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2013年5月30日 (木)

アンドウ大司教の帰天

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ガーナの首都アクラの教区司教を長年務められたドミニック・アンドウ(Archbishop Dominic Andoh)大司教が、5月17日に84歳で亡くなられました。アンドウ大司教は1971年に神言会員のオリバー・バウワー司教の後任として1971年に42歳で首都の司教に任命されました。アクラは1943年、まだ英国の植民地時代に神言会の宣教地として代牧区になり、アドルフ・ノーザー師が初代司教になりました。その後1950年には教区になりましたが、戦後の独立の機運を受けて1953年にはノーザー司教は同じ神言会の宣教地であったパプア・ニューギニアに転任となり、同じ神言会員でカリブ海地域出身のバウワー師が、初めての「黒人」司教としてそのあとをつぎました。そして1971年にはじめてガーナ人のアンドウ司教が誕生し、バウワー司教は故郷の教区へ転任になります。ちなみにバウワー司教は引退後ガーナに戻り、2012年11月に102歳で亡くなられました。

私が1986年にガーナへ任命された時、任地はコロボ地区でしたが、この地区は当時アクラ司教区にありました。1987年6月に私をオソンソンの担当司祭に任命したのはアンドウ司教でした。その後1992年に教区は二つに分かれ、コフォリドュア教区が誕生しました。オソンソンは新しい教区に入ることになり、パルマー・バックル司教が新しいボスになりました。そのバックル司教が今では、アンドウ司教の後継者としてアクラの大司教になっています。このとき、アクラは大司教区になり、2005年の引退までアンドウ大司教は務められました。

アンドウ司教は私が働いていた当時、3年に一度は各小教区を訪問されましたが、そのときには必ず1週間を過ごして行かれました。私のいる間も2度ほどそういう機会がありましたが、その当時はまだ古い土壁でできた小さな司祭館の時代でしたが、喜んで泊まってくださり、一緒に毎日巡回教会を巡り堅信を授けてくれました。一度の堅信式で、200人近くが堅信を受けたことを記憶しています。それを四回ほど。そういったアンドウ司教の訪問の間に、現在名古屋で働いているガーナ出身のマーティン・デュマス神父も、堅信を受けました。上の写真はそういった訪問の時、アンドウ司教を迎えに出た村の人たちと司教です。

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2006年と2010年にガーナを訪問した際、アクラ市内の引退の家にアンドウ大司教を訪れました。アンドウ大司教は、懐かしそうにオソンソンの古い司祭館のことや、外にあったトイレのこと、またジャングルのような中を巡回教会目指して車を一緒に走らせたことなどを、大きな笑いとともに何度も話しておられました。細かいことまで、良く記憶されていて驚かされました。本当に、私たち外国から来た若い宣教師を大切にしてくださった方でした。写真は2006年に訪問した時のものです。当時一緒に同じ地区で働いていたマティアス神父と、クリニックで何度も助けてくれたシスター・キャサリンと一緒に。

葬儀は6月6日にアクラで行われます。R.I.P.

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2013年5月29日 (水)

札幌も暑くなりつつあり

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今週は会議が連続する一週間です。月曜日には札幌教区の司祭の月例会。主に札幌地区で働く司祭から12名が参加しました。花川にあるゲオルギオのフランシスコ修道女会のマリア院を会場に、午前中は様々な情報交換と一緒に昼食。写真は食事後に皿洗いをした司祭達。その後、午後からは札幌教区の顧問会をいたました。そのまま花川に数名の司祭達と泊まり、翌朝シスターたちとミサを一緒にして終了。そのまま新潟へ。

今日の水曜日は、午前中に聖母学園の理事会(新潟県内17カトリック幼稚園の法人で、私が理事長)で午後からは同じ聖母学園の園長会です。そのまま夕方からは新潟カリタス会の理事会。こちらは社会福祉法人で、やはり私が理事長。

明日は新潟清心女子中学高校の学校法人の理事会です。そしてそのまま札幌へ戻り、金曜と土曜は札幌教区の宣教司牧評議会準備会議に出席の予定です。

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寒い毎日が続いていた北海道もこの数日は急に暑くなりました。新潟も昨日は30度を超えた地域も。寒く長い冬の次は、春を飛び越してあっという間に夏になったような陽気です。写真は花川マリア院の聖堂です。

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2013年5月25日 (土)

片道切符で出発地に戻る

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5月22日の水曜日の朝、JR新潟駅から17名の方々と巡礼に出かけました。新潟の月曜会のメンバーを中心にした恒例の秋田巡礼です。この日の朝、私は新潟駅のみどりの窓口で、写真の切符を買いました。「片道乗車券」です。決して往復ではありません。見ていただくとわかるように、出発駅は「新潟」で、行き先は「新潟」。新潟駅発新潟駅行きの片道切符であります。

どうしてこうなるのかと言えば、まず水曜日には新潟駅を出発して秋田駅まで。その後、巡礼が終わると金曜日の仙台での会議に参加するため、秋田駅から仙台駅まで。そして会議が終わると、仙台駅から東北新幹線で大宮駅まで。大宮駅で乗り換えて上越新幹線で新潟駅まで。と、一度も同じルートを通過することなく、ぐるりと回って新潟に戻る路線だからです。切符に記された経由が、通過するすべての路線を示しております。

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さてそんなで出かけた巡礼でしたが、今年は少々天気が優れない。それでも外で行った十字架の道行きの間は雨が降らずに助かりました。今年は秋田地区で活動するグループの方も集まり、午後2時から捧げたミサは、聖堂が一杯になりました。

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金曜日は仙台で会議。午前中は全ベースの責任者が集まる全ベース会議でした。隔月で開催されています。午後からは毎月定例の仙台教区サポート会議。6月に開催される全国担当者会議の打ち合わせ。全国担当者会議は最初の二日間が3グループに分かれて現地視察。三日目が郡山で会議の予定で、60名ほどの参加が見込まれています。

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夕方、仙台駅の新幹線切符売り場は長蛇の列でした。金曜日の夕方ですから。私は事前に購入していた切符が、すーぱーこまち。写真は回送電車で乗車したものではありませんが、真新しく静かで早いスーパーこまちに大宮まで乗ってきました。

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2013年5月21日 (火)

聖体礼拝へのお誘い

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ローマでの写真をいくつか追加します。今回初めて、パリを夜11時過ぎに出るエールフランス便で日本へ戻りました。成田へ到着は翌日の夕方6時過ぎ。すでに一週間ほどの滞在でヨーロッパ時間に体内時計が慣れはじめているので、すぐに寝ることができるので都合の良い便だと思いました。もっともそのまま寝過ぎると、到着時が日本の夜なので、その晩は眠れない恐れもあります。

さて今日はさっそく会議に復帰。朝早くに新潟を出て、東京でカリタスジャパン委員会でした。明日は新潟の月曜会の皆さんと一泊二日で秋田巡礼です。

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ところで信仰年に関連する行事のお知らせです。教皇庁新福音化推進評議会は先日、全世界の司教に書簡を送り、来る2013年6月2日(日本など多くの国ではキリストの聖体の主日です)教皇様とともに聖体礼拝を行うようにと招かれました。教皇庁新福音化推進評議会が信仰年の様々な行事を担当しています。

教皇様は同日、ローマ時間の午後6時から一時間の聖体礼拝を行いますが、同評議会は、教皇様の礼拝と同じ時間に全世界のカテドラル聖堂で聖体礼拝を行うようにと指示をされています。しかしながら同時刻は日本においては日曜日の深夜でありますので、新潟教会で同じ時刻に聖体礼拝を行うことは難しいと判断いたしました。そこで同日、6月2日日曜日の午後5時から一時間、新潟教会において私が出席して聖体礼拝を行うことにいたしました。この日はいつもと同様に、夕方6時から主日のミサも行われますが、それに先だって一時間の聖体礼拝を行います。

なお同評議会は、カテドラルだけではなくて、小教区や修道院でも同日に聖体礼拝を行うようにと呼びかけております。新潟教区と札幌教区の各小教区や修道院にあっても、キリストの聖体の主日にあらためて時間を設けて、聖体礼拝を行ってくださいますようにお願いいたします。礼拝の時間や長さ、また内容や形式については自由にご判断ください。

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2013年5月18日 (土)

無事帰国@成田

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国際カリタスの一連の会議も木曜の夕食で無事に終了。最後は残っているメンバーでサンカリスト宮殿近くのレストランへ。この一帯、トラステベレ地区はレストランの多いことで有名です。すぐ近くにはサバティーニも。私たちはよく利用するサルディニア料理店で魚のフライ。イタリアに来ると昼でも夜でも、外食には恐ろしいほどの時間がかかるのに閉口します。

金曜日の朝には雨模様の中、所用でサンピエトロまで出かけ広場を歩いていると、「菊地司教様」と声をかける人が。日本人です。なんとローマに留学中のサンスルピスの熊川神父さんでした。お元気にされている様子。

午後にはローマも晴れ上がり、神言会の総本部食堂でお昼を頂いて、夕方に空港へ。帰りはパリ経由のエールフランス便。シャルルドゴールの魔の乗り換えも無事にこなし、先ほど、土曜日の夕方に、無事成田へ到着しました。

写真は、木曜日の国際カリタスとの謁見の際に、アジアについて説明する私を、アジアのコーディネーターが撮影してくれました。

今回の旅行中は、なぜかやたらとパソコンのソフトの更新ダウンロードが入り、ただでさえネット環境が貧弱でスピードが遅いローマですのに、さらに遅くなり、加えて教皇謁見に参加したもの同士が写真をメールに貼り付けて交換しまくるので、まるでネットがフリーズし単価と思うほど反応が遅くて、メール一つ読むのにも時間がかかり大変でした。そのたびに、たとえばこうやって東京駅の待合室でさえも結構なスピードでネットにつながる日本のなんと恵まれていることかと、思い至りました。

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2013年5月16日 (木)

教皇様との謁見@カサ・サンタマルタ

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国際カリタスの地域代表者会議(理事会)は最終日の三日目になりました。今日は午前中、教皇様との謁見がありました。謁見の場所はカサ・サンタマルタ。バチカンの敷地内にある現在教皇様が宿舎としている施設です。私も2007年のアドリミナの時に、数日間宿泊したことがあります。そういう場所ですから、一応バチカンの敷地内とはいえ、教皇様が住んでいるので警備はさぞかし気をもんでいるだろうと思われます。以前はなかったのですが、サンタマルタの前にはバリケードが設けられ、警官が二名警備に当たり、宿泊者や住人以外は、事前に届けたものしか通してくれません。さらにその後ろの玄関には、これまた以前はいなかった正装のスイス衛兵が直立不動。

教皇様が現れるまで参加者30名ほどは聖堂でロザリオの祈り。その後、あまり前触れもなく教皇様が時間通り入堂。これまで何度もこういった謁見に出たことがありますが、宮殿では撮影用に一斉にライトが点灯するので、教皇様がこられたことがわかりますが、ここでは無理。

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そしてテキストなしに10分ほどスピーチ。今回は参加者の大多数が理解できるスペイン語で話されました。もちろん私はわかりません。その後、7つの各地域の代表が3分ほど、説明とメンバーの紹介。私もアジアの紹介をさせていただきました。英語で話し、国際カリタス総裁のマラディアガ枢機卿がスペイン語に翻訳してくださいました。

その後もう一度教皇様のスピーチ。組織のことばかりに捕らわれていないで、大きな心で取り組んでほしい。緊急援助をするのは必要だが、そこで終わってはいけない。良きサマリア人をみなさい。けが人を助けただけではなく、さらに宿舎に連れて行き、その後の面倒もみた。同じように教会の援助も、緊急時だけで終わらずその後も寄り添わなくてはならない。ドンボスコは若者たちが自分たちで生きていけるように技術を教えた。同じように、人々が生きていくことができるように考えてほしい。などなど。これは後でスペイン語がわかる人に聞いた内容です。すべてバチカン放送が録画していたので、内容については何かが後で出るかもしれません。

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最後に、全員と握手。そして聖堂入り口で、一緒に写真撮影。ローマは雨模様の一日ですが、すばらしい一時でした。国際カリタスの会議は今日の午後で終了予定。明日、金曜の午後便で日本へ戻る予定です。

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2013年5月15日 (水)

国際カリタスの会議中@ローマ

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月曜日の朝から木曜日の夕方まで、ローマで国際カリタスの会議に参加しています。今回はオランダ航空を利用してアムステルダムでの乗り換えでしたが、ローマ行きの便は定刻よりも早く到着するという、ローマ便ではなかなかあり得ないことをしてくれました。おかげで日曜日の深夜前に宿舎に到着。

翌朝9時から、早速サンカリスト宮殿内にある(バチカンのローマ市内における飛び地の一つ)国際カリタス本部で会議。これは主に、欧米の援助金を提供する側のカリタス代表者から、この数年の経済危機と政府系の資金が減額されている中で、どのように協力ができるのかの意見交換。

その後4時過ぎからバチカンの目の前にある開発援助促進評議会の会議室へ。議長のサラ枢機卿の呼びかけで、カリタスの7つの地域の責任者と、カリタスの総裁や事務局長を交えて、先般改訂され確定した国際カリタス規約が、各地域にどのような影響を及ぼす可能性があるのかの意見交換。その後、サラ枢機卿司式でミサでした。

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そして火曜日の朝9時から木曜日の夕方までが、年に一度の国際カリタス地域代表者会議。いわゆる理事会で、年に一度の開催です。事務局員も含めて40名近い参加者。アジアから責任者の私と、スリランカ、インドネシアの代表が参加し、いつもはバンコクにいるコーディネーターも参加しています。この会議は4年ごとに開催される総会で決められた方針に基づいて国際カリタスがどのように動いているかを検証し、予算と決算を承認する場でもあります。会議では英語、フランス語、スペイン語、が使用可能で、同時通訳がつきますが、今回の規約改定で聖座からの要請でイタリア語も使用可能に変更されました。

議長は国際カリタス総裁のホンジュラスのオスカー・ロドリゲス・マラディアガ枢機卿です。ご存じのようにマラディアガ枢機卿は先般、教皇様を補佐する8人の枢機卿会の調整役に任命されていますが、そのためか、面会の要請がひっきりなしで、会議中も何度も呼び出されております。

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2013年5月11日 (土)

世界広報の日講演会@東京四谷

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教会は1967年以来、復活節第六主日を世界広報の日と定め、毎年テーマを設けてこの分野の重要さを説いてきました。今年は第47回目の世界広報の日に当たり、教皇ベネディクト16世が、引退される前に準備されたメッセージが公表されています。

今年のテーマは、「真理と信仰の門、福音宣教の新たな場であるソーシャル・ネットワーク」とされています。教皇メッセージの全文は、こちらのリンクから中央協のサイトで読むことができます。

今年のメッセージでは、近年めざましい発達を遂げているデジタル・コミュニケーションの世界に焦点を当て(つまりインターネットなどのことです)、その中で社会的ネットワークを構築する様々な手段、facebookやツイッターなどを、教会はどうとらえているのかを明らかにしようというものです。メッセージは、そういった世界を仮想現実世界などとよんで現実世界とは異なる関係のないパラレル世界だととらえないで、積極的にキリスト者がデジタル世界に関わり、それを福音化して行かなくてはならないと呼びかけています。とりわけキリスト者はその世界にあって、プライバシーを守り、責任をもって事実に基づいた言動を行い、対立ではなくて対話を生み出さねばならないと教皇は呼びかけています。さらにはデジタル世界で構築された人間関係を入り口として、現実に共同体へと人々を招く必要性も説かれています。

今日の土曜日午後1時から3時まで、東京の四谷にあるニコラバレ(幼きイエズス会)の9階ホールで、この世界広報の日にちなんで講演会をさせていただきました。講演会は男子と女子のパウロ会と師イエズス修道女会の共催で、たくさんの方々においで頂きました。

最初の30分で教皇メッセージの解説、そして残り60分で、私自身のこの「司教の日記」をはじめとするブログやfacebookなどの活用について話をいたしました。雨の中、多くの方に参加していただきました。感謝します。

明日は国際カリタスの会議に出席するためローマへ飛びます。

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2013年5月10日 (金)

新潟教区新司教館起工式

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本日、5月10日午前11時から、新潟教区の新司教館の起工式を執り行いました。今回の工事全般にあっては、すでに3月の末から司教館裏にあり2011年3月末を持って閉園になった聖園保育園の園舎取り壊し作業が始まっております。またこの工事を行うための前提として重機を裏手に入れるため、現在の司教館の一部を取り壊しました。

整地も終わった予定地中央にテントを張り、晴天にも恵まれての起工式となりました。テントを張ったのはちょうど新しい司教館の会議室や食堂になるあたりです。

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起工式と言ってももちろんカトリックの祈りですから、聖書朗読と説教、共同祈願と土地の祝別を行いました。またその間には伝統に則って鍬入れ式も行いました。

今回の全体アイディアを建設委員会の顧問としてまとめ、また設計の全般を指導する東京の高垣建築総合計画の代表取締役高垣健次郎氏と、新潟教区を代表して私、そして実際の設計と建築工事にあたる新発田建設社長の渡辺明紀氏の三名で行いました。

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何年も前から練っていた構想ですが、司教館裏手の保育園の閉園に伴ってその残される敷地をどうするかの検討に始まって、多くの方に参加していただいた委員会で検討を続けてきました。司教館建設だけではなく、表に面した旧幼稚園の場所やカテドラルの周辺についても、検討を続けていただきました。今後そういった意見もいただきながら、全般の整備を進めていきたいと思います。

高垣さんと渡辺さんにはこの3年ほどの間、建設委員会の顧問として指導をいただきました。両者とも、東京のカトリック神学院(現在の東京キャンパス)校舎建設をはじめ、多くの教会・修道院建設にかかわられ、豊富な経験をお持ちです。感謝します。

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司教館の建物自体は10月頃には完成の予定ですが、その後、旧司教館の取り壊しや跡地整備もありますので、竣工式は来春を考えておりますが、引っ越しをする前にできれば新しい建物のオープンハウスができればとも考えています。

なお教区内で呼びかけております献金については、まだまだ継続させてください。今後とも、皆様のご理解と協力をお願いいたします。

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2013年5月 6日 (月)

黙想会無事終了@仙台

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オタワ愛徳修道会の年次黙想は、各地から集まった15名の会員の参加を得て、本日朝のミサで無事終了しました。今朝は早く任地に戻らなくてはならないシスターもおられたので、ミサを朝7時から行い、その中で修道誓願の更新を行いました。もちろんあらためて誓願を宣立するというのではなく、基本的に修道会の年次黙想会では、参加した会員が誓願の言葉をもう一度読み上げることで奉献生活の精神を新たにいたします。写真は朝食後、新潟へ戻る直前に、修道院の玄関前で撮影しました。

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オタワの修道院はこれまたモダンな建物で、二階建てですが、そこら中がガラス張り。そのため、夕方になると外に面した窓という窓のブラインドを下げて回らなければなりません。しかし昼間は太陽の光が一杯の気持ちの良い建物です。修道院がある一帯は様々な教会関係施設が集まっており、すぐお隣は仙台司教館ですし、敷地の一番外に面したところには東仙台教会とスペルマン病院があります。

黙想会では、午前9時半と午後3時に、どちらも45分ほどの講話を毎日、都合12回いたしました。それに加えて毎日11時からのミサでの説教。さらに講話の合間には、参加者の個人面談やゆるしの秘跡もあり、なかなか忙しい毎日でした。

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12回のお話は、何か一貫したテーマがあればよいのでしょうし、または聖書の物語に沿ってでも話ができればよいのでしょうが、そういうタレントはいただいていないので、ガーナ宣教やルワンダ難民キャンプ、そのほかカリタスでかかわった出来事を持ち出して、お話をさせていただきました。少しは黙想のお手伝いになったことを祈るばかりです。思いの外、自分が力を込めて熱弁をふるった話よりも、迷いながら自信なく話した内容の方が、聞いてくださる人に深い印象を残すことがあります。だいたい、自分で「うまくいった」などと思う説教に限ってたいしたインパクトは残さないものです。やはり、主の福音をのべ伝える道具であるという謙遜な心を持っていなければ、何も伝わらないのだと、黙想会などでお話をさせていただく度に思うのです。

今日の仙台~の帰りは晴天でした。仙台から郡山までの東北道はかなりの混雑でしたが、渋滞は福島トンネルのあたりだけ。磐越道はいつもより交通量は多かったものの、それでも順調に新潟へ戻りました。

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2013年5月 1日 (水)

まだ肌寒い仙台にて

連休中はシスター方の(15名参加)黙想指導のため、仙台におりますが、肌寒い毎日です。黙想指導といっても、私は霊的指導者としての訓練を受けているわけではないので、体験話を一日二回、そしてミサを捧げて沈黙のうちに、早寝早起きの規則正しい生活を過ごさせて頂いております。5月になりましたので、いつものように、今月の主な予定を記します。

  • 5月6日まで 黙想会 (仙台)
  • 5月8日 社会司教委員会 (東京)
  • 5月9日 常任司教委員会 (東京)
  • 5月10日 新潟新司教館起工式 (新潟)
  • 5月11日 世界広報の日講演会 (東京・ニコラバレ・13:30から)
  • 5月13日~16日 国際カリタス代表会議 (ローマ)
  • 5月21日 カリタスジャパン委員会 (東京)
  • 5月22日~23日 月曜会秋田巡礼
  • 5月24日 仙台教区サポート会議 (仙台)
  • 5月25日~26日 新潟教区召命黙想会 (予定)
  • 5月27日~28日 札幌教区司祭月例会 (札幌)
  • 5月29日 聖母学園理事会・園長会、新潟カリタス会理事会 (新潟)
  • 5月30日 新潟新司教館建築工事定例会議 (新潟)
  • 5月31日 札幌教区宣教司牧評議会準備会 (札幌)

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