司牧訪問・ダブルヘッダー@直江津&妙高

今日の日曜日、年間第二十五主日は、新潟県の上越市にある直江津教会と、妙高市にある妙高教会の二カ所を、司牧訪問してきました。妙高教会は同じく上越市にある高田教会の巡回で、直江津と高田と妙高の主任はフランシスコ会のフーベルト神父が兼任しています。高田教会には協力司祭として同じフランシスコ会の続橋神父や教区の高藪神父もおられます。
今朝は朝6時半にくるまで司教館を出発。ナビの到着予定でも余裕を持って北陸高速道路を移動。二時間で直江津教会に到着。主日のミサは朝9時からです。様々な行事のため、また午後から別に英語ミサがあるため、ミサ参加者は20名ほどでした。フーベルト神父と一緒に。ミサ後には、信徒の方々と茶話会での自己紹介に続いて一緒に昼食を。

そのまますばらしい秋晴れの中、国道を長野方面へ移動。一時間ほどで妙高高原にある教会に到着。赤倉温泉の近くです。このミサには高田から続橋神父がやってきました。妙高でも様々な行事がある模様で、午後2時半に始まったミサへの参加者は少なかったものの、それでも20名ほど。ミサ後にはお隣の妙高山荘で信徒の方々としばらく茶話会。

どちらのミサも、立派なオルガンの伴奏つきで荘厳な歌ミサでありました。帰りの北陸高速道路は日曜の午後でかなり混んでましたが、それでも夕刻、6時過ぎには司教館に帰着。
囚われの身にあってもなお、生き続けて、福音のあかしをしようとする使命感と、自らの天国での喜びへの信仰における期待の二つを眼前にして、それでも福音をあかしすることを選択するパウロの凄まじいまでの宣教への熱意。人間的常識では捕らわれることによって、積極的な活動には終止符が打たれたも同然と考えるのですが、しかしそのような状況の中にあってもパウロは前向きなあかしへの可能性を見いだすのです。私たちも、困難な状況にめげてしまうのではなく、どんな厳しさの中にあっても、前向きな可能性を見いだしていきたいと思います。
そして今日の福音の語ることの難しさ。賃金が労働の対価だと考えれば、何ともイエスの語る話は理不尽ですが、神は自らが創造した生命が良く生きるために努力を続ける限り、それにはすべて等しく報いたいという神のいつくしみを感じることもできます。だからこそすべての生命がよりよく生きることのできる社会環境を生み出していくことも、私たちの使命の一つであろうと思います。神が愛おしく思う一つ一つの生命を、私たち自身も愛おしく思うことができるように。
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