クリスマスに平和を願う
今年の昨冬に続き新潟教区各地は大雪に見舞われており、寒さの中の降誕祭になろうかと思います。新潟市内はそれでもまだ降雪はほとんどありませんが、寒さは厳しくなっております。どうぞ体調に気をつけて、降誕祭から年末年始をお過ごしください。
新潟教会では私の司式で、本日12月24日午後8時から、そして明日12月25日は午前10時から、クリスマスのミサが行われます。なお、教区内の全教会でのクリスマスミサの時間は、新潟教区のホームページに掲載されていますから、こちらのリンクからどうぞ。
夜半のミサの第一朗読、イザヤの預言には、生まれ来る幼子の名が記されています。それは「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」。これは単に名のことではなく、幼子のあり方そのもの、存在そのものの本質が何なのかを示している名称です。その幼子は、闇に輝く大いなる光。闇を切り裂く希望と喜びの力です。主の降誕を祝う時、私たちは世界に広がる闇を切り裂き、神の望まれる世界を生み出す真の平和の力が、すべての人を包み込むようにと祈らずにはおられません。
遙か遠い日本において、アフリカで起こる出来事はそれほど関心を呼ぶものではありません。自衛隊がPKOに参加しているとはいえ、南スーダンで起こっている出来事に思いをはせる機会はほとんどないのかも知れません。それが、自衛隊の弾薬を国連の要請で韓国軍に譲渡するという政府の決定が報道されたことで、にわかに注目を浴びることになりました。日本政府の判断の是非はここでは論じませんが、その必要は実は理解するのですが、ちょっと簡単に決めすぎで、良くない前例を作ってしまったような気がしています。
独立前の南スーダンを2008年に訪問したことがあります。そのときのことは「家庭の友」に書きました(リンクはこちら)。またこの記事の右隣のサイドバーに、当時の写真のアルバムがありますので、ご覧ください。
南北の内戦が終結し、国民投票を経て南スーダンが独立したのが2011年7月。内戦時に、ジョン・ガランというカリスマ的指導者を事故(といわれています)で失ったのがやはり痛かったと思います。2005年7月のことでした(上の写真は、そのガラン氏の墓所。ジュバ市内にあります)。独立した頃から、南北に別れた両スーダンのちょうど国境地帯にある豊かな埋蔵量を誇る油田をどうするのかが大きな課題と言われていました。反政府側に占領されたUnity State(ユニティ州)が、その油田地域です。ここを占領されては、南スーダン政府は兵糧攻めです。
南北の内戦は、いわゆるアラブ系の北部住民と、アフリカ系の南部住民との戦いでしたし、そこに不安定さを加えていたのが、現在も続く西部のダルフールの紛争と、南部のウガンダの反政府ゲリラの動きでした。しかしアラブ系に対抗するという一点で、アフリカ系の諸部族は結束していたように見えました。しかし今回南スーダンでおこっているのは、大統領の部族ディンカ族と、解雇された副大統領の部族ヌアー(ヌエル)族の対立と言われています。首都ジュバではディンカ族軍人によるヌアー族大量殺害があったという報道が昨日のガーディアン紙にありましたが、もちろん政府側は否定しています。ルワンダやケニアの時もそうでしたが、こういったアフリカでの紛争は、確かに部族対立的様相を示すのですが、その裏では様々な利権が絡み合い、特に今回は石油利権が絡んでいますので、単純に部族同士の対立と結論づけることはできないだろうと思います。
いずれにしろ、どんな理由があるにせよ、巻き込まれて被害を受けるのは、そういった利権とはほど遠いところにいる一般市民に違いありません。南スーダンは大統領をはじめとしてカトリックの信徒も多いキリスト教の国でもあります。主の降誕にあたり、当事者たちが生まれ来る幼子のメッセージに真摯に耳をかたむけ、神からのたまものである生命を第一に考えて、より良い決断を下されるように祈ります。
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