教皇フランシスコは本日の月曜日、就任以来はじめてとなる司牧訪問の旅を行いました。ローマ司教としてローマ市郊外の小教区を訪問してミサを捧げたことはありますが、教皇としてのローマの外への司牧訪問は初めてとなります。
今回教皇様が選ばれた訪問地は、イタリア南部、地中海に浮かぶLampedusa島です。地図を見ると明らかですが、この島は限りなくアフリカに近いイタリアの島です。そしてその距離的近さが、この島をある特別な状況の中においているのです。
2000年頃から、主にアフリカからの移民船が漂着するようになり、これまでに2万人以上のそういった人々が海で生命を落としていると言います。同時に、そういった移民を商売として利用している勢力によって、徹底的に搾取されたり、生命の危機に追いやられたりする人も少なくないのだと言います。
教皇フランシスコは就任以来、ご自分が考えている教会のあるべき姿、キリスト者の生きる姿勢を明確に示そうとして行動されているように思いますが、今回の司牧訪問も、その意図を明確にして行われていると感じました。
ローマ市郊外の小教区訪問もそうでしたが、今回の司牧訪問もバチカン放送のビデオで見ることができますが、どちらのミサも、私は心を揺さぶられるすばらしいミサでした。バチカンなどの大聖堂で行われる教皇様の典礼もすばらしいのですが、この二つの司牧訪問は、それ以上の祝福で満たされていたと思います。
そのビデオで見る限り、教皇様が到着した港のエリアには、漂着した移民船の残骸が山積みにされているようです。祭壇もそういった船を模して誂えられていました。教皇様は海上で亡くなられた方々のために祈り、港で移民の代表者に迎えられ、その後ミサが始まりました。ミサには紫の祭服が用いられ、ミトラも純白のもので、回心のためのミサが捧げられました。
説教の中で教皇様が一番力強く語ったのは、「アダム、おまえはどこにいるのか」という神の問いかけと、「カイン、おまえの兄弟はどこにいるのか」という問いかけを取り上げたうえで次のように述べた箇所でした。
「これらの二つの問いかけが、今日も力強く響き渡っています。私自身も含めて私たちの多くが、混乱しているのです。私たちの住んでいる世界に対して注意を払っていないのです。どうでも良いと思っているのです。神が創造されたものを守っていないのです。そして私たちは互いに助け合うことができないのです。そして、そういった混乱が世界的な規模になった時、私たちが目の当たりにしているような悲劇を生み出してしまうのです」
「世界は無関心のグローバル化に落ち込んでしまった」と教皇様は指摘されています。様々な理由で幸福を願って移民の道を選んだ人たちに誰が手を差し伸べたのか、その境遇に、その死に、誰が涙を流したのか。誰が一緒になって苦しんだのか。そして説教の最後に、助けを求めている人々に無関心であって、自分たちの幸福ばかりを追求してきた自分たちの過ちのゆるしを願うと述べられました。それだから紫の祭服で、回心のミサを捧げられたのです。
教会は移民に対して寛大な心を持って対応するように、長年にわたって呼びかけています。そして教皇フランシスコは、教会のあるべき姿の一つとして、移民に対する愛を具体的に示すようにと行動されました。