
第20回目となる日韓司教交流会が、ソウル教区を会場に、11月11日から13日まで開催され、日本からは16名の司教、韓国からは22名の司教と1名の大修道院長が参加しました。
2011年版のカトリックハンドブックには、その始まりについて以下のような説明があります。
「日韓司教交流会は、阪神・淡路大震災が発生した1995年に、マニラで開催された第6回アジア司教協議会連盟(FABC)総会での、当時の日本司教協議会副会長・濱尾文郎司教(のち枢機卿)と韓国司教協議会会長・李文熙(イムンヒ)大司教との出会いをきっかけにして始まった。岡田大司教によれば、総会の後に李大司教から濱尾司教のもとに1通の手紙が届いたのだという。その内容は、両国の歴史認識にかかわるものだったということを、大司教は濱尾司教から直接聞いている。
翌1996年2月、大司教が用いた表現をそのままここに記すならば、「突如」韓国から李大司教のほか2人の司教が来日し、日本カトリック会館にて16、17日の2日間にわたり、濱尾司教、岡田浦和司教(当時)との間で懇談会が持たれた。これが日韓司教交流会の第1回目となる」

それ以降、徐々に両国司教の参加者も増え、交互にそれぞれの国を訪問することも定着しました。韓国には軍教区も含めて16教区、日本も16教区ですから、順番に毎年教区持ち回りで行われ、20年となりました。教区数は同じでも、司教の総数では、補佐司教の多い韓国の方が圧倒的な多数です。先輩の韓国の司教方には日本語が堪能な方もおられ、またローマに留学した経験のある司教も多いので、お互いのコミュニケーションは、日本語、英語、イタリア語で行っております。日本の司教の中に、韓国語が話せる司教はおりません。また会議中では両国から通訳を準備することになっており、それぞれの司教団が自分の言葉で自由に発言できるようにしております。

今回の交流会は、ソウル教区明洞司教座聖堂前に完成したばかりのソウル大教区庁の建物で行われました。これは10階建ての巨大な事務棟で、その前には二階建てのホールと小聖堂。地下には書店やコーヒーショップがある巨大施設です。何年も前から計画されて、このたび完成したとうかがいました。
第20回目のテーマは、「ナショナリズムを超えた福音的生き方」とし、副題として「地上の平和から福音の喜びまで」とされました。

一日目はソウル教区のティモテオ・ユ補佐司教による、「歴代教皇の平和についての教え」という講義と質疑応答。ユ補佐司教は、今年2月に司教叙階されたばかりで52歳。ヨハネ23世の地上の平和から始まってフランシスコの福音の喜びまで、それぞれの時代の状況を背景にした教皇の平和への教えについて、簡潔に解説して下さいました。
二日目は上智大学グローバル・コンサーン研究所の中野晃一教授に、「東アジアの平和の課題と問題点について」と題して話して頂きました。もちろん様々な歴史的背景や状況の変化についての中野先生の解説は興味深かったのですが、最後に、現状をお話し下さった中で、現在の政治を取り巻く状況が、多くの人を巻き込んでの「情念(パトス)」に基づくものになっていて、「理性(ロゴス)」の側面が退行してしまっているのではないかという指摘と、その中にあって宗教者こそは、人々が「コンパッション、(思いやり)」を取り戻すために力を発揮しなくてはならないのではないかという指摘が心に残りました。
「コンパッション」の回復という指摘を聞いて、教皇ベネディクト16世の回勅『希望による救い』に記された言葉を思い出しました。
「人とともに、人のために苦しむこと。真理と正義のために苦しむこと。愛ゆえに、真の意味で愛する人となるために苦しむこと。これこそが人間であることの根本的な構成要素です。このことを放棄するなら、人は自分自身を滅ぼすことになります(39)」
その意味で、交流会が始まる前日に訪れたナヌムの家のことが心に重く残ります。いわゆる従軍慰安婦として苦難の道を歩んだ女性たちが、共同での生活を営んでいる施設です。「従軍慰安婦」という固定化したカテゴリーに当てはまるのかどうか、歴史的詳細はいかなるものかなど様々な議論が日韓両国にはあることを承知しています。またこのような過去の歴史を語るとき、いきおい自国に有利な方向へと話を進める可能性も否定できません。
しかしながら、どのようないきさつがあったにせよ、戦争があったればこそ、今目の前にいる女性たちの人生は力ずくで大きく道を変えられたことは否定できず、そしてそれは敵と味方に分かれての戦いの中ではなく、日本が他の国と戦う中で巻き込まれていったという不条理さを思うとき、彼女たちの深い悲しみに「コンパッション」を抱かずにはおられません。目の前にそういう方々がおられるときに、その心に思いをはせることができないような生き方は、神を信じるものにふさわしい生き方であるとは思えません。
神を信じるものにとって人間としての「矜持」は、この世からどのような評価を受けるかには関わりが無く、あくまでも創造主である神と自分とが対峙する中で、神の求めにどこまで応えることができたのかで決まるものです。国や民族の違いを乗り越え、同じ神に創造された人間として、互いの心の苦しみ、痛み、悲しみ、喜び、希望に、「コンパッション」を持って接し、「人のために、人と共に苦しむ」時に、私たちは神の「善し」とされる生き方を選択できるのであり、初めて自らの人間としての「矜恃」を保つことができるのではないでしょうか。

二日目の午後には鳥頭山統一展望台に全員で出かけました。(上の写真。窓の向こう側に見える山並みは北朝鮮)イムジン川を挟んで、北朝鮮を臨むことができる場所です。その近くに教会によって設置された民族和解センターは、南北の統一が実現した場合、当然想定される事態に宗教的側面から対応することを考えて設立されています。つまり、「多元化された思想と宗教がない北朝鮮」の人たちが、韓国の多元化された現実に直面したときに起こる混乱を想定しているのです。
それにしても、三代にわたって、国民を人質に取っているかのような政策をとり続ける独裁者に支配され、いわば囚われの身にあるような北朝鮮の多くの方々のことを思うとき、この指導者が神によって回心に導かれるように祈らざるを得ません。またその中に、自らの意志に反して、囚われの身となっている日本人を始め多くの方々のおられることを思うとき、この不正義で異常な状態が一日も早く解消され、神の求める秩序の充満した世界が生み出されるように、祈らずにはおられません。狭い川を挟んで分断された国家が、このまま存続していて善いはずがありません。