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2011年2月 1日 (火)

新潟教区における新求道共同体の道について

カトリック新潟教区の皆様

主の平和

                  新潟教区における新求道共同体の道について

 新求道共同体の道(以下「道」とします)と日本の司教団との問題について、すでにカトリック新聞紙上で複数回の報道がなされました。報道された昨年12月13日のバチカンにおいて教皇様が招集された会議には、私も参加して参りました。またこの会議の結果を受けて司教協議会会長である池長大司教様から、カトリック新聞紙上で、経緯の説明と信徒の皆様への呼びかけも行われました。そこでこの件について、新潟教区の考えを皆様にご説明申し上げます。

1: 背景
 「道」は1964年にスペイン人信徒キコ・アルグェヨ氏らによって創設された「キリスト教入信と信仰の継続養成の一つの方式」です(「道」規約より)。日本においては1970年代に広島教区でその活動が開始され、その後高松教区をはじめいくつかの教区に活動は広がっていきました。
 「道」は2008年にその規約が教皇庁信徒評議会によって認証され、昨年末には「道」のカテキズムも教理省によって認証を受けています。したがって、「道」はカトリック教会における公式の認可を受けた存在です。
 日本においては主に、高松教区において創立された国際神学院の問題を核として、小教区における信徒の分裂の問題などがたびたび指摘され、それに伴って当時の教区司教を被告とする裁判にまで発展してしまいました。2003年にはソウルの金枢機卿(故人)が、教皇特使として高松教区へ派遣されるほどの深刻な事態となりました。その深刻な状況を池長大司教様はカトリック新聞の記事で、「必ず戸惑い、分裂、衝突、混乱などが大きく現れました」と述べています。2004年からは溝部司教様が仙台教区から移られて着任し、高松教区内の様々な問題解決と一致のために取り組んでこられました。
 日本の司教団はこの数年間、これが高松教区の問題であると共に日本の教会全体の問題でもあるとの認識から、しばしば話し合いを持ち、幾たびも教皇庁と話し合いを行って参りました。その結果として2008年には高松教区の国際神学院は閉鎖となり、「道」の司祭養成はローマへ移転して現在に至っています。

2: 今回の問題
 日本の司教団は、教皇様から認可を受けた「道」の存在そのものを否定するものではありません。また幾つもの海外の教区においてその活動が受け入れられ、その地域における教会共同体が活性化されたという事例についてもよく承知しております。しかしながら、仮にそうであるならば、なぜ日本の教区において、特に国際神学院が創立されてからの20年間、信徒、司祭、修道者を広く巻き込んでの対立と混乱そして分裂が生じたのか、その理由を明確にすることが必要だと考えました。他の国の教区において成功しているからといって、全く同じ事が日本でも可能だと言い切れるものではありません。実際、日本以外の国においても、同様の問題が発生している教区があると聞いております。
 12月13日に教皇様が招集された会議では、司教協議会会長である池長大司教様をはじめ私も含めて4名の司教が日本から出向き、教皇庁の関係枢機卿達を前に日本における状況を説明しました。私たちは、すでに「道」の指導者に伝達したとおり、日本における活動の一時中止と問題点の洗い出し、それを受けての司教団との対話が最善の選択ではなかろうかと問いかけました。これに対して教皇様は私たちと列席した枢機卿達の話に耳を傾けられたあと、活動の中止ではなく自ら任命した特使を日本へ派遣するとの決定をなされました。
 今のところ教皇様の特使は任命されていませんが、来日の際には新潟教区にも来られることでしょう。その場合、池長大司教様がカトリック新聞の記事で呼びかけたように、できる限り多くの方が特使と直接話していただけるように努めたいと思います。

3: 新潟教区の立場
 新潟教区にも「道」において信仰生活を営んでいる方が、いくつかの小教区に在籍しておられます。私はまず、この方々の信仰における熱心さには見習うべきところがあるという思いを述べておきたいと思います。
 なお高松教区に所属する2名の司祭が、新潟教区司祭団と一緒に宣教司牧活動に携わっております。司祭の派遣に関しては、高松教区司教と新潟教区司教との間で契約が交わされており、「道」の活動とは関わりのない、純粋に教区司祭の派遣であると認識しております。
 「道」の規約第1条第2項には、「新求道期間の道は教区において実施される、キリスト教入信と信仰の継続養成の一つの方式として司教に提供されるものである」と記されています。また同じ「道」の規約第26条第1項には、教区司教の権限として「教区に新求道期間の道の実践を許可すること」とあります。したがって「道」をキリスト教入信と信仰の継続養成の方式として新潟教区において採用するか否かは、教区司教である私が決定しなければなりません。
 現時点で私は、「道」を新潟教区におけるキリスト教入信と信仰の継続養成の方式として採用してはおりません。また近い将来に、それを採用することも考えていません。
 すでに最初の司牧書簡「多様性における一致」に記したとおり、「新潟教区において、教会共同体育成のために、何らかの既成の方法や特定の運動に頼ることには賛成いたしません」というのが私の基本的な考えです。
 新潟教区の現状を見れば、それぞれの小教区は規模がとても小さな共同体です。その中でさらに分割して小さなグループを生み出すよりも、小教区教会共同体が全体として共通理解のうちに歩みを共にすることがよりふさわしいと考えるからです。また地域における少数派としても、小教区共同体が一致して祈り支え合う姿は、証しによる福音宣教に欠かすことができません。
 また同じ理由から、主日や聖週間の典礼において、小教区の共同体から離れて異なる典礼が別に執り行われることは、私たちの教区においてふさわしいことだとは考えません。もちろん、研修会や黙想会などの特別な機会に、特定のグループが主任司祭の承認を得て小教区共同体から離れた典礼を行うことには、従来通り何ら問題はありません。
 福音宣教のことを考え、また私たちの教会共同体のこれからを考えるとき、つねに新しく変えられていくことを拒むことはできません。今回の問題に関連して特に私が皆様に申し上げたいことは、小教区共同体のあり方を今一度見直していただきたいということです。今の時代と現実にどのように対応しながら、福音に生かされ、またそれを告げ知らせていくのか。私たちの進むべき道を今一度考えていただきたいと切に望みます。ひとりひとりの信仰者が、それぞれに見合った個性的方法で福音に生かされていない限り、どんな手法を持ってきても小教区教会共同体が生かされることはありません。
 新潟教区の教会の上に、また日本の教会の上に、聖霊の確かで豊かな導きがあることを、共に祈りましょう。

2011年2月1日

                                                  カトリック新潟教区 司教
                                                          タルチシオ菊地功

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