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2015年3月31日 (火)

新潟教会で聖香油ミサ

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本日午前10時から、カテドラルの新潟教会において、聖香油ミサを執り行いました。新潟教区で働く司祭は、教区司祭と修道会司祭をあわせて30数名ですが、そのうちの25名が参加。平日の昼間にもかかわらず、信徒の方も聖歌隊を含めて大勢参加してくださり、聖堂はいっぱいでした。

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本来聖香油ミサは聖木曜日に行うものですが、教区内の交通の便が良くないため、通常は受難の水曜日に行ってきました。今年は定例の司祭評議会開催の関係で、受難の火曜日に設定しました。なにぶん、今週末の復活徹夜祭で洗礼式を行う教会も少なくありませんから、新しい聖香油を聖週間の間に祝別しなくてはなりません。また司祭評議会が開催されたおかげで、例年は代表がひとりだけ参加であった秋田地区から、複数名の司祭が参加してくれました。

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聖香油のミサは、秘跡の執行に必要な三種の油、すなわち洗礼志願者の油、病者の油、そして聖香油を祝別するミサです。また教区共同体の一致のシンボルとして、教区内で働く司祭はできる限り参加して司教とミサをともに捧げ、さらにはミサ中にそれぞれのが叙階された日の誓いを思い起こして、その叙階の誓いを新たにします。本日の聖香油ミサに参加して、私たち司祭団のためにお祈りくださった皆さんに感謝するとともに、それ以外の多くの方にも是非、司祭のためにお祈りをくださるようにお願いいたします。司祭は、人間としての弱さを常に抱えているのですから、多くの方の祈りの力によって支え育てていただければ、幸いです。

白の祭服で祝い、栄光の賛歌も歌う聖香油ミサでは、説教の後に叙階の誓いの更新があります。問答形式もありますが、今日は司教の呼びかけで沈黙のうちに誓いを新たにする形式を用いました。

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ミサ中の奉献文の終わり、栄唱を唱える前に病者の油が司祭によって祭壇に運ばれ、司教が祝福します。そして聖体拝領祈願の後に、洗礼志願者の油を祭壇前に設けられたテーブルのところで司教が祝福。そして司祭団一同も聖霊の働きを願って手をさしのべながら、聖香油の祝別です。聖香油にはその場でオリーブオイルに香料を混ぜ合わせ、その次に司教は口を近づけて息を吹き込みます。聖霊の注ぎのシンボル的動作です。そのあとに、祝別の祈りを唱え、途中から司祭団が右手を差し伸べて祝別に加わります。

今日の新潟は晴天に恵まれましたが、桜の開花はまだまだ先のようです。今日のミサに参加した山形の本間神父と秋田のモルク神父が、復活祭後に他教区へ異動となります。ミサの最後に祝別された油とともに小聖堂へ司祭団は行列し、最後に小聖堂において、異動されるお二人を司祭団の拍手で祝福しました。

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聖週間です

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3月29日の日曜は受難の主日(枝の主日)。そして次の日曜日、4月5日は復活祭です。ということで、今週は聖週間。受難の主日は、雨が降り出しそうな曇り空でしたが何とか午前中は持ちこたえた新潟で、カテドラルの新潟教会でのミサとなりました。例年通り、9時半のミサが始まる前に信徒会館の一階ホールに集合。そこで福音を聴き、枝の祝福を行って、短い距離ですが正面の庭を行列して聖堂に向かいました。新潟教会は、中に入る際に靴を脱がなくてはならない構造のため、行列は玄関先で崩れてしまいますが、それでも荘厳なミサの始まりとなったのではないかと思います。

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聖週間の説教は、後日まとめて、ホームページに掲載します。

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受難の月曜日。今年はアドリミナの予定などが入っていたため日程調整が難しく、この日の午前中に月曜会の例会のミサとロザリオの祈りを行いました。3月ですので、月曜会のメンバーと一緒に、東日本大震災の被災者の方々の一日も早い復興のため、また亡くなられた方々の安息のために祈りました。またメンバーによって、平賀司教様宛に霊的花束が用意されました。

月曜日は昼から新潟教区の顧問会。そして引き続いて司祭評議会を行いました。山形地区長である本間神父は、先頃イエズスマリアの聖心会の管区長に選出され、復活祭以降は同会の日本での本部に移られるため、今回の顧問会と司祭評議会が最後の出席となりました。19年間を新潟教区で働いてくださった本間神父には、感謝するとともに、また新潟教区に戻ってきてくださることを期待しています。また司祭評議会のメンバーである神言会のモルク神父(秋田教会助任)も、名古屋教区への転出が決まっており、今回が最後の参加となりました。

さて本日、火曜日は10時から新潟教会で聖香油ミサです。1年に一度しかない、秘跡に使う油を祝別するミサです。そしてミサの中で司祭団は、叙階の誓いを新たにする機会でもあります。是非参加されて、司祭のためにお祈りください。

明後日、聖木曜日は午後7時から新潟教会で主の晩餐のミサを司式いたします。ミサの後には、小聖堂で聖体礼拝も行われます。

聖金曜日は同じく午後7時から新潟教会の主任司祭司式で十字架崇敬などの聖式があります。

聖土曜日は復活徹夜祭ミサを午後7時から新潟教会で司式いたします。洗礼式も予定されています。

どうぞこの聖なるひとときを、ご一緒に祈りの雰囲気の中でお過ごしください。

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2015年3月29日 (日)

松浦司教、名古屋司教に任命

教皇様は先ほど、3月29日のローマ時間お昼に、名古屋教区のアウグスチノ野村純一司教の引退願いを受理し、後任の司教として、大阪教区補佐を務めるミカエル松浦悟郎司教を任命されました。

松浦司教様は、1952年に名古屋で生まれ、1981年大阪教区司祭に叙階。1999年に大阪の補佐司教に叙階されています。

松浦司教様、おめでとうございます。なお着座式の日程は未定です。

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アドリミナを終えて

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3月19日から27日まで、日本の現役司教が全員(つまり16名)参加して行われたアドリミナ訪問が終わり、聖週間に間に合うように、昨日午後には帰国しました。アドリミナのためにお祈りいただいた多くの皆様に感謝いたします。実りのある訪問であったと思います。

アドリミナは、繰り返しになりますが、各地の司教団が定期的に聖座を訪問し、教皇様に直接教区の様子をお話しすることと、聖ペトロと聖パウロのそれぞれの墓所でミサを捧げることが柱となっており、それに付随して、聖座の各省庁を訪問して情報交換を行います。

かつては5年ごとに行われていたのですが、この十数年の間に世界的規模で教区の数が増加し、それにともない司教の数も増加したことから、5年ごとは不可能となっています。前回は2007年でした。教皇様の日程調整をする国務省で長官のパロリン枢機卿と会談した際には、「これからは7年も難しくて、8年ごとになるかもしれない」とのことです。今回も前回と同様、日本の司教団は韓国司教団の次の週に設定されていました。

また教皇様のアドリミナスタイルも徐々に変化してきています。聖ヨハネパウロ2世の頃は、司教の個別面談に加え、一緒に昼食に招かれ、さらに一緒に教皇個人聖堂でミサを捧げ、最後に全員でもう一度面談だったそうです。それがベネディクト16世の時には、個別面談と全員の面談に変更。さらに教皇フランシスコはこれを簡略化して、グループでの司教団との面談のみに変更しました。人数が多いところは教会管区ごとに分かれて面談のようですが、日本のように全部で16名の小さな司教団では、一度に全員と面談するスタイルと変更になりました。

またそのグループ面談の内容も大きく変更され、いわゆるフォーマルなメッセージの交換は文書の提出のみに変更。その分冒頭から、時間をいっぱいに使って、教皇様からの質問に司教が答えて自由に発言するというスタイルになっていました。事前に他の司教団からそのスタイル変更の情報は伝え聞いていたのですが、ここまでフォーマルなものがなくなっているとは思いませんでした。ですから新聞などに載っている教皇様のメッセージも、実はその場では読まれることなく、印刷されたものが手渡されただけでした。すでに記しましたが、教皇様の質問のテーマは多岐に渡っていました。その内容の一部分は、すでに他の司教様から一般紙の取材に応える形で伝えられていますし、また日本語だけではなく英語紙でも同様の報道がなされています。教皇様の暖かさと懐の深さを感じることが出来る面談でした。

さて今般のアドリミナを全体的にどう評価するかを記しておきます。教皇様との面談は、非常にフランクな意見交換の場となり、感謝しています。それ以外の省庁訪問は、私が出かけたところだけの印象ですが(数が多いので、すべてに全員が出かけたのではなく、委員会などの担当と関連する部署を手分けして訪問。ただ典礼秘跡省、福音宣教省、国務省、列聖省は基本的に全員参加)、どこの省庁も現教皇様の意向をくんで、バチカンは地方教会に命令をするところではなく、教皇様のペトロの後継者としての使徒職を助け、普遍教会への手助けのためにあるのだと強調されたことが、非常に印象深く感じられました。

すでにこれも記したことですが、教皇様との面談においても、教皇様ご自身がこの点を強調し、補完性の原理を強調されました。聖座は普遍教会としての一致の大きな枠組みを守る役割を果たし、その枠組みの中にある限り、各地方教会はそれぞれ判断をするようにという点です。これは教皇様から典礼に関する質問があったときの意見交換の中で、教皇様が特に強調されたことでした。

ですから、各省庁で訪問においても、前回と比較してもよりよく、日本の教会の現状について耳を傾けていただいたと感じます。同時に、日本というよりもアジアの教会についての現状認識はそれほど深くはなく、原理原則を繰り返されるシーンも随所で見られました。しかし、確かに現教皇様になってから、バチカンの各省庁はそのあり方を変えていこうとしている雰囲気に満ちていることだけは明確に感じられました。

私にとっては、一部の例外を除いて、教皇様を始め多くのところでイタリア語が優先して使われたので、どうしても通訳の方々を介してのコミュニケーションになる分、教皇様もそうですが相手が本当に言いたいところは何なのかが、今ひとつつかみきれなかったと感じています。私に関係している国際カリタス本部や開発援助促進評議会では英語で問題ないのですが、今回の訪問で英語が一番使われたのは、次官が英国人である典礼秘跡省でありました。

いずれにしろ、7年ぶりでしたが、司教団が全員一緒に同じところに泊まり、食事を一緒にしながら10日間ほどを過ごしたことも貴重でしたし、また教皇様を始め聖座の各省庁で意見交換の機会をいただいたこのアドリミナは、司教団にとっては恵みの時でありました。その恵みが、私たち司教団を通じて日本の教会にも反映されるように、努力を続けたいと思います。

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2015年3月26日 (木)

アドリミナの写真から、その2(3/29写真差し替え)

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アドリミナの写真から、続きを少し。アドリミナの大事な目的の1つ。聖パウロ大聖堂でのミサは、火曜日の午後でした。

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司式は高見大司教。ローマ在住のシスターがたも参加して下さいましたが、なんといっても広い大聖堂ですから。

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聖パウロ大聖堂には歴代教皇の肖像画があり、教皇フランシスコの肖像画も出来上がっていました。

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日本の教会は福音宣教省の管轄です。昨日、水曜の午後にウルバノ大学構内で、フィローニ枢機卿以下関係者と司教団の会合がありました。雨が降り風の強い寒い夕方でした。

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2015年3月25日 (水)

アドリミナはまだ続きます@ローマ

アドリミナも今日で5日目です。日曜日には午前8時から聖ペトロ大聖堂の地下にある聖ペトロの墓前でのミサ。ローマ在住の司祭やシスターが30名ほど参加して下さいました。寒い小雨の朝でした。司式は岡田大司教。この日の説教はすでに中央協のホームページに掲載されています。聖ペトロ大聖堂の香部屋はそれ自体が巨大ですが、そこには何百人もが一度に共同司式できる数の祭服類が用意されています。

日曜日の午後には日本で働いてくださる修道会の総長さんや日本政府の大使を招いての昼食会。

月曜日には、幸田司教と平賀司教と一緒に、国際カリタス本部を訪問しました。現在、国際カリタス本部は改装中なので、同じ建物にある家庭評議会の会議室をお借りして面談。平賀司教からは東日本大震災へのカリタスの支援への感謝の言葉があり、また私からは反貧困キャンペーングッズを差し上げました。

そして本日の火曜日。朝から全員の司教で典礼秘跡省へ。ミサ典礼書の翻訳承認について異見交換をしました。最終的に訳文が認可を受けるには、もう少し時間が必要とのこと。

その後列聖省へでかけ、高山右近やチマッティ神父、そして北原怜子さんの列福申請について詳しい説明を受けました。

そして午後3時半からは聖パウロ大聖堂でミサ。聖パウロの墓前で信仰を宣言し、パウロが処刑されたトレ・フォンタナにも出掛けました。

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2015年3月24日 (火)

アドリミナの写真から(3/29、少し加筆訂正と写真変更)

アドリミナはまだ続いておりますが、その写真を数枚。

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教皇様に謁見にあたり、東日本大震災の復興支援にあたる教会やカリタスの活動を納めた仙台教区サポートセンター制作のDVDと、秋田のマリアさまの祈りのカードをお渡ししました。聖体奉仕会の冊子もローマへ持参していましたが、こちらは典礼秘跡省と福音宣教省の長官に献上。なお教皇様の司教団へのメッセージは、中央協HPで公開されています。

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聖ペトロの墓前で日曜日の朝、ミサを捧げました。聖ペトロ大聖堂の地下で、祭壇後ろ正面が聖ペトロの墓。アドリミナの重要な行事の一つです。司式は司教協議会会長の岡田大司教。当日の説教は、中央協HPで公開されています。

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国務長官パロリン枢機卿と国務省で面談。教皇様のメッセージ作成や、各国訪問の日程は、この国務省で取り扱うため、ここでの話し合いも重要です。

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国際カリタス本部を幸田司教、平賀司教、私の三人で訪問し、反貧困キャンペーングッズを事務局長のロワ氏に差し上げ、平賀司教さまからは仙台の被災地へのカリタスの援助への感謝の言葉がのべられました。後ろは、国際カリタスの教会関連アドバイザーをつとめるチバンボ神父。

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2015年3月22日 (日)

国務長官との面談@バチカン

アドリミナの二日目は国務長官との会談でした。午前10時から全司教16人でバチカン内の教皇宮殿の下にある国務省へ出掛けました。大きな会議テーブルのある部屋に通され、ここで国務長官のパロリン枢機卿を待つことに。この上にある教皇宮殿もそうですがどこでも通される部屋は博物館の中の様相で、壁にかけられた絵もさることながら、建物内の装飾自体が歴史を感じさせる素晴らしい美術品です。 国務長官パロリン枢機卿はもともとバチカンの外交官で、教皇フランシスコが直々に任命したかたです。前回の韓国訪問の際にも教皇様と一緒に来ておられましたが、そのときは言葉を交わす機会がありませんでした。 教皇様の謁見と同じくテーブルを囲んで自由な意見交換が行われ、枢機卿からは日本の政治状況や教会と政府の関係などについての質問がありました。また戦後70年にあたり日本の教会がどういった対応をしているかの質問もあり、すでに送付していましたが改めて司教団の70年に当たっての平和メッセージ英文を差し上げ、内容について司教団の考え方を説明する機会をいただきました。また東アジアにおける政治的状況へのバチカンの考え方についても、詳しく解説していただきました。 またこの機会に、国務長官にも是非日本を訪問していただきたい旨を申し上げたところ、すぐには不可能だが是非訪問したいとの言葉をいただきました。

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2015年3月21日 (土)

日本の司教団アドリミナ訪問のため、ローマ滞在中

日本の司教団は七年ぶりに聖座定期訪問アドリミナのために、19日から一週間ほどの日程でローマに滞在中です。アドリミナはもちろん教皇様に謁見して報告をすることも重要ですが、同時に各省庁を訪問して情報交換したり、さらには教会の礎を築いた二人の偉大な使徒、聖ペトロと聖パウロの墓前でミサを捧げることも重要です。 初日の20日は早速午前10時から、教皇宮殿の執務室で、教皇様との謁見がありました。これまでは個別に教皇様と謁見して、それぞれ15分ほどの時間を与えられ教区の報告をしてきましたが、教皇フランシスコはこれを改め、グループでの一括の謁見に変更されています。日本の司教団は16名と少ない方ですから、今回は教皇様を中心に丸く座って、一時間以上にわたり、様々なテーマで意見交換の分かち合いの時が与えられました。 教皇様からはまず、日本の教会の宣教の課題について話すように求められ、司教たちが自由に発言しました。さらに教皇様からいくつかのテーマについて発言するように求められ、これも司教たちは自由に話をさせていただきました。教皇様は、時に大きくうなずきながら、ご自分の考えを語られましたが、基本的には私達の話にしっかりと耳を傾けてくださいました。 教皇様から示されたテーマは、詳しくはかくことができませんが、例えばシノドスのテーマである家庭や結婚の抱える課題、環境問題、教育による宣教、召命の促進、社会における教会の活動、海外からこられた信徒の方々への司牧の重要性など多岐にわたりました。そのなかで注目するべきは、やはり補完性の原理に乗っとり、各司教が自分の教区のことを決断することと、司教協議会がその地域の事柄について判断することへの信頼を表明されたことであったとおもいます。教皇が命じたからとかバチカンが命じたから実行するのではなく、地域の実情と司牧的必要を一番よく知っている地元の司教や司教協議会が自信をもって判断するようにとのお話でした。 教皇様は司教団へのメッセージのなかで、隠れキリシタンの歴史から、困難な状況にあっても信徒がよく養成されていれば信仰を伝えていくことができる点に触れ、現代の教会がそこから学ぶようにと勧めています。また広範な教会の社会的責任を通じた福音のあかしを評価し、今後も続けていくようにとの励ましをいただきました。じっくりと分かち合いの時間をくださった教皇様に感謝します。

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2015年3月17日 (火)

信徒発見150周年、そしてローマへ

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本日3月17日は、「日本の信徒発見の聖母」の祝日です。典礼歴では、この日は任意の記念日とされ、例年は四旬節中にあたっている場合が多く、典礼的には盛大なお祝いとはされていませんでした。日本の教会は聖座の典礼秘跡省からの認可をいただき、この日を日本固有の祝日として祝うことになり(固有の典礼文リンク)、今年から実施されています。そして今年の3月17日は、大浦天主堂でその出来事があってからちょうど150年。長崎教区を中心にして、大きなお祝いが開かれました。

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私は静岡からの移動の時間もあって、16日の諸行事はほとんど出席しませんでした。唯一、晩に長崎市内で市長や知事、関係諸国の大使なども参加して行われた祝賀会には間に合うように出かけた・・・のでしたが、福岡から長崎に向かう特急は、途中の事故で2時間遅れ。おかげで乾杯には間に合いましたが、その前にあった多くのご来賓のスピーチを聞くチャンスを逃しました。でもなぜか、ちょうど乾杯に間に合いました。長崎の教会遺産を世界遺産として登録する活動が盛んに行われていることもあり、最後の方だけ拝聴させていただいた県知事のスピーチも、そのことに関して、さらには教皇来日への大きな期待が語られておりました。

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今回の記念行事のために、教皇様は特使を派遣してくださっています。フィリピンのコタバド教区大司教オランド・ケベド枢機卿様です。以前は長年に渡ってFABC(アジア司教協議会連盟)の事務局長をつとめられてきた大司教様です。フィリピン南部の、治安があまり良くない地域で、和平のためにも力を尽くすオブレート会員です。

教皇様にはすでに2013年5月、国際カリタスの会議の際の特別謁見で私から、信徒発見150周年のことに触れて日本へ来ていただけないかと申し上げておりました。そのときも教皇様個人は大変前向きのご返事でしたが、もちろん日程は教皇様ひとりで決めるわけではなく、バチカンの国務省などでの調整があることから、なかなか実現しておりません。

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そして汗ばむ陽気の晴天となった本日17日は、信徒発見の現場である国宝大浦天主堂で、朝からいくつもの記念ミサが捧げられ、多くの方が順番に、信徒発見の聖母像の前でミサに与られました。そして10時から、日本の司教団が全員参加し、教皇特使と高見大司教の司式で、記念ミサが捧げられました。あの狭い大浦天主堂は、会衆席も内陣も、参加者でいっぱいでした。

ミサのはじめには、パリミッションのシュガレ管区長さんがプティジャン神父に扮し、そこに和装の女性信徒が数名現れて、当時の出来事を再現するという一幕もありました。シュガレ神父様、名演技でした。

またミサ中には3名の方が洗礼を受けられ、さらにミサ後には、長崎教区シノドスの閉幕式も行われました。教区シノドスについては、またそのうちに。

なおミサの始まる前に、大浦天主堂のすぐ下、50年前の100周年に設置されたレリーフの横に、150周年を記念する標柱が建立されましたので、ケベド枢機卿様によって祝別式がありました。写真はそのときの模様です。ケベド枢機卿様を正面から撮影できなかったので、横顔だけ。

さて、一連の行事は終わり、日本の司教たちはそれぞれの方法でローマへ移動を開始しました。19日から日本の司教団の聖座定期訪問が始まります。教皇様に謁見することはもちろんですが、聖ペトロと聖パウロの墓の前でミサを捧げ、さらにはバチカンの省庁を訪問するための定期的な行事です。26日までつづきます。司教たちのためにお祈りください。この期間、私もローマで旅にありますので、司教の日記の更新は通常よりも頻度が少なくなると思います。ご承知おきください。

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2015年3月16日 (月)

カリタス四旬節黙想会@静岡城内教会

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金曜日の朝にバンコクから帰国。その日は教皇様が呼びかけた四旬節の全世界での祈りの日でしたので、新潟教会でも午後7時から8時まで,私が司式して聖体礼拝を行いました。平日の夜で,しかも雪が降る寒い日でしたが、30名を超える方が集まってくださり、一緒に御聖体の前で晩の祈りを唱え、ゆるしの秘跡に与る一時を持ちました。青山教会から坂本神父とアンリ神父も参加。3月11日に近いこともあり、東日本大震災の被災者の方々のためにも,この聖体礼拝で祈りました。

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翌土曜日は,朝から静岡に移動。午後3時から静岡市内の城内教会を会場に,四旬節黙想会を行いました。この黙想会は城内教会をはじめとする静岡近辺の教会のにもよびかけ、130名を超える方が集まってくださいました。

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またカリタスジャパンとの共催にして頂き、カリタスジャパンが国際カリタスと共に推進中の,反貧困キャンペーン、飢餓撲滅のための「五つのパンと二匹の魚」を分かち合う内容とさせて頂き、東京の事務局からもカリタス職員が参加して,アピールをさせて頂きました。

土曜日には近隣の教会の神父様方も参加下さり、二回の講話のあと、ミサを一緒に捧げ、その中で共同回心式を行いました。個別のゆるしの秘跡がたくさんあったので、すべてが終わったのはすでに7時過ぎでありました。

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そして日曜日は朝9時半から第三回目の講話。そしてその後ミサとなりました。ミサはちょうど教会学校の卒業式にあたったので,こどもたちを中心に,朗読や司会進行をして頂きました。またミサ中には洗礼志願者の典礼も。

すべてが終わって夜には,私が神学生時代に教会の夏のキャンプなどをお手伝いして理バンドで歌をうたったりした教会の旧知の方々と夕食会。(静岡の写真は,信徒の方にご提供頂きました。)

今日はこれから、長崎へ移動して,明日は信徒発見の150周年ミサです。その後、アドリミナのために即座にローマへ行きます。

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2015年3月13日 (金)

カリタスアジア総裁に再選されました

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前回の総会はちょうど東日本大震災の直前でした。カリタスアジアは毎年6月頃に総会を行っていますが、その総会の中でも、4年に一度、この3月の頃に行う総会は、選挙のための集まりです。

4年に一度開催される国際カリタスの総会に合わせて、七つの各地域カリタスは、4年任期の総裁(President)の選挙と、それぞれの地域委員会(Regional Commission)の選挙を事前に行う必要があります。4年前のカリタスアジアの総会で、私はカリタスアジア総裁に選出していただいておりました。その任期がこの5月で終了します。

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そこで先日、3月11日にバンコクで開催されたカリタスアジアの総会は選挙を行い、再び私をカリタスアジアの総裁に選出していただきました。任期は今年の5月から4年間です。国際カリタスの規約上、地域カリタスの総裁は2期までしか務められませんので、今回の再選以上の多選はありません。なおこの選出は、5月にローマで開催される国際カリタス総会において、他の地域総裁とともに承認を受けなくてはなりません。

またこの7人の地域総裁の中から2名が、総会において国際カリタスの第一と第二の副総裁に選出されます。同時に国際カリタスの総裁選挙も行われることになっており、現時点では候補者名簿は公表されていまs年が、アジアからもある方を推薦しております。

なおカリタスアジアを運営するための地域委員会は、これまで東、東南、南アジアの三地域の代表で構成されていましたが、今回新しく中央アジアをもうけることになり、4つのカリタスによってカリタスアジア運営に当たることになりました。地域委員会は、マカオ、モンゴル、ミャンマー、パキスタンで構成されます。もちろん私もメンバーです。またバンコクの事務局で毎日の実務に当たっているコーディネーターのゴメス氏(フィリピン出身)も再任が承認されました。

なお中央アジアに所属するカリタスは、モンゴル、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスタン、トルクメニスタンです。

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カリタスアジアの総裁に再任していただいたのは光栄ですが、もちろん地理的にもアジアの東北の外れにある日本に住んでいるので、アジア全体の様々な出来事に実際に出かけていくことは困難が伴います。バンコクでの定期的な会議には何とか出席が出来ていますが、それ以外のカリタスアジアの開催する研修会などには、たいていビデオメッセージで失礼させていただくことがしばしばです。それでも、コーディネーターのゴメス氏や、地域委員会のメンバーの働きによって、カリタスアジアをこの4年間運営してくることが出来ました。感謝です。感謝の気持ちを表現するために、今回で地域委員会の任期が切れる、スリランカ、インドネシア、香港の代表や、そのほか手伝ってくださる皆さんに、記念の盾を贈呈いたしました。

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カリタスアジアの総会は主に選挙のための集まりでしたから、3月11日の午前中のみでしたが、その午後と12日は、世界各地のパートナーであるカリタスの代表も参加してフォーラムを開催しました。その参加者全員で、11日の夕方は私が司式して、東日本大震災の被災者の方々を心に留めながらミサを捧げさせていただきました。写真の私の向かって右は香港のマイケル補佐司教、左が教皇庁開発援助促進評議会のピーター師です。

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2015年3月 8日 (日)

東日本大震災で亡くなられた方のために祈り、また一日も早い復興を祈願する日

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まもなく3月11日で,東日本大震災が発生して4年となります。新潟教区では,本日3月8日の主日を、東日本大震災で亡くなられた方のために祈り、また一日も早い復興を祈願する日として、それぞれの教会や修道院のミサを,この意向で捧げて頂きました。

新潟教会では午後から,青年たちが中心になって祈りの集いが行われたはずです。私は秋田にいて不在でしたので,その集いのために書いたメッセージを掲載します。

東日本大震災発生から四年を迎えて祈る

カトリック新潟教区 司教

菊地功

 あの大震災の日から四度目の3月11日が、まもなく巡ってきます。あの日以降、私たちは幾度にも渡って、すさまじい自然の力である津波の恐ろしさと、人類の英知の結晶であったはずの原子力発電所の夢が崩壊する様を、映像を通じて目の当たりにしました。

 さらには、実際に被災地へ出かけていって、または報道を通じて、避難生活を続ける多くの方々の姿や声に触れ、被災地の現状を痛いほど感じてきました。

 今年二月末の段階で、復興庁の統計によれば、いまだに22万9千人の方々が、避難生活を送り、普通の生活を取り戻すことが出来ずにいます。

 残念ながら、様々な希望的観測とは裏腹に、原子力発電所の事故の収束は、予定通りに進んでいるとは言いがたく、福島のこれからにはまだまだ不透明な部分があります。

 日本のカトリック教会は、被災地が主に仙台教区に集中していることから、発生直後から仙台教区本部にサポートセンターを設置し、仙台教区の平賀司教様を中心として、復興支援活動を行ってきました。全国の教区が、それぞれの力に応じて、出来る範囲での側面支援を続けています。被災地各地に設置されたボランティアベースは、現在では避難生活を続ける方々を中心に、それぞれの地域で生活する方々と歩みをともにする出会いの場を提供するようになってきています。日本のカトリック教会は、まだまだ被災地とともに歩み続ける決意です。

 人間は時間がたつにつれて、記憶を勝手に整理し始めます。起こった出来事をすべて記憶しているわけにはいかないからです。いまの自分の生活の優先事項に合わせて、私たちは過去を取捨選択していくのです。大震災から時間が経過するにつれ、被災地での当事者でない私たち多くは、四年前のあの衝撃を徐々に忘れつつあるように思います。もちろんいつまでも悲しんでいる必要があるなどと言うことではありません。そうではなくて、被災地にあって、いまもなお希望ある未来を生み出そうとして戦っている多くの方々と、心の絆をもってつながり、歩みをともにする姿勢を意識しながら保つことは、大きなエネルギーを生み出すのです。希望は、多くの人の連帯の心からいただいたエネルギーで大きく育っていきます。

 新潟教区からは、東京などのように組織的にボランティアを派遣するようなことはしていませんが、その出来る範囲で、連帯の心を持ち続けたいと思います。どうかこの祈りの集まりを通じて、新潟教区からの連帯と希望のパワーを被災地に送り届けることが出来ますように。一緒に祈り続けましょう。

私は今朝、秋田の聖体奉仕会で、会員と一緒にこの意向でミサを捧げ、祈りの時を共にしました。(写真は今朝のミサ)この数年間、3月の頭の頃には秋田でも山の上で雪の多い聖体奉仕会では、建物が雪に覆われていることが普通だったのですが,今年は全く雪がありません。新潟市内もそうですが、内陸部は以上の大雪なのと,それから全体的に早く(12月に)降雪が始まったのですが、沿岸部の新潟市や秋田市内では,例年よりも雪は少ないのではないかと感じます。

明日は聖園短大の卒業感謝ミサを秋田教会で10時から行い,新潟へ戻ります。

 

 

 

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2015年3月 6日 (金)

カトリック教会と死刑

しばしば話題に上がることであり、また教会内部にも、特に日本の教会の中では正反対の意見があることをよく承知しておりますが、刑罰としての死刑の問題です。

カテキズムの要約をみても、確かに教会の伝統的な教えは第五戒の流れの中で「正当防衛」を認めており、その続きとして死刑を含む刑罰について語っています。カテキズムの要約の469には次のように書いてあります。

「科される刑罰は犯罪の重大性と均衡がとれたものでなければなりません。今日では、国家は犯罪を抑止する種々の手段を用いて、犯罪者を無害化することが可能となっているので、死刑の絶対的な必要性の事例は『実質的に全くなくなったわけではないが、ごくまれなことになっています』。血を流さない手段で十分であるなら、権威はそれらの手段に限定すべきです・・・。」

教会は長い歴史を背負って現在がありますし、世界中の様々な国家体制の現実の中で存在していますから、政治の権威が関与する事柄に対しては、公的な「教え」として断定的なことは避けています。ですからこのカテキズムの文章も、幅を持って解釈できる文章であり、『だから死刑は廃止だ』と考える人たちと、『だから死刑は必要だ』と考える人たちの両者を否定しないものとなっています。このスタンスは変わることがないでしょう。

しかし時々に教会は、様々なレベルでの発言を通じて、その幅のある「教え」を、具体的にどのように解釈するべきかを示してきました。

死刑については、教皇ヨハネパウロ2世に始まっていまに至るまで、かなりの程度で死刑の抑制から否定に向かった流れを明確にしていますが、3月4日、国連の人権理事会第28回会議において、バチカンのジュネーブにおける国連代表であるシルバノ・トマシ大司教が、この数十年の教会の立場を説明した後で、次のように述べて、現在の教会の考え方を国際社会に明確に示しました。

「さらに教皇フランシスコは、国家の立法府と司法府は「人間の生命優先と人間の尊厳」に、常に従っていなければならないと強調します。教皇はまた、法的過誤の可能性と、全体主義や独裁政権による政敵抹殺や宗教や文化的少数者への迫害のための法律の利用についても言及しました。

従って、すべての人の尊厳への敬意と共通善への敬意は、聖座の立場のよりどころである二つの柱です。これらの原則は、国際的人権法や法学の同様の発展と重なり合っています。加えて、死刑が抑止的であるという明確な積極的効果は見られないと言うことを考慮すべきであり、この刑罰の不可逆性は誤判の場合にそれを是正することが出来ないという点も考慮すべきです。

議長、我が代表団は無血の方法で共通善を護り正義を保つことが可能であると強調し、諸国がより人道的な刑罰をを支持する姿勢を明確にするように刑罰制度をあらためるように呼びかけます。この方法を廃止するにはまだ準備が出来ていないと主張する国に対しては、我が代表団はそれが可能となるように努力するよう勧めます。

結論として、議長、聖座代表団は死刑を廃止する努力を全面的に支持します。この望むべき目的に到達するために、次の段階を踏むべきです。1)社会が死刑の廃止を実行できるように社会改革を進める。2)刑務所の状況を改善し、それによって自由を奪われている人々の人間の尊厳への敬意を保つ」

以上のように述べて、現時点で聖座は、死刑廃止を積極的に支持する姿勢を明確にしました。そこには当然EUとの政治的関係への配慮もあるでしょう。それを無視することは出来ません。しかし、同時に、教会がいまこの課題に対してどういう答えをもっているのかを、心に留めておくことも大切かと思います。

トマシ大司教は、国際カリタスの会議で何度もお会いしたことがありますが、シャイで寡黙な人物ですが、とても国際政治のセンスがある外交官で、頭脳明晰な人物です。

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2015年3月 2日 (月)

秋田聖霊高校卒業式と教区司祭団静修

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昨日の日曜日は、秋田聖霊高校の卒業式でした。220名ほどの卒業生がありました。毎年のように、来賓のひとりとして参加させていただき、祝辞を述べさせていただきました。卒業された皆さんおめでとう。秋田聖霊高校はこれまで中学もある一貫校でしたが、残念ながら今年の9名の卒業生をもって、中学校は一時休校となり、今後は高校だけとなります。東京などの都市部とは異なり、地方では私立学校はなかなかの苦戦を強いられています。

この卒業式に参加するために、土曜日の午後の羽越線特急「いなほ」で秋田へ向かい、聖体奉仕会で一泊しました。私の秋田での定宿は聖体奉仕会です。冬の間、秋田の聖母像は、いつもの回廊ではなくて、聖堂に向かって右側の部屋に安置されています。寒さ対策です。主日のミサを一緒にしてから聖霊高校へ向かいました。

来週、3月8日は、新潟教区全体で、東日本大震災で亡くなられた方のために祈り、また一日も早い復興を祈願する日としています。それぞれの教会や修道院で、この意向でミサを捧げてください。私は、再び聖体奉仕会の朝の主日ミサで、この意向でミサを捧げる予定です。

なおカテドラルの新潟教会では、青年たちが中心になって、この日のための特別な祈りの会が企画されています。

3月8日の13時(午後1時)から新潟教会で、行われる祈祷会は、3.11を思い出す事、考えるきっかけになる事、今年の3.11をどんな気持ちで迎えるか皆で考えようという趣旨で行われ、青年たちの企画ですが、年代に関係無く、どなたでも参加いただけます。どうぞ、ひとりでも多くの方が、青年たちと一緒になって、祈りのひとときをもたれますように。私は秋田にいて不在ですが、メッセージをリーダーに託してあります。

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今日の月曜日から明日の火曜にかけて、新潟地域で(新潟・新発田・長岡・鶴岡)で働く司祭団の四旬節静修が行われています。指導は札幌教区の勝谷司教。ご自分の神学生から司祭時代の様々な方との出会いの体験を中心に、いろいろと考えさせられるお話をいただいています。

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3月になりましたから、主な予定を記しておきます。

  • 3月3日 新潟清心高校卒業式
  • 3月6日 カリタスジャパン援助部会 (東京)
  • 3月7日 学校法人双葉学園理事会 (鶴岡)
  • 3月9日 秋田聖園短大卒業感謝ミサ (秋田)
  • 3月11日12日 カリタスアジア総会 (バンコク)
  • 3月14日15日 カリタスジャパン四旬節黙想会 (静岡城内教会)
  • 3月17日 信徒発見150周年記念ミサ (長崎)
  • 3月19日~27日 日本司教団聖座定期訪問・アドリミナ (ローマ)
  • 3月29日 受難の主日 (新潟教会、午前9時半)
  • 3月30日 顧問会・司祭評議会 (新潟)
  • 3月31日 聖香油ミサ (新潟教会、午前10時)

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