アンドウ大司教の帰天
ガーナの首都アクラの教区司教を長年務められたドミニック・アンドウ(Archbishop Dominic Andoh)大司教が、5月17日に84歳で亡くなられました。アンドウ大司教は1971年に神言会員のオリバー・バウワー司教の後任として1971年に42歳で首都の司教に任命されました。アクラは1943年、まだ英国の植民地時代に神言会の宣教地として代牧区になり、アドルフ・ノーザー師が初代司教になりました。その後1950年には教区になりましたが、戦後の独立の機運を受けて1953年にはノーザー司教は同じ神言会の宣教地であったパプア・ニューギニアに転任となり、同じ神言会員でカリブ海地域出身のバウワー師が、初めての「黒人」司教としてそのあとをつぎました。そして1971年にはじめてガーナ人のアンドウ司教が誕生し、バウワー司教は故郷の教区へ転任になります。ちなみにバウワー司教は引退後ガーナに戻り、2012年11月に102歳で亡くなられました。
私が1986年にガーナへ任命された時、任地はコロボ地区でしたが、この地区は当時アクラ司教区にありました。1987年6月に私をオソンソンの担当司祭に任命したのはアンドウ司教でした。その後1992年に教区は二つに分かれ、コフォリドュア教区が誕生しました。オソンソンは新しい教区に入ることになり、パルマー・バックル司教が新しいボスになりました。そのバックル司教が今では、アンドウ司教の後継者としてアクラの大司教になっています。このとき、アクラは大司教区になり、2005年の引退までアンドウ大司教は務められました。
アンドウ司教は私が働いていた当時、3年に一度は各小教区を訪問されましたが、そのときには必ず1週間を過ごして行かれました。私のいる間も2度ほどそういう機会がありましたが、その当時はまだ古い土壁でできた小さな司祭館の時代でしたが、喜んで泊まってくださり、一緒に毎日巡回教会を巡り堅信を授けてくれました。一度の堅信式で、200人近くが堅信を受けたことを記憶しています。それを四回ほど。そういったアンドウ司教の訪問の間に、現在名古屋で働いているガーナ出身のマーティン・デュマス神父も、堅信を受けました。上の写真はそういった訪問の時、アンドウ司教を迎えに出た村の人たちと司教です。
2006年と2010年にガーナを訪問した際、アクラ市内の引退の家にアンドウ大司教を訪れました。アンドウ大司教は、懐かしそうにオソンソンの古い司祭館のことや、外にあったトイレのこと、またジャングルのような中を巡回教会目指して車を一緒に走らせたことなどを、大きな笑いとともに何度も話しておられました。細かいことまで、良く記憶されていて驚かされました。本当に、私たち外国から来た若い宣教師を大切にしてくださった方でした。写真は2006年に訪問した時のものです。当時一緒に同じ地区で働いていたマティアス神父と、クリニックで何度も助けてくれたシスター・キャサリンと一緒に。
葬儀は6月6日にアクラで行われます。R.I.P.
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