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2011年7月29日 (金)

仙台に・・・今日は行き着いた

新潟は昨日から大雨です。全般的にだらだらと降っている状態ではなく、局所的に凄まじい量の雨が降る状況。信濃川と阿賀野川の二つの大河川が、その支流も含めて氾濫の寸前です。2004年7月、ちょうど私が司教に任命されたもののまだ新潟に来る前に、三条市の五十嵐川が氾濫し大きな被害が出ました。今回の雨はそれに匹敵する雨量だと言うことで、三条市全域には避難勧告が出されていると言うことです。雨は明日の朝にかけてまだまだ降り続く模様で、被害が拡大する恐れがあります。心配です。

さて昨日はその雨のために仙台に到達できませんでした。いったん司教館に戻り、今朝は5時過ぎにもう一度、車で出かけました。県境付近から会津にかけてやはり激しい雨でしたが、それでも何とか9時過ぎには仙台に到達。10時からの会議に間に合いました。

今日は毎月1回開催の仙台教区サポート会議の第4回目。今回からは各教会管区の代表が参加することになり、メンバーが増えました。そのうちの二人が司教であるため、全体で司教の参加者が増えました。平賀、谷、幸田、諏訪、そして私です。仙台教区サポート会議は、仙台教区内で復興支援に取り組む教会の関係者代表が集まり、情報交換と共有を目指しているもので、何かを決定する場ではないのですが、仙台教区の統率の基に、有効な復興支援を目指して開催されています。今後も毎月一回のペースで開催されます。

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2011年7月28日 (木)

仙台に・・・行き着かなかった

明日は午前10時から仙台教区本部で復興支援会議。そこで前晩に復興支援担当3人(菊地、神田、濱口)で打ち合わせをしようと思い、午後1時半頃新潟司教館を車で出発。今日は新潟市内も断続的に強い雨が降る不安定な天候。しかし昼頃にはある程度回復していました。

新潟中央インターに入ったところまでは順調。磐越道を一路会津方面へ。新津を過ぎたあたりから雨が激しく。安田インターの手前の電光掲示板に、なんと「安田-三川通行止め。ここで出よ」の力強い指示が。ここまで新潟司教館を出て45分ほど。仕方なく高速をおりることに。料金所で尋ねると、国道49号を走って津川まで行けばまた乗れるからとのこと。よしとばかりに国道49号をひた走る。

国道49号と言えばこの間の冬に、立ち往生した車が続出して大変だった道です。走っていくと何となく不安に。というのも、そこら中の山肌から水が噴き出している。何となく土のにおいまで。まるで山肌が崩れるのではと恐ろしくなる。同じように津川に向かう他県ナンバーの車多数と共に、そこら中で泥水をかき分けて川沿いを進みました。すると津川インターの表示があった。行ってみるとなんと通行止めではないか。しかも通行止めの区間が伸びて「安田-西会津通行止め」の表示が。なんということか。

そこで国道49号で県境を越えて福島へ入り、西会津まで行くことに。同じように西会津に向かう他県ナンバーの車多数と共に、国道49号を進むと、阿賀町の常浪川の橋を渡るところでなにやら異変が。川から上がってくる側道にミキサー車やら乗用車が密集して停車している。よく見ると、川の河川敷にあるコンクリートの工場が、あふれた水につかっているではありませんか。川は泥水の濁流。いやな予感が。さらに進むと、案の定、「雨のため通行止め」の表示が。警察官が出て規制中。しばらく逡巡。よし新潟へ戻って新幹線にしよう。(新幹線は大宮乗り換えのため、磐越と東北道を通る自動車とあまり時間は変わらないのです)

ところが国道49号を戻り始めると、な・なんと、新潟方面も大雨のため通行止めの表示が。阿賀町役場付近で万策尽き果てました。とりあえずコンビニで食料を調達して、津川インターの入り口に並ぶことに。微妙な時間です。3時頃になってました。とにかく5時まで待ってそこで次にどうするか決めることに。幸いナビでテレビが映るので、時間はつぶれる。地元のニュースによれば、さっきの常浪川の上流では水位が上がり、避難勧告が出たらしい。上空にはヘリも飛んでる。大事です。

5時になったが高速も国道も開通の気配なし。仕方なく仙台に「今日は行くこと能わず」と連絡し、ホテルもキャンセル。そして7時少し前、何の前触れもなく(ある方がおかしいが)、電光掲示板の「通行止め」の文字が消灯し、「死亡事故多し。運転注意」に変わった。「通行止め解除」くらいにしたらよいのにと思いましたが、そんな親切な表示はなく、ぱっと消えるのみ。もしかしたらと携帯を取りだし、楽天のサイトで「今夜の宿」を探してみる。案の定、仙台ではいつも一番に出てくる超高級「ウェスティン」ほか全3件のみ。しかもすべてひとり一泊数万円の強気商売。その瞬間、あきらめて新潟へ戻ることにしました。

というわけで、新潟へ戻り、明日の早朝にもう一度トライすることに。もったいない午後を過ごしました。

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2011年7月26日 (火)

司教の研修会

昨日午後は東京で、司教たちの勉強会が開催されました。テーマは原子力発電所について。今回の福島での事故を受けて、様々な立場が表明されており、全体像を客観的に、また正確に把握することは容易ではありません。

「反原発などと言うのは時代遅れだ」という立場で話をされたのは、田中三彦氏。かつて日立で働き、福島第一原発4号機の原子炉設計に携わった人物です。いわゆる「反原発派」と目される彼が、「反原発は時代遅れだ」というのでした。原発に反対だとか賛成だとか言っているようなそんな狭い範囲での議論はいらない。それよりも、いわば「エネルギー依存症」に罹っているような生活スタイルを見直さなければ、何も意味がないというお話でした。

福島の4号機を設計された立場から、今何が起きているのかを細かく説明してくださり、またご自分がいわゆる「反原発」になっていった経緯もお聞きしました。そしてさらに、現在のライフスタイルを維持するために原発を選択することによって背負うリスク、同時に同じ方向性のままで再生可能エネルギーへシフトすることの無意味さ。それよりも、ライフスタイルを見直しエネルギーにあまりにも依存した生活のあり方から脱却することが正しい道ではないかというお話には、考えさせられました。ライフスタイルを今のままにして、太陽光などのいわゆるクリーンな発電にシフトしたところで、違う形での問題が社会には発生するとの指摘です。

宗教者の立場からは、倫理的に考えてやはり生活のあり方を見直して行くことを強調していかねばならないと思います。将来に残してしまう負の遺産に対する今の世代の倫理的責任にも触れなくてはならないでしょう。先日のイタリアでの国民投票前に教皇様ご自身も表明されましたが、技術への過信を戒め、よりクリーンなエネルギーを考慮し、そしてなによりも現在の私たちの生活のあり方全般を見直すことが大切だと思います。

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2011年7月24日 (日)

グアダルーペの聖母の地へ

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旅行に出かけておりましたが、昨日に新潟へ戻りました。巡礼団の方々と一緒に、グアダルーペの聖母の地へ足を運んできました。メキシコシティーです。仙台教区でも働いており、私の故郷の宮古教会の現在の主任司祭もそうですが、メキシコから派遣された宣教師の会、グアダルペ宣教会の本部をメキシコシティーに訪ね、日本での宣教努力、特に現在、震災後の仙台教区で活躍されている宣教師の働きに感謝しながら、本部にいる会員司祭と一緒にミサを捧げる機会をいただきました。またその名前にもなっているグアダルーペの聖母の御出現の地を訪れ、大聖堂でミサを捧げる機会もいただきました。

グアダルーペの聖母とは、1531年12月9日に、この地において聖ホアン・ディエゴに姿を現され、聖堂を建てることを望まれたマリア様です。御出現の地は丘の上で、マリア様の望みの通り、その場所には聖堂が建てられています。上の写真はその出現の丘にある聖堂内部です。丘の麓には壮大な大聖堂が建立されていますが、地盤が弱く傾きが激しいため、隣に近代的な大聖堂が建設され、そこでは日中はほぼ一時間おきにミサが捧げられ、小聖堂(というには広すぎるが)では聖体礼拝も常に行われています。ヨハネ・パウロ2世も訪問され、聖堂前の広場でミサを捧げられたとのことで、福者教皇の巨大な銅像が旧聖堂と新聖堂の間に建立されています。福者教皇は全部で5回もメキシコを訪問されたそうですが、90年にホアン・ディエゴを福者に、また2002年7月31日にはこの大聖堂の前の広場で、彼を列聖されています。また1999年には、グアダルーペの聖母をアメリカ大陸の保護者と定められています。

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ホアン・ディエゴは先住民であったため、当時は出現の話をなかなか信じてもらえなかったと言います。そこでマリア様は、しるしとしてその季節にその場所に咲くはずのないバラを咲かせ、それをマントに包んで司教に持って行くようにと命じます。ディエゴが司教の前でマントを開くと、なんとバラの花だけではなく、マント自体にマリア様の絵が現れていたというのです。そのマントに現れたマリア様の絵が、現在でも大聖堂の正面に掲げられています。(上の写真は手前が旧聖堂。右が新聖堂)一番上の写真の絵はレプリカですが、丘の麓の新大聖堂の主祭壇後ろに、本物を見ることができます(下の写真)。私たち巡礼団は、新大聖堂の二階にある小聖堂でミサを捧げることができました。小聖堂と行っても、つまり大聖堂の二階ベランダ部分で、しかも真正面に主祭壇が見える場所でした。主祭壇でもスペイン語でミサが捧げられている間に、二階では日本語のミサでしたから、時に声が混じって不思議な感覚でした。

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今日は昼でアナログ放送が終了し、デジタルに完全に切り替わる日とのことで、ちょうど昼に事務室にいたので、アナログテレビを見つめていました。ところが昼を過ぎでもアナログテレビのはずなのにそのまま流れている。遅まきながらいろいろと調べたら、そのアナログの信号はケーブルテレビ会社から配信されているものでした。居室においてあるデジタルテレビはケーブルのセットアップボックスにつながっていますが、同時に分配してアナログはをほかのテレビでも見ることができます。そういったテレビが当分仕えるように、総務省の指示でケーブルテレビ会社はデジアナ変換とやらをしてくれるのだとか。なんと2015年までは、このまま見ることができるのだとか。知らなかった。早まって古いテレビを処分しなくて良かった。

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2011年7月12日 (火)

仙台教区を支援する全国担当者会議

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東日本大震災の発生から4ヶ月目にあたる昨日、仙台教区本部を会場に、全国の教区で被災地支援を担当している窓口担当者の初めての会合が行われました。北は札幌教区から南は那覇教区まで、16教区すべてから40名の参加者が集まりました。

会合は午前11時から仙台教区のカテドラルである元寺小路教会聖堂で、平賀司教の司式で捧げられたミサで始まりました。その後、とにかくこれだけの人数を収容する場所が教区本部にないため(収容できる場所はすべて、仙台教区サポートセンターの場所として提供されているためです)、各所に散らばって弁当の昼食。その後、これまた同じ理由で会議をする場所がないので、小聖堂を会場に会議をしました(写真上)。

ご存じのように、仙台教区では平賀司教を中心に仙台教区サポートセンターを開設し、ボランティア派遣をはじめとした具体的被災者支援を行っています。これをカリタスジャパンも側面から完全に支えています。また司教団はオールジャパンで被災地支援を決めていますが、その対応をするのが「復興支援担当」で私が責任者を務め、大阪の神田師が補佐、同じく大阪の濱口氏が事務を取り扱っています。このオールジャパンが中心になって、各教区の支援活動の情報交換と調整を行っています。仙台教区から出てきたリクエストもオールジャパンのメーリングリストを使って、全国の教区窓口担当者を通じて配信されます。またここで情報を共有することで、仙台教区が知らされないところで教会の支援活動が行われないように配慮しています。

その各教区の窓口の方々と、これまでは電話やメールだけのやりとりでしたので、一度は仙台に集まろうと企画しました。参加者は会議のあと、いくつかのグループに分かれて、それぞれ岩手県、宮城県、福島県へ、翌日までの一泊二日の視察へ出かけました。少しでも現場の風を知り状況をしっかりと把握することで、長期的な支援活動が深まることが期待されます。各管区からの司祭派遣も徐々に進んでいます。

とろこで、昨日は朝新潟を車で出て、磐越道から東北道と、仙台まで4時間弱のドライブでした。天気も良く、気分の良いドライブでしたが、行きも帰りもとにかくトラックが多い。東北道の普段はあまり知りませんが、少なくとも磐越道は普段より遙かにトラックが多い。東北道も、トラックが数珠つなぎでした。被災地高速の中型以上無料化の影響だと思われます。これで支援団体関係者の私なんかの車は、残念ながら無料化とは無関係でありまして、厳しいですね。

明日から10日間ほど巡礼団に同行して不在ですので、「司教の日記」更新は23日までお休みにします。

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2011年7月 9日 (土)

南スーダン独立

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今日、アフリカで54番目の国家が誕生しました。南スーダン共和国です。首都はケニヤ国境に近いジュバ。スーダンはアフリカ最大の面積を持つ国家で、1956年に北部のハルツームを首都として独立を遂げました。しかし国家の面積が大きい分、内部には様々な民族が存在し、そのために独立当初から内部紛争が絶えませんでした。特に北部のアラブ系住民と南部のアフリカ系住民の対立は激しく、南北の内戦が続きました。加えて西部のダルフールでの内戦もあり、こちらダルフール紛争は今もって決着がついていません。ここらあたりの事情は以前2006年に「家庭の友」に書いた原稿が、「混迷するダルフール」として私のHPに掲載していますので、ご一読ください。(こちらをクリックするとHPに飛びます)

2005年から南部は和平協定の結果として自治が認められていました。私も2008年の夏にほんの数日でしたが南スーダンへ出かけたことがあります。そのときの写真は、この「司教の日記」の右側のコラムに掲載しています。このときもハルツーム政府の入国許可証ではなく、ケニヤに存在していた南部スーダン政府から発行された入国許可証をもって、ナイロビからジュバに飛びました。当時のジュバの印象はとにかくすさまじい田舎町であること。今も大きく変わってはいないようですが、当初、北部を中心に進出していた中国企業が、南部独立に向けてインフラ整備のために南部にも入ってきているようで、その意味ではインフラ整備が進んでいるのかもしれません。南部と北部の国境地帯、というより元々南部の地域に油田が多く、それが今回の分離独立に踏み切らせた要因の一つでもあり、同時に南北の分割協議の困難さの原因でもあり、さらにこれからの火種でもあります。このあたりの事情についても、その後「家庭の友」に書いたのですが、まだHPに掲載していなかったので、新潟に戻り次第、掲載したいと思います。(P.S.08年の「南部スーダン訪問」を掲載しました。上記リンクで飛んで、一番下です)

南部はキリスト教国家と言われますが、どちらかと言えばカトリックが多いのではと感じます。南部の大統領も熱心なカトリックのはずで、ジュバのカテドラルはそのおかげでエアコンが入り、大統領専用のイスが置かれていました。その意味でも聖座も期待するところが大きいのでしょう。バチカン代表が独立記念式典に派遣されています。NHKのニュースでは「北部の政府と南部の反政府勢力の間で長年紛争が」と言われてました。確かに南部は「反政府勢力」には違いありませんが、何かその言葉が意味するところとは異なる実存があったように思います。これからも国家の行く末を見守りたいと思いますし、またダルフールの現実も、忘れないようにしたいと思います。(写真は2008年の南部スーダンのこどもたち。青空学級で)

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2011年7月 8日 (金)

教皇様の手元に最新版の世界地図が届く

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私が所属する神言修道会の本部ホームページを眺めていたら、最新情報のところに、興味深い記事が。教皇様の書斎デスクの上にいつも置かれている世界地図の話題です。

アド・リミナなどでバチカンを訪問し、教皇様と個人的にお会いするとき自分の教区の説明をするのですが、事前に秘書の方に机の上の地図から自分の教区を示しなさいと指示されます。その世界地図帳を制作しているのが、実は神言修道会。

それでその最新版を、7月6日に教皇様に届けたという話でした。上の写真は神言会のホームページから転載しました。写真の右端が、近頃任命されたばかりの福音宣教省長官フィローニ大司教。教皇様の左隣が今回の地図帳の制作責任者であり神言修道会の対聖座代表を務めるジャンカルロ・ジラルディ神父。そのお隣は印刷を担当したウルバノ大学印刷所のフランシスコ会員シレオ神父。

福音宣教省が資金を出して神言会に制作を委託したこの世界地図は、前回の1992年版に続く最新教会情報が満載だとか。制作には4年を費やしたそうです。Fidesの報道によれば、地図には各教区の信徒数などの情報が記載されているそうです。前回のアド・リミナは私にとって初めてだったので、この世界地図帳を長年にわたって神言会が制作していることは昔から知っていたものの、教皇様の前であまりに緊張して何が記載されているのかよく見る余裕はありませんでした。次回はしっかりと、何が記載されているのかみてきたいと思います。

ちなみに、このジャンカルロ・ジラルディ神父が着ているのが、神言修道会の正式なハビット。もともとドイツの教区司祭だった聖アーノルド・ヤンセンが定めたので限りなく教区司祭のスータンに近い。大きな違いは、ボタンがすべて裏に隠されていることと、首元がいわゆるローマンカラー状にあいていないこと。それから表からは全く見えませんが、腰回りの帯の裏地が、実は聖霊をイメージして真っ赤なのです。

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秋田まで

今週も動き回る毎日でした。月曜日はいつものように新潟で月曜会のミサとロザリオ。毎月一度、伊藤司教、佐藤司教の当時から続いているグループで、昔はミサ以外にも司教様の長い講話もあったそうです。現在は私の司式するミサで始まり、その中で講話の代わりにちょっと長めに説教をさせていただいてます。その後、ロザリオを一環。毎年5月か6月には、聖体奉仕会への巡礼も行っています。伊藤司教様の頃から主に月曜に集まるので「月曜会」になったとか聞きました。

月曜の午後からは新潟教区の顧問会。前回を震災対応の私の都合からお休みにしていただいたので、久しぶりの顧問会でした。今回の震災では、仙台教区とさいたま教区は被災教区として取り上げられますが、実は新潟でも若干の被害がでています。中でも山形県は仙台と背中合わせであり、震源地に近い新庄教会では、今回の震災の直接の被害として敷地一部に地滑りの危険性が指摘されていて、早急な対応を検討することにしました。

火曜日と水曜日は、年に一度の東京教会管区会議。日本のカトリック教会は、三つの教会管区に分けられています。それぞれの中心がメトロポリタンと呼ばれる大司教座。長崎、大阪、東京の三管区です。東京教会管区は東京大司教区を中心に、横浜、さいたま、新潟、仙台、札幌となります。現在、新潟と札幌は私が兼任ですが、東京には補佐司教がおられるので、司教は全員で6名。それに各教区の司教総代理や事務局長などが加わりますから、20名近い陣容の会議でした。新潟からは私以外に司教総代理の川崎師と事務局長の大瀧師。札幌からは司祭連絡会議長の勝谷師と事務局長の加藤師が参加。さすがに今回は二日間とも、東日本大震災への対応が主な話題でした。仙台教区の平賀司教と小松師が参加して、状況を説明。その後、先日の司教総会で確認した、仙台教区への司祭派遣や、管区ごとの地域支援について話し合い、やはりここは東京教区が中心になって動いてほしいというリクエストで締めくくりました。新潟教区は教区の体力を考えると本格的なサポートセンター立ち上げは難しいと思いますが、これまで通りの教区カリタス担当者町田師を中心とした体制をさらに充実させて、長期的対応を考えていきたいと思います。

木曜日は月に一度の常任司教委員会。午前10時に始まり午後3時まで。何となく蒸し暑い東京ですが、今年は節電で空調の設定温度を上げてあるため、かえって会議室内の方が会議室外の廊下より蒸すことになり、ちょっとべたつき頭がボッとする、居心地の悪い時間を過ごしました。会議室のすぐお隣ではマンションが建設中で、音もあるから窓も開けられない。

そのまま夜8時の全日空便で、羽田から秋田へ。ちょうど飛来中の新しいボーイング787がみられるかとも思いましたが、残念ながらこの日は羽田に戻るのが秋田便出発後とのこと。秋田便はほぼ満席。秋田空港からは乗り合いタクシーに。事前に聖体奉仕会から予約をしていただいてました。これまで何度も利用してますが、いつもは聖体奉仕会方面へ行く客は私ひとりのことが多いのですが、昨晩は珍しくほかに二人のお客さんが。私の預けた荷物が時間がかかったので他のお二人を待たせてしまいましたが、見知らぬ三人一緒に同じタクシーへ。それぞれのお二人の家の前を回っていくのも、何か妙な感覚でした。玄関先まで行くので、全く声も交わさない見知らぬ人のプライバシーに足を踏み入れるような感覚。最後は真っ暗な中、聖体奉仕会まで。

というわけで、聖体奉仕会にいます。年に一度の会員の集いにご一緒するためです。今日の秋田は雨模様で、湿っているものの暑くはない。

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2011年7月 4日 (月)

7月の予定です

「あっ」と言う間もなく6月が終わり、今年も半分が過ぎて7月となりました。いつものように今月の主な予定を記しておきます。すでに7月3日なので、4日以降の予定だけにしておきます。

  • 7月4日(月) 午前中は月曜会ミサとロザリオ。午後から新潟教区顧問会。
  • 7月5日・6日(火・水) 東京教会管区会議
  • 7月7日(木) 常任司教委員会(東京)
  • 7月8日(金)~10日(日) 聖体奉仕会会員の集い(秋田)
  • 7月11日(月) 第一回仙台教区復興支援全国窓口担当者会議(仙台)
  • 7月13日(水)~23日(土) 巡礼旅行団に同行(海外)
  • 7月25日(月) 司教の研修会(東京)
  • 7月29日(金) 第四回仙台教区サポート会議(仙台)
  • 7月31日(日) 苫小牧地区信徒大会・堅信式(室蘭)

7月11日の会議とは、私が担当している司教団の仙台教区復興支援担当が、神田師を中心にネット上で情報交換と調整の枠組みを全国的に構築しているのですが、各教区で実際に窓口をしてくださっている方々にも被災地に一度足を運んでいただくことと、全体の調整を確認を行うために初めて行う会議です。規模が大きいのと移動が大変なので、次回があるかどうかは定かではありませんが、仙台教区を全国の教会で支援する挑戦は、これからも長い時間継続していくつもりですから、早い段階で全体の意思統一を図ることが不可欠だと思います。

各教区において何らかの支援を考えておられる方々は、まず各教区の窓口担当者にご相談くださるようにお願いします。なお新潟教区の窓口は寺尾教会の町田神父様です(教区のカリタス担当者)。また短期のボランティアを希望されている方は、これまで通り仙台教区サポートセンターに直接お問い合わせください。

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2011年7月 3日 (日)

聖書協会行事から米沢殉教祭へ

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7月2日(土)の午後1時半から、新潟市郊外にあるプロテスタント系の敬和学園高等学校のチャペルを会場に、日本聖書協会が主催する、「聖書と音楽の出会い・新潟」が開催されましたので、途中まで出席させていただきました。聖書協会の活動への理解を深め支援を得るために、全国で開催されてきているのだと言うことです。当日は東京から、日本聖書協会の大宮溥理事長、渡部信総主事を始め職員の方もおいでになり、新潟近辺のプロテスタント教会信徒の方を中心に500名を超える参加者がありました。敬和学園高等学校は、新潟市の豊栄あたり、競馬場の近くにあり、それほど交通の便が良いところではありません。今回は敬和学園高校が全面的に協力し、参加者をバスで運んだり、生徒さんが駐車場の案内などに奉仕しておられました。

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私は大瀧事務局長と一緒にお昼前に出かけ、大宮理事長、渡部総主事ほか、新潟市内の主立った牧師・教師の方々と一緒に、食事を共にしながらの「交わり」のひとときに参加しました。大宮理事長はかつて新潟市内の教会で働いていたこともあり、私の前任である伊藤司教様ともエキュメニカルな活動を通じて親交があったとうかがいました。また今年の春から、敬和学園の理事長も務めておいでだとか。新潟と縁の深い方でした。今回の集いにはカトリック新発田教会の方々を中心にカトリックの方も少ないものの参加しておいででした。集いの第二部は沢知恵さんの歌のコンサートでしたが、残念ながら米沢に移動しなくてはいけなかったので、第一部の聖書協会の活動についての紹介部分にだけ参加させていただきました。

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米沢教会は、本日7月3日の午前10時から、北山原の殉教地で福者ルイス甘粕右衛門と52殉教者を顕彰する殉教ミサを行いました。188福者殉教者の祝日は7月1日ですから、それに一番近い7月の日曜日に北山原でも殉教祭を行うことにしています。毎年新潟教区全体から参加者を集めるのでは、小さな共同体である米沢教会にとって負担があまりにも大きいので、大がかりな催しは5年に一度程度にして、それ以外の年には、米沢教会を中心に殉教地でのミサを捧げることにしました。ですから今年のミサの参加者は米沢教会信徒を中心に40名ほど。成田主任司祭と大瀧師、そして私でミサを捧げました。今日の米沢はちょうど良い程度の曇り空。

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ミサ後米沢教会信徒の森憲一さんの案内で、北山原以外の殉教地である糠山と新洞ヶ台へも1時間ほどかけて巡礼しました。糠山は常慶院というお寺の墓地の裏手にある飯田屋敷跡に、この付近で殉教した7名と同じ数の7基の墓が残されていることから、殉教者と墓の関係が深いのではと推測されています(上の写真)。さらに米沢駅の裏手にある新洞ヶ台は3名が殉教したと考えられています。海元寺という寺の裏手に無縁仏が合祀されており、その中に殉教者が混じっていると推測されています。

このあと米沢教会に戻り、信徒の方々と昼食会。すると大粒の雨がやにわに降り出しました。ちょうどすべての行事の間は雨が降らず、感謝です。成田神父様を始め準備してくださった米沢教会の皆様、ありがとうございました。

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2011年7月 2日 (土)

大分教区司教叙階式から

先日行われた大分教区の浜口末男新司教叙階式の模様です。写真がないと下の記事で記したところ、宮崎教会の相澤隆さんからコピーを送っていただきました。掲載写真はすべて相澤さんのものです。感謝します。

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叙階式が行われた別府のビーコンプラザに設けられた祭壇と司教団。叙階式の司式は長崎の高見大司教。

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叙階式の中心である按手をする高見大司教。

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聖別の祈りをするために浜口新司教の頭上には聖書が広げられた。

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兄弟にご聖体を授ける浜口新司教。

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2011年7月 1日 (金)

カトリック学校校長教頭研修会@札幌

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昨日午後から本日午後まで、札幌市内のホテルを会場に、全国のカトリック学校の校長・教頭研修会が開催されています。カトリックの小学校、中学校、高校の校長・教頭の毎年一回の研修会です。全国には200を優に超えるカトリックの小・中・高があると言うことで、私学の中でもカトリックの学校は一番大きなグループであるとの話を聞きました。それなりに日本の近代の歴史の中で、重要な位置を占めてきたし、今もそれなりに影響力を持っていると言うことだろうと思います。

さて80名を超える研修会の参加者です。東日本大震災で大きな被害を受けた東北の学校からは、お二人が代表するような形で参加されていました。

さて昨日はまず基調講演として、北海道大学大学院名誉教授の佐々木隆生教授による「日本型学校間接続の転換点」という2時間近いレクチャーがありましたが、これが興味深い話でした。高校から大学への進学、つまり入試をどう改革していくのかという提言と、現在の試験は「落第試験」であって、これを基礎においていてはいわゆるAO入試は意味を持たないという指摘。そうではない、たとえばガーナでも高校生たちが資格試験として受けていたGCEのAレベル試験のような、絶対的評価の出る資格試験的な高大接続テストを提言されていました。(写真一番上)

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その後に私が今回の震災に対するカトリック教会の対応に関連して、カトリック学校や施設のカトリック・アイデンティティの課題について50分ほど話をさせていただきました。さらに清泉女子大学の講師である稲葉景先生が、カトリック学校の霊性の問題について50分。何とも中身の濃い午後の時間を過ごしました。(写真上は挨拶するサレジオ会の河合恒男神父。その後ろは今回の大会のロゴ。北海道の頭文字Hのようでありながら、実は魚のデザイン)

今日は分科会とミサが行われますが、私は残念ながら午後から東京でカリタスの会議のため出席できません。どうぞ先生方、中身の濃い充実した一日を過ごされますように。

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