味があると思います。そういえばつい先日の司教総会で、2001年に出された司教団メッセージ「いのちへのまなざし」10周年で何か企画をするかどうかという議題がありました。その議論の中で、単にメッセージの10年という出来事を祝って、過去の振り返りだけをしても意味はない。そうではなく、この10年を踏まえて、今「いのちを守る」ために何ができるのかを呼びかけなければ意味がないという言う指摘が多くの司教からありました。「出版何周年記念」というイベントをしても仕方がない。それよりもそのメッセージの現代的意味を振り返り、新に語りかけなければと言うことです。その意味で、100周年も同じように考えたいと思います。すでに実行委員会がまとめた記念行事の趣旨には次のようにあります。

100周年を迎え、この歴史の重みを認識し、先人たちの信仰と宣教に生きた足跡を辿り、父なる神への新たな感謝と賛美の機会と共に福音宣教に招かれている私たちが現在取り組んでいる優先課題に力強く前進する決意を新たにする。

どこへどのように前進していくのか、それを妨げてきたものは何か、何が必要なのか、何を生かしていけばよいのか。そういったことを、この100周年を機に一緒に考えていきましょう。なんと言っても私たち一同は、イエスの福音を少しでも広める働きのために、集められた民なのですから。

| |

2011年2月19日 (土)

司教総会終了

Sokai02

司教総会が昨日無事終了し、新潟へ戻りました。今回は典礼に関する議題が一つしかなかったこともあり、時間切れを心配せずに5日間を過ごすことができました。ミサ典礼書の日本語訳はすべてが終わっているわけではないので、今回の総会に提出されたものが一つだけと言うことは、6月の総会ではどーんと提案されることも想像されます。会議の詳しい内容は次号以降のカトリック新聞に掲載されると思いますので、そちらに譲ります。また会期中には、昨年の押川司教様からの力強いメッセージを受けて、沖縄の歴史について学ぶ勉強会も開催され、あらためて押川司教様の訴えに耳を傾けました。(写真は総会の会場となるカトリック会館内のマレラホール)

なお会期中の話し合いで、5月1日に列福される前教皇ヨハネ・パウロ2世の『列福感謝ミサ』を、5月14日(土)の午後に、東京のカテドラルで執り行うことも決まりました。時間は3時が予定されていますが、詳細は追って中央協のホームページなどで発表される予定です。新潟教区においてどのように対応するかは、3月の司祭評議会で話し合いたいと思います。

会議が始まった数日は東京も寒く、火曜日には雪まで降りました。昨日も雪こそ降らなかったものの、風が強く、案の定、風に弱い京葉線電車は昼頃に数時間止まっており、新潟へ戻ろうとした頃には、ダイヤはへろへろ状態でした。

| |

2011年2月13日 (日)

新潟教会は信徒総会

Sun6_2

新潟教会では今日が信徒総会。これまで話し合ってきた信徒会の規約を、最終的に決定したのだとうかがいました。信徒総会が終わったあとに、今年の「新年会」が行われたので、参加させていただきました。今年が始まってすでにひと月が過ぎていますから、何か『新年』と言うには気分が出ません。しかし集まった方々で、これからの一年、互いに支え合って歩んでいこうと、しばらくの間歓談のひとときがもたれました。(写真は今日の新年会で。たっているのは、挨拶をする江部主任司祭)

明日から金曜日まで、司教総会が開催されます。良い実りがありますように、どうぞ皆様のお祈りをお願いいたします。

Barwa

ところで一昨日、教皇様はインドのクタック・ブバネスワール(Cuttack-Bhubaneswar)大司教区のラファエル・チーナット大司教の引退を認め、後任としてロールケラのジョン・バルワ司教を任命されました。どちらの司教様も私と同じ神言会の会員です。とりわけバルワ大司教は、私が神言会の日本管区長をしていた同じ任期でインド東管区の管区長をしていた方で、年齢も二つくらいしか違わず司教に選ばれた時期も近いので、一緒にローマで研修を受けたりと以前からの知り合いです。この教区はインドの中東部にあるオリッサ州に位置しており、数年前からキリスト教への激しい攻撃が相次いでいるところです。信徒の方には先住民族の方が多く、非常に不安定な生活を強いられています。引退されるチーナット大司教は、先頭に立ってしばしばマスコミにも登場し、先住民族の人たちやキリスト者の保護を政府に求めて、闘ってきた人物です。後任のバルワ大司教も、これから難しい問題に何度も直面されることだと思います。どうぞ彼のためにお祈りください。(写真の右がバルワ大司教。左は台北のジョン・フン(洪山川)大司教で、この人も神言会員)

| |

2011年2月11日 (金)

世界病者の日

一段と寒さが増した建国記念の日の今日、教会はルルドの聖母の記念日を祝い、またこの日を世界病者の日と定めています。教皇様の世界病者の日のメッセージは中央協のホームページに掲載されています。世界病者の日は1993年に始まり、今回が19回目となります。ヨハネパウロ2世は、1984年に使徒的書簡「苦しみのキリスト教的意味」を発表されて、それ以降、苦しみの持つ意味を考え、同時に苦しみのうちにいる人々に十分なケアがあるようにと呼びかけてきました。今年のメッセージで教皇様は次のように呼びかけています。

「病気で苦しんでいる皆様、まさにキリストの傷を通して、わたしたちは人類を苦しめているすべての悪に希望のまなざしを向けることができます。復活において主は、世界から苦しみと悪を取り去りはしませんでしたが、根源においてそれらを打ち負かしたのです。主は全能の愛をもって、悪の傲慢を退けました。そして、平和と喜びへの道は愛であることを、わたしたちに示したのです。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13・34)。死に打ち勝ったキリストは、わたしたちの中に生きています。そして、わたしたちもまた、聖トマスとともに「わたしの主、わたしの神よ」と唱えながら、わたしたちの師であるかたに従いましょう。そして、兄弟姉妹のために生きる備えをして(一ヨハネ3・16参照)、痛みを恐れない喜びの使者、復活の喜びの使者となりましょう」

教会共同体の中に、またひとりひとりの信仰者の日々の関わりの中に、病気の苦しみの中にある方が多くおられることでしょう。すべての悪を打ち負かした主における希望を、私たち信仰者がその言動を通じて、苦しみのうちにある方々に伝えていくことができるように努めたいと思います。それぞれの教会共同体が、日曜日のミサに集まるだけのつながりではなく、互いを思いやり絆を深めるとき、共同体の愛情の深さが、ひとりひとりを通じて伝わるのではないでしょうか。今日のミサの中で、苦しみのうちにおられるすべての方々のために、祈りを捧げます。

すでに札幌教区でも、新潟教区でも、新年度の司祭人事が発表されております。札幌教区の人事異動は明後日付のカトリック新聞にも掲載されていますが、大がかりなものとなっております。それというのも、新潟教区でも少ないながら同様の人事異動があるのですが、フランシスコ会の会員の異動が大きくございました。フランシスコ会にあっては、昨年末の管区会議で日本管区での働きについて様々な話し合いがあったとうかがっておりますが、いくつかの教区で小教区の担当を縮小されたと聞きました。反対に札幌教区では会員数を増やしていただきました。新しく6名ほどの会員が、札幌教区外から移ってこられることになりました。新潟教区では人数に変更はないものの、担当される小教区が減ることになり、代わりに教区司祭を主任に任命いたしました。修道会にはそれぞれのカリスマがあり、また数年ごとに優先事項の見直しもあるというのは自分自身も修道会の管区長をしていたのでよくわかります。4月から新しい任地で務められる神父様がたに、神様の導きと祝福をお祈り申し上げます。

| |

2011年2月 9日 (水)

南部スーダンが独立へ

Juba01

アフリカのスーダンでは、1983年から国家を南北に分断した内戦(しかも1956年の独立後二回目の内戦)が、中央政府のイスラム原理主義が主導する救国革命政権と、それに反対する南部を中心とした諸派による国民民主同盟(NDA)との間で戦われ、南部各地は徹底的に破壊され多くの難民が発生しました。この内戦は2005年1月の包括和平協定(CPA)によって一応は終結し、その協定に従って先月には南部の分離独立の可能性を問う住民投票が実施されました。これまでも和平協定に従い、南部スーダンには反政府闘争NDAの主流派であったスーダン民族解放軍(SPLA)による南スーダン政府が樹立されており、中央政府とは異なるシステムの中で日常生活が営まれていましたので、住民投票では分離独立が選択されるものと見られていました。

そして一昨日、2月7日、とうとうその結果が発表され、南部スーダンは近く独立を遂げることになりました。AFPの報道によれば、投票者の98.83%が独立を支持したとのこと。バシル大統領もその選択を受け入れると表明したことから、今年半ばにはアフリカで54番目の国家が誕生することになりそうです。

南部スーダンには、2008年の夏にほんの数日でしたが出かける機会がありました。南部スーダン政府発行の入国許可証をナイロビで貰ったときには、ハルツーム政府の証明書でなくて大丈夫なのかと心配になったものです。ジュバの空港に到着すると、「私たちの平和、私たちの土地、私たちの石油、私たちの自由」と書いたホワイト・ナイル社の大きな看板が一番最初に目に飛び込んできました。南北の境には油田があります。現在はその収益を南北で折半しているはずですが、独立後にはどうなるか。南部スーダンはこれがなかったら国家が成り立たないでしょうから、なんとしてでも権益を確保するでしょう。すでに中国も数年前からスーダンに入っています。ホワイト・ナイル社はロンドンベースの石油開発会社です。独立に向けて、争いが激しくなるのかも知れません。(写真はジュバの市内にある教会)

南部スーダンはキリスト教地域ですが、たまたまこの発表があった翌日、2月8日は、聖ジョゼフィーナ・バキータの祝日でした。同じスーダンの西部、ダルフール生まれの聖人です。7歳の時に誘拐され、その後5回も奴隷として売買の対象となりました。最後にはイタリア人の外交官の手によってイタリアへ渡り、紆余曲折を経てその地で洗礼を受け、その後25歳頃にカノッサ修道会のシスターとなりました。修道院の受付を長く務めていたとのことで、その笑顔と優しさから、地域でも広く慕われていたとのことです。

残念ながらダルフールでの紛争はまだ続いており、今回の南部独立とダルフールは関連がありません。南北問題に決着がつきそうになっている今、次は西部ダルフールに平和が訪れることを願わずにはいられません。

| |

2011年2月 5日 (土)

秋の巡礼の予定が見えてきました

2月に入って暖かい日が続いています。降雪は収まったものの、豪雪地帯では雪にまつわる事故が頻発しています。このまま春に移行するのか、もう一度雪となるのか。心配な毎日です。

さて新潟教区と札幌教区の年頭司牧書簡でお知らせしましたが、新潟教区の100周年と私自身の司祭叙階銀祝にあたり、新潟教区主催で巡礼旅行を計画しております。阪急交通社に計画をお願いしました。まず日程が決まりましたので、お知らせします。

今年の秋、10月18日夜に成田出発。帰国は10月28日の朝の予定です。行き先はまずフランスでルルド・パリ・リジュー、イタリアでアシジ・ローマで、最終日は教皇様の一般謁見に与る予定です。全行程同一都市二泊というゆっくりめのスケジュールで、しかも10月という旅行シーズンのこともあり代金は38万円前後を見込んでおります。なお出発を成田発夜便にすることで、新潟教区各地や札幌教区各地からも、前泊なしで当日移動ができるように考えました。詳細については今後、阪急交通社からお知らせすることになりますので、どうぞご一考ください。

ところで明日の日曜日、新潟教会の9時半のミサの司式は、昨年も訪問いただきましたが、ボリビアの宣教師、サレジオ会の倉橋神父様です。

| |

2011年2月 1日 (火)

本格的真冬の2月です

Hasegawa

2月となりました。明日、2月2日は主イエス誕生40日目に神殿に奉献されたことを記念する「主の奉献」の祝日です。福音朗読にはシメオン讃歌が記されていますが、この中に「異邦人を照らすまことの光」と幼子がいったい誰なのかを明確に示す言葉あります。このことから伝統的に、この祝日にはロウソクの祝別が行われてきました。またキャンドルサービスの原型ともいわれるロウソク行列が行われる伝統のある国もあります。新潟教会では朝6時半のミサの中で、すでに皆さんが持ち寄ったロウソクが祝別されます。

その翌日2月3日は聖ブラジオの祝日ですが、この日に伝統的に喉の祝福をする国もあります。ちょうど冬で風邪がはやる時期でもあるので、日本でもやってみたらどうだろうと思います。女子パウロ会のホームページに聖人カレンダーがあり、簡略な聖人伝が記されていますが、そこには聖ブラジオの逸話が次のように記されています。

「あるとき、幼い息子を持つ母親が現れ、子どもの喉に引っかかった魚の骨を取り除いてくれるように、ブラジオに願った。ブラジオの祈りによって、子どもは咳をし、喉から骨が出てきた」。

さらに続いて2月5日は日本26聖人の祝日です。(上の写真はローマから電車で一時間のチビタベッキアにある、日本26聖人の記念聖堂内部。長谷川路可のフレスコ画です)

さらに2月11日はルルドの聖母の祝日など、大切な祝日を数え上げたらきりがありません。

というわけで、いつものように2月の主な予定を記しておきます。

  • 2月3日 常任司教委員会 (東京)
  • 2月7日 聖母学園、理事会と園長会
  • 2月7日~8日 新潟教区司祭静修
  • 2月14日~18日 司教総会(東京)
  • 2月21日 札幌教区司祭月例会
  • 2月22日 札幌教区司祭連絡会
  • 2月22日 札幌カリタス会会議
  • 2月26日 双葉学園理事会
  • 2月28日 月曜会ロザリオの祈りとミサ

| |

新潟教区における新求道共同体の道について

カトリック新潟教区の皆様

主の平和

                  新潟教区における新求道共同体の道について

 新求道共同体の道(以下「道」とします)と日本の司教団との問題について、すでにカトリック新聞紙上で複数回の報道がなされました。報道された昨年12月13日のバチカンにおいて教皇様が招集された会議には、私も参加して参りました。またこの会議の結果を受けて司教協議会会長である池長大司教様から、カトリック新聞紙上で、経緯の説明と信徒の皆様への呼びかけも行われました。そこでこの件について、新潟教区の考えを皆様にご説明申し上げます。

1: 背景
 「道」は1964年にスペイン人信徒キコ・アルグェヨ氏らによって創設された「キリスト教入信と信仰の継続養成の一つの方式」です(「道」規約より)。日本においては1970年代に広島教区でその活動が開始され、その後高松教区をはじめいくつかの教区に活動は広がっていきました。
 「道」は2008年にその規約が教皇庁信徒評議会によって認証され、昨年末には「道」のカテキズムも教理省によって認証を受けています。したがって、「道」はカトリック教会における公式の認可を受けた存在です。
 日本においては主に、高松教区において創立された国際神学院の問題を核として、小教区における信徒の分裂の問題などがたびたび指摘され、それに伴って当時の教区司教を被告とする裁判にまで発展してしまいました。2003年にはソウルの金枢機卿(故人)が、教皇特使として高松教区へ派遣されるほどの深刻な事態となりました。その深刻な状況を池長大司教様はカトリック新聞の記事で、「必ず戸惑い、分裂、衝突、混乱などが大きく現れました」と述べています。2004年からは溝部司教様が仙台教区から移られて着任し、高松教区内の様々な問題解決と一致のために取り組んでこられました。
 日本の司教団はこの数年間、これが高松教区の問題であると共に日本の教会全体の問題でもあるとの認識から、しばしば話し合いを持ち、幾たびも教皇庁と話し合いを行って参りました。その結果として2008年には高松教区の国際神学院は閉鎖となり、「道」の司祭養成はローマへ移転して現在に至っています。

2: 今回の問題
 日本の司教団は、教皇様から認可を受けた「道」の存在そのものを否定するものではありません。また幾つもの海外の教区においてその活動が受け入れられ、その地域における教会共同体が活性化されたという事例についてもよく承知しております。しかしながら、仮にそうであるならば、なぜ日本の教区において、特に国際神学院が創立されてからの20年間、信徒、司祭、修道者を広く巻き込んでの対立と混乱そして分裂が生じたのか、その理由を明確にすることが必要だと考えました。他の国の教区において成功しているからといって、全く同じ事が日本でも可能だと言い切れるものではありません。実際、日本以外の国においても、同様の問題が発生している教区があると聞いております。
 12月13日に教皇様が招集された会議では、司教協議会会長である池長大司教様をはじめ私も含めて4名の司教が日本から出向き、教皇庁の関係枢機卿達を前に日本における状況を説明しました。私たちは、すでに「道」の指導者に伝達したとおり、日本における活動の一時中止と問題点の洗い出し、それを受けての司教団との対話が最善の選択ではなかろうかと問いかけました。これに対して教皇様は私たちと列席した枢機卿達の話に耳を傾けられたあと、活動の中止ではなく自ら任命した特使を日本へ派遣するとの決定をなされました。
 今のところ教皇様の特使は任命されていませんが、来日の際には新潟教区にも来られることでしょう。その場合、池長大司教様がカトリック新聞の記事で呼びかけたように、できる限り多くの方が特使と直接話していただけるように努めたいと思います。

3: 新潟教区の立場
 新潟教区にも「道」において信仰生活を営んでいる方が、いくつかの小教区に在籍しておられます。私はまず、この方々の信仰における熱心さには見習うべきところがあるという思いを述べておきたいと思います。
 なお高松教区に所属する2名の司祭が、新潟教区司祭団と一緒に宣教司牧活動に携わっております。司祭の派遣に関しては、高松教区司教と新潟教区司教との間で契約が交わされており、「道」の活動とは関わりのない、純粋に教区司祭の派遣であると認識しております。
 「道」の規約第1条第2項には、「新求道期間の道は教区において実施される、キリスト教入信と信仰の継続養成の一つの方式として司教に提供されるものである」と記されています。また同じ「道」の規約第26条第1項には、教区司教の権限として「教区に新求道期間の道の実践を許可すること」とあります。したがって「道」をキリスト教入信と信仰の継続養成の方式として新潟教区において採用するか否かは、教区司教である私が決定しなければなりません。
 現時点で私は、「道」を新潟教区におけるキリスト教入信と信仰の継続養成の方式として採用してはおりません。また近い将来に、それを採用することも考えていません。
 すでに最初の司牧書簡「多様性における一致」に記したとおり、「新潟教区において、教会共同体育成のために、何らかの既成の方法や特定の運動に頼ることには賛成いたしません」というのが私の基本的な考えです。
 新潟教区の現状を見れば、それぞれの小教区は規模がとても小さな共同体です。その中でさらに分割して小さなグループを生み出すよりも、小教区教会共同体が全体として共通理解のうちに歩みを共にすることがよりふさわしいと考えるからです。また地域における少数派としても、小教区共同体が一致して祈り支え合う姿は、証しによる福音宣教に欠かすことができません。
 また同じ理由から、主日や聖週間の典礼において、小教区の共同体から離れて異なる典礼が別に執り行われることは、私たちの教区においてふさわしいことだとは考えません。もちろん、研修会や黙想会などの特別な機会に、特定のグループが主任司祭の承認を得て小教区共同体から離れた典礼を行うことには、従来通り何ら問題はありません。
 福音宣教のことを考え、また私たちの教会共同体のこれからを考えるとき、つねに新しく変えられていくことを拒むことはできません。今回の問題に関連して特に私が皆様に申し上げたいことは、小教区共同体のあり方を今一度見直していただきたいということです。今の時代と現実にどのように対応しながら、福音に生かされ、またそれを告げ知らせていくのか。私たちの進むべき道を今一度考えていただきたいと切に望みます。ひとりひとりの信仰者が、それぞれに見合った個性的方法で福音に生かされていない限り、どんな手法を持ってきても小教区教会共同体が生かされることはありません。
 新潟教区の教会の上に、また日本の教会の上に、聖霊の確かで豊かな導きがあることを、共に祈りましょう。

2011年2月1日

                                                  カトリック新潟教区 司教
                                                          タルチシオ菊地功

| |

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »