聖母被昇天祭@新潟教会
8月15日は、教会にとって聖母被昇天祭の大切な祝日です。また日本にとっては終戦の日でもあります。聖母の取り次ぎのうちに、戦争で亡くなられた数多くの方々に永遠の安息が与えられるように、また世界に平和が実現するようにと祈る日でもあります。
多くの場合、普通に暮らす市井の人間には、国家と国家の行く末を決するために武器を取って戦うという決断に、直接関わる機会はありません。民主主義の国にあっても、選挙や世論の高まりなどで一定の影響を保つことは可能であっても、刻々と変化する国際情勢の直中にあって、「そのとき」の決断を下すのは政治のリーダーたちです。政治のリーダーたちと、例えばかつての時代にあっては国政への影響力を持っていた軍のリーダーたちが、進むべき道の選択を誤ったとき、その影響はリーダーたちに留まらず、国境を越えて多くの人たちにまで及んでしまいます。とりわけ敵と味方という構造の中で生命の危機に直面することによってもたらされた傷は、簡単に修復できるものではないことを、私たちは人類の歴史から学んできました。ましてや、戦いの中で失われた生命は、決して取り返すことが出来ません。様々な理由を見いだして、私たちは自分たちの行いを正当化しようとしますが、信仰の基本に立ちその視点から見るのであれば、神が良しとされ尊厳を与えて創造された人間の生命を奪い去ることは、そもそも許されていないことです。その意味で、正当化ではなくつねに謙遜であるべきことを、神の前で私たちは忘れてはいけないのではないでしょうか。
だからこそ、神の平和、すなわち神の秩序のこの世界における実現を祈り求める私たちは、私たちの政治のリーダーたちが、神の秩序に逆らうような道を選ぶことのないように、神の聖霊による導きをリーダーたちのために祈らなくてはなりません。
世界的な戦争にあっては、単純にどちらかが一方的に悪であり、対する側が一方的に善であることなど考えられません。その意味で、大きな世界的な戦争が終わりを告げたことを歴史の中に思い返すこの日は、過去を振り返るだけではなく、これから世界が進むべき道をあらためて考え、そこに神の導きを願う日でもあります。
新潟教会では、午前10時から私の司式で聖母被昇天祭のミサを行いました。暑い晴天の中、多くの方がミサに参加してくださいました。土曜日でもあり、明日も日曜のミサがあることを考えると、予想以上にたくさんの参加者でした。本日のミサの時の私の説教は、こちらのリンク先に掲げてありますので、ご参照ください。
また今日は、タルチシオの旧典礼暦での祝日でしたので、霊名のお祝いにたくさんの霊的花束をいただきました。教区内の小教区などからも、郵送などで霊的花束をいただきました。皆様のお祈りに感謝いたします。
ミサ後には信徒会館で、バーベキューが行われ、子どもたちのスイカ割りもあって、楽しいひとときを過ごすことが出来ました。まだまだ暑い毎日がつづきます。みなさま、お体を大切に。
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