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2014年8月20日 (水)

大阪教区司教の交代

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教皇様は先ほど、大阪教区のレオ池長潤大司教の引退願いを受理し、その後任として現在広島教区司教を務めるトマス・アクイナス前田万葉司教を任命されました。

池長大司教はすでに77歳となられ、75歳の定年を過ぎておられましたので、引退願いの受理を心待ちにされていたことだと思います。これまで本当にご苦労さまでした。

前田大司教は長崎の上五島の出身で、65歳。カトリック中央協議会の事務局長などを務め、2011年6月に広島司教に就任しておられました。前田大司教様、おめでとうございます。なおすでに司教ですから叙階式はありませんが、着座式が行われます。日程は今後、大阪教区から発表されることになります。また広島教区は、後任が任命されるまで司教座は「空位」です。

P.S. なお正確には、前田司教が大阪に着座した時点で、広島教区は空位となります。

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教皇フランシスコ韓国司牧訪問(続き)

札幌教区の勝谷司教さんが撮影してくださった、私が写っている写真を数枚掲載します。

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ヘミ聖地の聖堂で、教皇とアジアの司教の集いが開かれましたが、教皇様の入場を待っているところです。

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そして光化門前に特設された祭壇上で、列福式前に教皇様の到着を待つ司教団です。それから次は私が撮影したもの。

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司教との集いに入場される教皇様を迎える司教たち。賢明に写真を撮っているのは沖縄の押川司教。右端の枢機卿は、パロリン国務長官。

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そしてAYD閉会ミサで、最後にFABC議長のグラシアス枢機卿の挨拶を受ける教皇です。

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教皇フランシスコ韓国司牧訪問

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いまさらですし、国内外の様々な方がブログやニュースで書いているのでいささか時宜を逸してしまった感は否めませんが、しかしアジアの教会にとっては大切な出来事でしたから、記録しておくことにいたします。

教皇フランシスコは8月14日から18日まで韓国を司牧訪問され、これが就任後初めてのアジア訪問となりました。もともとは8月10日から17日まで、韓国のデジョン(大田市)で開催された第6回アジア・ユース・デー(AYD・アジア青年大会)に教皇が参加するという事から話が始まりました。韓国の司教団は、地方教会にとって重要な教皇の訪問という機会を、青年たちと共に過ごすこと以上に広げるため、すでに今年の後半に予定されていた殉教者の列福式を繰り上げて教皇訪問の予定に組み入れ、加えて初めてのアジア訪問と言うことで、アジア司教協議会連盟(FABC)と連携して、アジアの司教との会合も組み入れました。もちろんこれ以外にも教皇様のご意向などで決まった訪問もあり、さまざまな予定が複雑に組み入れられた一連の司牧訪問となりました。

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AYDには独自の運営組織がありますし、列福式にも独自の運営組織があり、さらにそこにFABCが絡んでくる中で、全体を統括し聖座と交渉をこなし、見事にまとめ上げた姜禹一(カン・ウイル)司教(済州教区、韓国司教協議会会長)はじめ、韓国司教団のすさまじい努力があったと聞いています。加えて、韓国政府の様々な意図にも配慮する必要がありますから、今回の訪問を計画し実施することは容易ではなかったと思います。それにしても、ボランティアとして動員された信徒の数、司祭と修道者の数、そして政府が提供した警察官を初めとする様々な支援。どれをとっても日本の教会では考えられないほど、規模が大きいものでした。聖座も、政治と宗教の双方の意図が相克する中で、見事にバランス感覚を発揮して、普遍教会の司牧者としての教皇訪問を明確に打ち出すことに成功したように感じますし、その中にあっても、ゆるしやいつくしみの行動を最も大切にされる教皇フランシスコの姿勢が明確になるように配慮もされていたと感じました。

青年たちとともに時間を過ごし、殉教者を列福すること以外に、分断されている南北の統一と平和を祈ることも、今回の司牧訪問の大切なテーマとされていました。これについては最終日の18日に、ソウルの明洞のカテドラルで、朴大統領も参加して「平和と和解のためのミサ」が行われました。

それぞれの行事の詳細は、実は余りよくわからないので(理由は後述)、例えばAYDに参加したイエズス会の片柳神父さんのブログなんかが詳しいですので、参照ください。また列福式の説教は翻訳されて、中央協のサイトにすでに掲載されていますので、これも参照ください。

私は、15日の新潟での聖母被昇天ミサが終わってから、東京へ移動し、夜の羽田発金浦行きでソウルに行きました。仁川国際空港がソウルから遠いのは覚えていましたが、思いの外、金浦空港もソウル市内から遠いことを思い知らされました。それでも2時間ほどで東京からソウルには到着。日本の司教団では私が一番最後の到着でした。

翌朝は7時半にロビー集合。そのまますべての海外参加司教50名他は4台のバスに分乗して会場となる光化門付近へ移動。祭壇裏に用意されたテントの香部屋でさっそく祭服に着替えて待機。ミサは10時からです。その前に教皇が到着するので、オープンエアの祭壇に移動して待機。16日のソウルは多少曇っており、直射日光がなかった分助かりましたが、しかし祭服を着込んでいるのでとにかく暑い。海外の司教50名に、韓国の司教団が加わったので、祭壇をはさんで両サイドに70名以上の司教がいたと思います。この中には枢機卿が5名。

その後9時半頃に教皇を乗せたオープンカーが到着して会場を一周。この間、光化門まえでフェリー沈没事故の遺族とも対面。遺族たちは、真相解明を求めてこの地で座り込んでいた方々ですが、韓国の司教団は助けを必要とする方々を排除することは、教皇フランシスコ訪問にそぐわないとしてそのままそこにいてもらうことにしたため、教皇との面談が実現しました。そしてミサが開始。教皇と一緒にソウル教区長の廉洙政(ヨム・スジョン)大司教やパロリン国務長官、信徒評議会のリョウコ枢機卿など、さらに3名の枢機卿が。

ミサ中の説教はイタリア語で韓国語の通訳がつきましたが、もちろん私はわかりませんでしたので、後日、上記の中央協の翻訳でやっと知りました。言葉で表すのは難しいのですが、とにかく凄まじい数の人が参加され、信徒以外にも集まった人を数えると90万人ほどではなかったかと聞きました。ミサに参加する信徒への聖体拝領のために用意されたチボリウムの数は、残念ながら数えませでしたが、広い二つのテーブルに一杯でしたからすごい量でしたし、それをミサ中に主の祈りあたりから拝領担当の司祭団に手渡していきましたが、これまた凄まじい量なので拝領が始まってもチボリウムを渡しきれないほど。あれだけの参加者に聖体を届けるだけでも大仕事であったでしょう。

ミサ後、教皇は他の訪問へ。タフというかお気の毒というか。ミサに参加した私は、もうそれだけで力を使い果たしておりましたから。参加の司教団は、ホテルとミサの会場の往復で、移動はすべて団体行動でしたから、実はミサ以外に教皇様が何をしているかは伝わってこないのです。ホテルのテレビを見ても、映像しかわかりませんし、NHKが入っていますが、もちろん日本のニュースではほとんどと行っていいほど取り上げられていません。

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翌17日は朝7時半に集合して、バスで2時間以上かけて移動。AYDの閉会ミサが行われるヘミ(海美)聖地へ出かけました。大雨です。この聖地にある聖堂で教皇様とアジアの司教団の集まり。これはFABCのトップであるボンベイのグラシアス枢機卿が主催されました。アジア各国の司教協議会の会長が招待されており、昼の祈りのあとに教皇はイタリア語で話をされました。

あとで英訳を頂いたのでわかりましたが、この中で教皇は、アジアにおける対話を通じたあかしによる福音宣教の重要さを訴え、開かれた態度で、閉じこもらず積極的に出て行くことの必要性を説かれました。またバチカンと国交のない国々との関係改善への期待も表明されています。

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集まりのあとは教皇を囲んで司教団との昼食会。午後には雨も上がり、教会地区の李氏朝鮮時代の城跡に設置された野外祭壇で、AYD閉幕ミサです。祭壇上にはテントの屋根がありましたが、集まった青年たちは野外ですから大変だったと思います。でもそれを吹き飛ばすような元気なミサでした。教皇様はここで英語で説教。その説教で言いたかったことは、たぶん一言に凝縮されていると思います。「Asian youth. Wake up」。得意ではない英語なので、いつものように原稿から離れて力強く呼びかけることができないもどかしさを感じておられたと思いますが、この言葉は短くて力強いので、説教の最後部分で、本当に力強く繰り返されました。「おきよ」という呼びかけと訳されているようですが、私には「めざめよ」という意味合いの方が強いと聞こえました。

次回のAYDは2017年にインドネシアで開催と発表されました。

という数日を過ごして、18日の昼過ぎに金浦を出て羽田へ移動。新潟に戻りました。予定があったため、残念ながら明洞での最後のミサには参加できませんでしたが、これもまた多くの日本の司教さんたちが出られたので、そちらの報告に譲ります。

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2014年8月13日 (水)

クララ会のお祝いと、新潟での墓参り

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昨日は上越市の高田教会で、聖クララのお祝いがありました。聖クララの祝日からは一日遅れですが、月曜日に教区の保育者研修会があったため、こちらをずらして頂きました。

ご存じのように、上越市の高田にはクララ会の修道院があります。昨年私は所用のため参加できなかったので、一緒にお祝いをするのは2年ぶりになります。修道院の聖堂は共同体のサイズに合わせてこぢんまりとしていますので、お祝いのミサは近くにある高田教会の聖堂で行われました。高田教会はクララ会の兄弟であるフランシスコ会の担当です。

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ミサには新潟教区と隣の富山県(名古屋教区)で働くフランシスコ会員と、同じ長岡地区で働く神言会員、そして数名の教区司祭と私で、11名の共同司式。修道院のシスター方6名以外に、フランシスコ第三会員や周辺の教会の信徒の方も含めて、なかなかの参加者でした。

ミサ後は信徒会館で昼食会。シスター方おめでとうございます。観想修道者の祈りの力は教区にとって不可欠です。これからも教区のために、祈りで支えてくださいますように。

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そして今日、13日。新潟地区では墓参の祈りが夕方に捧げられました。私は、新潟教会の主任と助任と一緒に教会近くの日和山墓地へ。12名ほどで祈りを捧げました。新潟市内は、いつもの夏に比べればかなり涼しい毎日です。今年は天候が不順で、曇りが多いためでしょう。

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2014年8月11日 (月)

教区保育者研修会@見附

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第43回目となる、新潟教区カトリック保育者研修会が、本日朝から夕方まで、新潟県の見附市にある見附天使幼稚園を会場に開催されました。この研修会は、秋田県、山形県、新潟県にあるカトリックの幼稚園、保育園、養護施設等の職員を対象にした研修会で、以前は新潟市内のホテルを会場に一泊で開催されていましたが、現在は諸般の事由から、一日のみの開催で、新潟県内の上越、中越、下越の幼稚園などを会場に、持ち回りで開催しています。今回は中越の担当で、見附の天使幼稚園を会場にするのは二回目となります。

新潟県内での開催のため、秋田や山形からの参加には難しいところがあるのですが(公共交通の便が非常に悪い)、今回はそれでも鶴岡から2名の参加がありました。全体では私や司祭達も含めて175名の参加者がありました。

午前中はまず、仙台教区司祭で東北カトリック学園の理事長を務められる佐藤守也神父から、「カトリック幼稚園・幼児施設に勤める意義」と題して基調講演を頂きました。豊富な体験から、先生方にそもそも神様とは何なのかをわかりやすくお話くださいました。

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その後、三つの研究発表がありました。まず、栃尾天使幼稚園の池山先生から、「子どもにとってより良い環境」について。次に長岡聖母幼稚園の杵渕先生から、「ことばと絵本」.最後に見附天使幼稚園の金山先生から、「食育、お口と食べ物に生かされている私たち」という発表が。どれも良くできた質の高い発表でした。

お弁当の昼食後は、若手の先生たちは「リトミックで体を動かし、神を賛美する」という題で、実際に体を動かし、それ以外に事務担当者の集まりや園長、副園長の集まりなどがそれぞれ開催されました。現在日本の幼稚園や保育園は大きな制度の変革に直面しています。申し訳ないが政府の提案はまだ落ち着かず、数年前に言われていたこととはまた様変わりするなど、安定しない分だけ現場には不安が残ります。私自身、説明の文書を何度も読んで学んではいるのですが、正直に言うと、どうしてこれほど複雑でわかりにくい重層的なシステムを構築しなければならないのか、その目指すところが理解できません。もちろん幼稚園と保育園にはそれぞれ歴史があり、設立の背景や意図も異なるのですから、それをどうにか一緒にしようとすること自体にそもそも無理があります。施設側も混乱していますが、実際に子どもたちを送る立場の方々の困惑の方が大きいのではないかと想像します。複雑怪奇なシステムとそれにまつわる公的資金の投入で、これまで築き上げてきたキリスト教精神に基づく幼稚園教育や保育の姿勢が、無色透明に引きずられていくのではないかと危惧しています。そうなった時に、カトリック教会がとりわけ地方で幼稚園や保育園を運営する意義をあらためて問い直す必要すら出てくるのではないかと危惧します。

最後に3時から派遣のミサ。見附教会の聖堂が参加者で一杯になりました。なお写真にある通り、今年も女子パウロ会のシスターが東京からおいでくださり、書籍などの販売を行ってくださいました。新潟教区内には、そういったカトリック書店は存在しないので、このような機会に来ていただけること、シスター方に感謝します。

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2014年8月10日 (日)

(初めての試み)青年たち、司教館でBBQ

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夏のこの時期、ちょうど新潟祭りが行われる時期ですし、お盆の休暇という方もおられるでしょう。新潟を離れて各地で働いている青年や、普段は仕事で忙しい青年たちも、ちょっと時間がとれる土曜の午後、司教館の中庭でバーベキューが開催されました。車で来ている人も多いので、みごとにノンアルコールです。

新潟市内だけではなく近隣の教会や山形からも参加者があり、遅れてきた人も入れれば15・6名ほどが参集。これでも新潟教区では「大勢」です。

8月9日の長崎での原爆の日でしたから、初めにはしばし沈黙して祈りを捧げて始めました。新潟からだとかなりの距離になりますが、来年はできれば広島の行事に参加できないだろうかという話も出ました。移動は何とかなるが、広島での宿をどうするかなど、ちょっと具体的に。ぜひとも実現することを願います。

今年の夏は台風の影響でみょうな天候となりました。広島の平和記念式典が激しい雨の中で行われたのを見たのは、私は初めてでしたし、長崎も厳しい天候でした。どちらもからりと晴れた青空の下で行われてきたようなイメージがあります。いまの「平和」を取り巻く状況を象徴しているかのような雨模様でした。

広島では被爆者の方々が首相に集団自衛権の閣議決定の撤回を求めておられました。それに対して首相が「戦争をする国になるという考えはない」という趣旨のことを回答しておられるのをテレビのニュースで見ました。多分本当にそう考えておられるのだろうと思います。でも問題の本質はそこにはないのではなかろうかと思います。つまり、戦争をする気があるのかないのか自体は、実はそれほど重要ではない。なぜなら、よほどの好戦家がリーダーになるか、国家がよほど追い詰められていない限り、国家の指導者が「戦争する国になりたい」などとは言うはずがありません。国民の不利益になる可能性が大きいからです。太平洋戦争に突入していった時にも、戦争がしたくてそうしていったのではなくて、様々な国際関係の事由と国内問題からそこに追い詰められていって突入したのではなかったでしょうか。ですから重要なのは、そういった状況に追い込まれていかないためのセーフガードをどのように構築していくのかにあろうと思います。気がついたら武力の行使しかとるべき手段がなかったのではどうしようもないからです。国際関係は単純な善悪論で片がつくものではなく、複雑な事象が積み重なって深まっていくものですが、偶発的な武力行使に追い込まれることのないよう、より平和へつながる道を選択してくださるように、国家の指導者の英知を祈りたいと心から思いました。

一人ひとりに与えられた生命には神からの願いがこめられています。残念ながら社会の様々な障壁が構造的悪としてその前に立ちはだかります。その結果、多くの生命が神からの願いを実現することができずに、時に残酷な終末を強制されていきます。失われて良い生命はありません。それは人間が価値判断できることではなく、すべて神のみ手の中にあることです。神がすべての生命がより良く十分に生きることを望んでおられるのは、イエスご自身が「すべての人」の罪のゆるしのため十字架上でその身をささげられたことから明らかです。その判断は私たちには任されていません。この生命は殺されるべきで、この生命は生かされるべきだと決める権利は、同じ被造物である人間には任されていません。したがって私たちは、すべての生命が尊厳の内に生かされ、神からの願いが全うされるような世界を生み出す努力をしなければなりません。たとえそれが夢物語であったとしても、です。そこには生命を奪う武力の行使が入り込む余地はないはずです。平和旬間にあたり、心をこめて世界の平和のために、そして国家の指導者のために、祈りたいと思います。

先週初めに10年ぶりに人間ドックに行きました。新潟第二済生会病院の検診センターで、生まれて初めて胃カメラを飲みました。おかげさまで、全般的には異常はなし。とはいえすでに10年以上にわたって高血圧と緑内障などの治療を受け続けていますから、薬のおかげで正常値であるところも多々ありますが、まだ当分は働けそうです。

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2014年8月 3日 (日)

あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい

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教皇フランシスコにとって、「排他性」と「格差」という二つを拒否することは、信仰生活の中核をなしています。「福音の喜び」の中に、経済問題に触れて、次のような指摘があります。

『「殺してはならない」というおきてが人間の生命の価値を保障するための明確な制限を設けるように、今日においては「排他性と格差のある経済を拒否せよ」とも言わなければなりません。この経済は人を殺します。(53)」

そしてこの『排他性』と『格差』を説明して、次のように記します。

『路上生活に追い込まれた老人が凍死してもニュースにならず、株式市場で二ポイントの下落があれば大きく報道されることなど、あってはならないのです。これが排他性なのです
飢えている人々がいるにもかかわらず食料が捨てられている状況を、私たちは許すことができません。これが格差なのです。わたしたちは「廃棄」の文化をスタートさせ、・・排他性は・・もはや社会の底辺へ、隅へ、権利の行使できないところへ追いやられるのではなく、社会の外へと追い出されてしまうのです。排除されるとは「搾取されること」ではなく、廃棄物、「余分なもの」とされることなのです(53)」

ちょうど今日の第18主日の福音は、マタイ14章13節からの、五つのパンと二匹の魚の物語でした。国際カリタスは昨年12月から反貧困キャンペーン"One Human Family, Food for All (私たちは一つの家族、すべての人に食糧を)" を行っていますが、カリタスジャパンではその説明や教皇のメッセージの中で幾度も取り上げられる今日の福音からテーマをいただき、このキャンペーンを「五つのパンと二匹の魚」と呼んでいます。

教皇フランシスコにとって、教会は「出向いていく教会」であるべきだとされます。「福音の喜び」には、その意味が次のように記されています。

『自分にとって快適な場所から出ていって、福音の光を必要としている隅に追いやられたすべての人に、それを届ける勇気を持つよう招かれている(20)』

その上で、出向いていく教会の福音宣教にあたっての優先事項を次のように掲げます。

『教会は例外なくすべての人のもとに行き着かなければなりません。しかし、誰を優先すべきでしょうか。福音書の中に、非常に明確な指針が示されています。友達や近隣の裕福な人ではなく、むしろ貧しい人や病人です(48)』

現代社会の中心から引き離され、排除され不平等に扱われている人たちに、誰かが何かをするようにしていくのではなく、主ご自身が弟子達に言われたように、「あなた方が彼らに食べるものを与えなさい」と教皇フランシスコも呼びかけています。群れを解散させて、『自己責任』で解決を図らせるのではなく、群れの中で互いに配慮しあうことによって共に生きていくことを目指されているのです。とりわけ、排除され格差の内に忘れ去られようとしている存在に、勇気を持って配慮するようにと命じられているのです。

それは単に食料のことだけを言っているのではありません。世界の各地で頻発する紛争。とりわけ今一番の注目を集めているのはガザにおける一般民衆を巻き込んだ武力対立です。今の事態に留まらずこれまでの紛争の歴史を見れば、武力が抑止力になるなどとは、よほど『勇気』がなければ言えないと思うのですが、力によって相手を排除し分断する方法ではなく、群れを解散させずに互いに配慮しあうことによって共に生きることができる世界をいかに構築するかに、知恵を絞る時が来ているのだと思います。そしてそれは、政治家がすることだとか、誰か力を持った人がすることだとかに留まらず、「あなた方が彼らに食べるものを与えなさい」と言われた主イエスが、「あなた自身がチャレンジしないさい」と言われているのではないのでしょうか。

こう呼びかけられている教皇フランシスコは、まもなくアジアに初めておいでになります。8月14日から18日まで、韓国を訪問されることになっています。8月の暑さ厳しい時ですから教皇の健康が気になりますが、ちょうど開催されているアジアユースデーに参加しているアジアの青年たちとの出会いを教皇は心待ちにしておられるようです。

日本の司教団も招待をされているので、私も8月15日の夜に羽田を出て、16日のパウロ・ユン・ジチュンと123同志殉教者の列福式ミサ、そして17日のアジアユースデー閉会ミサに参加する予定にしています。今回列福される殉教者については、中央協議会のホームページから、その歴史を読むことができます

なお8月は教区内での訪問などはありませんが、次のような予定が入っています。

  • 8月11日 新潟教区保育者研修会
  • 8月12日 高田聖クララ会ミサ
  • 8月15日 聖母被昇天ミサ(新潟教会午前10時)なおソウルには、このミサが終わってから出かけます。
  • 8月23日 カリタスシンガポールの講演会
  • 8月26日~28日 カリタススリランカの研修会
  • 8月30日 香港教区補佐司教(3名)の叙階式

暑い毎日が続き、また急な豪雨の被害に見舞われている地域もたくさんありますが、皆様どうぞお体を大切に、良い夏を過ごされますように。

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