新潟教区ハバロフスク訪問団帰国
新潟教区では以前より、すぐお隣の教区であるロシアはシベリアのイルクーツク教区と交流がありますが、なかでも以前は新潟から定期便が飛んでいたハバロフスクのカトリック教会と交流を続けてきました。
数年前に定期便が廃止になり成田へ移ったことから、交流継続に少しばかりの困難が発生しました。それでも何とか交流は続き、2012年の新潟教区100周年には、ハバロフスク教会の主任司祭と信徒の方が、代表団として来日してくれました。
ハバロフスクとの友好関係は、私が司教になる2004年以前にさかのぼります。当時、ハバロフスクには聖母訪問会の日本人シスターが常駐しており、さらには私が海外援助担当であったカリタスジャパンと信徒宣教者会(JLMM)のジョイントプログラムで、イルクーツクやハバロフスクに派遣された信徒宣教者を通じて、カリタスのプログラムを行っていたことがきっかけです。1995年のことでした。その頃私はルワンダ難民救援プログラムにかかりきりだったので、初めてイルクーツクへ飛んだのは99年の夏。当時カリタスジャパンは現地カリタス創設のためイルクーツクを拠点にしていましたが、その後ハバロフスクへ拠点を移しました。
2004年に私が司教になって以降も聖母訪問会を通じてカリタスジャパンのプログラムは継続し、その頃から、ちょうど海を挟んで隣同士だし、きっかけもあったことから、新潟教区の交流プログラムにということにしました。新潟から直行便は2時間半弱でハバロフスクです。私自身が最後にハバロフスクに出かけたのは2010年です。
その後残念なことに聖母訪問会は撤退、さらに定期便も成田へ移り、ちょっと停滞気味ですが、新潟県などの働きかけで現在は夏期間だけチャーター便が飛ぶようになり、やっと今年の夏、4名の訪問団を派遣することが可能になりました。
今回の代表団は、この交流事業を進める会の町田神父(寺尾教会)と坂本神父(青山教会)。そして伴神父(鶴岡教会)と信徒の三木さん。チャーター便という飛行機の関係で旅行社主催のツアーに加わる形で、現地は主に自由行動でハバロフスク教会との交流も行えました。
25日の火曜日に新潟からハバロフスクへ。その後27日の夜にはシベリア鉄道の夜行でウラジオストックへ。そして土曜日にウラジオストックから帰国。今年のシーズン最終便であったため、結構混み合っていたようです。夏シーズンだけでも定期便の復活を期待します。
もちろんロシアにおいてカトリック教会は極端な少数派です。政治的にも非常に難しい位置に置かれています。ロシア正教は宗教としても巨大であるばかりでなく、政治的力も持ち合わせています。その中でカトリックの共同体を維持していくのは、非常に困難を極めることです。
スターリンの時代にシベリアに流された人の子孫の中にカトリック信者が多いというのは事実ですが、それ以外の方々にも徐々に浸透していることも感じられます。また日本統治時代のサハリンに残留した朝鮮半島出身者の方々で、現在ハバロフスク近郊に住まわれている方の中にも信徒がおられます。(そこらへんのことは以前「家庭の友」に書いたこの記事を参照ください)幸いハバロフスクでは、以前からロシア正教との関係は良好で、私自身もハバロフスクの巨大なカテドラルや神学校、そして大主教のところを訪問したことがあります。今回の訪問団も、ロシア正教の巨大な神学校を訪問してきたとのことでした。
またハバロフスク市内には日本人墓地もあり、戦後に抑留されて亡くなられて方も葬られています。今回の訪問団も日本人墓地を訪れ、祈りを捧げて参りました。
これからも、交流関係を続けていくことが出来るよう、努力していきたいと思います。来年も夏に実施する予定ですので、興味のある方は是非ご参加ください。(写真は、ハバロフスク教会の主任イヴァン神父からいただきました)
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