ユスト高山右近帰天400年記念ミサ@神戸
神のしもべユスト高山右近が、その信仰を守ったがために徳川家康によって国外追放になり、1615年に追放の地マニラでその生涯を閉じてから今年で400年。現在列福に向けたバチカンでの手続きも最終段階に入っていると伝えられ、あらためて信仰者としてのその生涯が注目されている高山右近の、帰天400年記念ミサが、日本の司教団の主催で、2月3日午後、神戸文化ホールで行われました。
高山右近は織田信長や豊臣秀吉に仕えていましたが、秀吉のバテレン追放令以降も信仰を守り抜くために、領地や財産などをすべて放棄し、金沢で前田家の庇護の元に暮らしていました。しかし1614年、家康によって国外追放となりマニラへ。大変な旅であったのでしょう。到着後に病を得て、ほんの40日ほどのマニラ滞在でしたが、1615年2月3日に帰天されました。その当時からすでにマニラにおいて列福運動が起こっていたのだそうですが、その後紆余曲折を経て現在に至っています。
数年前に聖座の『殉教者』についての定義が見直され、必ずしも迫害の上に殺害されることだけではなく、信仰を守るために人生のすべてを失った人物も殉教者と認定することになっておりました。そのため、高山右近も、かつては殉教者から証聖者に変更され、さらに殉教者へと変更されるという道をたどりました。
実際には手続きの過程はもっと複雑ですが、簡単に言えば、証聖者の場合は列福のために奇跡が一つ、列聖のためにはさらに奇跡が二つ必要とされています。殉教者の場合は、殉教という出来事が認定されれば列福に奇跡は必要がなく、列聖のためには一つの規制が必要とされているようです。
列聖列福特別委員会の大塚司教によれば、手続きはかなり進んでおり、今年の半ば頃には、列福のために最終的に必要な教皇様の裁可が得られる見通しだとか。そうなると、来年にも列福式を行うことになります。
今回はそういう気運が盛り上がりつつある中で、帰天400年を記念して行われました。会場の神戸文化ホールにはほぼ満席の二千人以上が詰めかけ、多くの司祭団、また日本の全司教が共同司式をして、ミサを捧げました。またマニラで最後を迎えたこともあり、さらにはマニラ教区が最初の列福申請を行った縁もあり、マニラ大司教のアントニオ・タグレ枢機卿が出席。教皇大使のほか、引退されている池長大司教、地主司教、溝部司教も参加。溝部司教は、長年この列福調査に携わってこられたこともあり、その現代的意義について説教をしてくださいました。溝部司教は、当時のキリシタンがイエズス会宣教師の『霊操』の影響の元に、いかに聖書を読み、黙想し、祈ることを大切にしていたか。そして高山右近のような信徒のリーダーたちがそのことをいかに大切にして、信徒の共同体をはぐくんでいったのかを語り、その上で、現代社会にあっても、聖書を読み黙想し祈り、それを行動につなげていくことの重要さを説かれました。
神戸のミサは、大阪教区の多くの方々の協力で、すばらしい行事となりました。大阪教区の皆さんありがとうございます。今回のブログのミサ中の写真は、大阪教区の田中さんの提供です。感謝。会場では、右近のゆるキャラである「うーこんどの」も大活躍しておりました。
高山右近の人生は、もちろん当時の戦国時代の枠組みの中でのことであり、現代の私たちの価値観や信仰の倫理観から判断すれば肯定できない事柄もあったことでしょう。しかしそういう時代の制約の中で、右近がどういう社会を目指していたのか、また信仰を守り抜くために妥協することなく、周囲からのいさめる声にも耳を貸さずに、どれほど必死になって信仰に生きたのか。そういった姿勢そのものを、現代社会の枠組みの中で見つめ直したいと思います。ともすれば現実の要求の前で簡単に妥協を重ねている現代の信仰者にとって、右近の生き方は大きな道しるべとなるものだと思います。
月曜日は夜に新潟の司祭団にお話をしていたので、前日には出発できず、当日朝に新潟空港から伊丹へ移動。余裕を持ってでかけたのですが、なんとANA便が1時間半以上の遅れ。同じ頃伊丹に飛ぶJAL便に至っては欠航。焦りました。伊丹からバスに乗って、神戸の三宮に到着したのは、すでに13時過ぎ。いただいていた予定表では式の開始は13時半。これは間に合わないかと、タクシーに乗って神戸文化ホールに着いたのが13時20分頃。ぎりぎりセーフかと待合室に滑り込むと、司教様がたはまだまだ歓談中。なんとミサの開始は14時半頃でした。それまでは歌やDVDの上映。まあ、間に合って良かったです。
その晩はタグレ枢機卿を囲んで夕食会。翌朝は東京へ移動して、二日間会議でありました。なお今回タグレ枢機卿は仙台、東京で、フィリピン出身信徒のためにミサを捧げ、大阪でも会合を持ちました。どこも大勢のフィリピン出身信徒でいっぱいだったそうです。人気者です。神戸のミサの翌朝には、大きなスーツケースをもって、ローマへ出かけていきました。このままいくつかの会議に出て、その後新しい枢機卿の親任式がある枢機卿会に出席とのことでした。
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