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2014年7月31日 (木)

ガーナの武辺寛則さん

Takebe14
昨晩遅く、原稿書きで遅くなり、そろそろ寝なければとおもいながら、ふとつけっぱなしのテレビに目をやると、画面には「ガーナ共和国 村の長老になり27歳で急逝 貧しい村を救った日本人」という文字が。見た瞬間に「武辺くんのことだ」と思いました。

番組はテレビ東京で7月1日に放送されたもののようで、なんと読むのかわかりませんが、「ありえへん∞世界」というもの。新潟では数週間遅れのこの遅い時間。思わず見てしまいました。とっても懐かしい人に出会い、そして30年近い昔のことを、いろいろと思い出してしまいました。

やはり番組は武辺寛則(たけべ・ひろのり)さんのことでした。私がガーナへ行ったちょうど同じ時期、青年海外協力隊(JOCV)の隊員として、ガーナで働いていた方です。私より二つくらい年下。村落開発普及員として、アチュア村で働き、その活躍と献身ぶりが村人に認められ、そこで「長老」に選ばれた話は、当時有名でした。ちょうど武辺さんがガーナにいた隊員たちの自治会長みたいな役であった時、私の教会の近くで教師として働いていた別の協力隊員からの紹介で、ガーナの協力隊の隊内ニュースのようなもの(たしか「トロトロ」と呼んでいたような記憶が)に一文を書く機会を頂き、それで彼の名前を知るようになりました。その後、ちょうど私がマラリアか腸チフスかどちらかで寝込んでいたところに、その近くの隊員と一緒にお見舞いに来てくださり、初めてお会いしました。すばらしい好青年でした。静かに燃える男でした。

テレビ番組はかなり良くできてましたが、ストーリーをちょっとスマートにしすぎかな。武辺さんの活躍は、その後の村の人たちの声を聞くにつけその通りですが、彼もアチュア村3代目の村落開発普及員で、それ以外に保健衛生の隊員や、米国のピースコーの隊員も駐在していたはずですので、みんなで支え合ってというところも大きかったと思います。しかし、パイナップル栽培と販売をビジネスベースにまで持って行った彼の才能は、すばらしいものがあると思います。

ちょうど私が腸チフス後の体調不良で日本に休暇帰国していた時期、89年の2月末に、武辺さんは手に入れたばかりのパイナップル輸送用のトラックの事故で亡くなりました。ガーナに戻ってきた時、近くに住んでいた隊員からそのことを聞かされ、驚いたことを記憶しています。その後、武辺さんが日本のご両親に向けて書いた手紙などをまとめた本が、日本で出版されています。上の写真がその本。なぜか女子パウロ会からの出版ですが、タイトルは「ガーナに賭けた青春」。1991年の2月が初版です。

私は、青年海外協力隊の隊員に対しては、いろいろな人がいるとは言え、その出会いの体験から、全般的に尊敬の念を抱いています。とりわけ「村落開発普及員」という職種の隊員には、重要な意味があると思っています。縁もゆかりもないアフリカの奥地の村で、そこに一緒になって住み、その村の人たちの生活を改善し、一緒に汗を流して生きていくと言うこと。その一緒に生きる姿勢こそが、一人ひとりの隊員が語らなくても、人に与えられた生命を、大切に守り育てていこうとする人間の基本的な姿勢を「あかし」しているのだと思います。もちろん個々人の生き方には様々な違いがある。しかし根本として、与えられた生命が、より幸福に、より安心して、より豊かに生きることができるようにする努力こそは、人間に与えられた心に刻み込まれた生き方の柱であると思います。必死になって、ガーナの村の人たちの幸福を願い、生き抜いた武辺さんの短い時間は、その何十倍もの大切なことを、私たちに教えているような気がします。私たちは何のために生きるのか。この、何のために生きるのかを探ろうとしない限り、様々な言辞を労して「いのちは大切だ」と強調しても、実りはないように思います。そしてそれは学校で教えられるものではなく、家庭で、社会全体で、国として、示していかなければならないものです。今の日本は、社会全体で、生命について何を示しているのか、あらためて考えてみたいと思いました。

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