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2014年11月 9日 (日)

青山教会堅信式@新潟

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ラテラン教会献堂の記念日に当たる今日の日曜日、新潟市内にある青山教会で堅信式を行いました。9時からの主日のミサの中で、3名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。堅信の秘跡は、幼児洗礼を受けた方が中学や高校の時に受けることが多いため、何となくこれから身も心も大人になっていく信徒を対象に行っているように思い込んでいましたが、今日の青山の受堅者は三名とも成人女性。責任ある信仰者として、教会共同体の中でよりよく成長を続けて頂きたいと思います。なお主任司祭は新潟教区の坂本耕太郎神父です。

主日であるにもかかわらずお祝いするラテラン教会とは、ローマの司教である教皇様のカテドラルです。普遍教会の牧者である教皇様のカテドラルの献堂を祝うことは、私たちの教会は、あたかも支店本店の関係のように、ローマ教会の支店として存在しているのではなく、ひとりの牧者の下に一つの神の民を形成している部分なのだということを思い起こさせます。その意味で、私たちに、教会とはいったい何なのかをあらためて考えさせる祝日です。

この地上における目に見える組織としての教会は、同時に霊的な交わりとしての教会でもあり、さらには天上の教会ともつながれています。教会憲章の8項には、次のように書かれています。

「位階制度によって組織された社会とキリストの神秘体、目に見える集団と霊的共同体、地上の教会と天上の善に飾られた教会は、二つのものとして考えられるべきではなく、人間的要素と神的要素を併せ持つ複雑な一つの実在を形成している」

ですから教会共同体の有り様を、普遍教会のレベルでも部分教会のレベルでも、社会一般の価値観で定め、判断していくことは、必ずしもふさわしいことではありません。私たちは、様々な考え方や思想を持った人間ですが、同じ信仰において結ばれていることを心にとめて、自分の考えではなく神によって集められたものとして、互いの違いを乗り越えてキリストの神秘体を形作る努力をしなくてはなりません。私たちひとりひとりが教会です。教会を構成するのです。日曜日に教会という建物に来たときだけが、私たちが教会の部分になるのではなく、信仰者として生きている限り、常にどこにあっても、私たちは教会を生きていることを心にとめなければなりません。

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青山のミサ後には信徒会館で茶話会。コーラスがすばらしい歌声を披露してくれました。青山教会の皆様ありがとうございました。

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