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2011年4月30日 (土)

仙台教区の復興に向けて

Hiraga

仙台教区の平賀司教様は、復活祭にあたって、「新しい創造」基本計画を発表されています。仙台教区の今後の被災者支援と復興への基本計画です。詳しくはカトリック新聞の5月1日号に掲載されていますのでご覧ください。

4月20日の聖香油ミサの機会には司祭団を集め、計画についての説明と承認を得たとのことです。これに基づいて、平賀司教様からは司教団に対して支援の要請も出されています。

「新しい創造」基本計画の中で平賀司教様は、基本方針を三つ掲げます。

  1. 「新しい創造」である教会は、力の及ぶ限り広い被災地と被災した人々を視野に置き、しかもその「谷間」に置かれた地域やそこに暮らす人たちの心を生き、励まし、つなぎ、支え、寄り添う教会であることを目指す。
  2. 被害が甚大であった沿岸部のみならず、仙台教区全体を組み込んだ体制を作ることで、「新しい創造」への歩みの中で、「我々は主において一つ」を確認したい。
  3. この実施に際しては、すべては痛みを伴うプログラムであることとする。

その上で基本計画には二つの柱を掲げます。

  1. まず第一に、仙台教区サポートセンターの活動を教区の主たる活動として推進すること。
  2. そして「仙台教区<4から6,45>計画」を推進すること。

後者ですが、被災した仙台教区の海岸線沿い地域を縦断するのが国道6号線と45号線です。対して仙台教区の内陸部を縦断するのが国道4号線です。それぞれの国道沿いに小教区が配置されています。そこで、国道4号線沿いの教会から沿岸部の教会へ支援をしようという計画です。これに関連して仙台教区では、内陸部から沿岸部へ司祭の異動を計画しているところです。この時期に急な司祭の異動というのは、実は司教にとっても、司祭にとっても大変です。特に幼稚園の園長をしている場合には、非常に困難が伴います。しかし平賀司教様は、この大災害にあたってみんなで痛みを共有して取り組もうと、大きな覚悟を持って取り組んでおられます。

今後司教団を通じて、姉妹教会関係を構築して長期的な支援を行うことや、物資の長期的供給支援などの要請があるものと思われます。

なお現在、ボランティアとして、教会関係者の中から、傾聴支援、子ども支援、老人介護支援、建築関係支援などの専門職の方で、ある一定の期間を派遣される可能性がある方をリストアップする作業をしています。そういった人材や、ボランティアのベース(現地派遣基地)でリーダーとなれる人材を求めています。これについては別途文書で、来週中に、小教区内に(新潟と札幌教区の)お願いと情報受付窓口などをお知らせする予定です。なお現場でのニーズとのマッチングが必要ですから、最終的な派遣要請は仙台教区で判断します。従って、リストに名を連ねることが即座に派遣となるわけではないことにご留意ください。またそれぞれの教区で、人材発掘を行っていますから、この記事内容は、新潟と札幌教区限定です。

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新潟教区宣教司牧評議会

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昨日は新潟教会を会場に、教区宣教司牧評議会が開催されました。毎年一度開かれるこの評議会も今年で5回目となりました。宣教司牧評議会は、教区で働く司祭、信徒、修道者の代表が集まり、福音宣教への取り組みや課題について話し合い、司教に提言をする場として設けられています。すでに司牧書簡でもお知らせしているように、現在は2012年の教区100周年を前に、すでに宣教司牧評議会の話し合いの中から設定された三つの優先課題について、それぞれの地区における取り組みや課題について分かち合うことを行っています。次回以降は、これまでの取り組みを振り返りながら、新たな優先課題の設定に取り組むことになります。なお次回は来年の7月16日に開催される予定となりました。

今回の会議で、地区としてまとまって行動することの難しさが浮き彫りになりました。報告もどうしても、各小教区で何をしているかになりがちでした。地区というもののあり方を考えてみなくてはと思います。一つの小教区だけでは限界があるので、地区として一緒に取り組もうという考えでしたが、やはり地理的な距離感があり、一緒になることの心の距離を感じました。

また今回の話し合いの中で、将来への不安の報告が多かったことから、それではどうするのかという課題についても、意見交換が始まりました。信徒が高齢化する、減少する、というのが肌で感じる現実であるのなら、その日を単に心配して待つのではなく、それではどう積極的に行動するのかを考えなくてはなりません。小教区のあり方も含めて、今後の議論に期待します。

なお今回の会議では教区100周年のお祝いへの取り組みに関する報告や、東北大震災への取り組みについても報告がありました。参加してくださった皆さん、休日にご苦労さまでした。

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2011年4月29日 (金)

カトリック学校の存在意義

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昨日は一日東京におりました。日本カトリック学校教育委員会主催の、第24回校長・理事長・総長管区長の集いに、少し話をするように招かれたからです。毎年この時期に、一泊二日で、全国にあるカトリック学校の校長先生や、理事長、そして設立母体の修道会の管区長や総長さんを集めて、研修会が開催されています。毎回、各教区の司教も招かれるのですが、新潟はちょうどいつもこの時期は年に一度の宣教司牧評議会で、これまで一度も参加したことがありませんでした。そうしたらば今年は、最初の日にパネルディスカッションをするから、参加されたしとのこと。出かけました。

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会場は御茶ノ水のガーデンパレスホテル。ガーデンパレスというのは私学学校共済が全国に展開するホテルであります。御茶ノ水の駅というところは乗り換えでホームに出たことはしばしばありますが、外へ出たのは初めて。生まれて初めて、近くにあるニコライ堂を目にしました。このニコライというロシア正教の司教の活躍については、ハバロフスクのロシア正教神学校を訪問した際に、何回もお話を伺いました。神学校のロビーには立派な肖像画も飾ってありました。

今回の集いのテーマは「教会におけるカトリック学校の意義」で、学校と教区との関係や協力体制について考えることになっておりました。20分ほど、新潟の現実に照らし合わせて話をいたしました。私以外に、長野清泉の西澤校長、マリアの宣教者フランシスコ会の梶川管区長、暁星の佐藤校長、梅村司教が話をされ、その後、パネルディスカッションと質疑応答になりました。

学校法人の理事会と教区司教、そして母体である修道会との関係は、なかなか微妙なものがあります。私自身、修道会の管区長として南山学園や長崎南山学園の理事をしておりましたが、その立場と、現在の教区司教の立場では、考える方向性に微妙にずれがあるようにも思います。そのあたりをできる限りすりあわせて、三者がより良く効力していくことが、日本のカトリック学校の存在意義をますます高めていくことになるのではないかと思っています。集いの参加者は180名ほど。全国には幼稚園から大学まで、800を越えるカトリック学校があります。

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2011年4月24日 (日)

御復活おめでとうございます

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主イエス復活の主日にあたり、皆様に感謝の思いを込めて、御復活おめでとうございますと申し上げます。

今年の四旬節は、灰の水曜日直後の金曜日から、大震災の苦しみと悲しみのうちにありました。同時にまさしく四旬節の愛の業に、日本中の方が参与されてきました。絶望の死の淵から新しい生命によみがえられた主の栄光を仰ぎ見るこの復活祭が、これほど希望を感じさせるものであったことはかつてありません。すべての希望を打ち砕かれた弟子達の眼前に、主は全く考えられないような力を持って、新しい生命に生きる希望の光を輝かせました。この復活の主の希望の光を、この国で輝かせたいと思います。

世界の人たちの善意という光が日本に向けられています。復活祭にあたり、被災された方々に真の希望の光がもたらされるように、互いに務めたいと思います。

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復活徹夜祭で洗礼を受けられた方々も多くおられると思います。おめでとうございます。洗礼を受けられたその喜びを忘れることなく、さらに信仰生活において深めて行かれますように。そしてひとりでも多くの人に同じ喜びと希望を伝えてくださいますように。洗礼を受けられたことによって、ご自身がキリスト者となったと言うだけではなく、キリストという幹に連なる枝として、そのキリストの体、すなわち教会共同体の一員となられました。教会は仲良しクラブではありませんから、様々な人間関係の中でたがいに困難を感じるときもあるでしょう。楽しいことも苦しいこともあるでしょう。でもそこに集まっているひとりひとりが、同じ主を信じているのだ、同じ信仰によって生かされているのだと言うことを心にとめ、一緒になって協力しながら、キリストの体を形作ってまいりましょう。

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新潟教会でも本日、復活の主日の9時半のミサで、ふたりの方の洗礼がありました。そのうちのひとりは幼児洗礼。おめでとうございます。ミサ後に、信徒会館で食事をともにし、一緒に歌ってお祝いいたしました。新潟教会の信徒会では、今日のお祝いの規模を縮小して、その分を震災被災者のための献金に充てるということでした。

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2011年4月23日 (土)

聖金曜日、主の受難

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昨日は主イエスの受難と死を黙想する一日、聖金曜日でした。新潟教会では午後3時から十字架の道行きが行われ、平日の昼間にもかかわらず、多くの方が参加されました。

夜7時からは主の受難の聖式が、坂本神父の司式で行われました。主イエスの苦しみと裏切り、逮捕、裁判、死、葬りの物語にあらためて耳を傾け、教会全体と心を合わせて共同祈願を唱え、十字架を崇敬することでその偉大な神秘を黙想し、また神ご自身が示された愛の業、無償の賜物であるその十字架上での苦しみと死に感謝を捧げ、聖体をいただいて、沈黙のうちに解散し、本日の復活徹夜祭を待つのです。盛式共同祈願では、今回の震災の被災者の方々のため、また救援復興に携わっている方々のため、司教団で用意した祈願が二つ付け加えられ、皆で祈りを共にしました。

昨晩はイタリアのテレビで、教皇様が直接一般の質問に答えるという企画があったと報道されています。フランスのカトリックテレビ(KTOというところ)のホームページで録画が見られますが、言葉がわかりません。雰囲気だけでもという方は、「KTOTV」で検索するとホームページに行き着きます。その右中段あたりに、教皇様が書斎の椅子に座っている画面がありますから、そこをクリックすると昨晩の番組の録画です。もともとがイタリア語ですし、さらにその上にフランス語がかぶっているので、何を言っているのかわかりませんが、雰囲気は味わえます。このページでは、バチカンからの聖週間の典礼の録画なども見ることができます。

昨晩のその番組では日本に住む少女の質問に教皇様が答えられています。今回の大震災について、なぜと少女が問いかけています。そのやりとりの日本語訳は、バチカン放送の日本語ホームページに掲載されています。

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2011年4月22日 (金)

聖木曜日、主の晩餐

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昨日は聖木曜日、主の晩餐のミサを新潟教会で午後7時から司式いたしました。夜の典礼儀式にはなかなか多くの方に集まっていただけないことが多くなりました。信徒の方々の年代構成だけでなく、新年度が始まってかなりが経つという時期のことや、現在の状況など様々なことが関係しているので一概には言えませんが、聖週間に聖堂がいっぱいになることは珍しくなってしまいました。それでも聖歌隊の方々は勢揃いで、力強い聖歌を歌ってくださり、ありがとうございます。

ミサ中には最後の晩餐での出来事を記念して、洗足式が行われました。今年は、参加者の人数のこともあり12名ではなく6名の方に前に出ていただき、また今年から会衆席に向かって座っていただくようになりました。

聖なる過ぎ越しの三日間は、この主の晩餐のミサから始まって、主イエスの受難・死・復活を記念するひとまとまりの典礼になっています。ですから聖木曜のミサに閉祭を告げる派遣の祝福はなく、聖金曜の聖式には始まりも終わりもなく、復活徹夜祭はいつもとは異なる始まり方をするのです。そして最後に復活徹夜祭の『神に感謝。アレルヤ』で派遣されていきます。典礼的にはそれから8日間は復活のお祝いが毎日継続します。

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昨晩のミサ。聖体拝領祈願の後、御聖体を小聖堂に移し、夜10時頃まで聖体礼拝も行われました。昨年までは一緒に祈るシスター方の姿もありましたが、保育園の閉園に伴いシスター方も異動されていきましたので、今年の聖週間からはシスターの姿がなくなったのが寂しいところではありました。

この困難の時、聖なる空間で祈りを共にすることは大切です。ひとりでの祈りよりも、多くの人が共にする祈りにはさらに力があると信じています。どうぞ本日聖金曜日にも、また明日の復活徹夜祭にも、教会では祈りの場が設けられています。おいでください。共に祈ってください。本日の聖金曜日、盛式共同祈願には今回の大震災で被害を受けられた方々のために、典礼委員会で作成した祈願が二つ、付け加えられています。被災された方々のため、亡くなられた方々のため、救援に取り組む人たちのため、一緒に祈りましょう。カトリック新潟教会の聖金曜日の聖式は午後7時から。明日の復活徹夜祭も午後7時から。どちらも1時間半ほどの式となります。

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2011年4月19日 (火)

新潟教区の聖香油ミサ

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本日聖週間の火曜日午前10時から、新潟教会において聖香油ミサを司祭団と共に捧げました。一年に一度、司祭が司式する秘跡に使うための聖香油、洗礼志願者の油、病者の油の三つの聖なる油が祝別されるミサにおいて、教区で働く司祭団は司教と共に集まり、信徒の代表と共に、目に見える形で教会共同体の一致を現します。また司祭団はこのミサの中で、叙階の日の誓いを新たにします。教区で一番遠い秋田地区からは代表の司祭が二名参加してくださいましたが、あとの地区からは、ほぼ全員が顔をそろえてくださいました。また主に新潟市内を中心に信徒の方の参加も多く、新潟教会の聖堂はいっぱいでした。聖歌隊の皆さんもありがとう。

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これから札幌へ移動し、明日は午前10時半から、北一条教会で、札幌教区の聖香油ミサです。

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2011年4月18日 (月)

受難の主日

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昨日は聖週間の始まり、受難の主日(枝の主日)でした。山形教会でミサを共に捧げました。晴天に恵まれ、信徒会館の前で枝を祝別。エルサレム入城の福音を聴き、聖堂まで行列。大勢の方が参加してくださったのは、ミサ前に1時間、大瀧師の講話があったからでしょう。聖堂の後ろに折りたたみ椅子もたくさん出して、聖堂はいっぱいでした。(写真上は山形教会の行列用十字架。写真下は講話をする大瀧師)

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イエスを大歓声をもって迎えた群衆は、同じ熱烈さを持ってイエスを十字架につけよと叫びます。熱狂は生命を生み出さないのではないかと感じる部分です。なぜそうしているのか、自分の行動をしっかりと見つめて判断して動いていないとき、周りに影響されて動いているとき、とんでもない結果を生み出してしまうように思います。全く正反対の行動を取っても、熱狂はその矛盾に目をつぶらせてしまうのではないでしょうか。加えて熱狂はあっというまにさめてしまいます。

大震災を目の当たりにして、今求められているのは息の長い支援でしょう。しっかりと自分の行動を見つめ、判断して、落ち着いて行動したいと思います。そしてしっかりと長期間にわたって、責任を持って動いていきたいと思います。

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2011年4月15日 (金)

震災支援

水曜日の午後から今日の昼間で東京でいろいろと会議でした。その合間を縫って、カリタスジャパンや司教団の支援活動について、いろいろとやりとり。もちろん一番大変なのは被災された皆さんですし、それを支える行政を始め多くの方々。さらに現場で働いてくださるボランティアも大変な思いをしながら努力してくださっていること、本当に大変だと思います。同時にボランティアを出すことはそれを支える後方も結構大変で、もちろん一番大変なのは現場での調整を担っているメンバーや、例えば仙台の平賀司教さんや小松事務局長でしょう。さらにその後ろにいて支える役目の私たちは、どれほど役に立てているのかわからず不安になります。何層にも重なった支援構造で、全体を支えていかないと、ひとりに重荷がすべて追い被さるような事態にもなりかねませんから、息の長い充実した支援の継続のためには、後方組織も充実しなければなりません。

日本の司教団は、日本の教会全体として、特に被害の大きかった仙台教区を支援していこうと考えています。現在いろいろと仙台教区と調整しながら、計画を詰めています。もちろんカリタスジャパンを通じた被災者全体への支援活動はさらに規模を拡大しながら継続します。現在は塩釜や石巻、そして釜石を中心にボランティア派遣を行っていますが、今後そのベースを拡大しますし、宮古でも札幌教区のボランティア派遣が始まりました。(札幌教区のボランティア募集については札幌教区のホームページを参照ください)。加えて仮設住宅ができるようになってくると、支援も第二フェーズに入っていきます。福島県の被災地への支援は地理的条件も考慮して、主にさいたま教区が担当してくださっています。カリタスジャパンの支援活動については、カリタスジャパンのブログをご参照ください

来月には教皇庁の開発援助促進評議会のサラ枢機卿の訪問も計画されているようです。世界中から支援の声と祈りが寄せられています。たった今も、ガーナの友人から祈っているという電話がかかってきました。新潟教区では、信徒の有志の方が声を掛け合って、どのような支援ができるか考える集いが開催されています。第二回目の集いは明日、4月16日(土)の午後4時から、新潟教会で開催されます。詳しくは新潟教区のホームページへ。みんなで支え合って、みんなで立ち上がりましょう。

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聖週間が始まります

まもなく聖週間です。4月17日の枝の主日(受難の主日)のミサ。私は山形教会にお邪魔する予定です。それ以降の新潟におけるミサの予定は以下の通りです。

  • 4月19日(火)新潟教区聖香油ミサ:新潟教会午前10時
  • 4月20日(水)札幌教区聖香油ミサ:北一条教会午前10時半
  • 4月21日(木)聖木曜日主の晩餐:新潟教会午後7時
  • 4月22日(金)聖金曜日十字架の道行き:新潟教会午後3時
  • 4月22日(金)聖金曜日主の受難聖式:新潟教会午後7時(司式:坂本師)
  • 4月23日(土)聖土曜日復活徹夜祭:新潟教会午後7時
  • 4月24日(日)復活祭ミサ:新潟教会午前九時半

聖金曜日以外は私が司式する予定です。また復活祭には洗礼式も予定されています。

なお5月1日の復活第二日曜日神のいつくしみの主日は、教皇ヨハネ・パウロ二世の列福を感謝する意向で、新潟教区と札幌教区ではミサを捧げていただきます。私はその日は山形の新庄教会で11時からミサを司式する予定です。

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2011年4月12日 (火)

札幌教区も宮古で活動開始

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東日本大震災の被災者の方々の支援を目的に、札幌教区の有志が、本日から宮古教会を拠点に活動を始めたという報告がありました。教区管理者代理である上杉神父に率いられた一行は七名。宮古教会のマルコ神父や信徒の方々と協力して、宮古を始め近隣の町村で、必要と求められるところで、ボランティア活動を行います。もちろん仙台教区サポートセンターと密接に連携して、仙台教区の復興の取り組みへの助力であることを忘れないで。

岩手県沿岸部は、北海道からは青森経由で入りやすい地域です。その証拠かどうかは知りませんが、上の写真は宮古市内の市役所に近い交差点を警備する北海道警察の車輌です。何度もテレビで放映された、堤防を津波が越えてきて船が流されてしまった宮古市役所のすぐ近くの交差点です。これ以外にも宮古市内では、北海道警察の車輌をたくさん目にいたします。

札幌教区だけではなく、様々な教区が支援に動き出しております。東京教区からも、具体的な提案が出始めています。仙台教区サポートセンターを通じて全体を調整し、重複や見落としがないようにしていきたいと考えています。新潟では滞日外国人司牧担当のフェルディ師のところへ、フィリピン大使館からフィリピン人避難者の受け入れの可能性の打診があったと報告を受けました。これもできる限りの対応をしていきたいと思います。

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2011年4月11日 (月)

一ヶ月

東日本大震災が発生してから今日で一ヶ月が過ぎました。被災された方には本当にあっという間の一ヶ月だったと思います。復興に向けて少しずつとはいえ始めている歩みを妨げるかのように、この数日、規模の大きい余震が続きます。今日の夕方の余震では、新潟でもかなりの揺れを感じました。

一ヶ月目にあたるこの日、新潟教会で午前中に、月曜会のメンバーと定例の集まりを開き、被災された方々の一日も早い復興と、亡くなられた方々の永遠の安息を、ミサの中で、そしてそのあとのロザリオの祈りの中で、お祈りさせていただきました。メンバーの方から、自分たちは年齢も高く現場に行ってお手伝いできないことを申し訳なく思っているが、お祈りを持って心で連帯しているからというお話がありました。霊的花束を仙台教区に贈る話も出ていました。募金も大切です。現場に出かけていって働くのも大切です。直接会って話を聞くのも大切です。そして祈りのうちに連帯することも、私たちにとって非常に重要なことだと思います。それぞれの方ができることをできる範囲でなさってください。多くの人が支え合って、一緒になって、一日も早く日常を取り戻しましょう。

カトリック教会の救援活動については、仙台教区サポートセンターを支えているカリタスジャパンのブログをご覧ください

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2011年4月10日 (日)

田老へ・2

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山王岩を望む丘方面から見た田老のまち。この高さでさえも、道路脇のガードレールが津波の勢いでねじ曲がっていました。

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そして津波にも耐えてしっかりと残った山王岩。

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漁協の施設も、かなり高いほっそりとした建物ですが、上の方まで被害を受け、その後ろには破壊された防潮堤の残骸が残っています。下が、港の中に残された、防潮堤の残骸。

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田老へ・1

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前記事の続きです。田老の町の姿です。本当に、言葉にならないほどの驚きと、恐怖を感じました。

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わずかに残された、あの巨大な防潮堤の一部に、日章旗が舞っていました。

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宮古、そして田老へ

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土曜日の朝、盛岡は雨模様。朝8時には盛岡駅前のホテルを出発。国道106号線を一路宮古へ。たぶん普段の倍以上の交通量でしょう。前を自衛隊の車輌が何台も連なって走っていきます。それ以外にも岩手以外の他県ナンバー車輌の多いこと。2時間で宮古市内へ。というよりも合併があったらしく、区界(くざかい)あたりで、表示はすでに宮古市になっていた。つまり盛岡と宮古は、今や隣町同士。海岸線までは宮古市に入ってからが遠い。

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国道は閉伊川沿いを進みます。津波はどこまで川をさかのぼったのでしょう。右手にラサ工業の煙突が見えてくると、間もなく宮古市中心部に。八幡様の小高い丘があって(昔は巨大な山と思っていた)その下に裁判所。その裏が宮古カトリック教会です。このあたりは津波の被害はほとんど無し。教会に着くと司祭館で主任司祭のマルコ神父(グアダルペ会)と小百合幼稚園の加藤園長が待っていてくださいました。マルコ神父はちょうど故郷のメキシコに戻っていて、つい数日前に戻ってきたばかり。園長は田老のお住まいなので、家を失ったものの、家族は皆無事とのこと。地震当日に、園児達をつれて八幡様へ避難したときの様子をうかがいました。その後、信徒の方々が数名あつまってくださる。車のまま流されて奇跡的に助かった方。家を流された方。被災者を支援するために朝から晩までボランティアに取り組んでいる方。みんな本当に、本当に、大変でした。この日も、近くの小学校で、盛岡の四ツ家教会の有志が炊き出しをしてくださっていたと聞きました。

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宮古教会には、現在私が教区管理者を務める札幌教区から、管理者代理の上杉神父が、宮古教会を二度ほど訪れ、宮古の神父様や信徒の方々と協力して、支援プログラム立ち上げを目指しています。今週くらいから、仙台教区サポートセンターとの連携のうちに、札幌教区としての支援ベースを宮古に設置する計画を上杉師が進めてくださっています。

加藤園長に案内されて、田老に出かけました。途中、宮古港を通過。道路が通れないので、普段は入れない港の埠頭の中を抜けるルートが、自衛隊によって設置。港は壊滅的状況でした。陸に乗り上げている船。浄土ヶ浜へ向かう道路沿いに立ち並ぶ住宅地で、自衛隊員が大勢、重機を使って被害を受けた家屋の解体作業にあたっていました。

田老に入ると、全くの別世界。ここに町がひとつあったとはとても思えない惨状です。町の中を一本貫く道路だけが、がれきを撤去して開かれ、その左右はがれきの山。ぽつんとローソンの鉄塔の上につけられた看板が残っていました。たしかここから先にはあの巨大な防潮堤の水門をくぐらないと行けないはずだったのに、それはもう存在しておらず、ホテルから先の丘へ上る道へ。港には破壊された防潮堤の、巨大なコンクリートの塊が点在していました。そのまま丘を登っていくと、頂上付近にまで車が打ち上げられている。目の前にそびえる漁協の製氷施設も、かなり背の高い施設ですが、屋根近くまで破壊されている。陸の上には展望台があり、港と反対側の海岸沿いに、山王岩を望むことができます。長年の浸食でひょろりと背の高い岩がそびえており、景勝地とされています。もちろん津波の被害を受けているはずなのですが、これはそのままの姿でしっかりと残っている。園長が、「人間が造ったものはどんなに頑丈でも自然の力の前にはひとたまりもなかった。でもこの岩はもろそうに見えても、自然が生み出したからとても頑丈だった。人間の力の小ささを教えられた」と話してくれました。(田老の写真は別掲)

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その後、市内に戻り、園長ご夫妻と一緒にカレー屋さんへ(写真は、店前の看板と、店長さんと坂本神父)。海沿いの磯鶏(そけい)のあたりで、周囲は津波でかなり被害を受けています。この店にも津波が押し寄せたものの、何とか持ちこたえ、即座に開店へ。復興のためにカレーライスを、現時点では350円で提供中。とてもおいしいカレーでした。食事をしながらいろいろと話を聞きました。とにかく被害の大きさ。仕事を失った人はどうなるのか。ひとりひとりのニーズに応えて行くには何が必要か。現場のニーズをもっとしっかり見て知って、それから援助してほしい。

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宮古教会の皆さん。もっと時間を取って一緒に過ごすことができずに申し訳ない。札幌教区のメンバーが入ることになると思いますから、また必ず、すぐに、出かけていきます。

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2011年4月 9日 (土)

余震の影響

木曜日夜の最大の余震の影響は大きいものがあります。昨日は仙台での会議がすべて終了して仙台教区事務所を出発したのが午後4時半過ぎ。盛岡へ戻るミゲル神父を一緒に乗せ、坂本神父の運転で出発。ちょうど神学院の伊藤神父に引率されて、今年の全国の助祭団12名が、2週間のボランティア活動のために仙台に到着したところに出会いました。

東北高速道路は余震のために道路が崩れた場所が一部発生したとのことで、古川から水沢まで通行止め。今日も水沢と平泉の間は通行止めで、復旧には数日かかる模様。そこで国道4号線を走りました。何十年ぶりでしょう。国道4号で盛岡へ向かうのは。

仙台方面は大渋滞でした。仙台市の北部から岩手県の水沢周辺まで、完全に停電中。もちろんごく一部の交差点を除いて、信号もストップ。加えて余震のために橋などとの接合部に段差が発生したため、各所で徐行。これが渋滞を引き起こします。

県境を越えて岩手県に入り一関あたりから、盛岡方面の国道4号もしばしば渋滞。反対方面はずうっと大渋滞。平泉あたりから水沢のインターチェンジ入り口までは、数珠つなぎの渋滞でした。結局仙台から盛岡までの190キロくらいを5時間弱かかって、夜9時半頃盛岡に到着となりました。普段なら高速で2時間強でしょう。

盛岡には電気が戻っていました。盛岡駅は新幹線も止まったので真っ暗。ガソリンスタンドは、並んでいる列があるものの、最初の頃のような長蛇の列は解消されていました。

本日は雨模様。宮古へ行きます。

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2011年4月 8日 (金)

余震の被害

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昨晩の余震はかなり揺れました。新潟でも揺れました。仙台でも様々な影響が出ている模様です。仙台教区のカテドラルである元寺小路教会の聖堂では、祭壇上部の壁が一部崩壊し、内陣あたりが危険なため、様子が確認できるまで、立ち入りを制限しています。明日には教皇大使も視察に訪れる予定となっているとのことです。

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仙台教区サポートセンターへ

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午後1時から仙台教区事務所で、今後の復興支援についての教区の計画や方針を話し合うための会議が行われます。坂本神父と一緒に今朝早く新潟を出発し、先ほど11時前に仙台に到着。先日ブログに書いたこともあり、多くの方からガソリンの携行缶の提供申し出をいただきました。ありがとうございます。おかげさまで無事仙台まで到着です。サポートセンターの事務所は拡大していました。写真をご覧ください。新潟教区出身の若者もひとりスタッフとして手伝ってくださってます。昨晩の地震ではかなり揺れたとのこと。新潟も驚くほどの揺れでした。怪我をされた方も大勢いらっしゃいます。午後の会議で話し合われた内容は、また掲載します。夜には盛岡へ移動し、明日は宮古へ行ってこようと思います。

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2011年4月 6日 (水)

新潟清心入学式

今日は午後1時半から、新潟清心女子中学校高等学校の入学式が行われましたので、参加してきました。私の役目は最初のお祈りです。県内で唯一のカトリック学校ですから、やはりすべての始まりにお祈りを持ってするのだという事を、入学式でしっかりと感じていただきます。今年度は中学校に50名ちょうど、高校に56名の新入生がありました。この四月から学校法人の理事長が交代され、新理事長である加賀田亮一氏(新潟マテリアル社長)も聖書を引用した祝辞を述べてくださいました。また岡山のシスター渡辺もおいでくださり、いつものように深く聞かせる話をしてくださいました。後援会長の川上浩司氏(吉乃川社長)も祝辞で新入生を意義ある学校生活へと招かれ励まされました。新潟は暖かな一日でした。

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2011年4月 5日 (火)

MDGsについての講演

昨日は、大震災が発生する以前にすでに依頼されていた講演がありました。ただテーマが開発や援助の関連でしたので、当然、今回の東日本大震災へのカリタスジャパンとカトリック教会の対応についても、充分に話をさせていただく機会となりました。国際ソロプチミスト新潟に依頼されて、ミレニアム開発目標(MDGs)について話をしてきました。国際ソロプチミスト新潟などでは青少年を対象にミレニアム開発目標について考えるという論文提出のフォーラムを企画していると言うことで、それに合わせてメンバーの勉強会を開催したいと言うことでした。2015年という期限は刻一刻と迫ってきているのに、それほど大きな成果が得られているとは言い難いMDGsです。前提となる開発と援助の話から人間開発に至る背景や貧困の問題について、パワーポイントを使って一時間ほど話をさせていただきました。

今週金曜日には仙台で再び会議が予定されているので、それに合わせて今日の午後から買い出しにでました。できれば会議の翌日には、故郷の宮古まで足を伸ばせればと願っています。ガソリンが心配なので、ガソリン携行缶を求めて新潟周辺のホームセンターを少し回りましたが、さすがにすべて売り切れ。納品の見込みもないとのこと。残念。今日の夜は、新潟カリタス会の理事会もありました。明日は新潟清心中学高校の入学式。夜には東京です。

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2011年4月 3日 (日)

4月になって

心も体も慌ただしい中に月が変わり、新年度が始まってしまいました。4月1日は見附にある児童養護の聖母愛児園を会場に新潟カリタス会の辞令交付式を行いました。聖母愛児園、聖母乳児院、新潟天使園と3施設の10名の職員の方を対象に、新たな職務であったり新規採用であったりと辞令をお渡ししました。その後、近くに新築なった子どもたちのグループホームの祝別式。7人の子どもたちのために十分なスペースのある、すてきな家が完成しました。

その後、仙台教区サポートセンターの業務から一時的に名古屋に戻るカリタスジャパンの秘書、成井神父が新潟に来たこともあり、現場からの報告と打ち合わせ。仙台から名古屋に車で戻るには、東北道で郡山まで、磐越道で新潟まで、北陸道で上越まで、上信越道で長野を経て岡谷へ、中央道で名古屋へというルートになります。通常であれば仙台から新潟まで4時間ほど、新潟から名古屋まで5時間ほどです。カリタスブログにも掲載されていますが、仙台教区サポートセンターを立ち上げてからこの2週間ほどで100名を超える方々がボランティアに参加してくださいました。感謝します。県外からのボランティアを受け入れる団体が多くはないので、教会関係ではない方々も多く加わってくれています。本当に感謝。実際にボランティアを現場でしてくれる人が増える分、必要となるのはバックアップ体制です。本部を運営したり、それぞれのベースを運営したり、様々な調整をしたり、そして広報を行ったり。ありとあらゆる後方業務が、規模が拡大するにつれて発生してきます。長期的に関わっていく心づもりですから、今後は早急に後方業務体制を整えて行かなくてはと考えています。

昨晩から駆け足で先ほどまで、ちょっと南へ飛んできました。前から約束していた家庭ミサを行うためです。結構深刻な病気で苦しんでおられる方ですが、ミサ後に一緒に食事をしながら、その前向きに生きる姿勢に、私の方が勇気づけられて帰って参りました。その地ではもう桜が咲いておりました。写真はその近くの有名公園。

Nagasaki11

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