南スーダン独立
今日、アフリカで54番目の国家が誕生しました。南スーダン共和国です。首都はケニヤ国境に近いジュバ。スーダンはアフリカ最大の面積を持つ国家で、1956年に北部のハルツームを首都として独立を遂げました。しかし国家の面積が大きい分、内部には様々な民族が存在し、そのために独立当初から内部紛争が絶えませんでした。特に北部のアラブ系住民と南部のアフリカ系住民の対立は激しく、南北の内戦が続きました。加えて西部のダルフールでの内戦もあり、こちらダルフール紛争は今もって決着がついていません。ここらあたりの事情は以前2006年に「家庭の友」に書いた原稿が、「混迷するダルフール」として私のHPに掲載していますので、ご一読ください。(こちらをクリックするとHPに飛びます)。
2005年から南部は和平協定の結果として自治が認められていました。私も2008年の夏にほんの数日でしたが南スーダンへ出かけたことがあります。そのときの写真は、この「司教の日記」の右側のコラムに掲載しています。このときもハルツーム政府の入国許可証ではなく、ケニヤに存在していた南部スーダン政府から発行された入国許可証をもって、ナイロビからジュバに飛びました。当時のジュバの印象はとにかくすさまじい田舎町であること。今も大きく変わってはいないようですが、当初、北部を中心に進出していた中国企業が、南部独立に向けてインフラ整備のために南部にも入ってきているようで、その意味ではインフラ整備が進んでいるのかもしれません。南部と北部の国境地帯、というより元々南部の地域に油田が多く、それが今回の分離独立に踏み切らせた要因の一つでもあり、同時に南北の分割協議の困難さの原因でもあり、さらにこれからの火種でもあります。このあたりの事情についても、その後「家庭の友」に書いたのですが、まだHPに掲載していなかったので、新潟に戻り次第、掲載したいと思います。(P.S.08年の「南部スーダン訪問」を掲載しました。上記リンクで飛んで、一番下です)
南部はキリスト教国家と言われますが、どちらかと言えばカトリックが多いのではと感じます。南部の大統領も熱心なカトリックのはずで、ジュバのカテドラルはそのおかげでエアコンが入り、大統領専用のイスが置かれていました。その意味でも聖座も期待するところが大きいのでしょう。バチカン代表が独立記念式典に派遣されています。NHKのニュースでは「北部の政府と南部の反政府勢力の間で長年紛争が」と言われてました。確かに南部は「反政府勢力」には違いありませんが、何かその言葉が意味するところとは異なる実存があったように思います。これからも国家の行く末を見守りたいと思いますし、またダルフールの現実も、忘れないようにしたいと思います。(写真は2008年の南部スーダンのこどもたち。青空学級で)
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