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2013年7月21日 (日)

山形教会で堅信式

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テレビでは各地からの「万歳」の声が響いてまいります。皆様、投票には行かれましたか。昨日の日記に記した通りです。

さて今日は朝9時半から、山形教会で堅信式を行いました。山形での堅信式は久しぶりで、今日は32名の方が堅信を受けられました。おめでとうございます。今日の侍者はかわいい小さなお嬢さん二人。ご苦労様。善くできた侍者でした。

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ミサ後には信徒会館でお祝いの茶話会。ミサ中にもすばらしい歌声を響かせてくださった聖歌隊をはじめ、皆でいろいろと合唱。祝賀会後は昼食をはさんで、オタワのシスター方の修道院を訪問してから、夜に新潟へ戻りました。

今日はマルタとマリアの有名な話でした。「私ばかりを働かせて」と不満を述べるマルタに対して、イエスは「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

はたしてイエスはマリアの選択とマルタの選択を比較して、マリアの選択のほうがマルタの選択よりベターだといったのでしょうか。それでは、祈りの法が大切で、もてなしは必要ないということになってしまう。そうではなくて、二人の現在の状態を比較しているのだと思うのです。つまり、イエスにとって問題は、「選択と決断をしたのかどうか」なのです。マリアはすでに自分がするべき事を選択しそう生きる決断をしている。しかしマルタは「多くのことに思い悩み、心を乱している」のです。そう、選択と決断をしているか否かを問題にしていると思うのです。

信仰において私たちは常に選択と決断を迫られていると思います。教会は一つの身体を構成しているのですから、そこには様々な役割がある。すべての人が活動家であるはずもなく、すべての人が観想家でもない。それぞれには神から与えられた役割があるはずです。もちろん選択するには祈りと黙想が必要でしょう。自らを知る事も不可欠です。しかし信仰生活において、どこかの段階で私たちは、自らの役割を選択しそれに生きることを決断するように迫られているといっては言い過ぎでしょうか。

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