
何とも後味の悪い幕切れの国会における安保法案審議でした。教会は信仰の立場にたっているのですから、これまでと変わることなく、信仰に基づいた「神の平和」の実現を目指して、祈り続け語り続けるしかありません。
何度も繰り返しになりますが、このことはしつこいほど強調しておかなくてはなりません。すなわち、私たちのキリスト者が語る『平和』とは、そもそもどういう状況を指しているのかという問題です。
教会が語っている『平和』というのは、単に戦争がないことや、または『抑止力』と呼ばれる戦う能力の均衡によってもたらされる緊張感の内にあるバランス状態が保たれていることを指しているのではありません。さらには、世界の人がとりあえず仲良く生きているというような状態のことでもありません。教皇ヨハネ23世は、回勅「地上の平和」を、次のような言葉で始め、教会が考える『平和』の意味を明らかにしています。
「すべての時代にわたり人々が絶え間なく切望してきた地上の平和は、神の定めた秩序が全面的に尊重されなければ、達成されることも保障されることもありません」
教会が語っている『平和』とは、神の定めた秩序が実現している世界のことであり、そもそも「平和」とは神が望まれる被造物の状態が達成され完成されている世界のありかたのことを意味しています。
そうであるならば、キリストの信仰に立脚する宗教者は、神の定めた秩序が乱される可能性があるときに、本来、私たちが選択するべき方向性とその究極の目的をしっかりと示すことが不可欠です。それが教会の信仰に立脚した倫理的つとめです。
その中でも最も重要なのは、神から与えられた最高の賜物である生命の尊厳に関わる選択に他なりません。生命はその始めから終わりまで、神から与えられた固有の尊厳がないがしろにされるようなことがあってはなりません。その意味で、宗教者の語る倫理的方向性は、現実社会にあっては極論として響かざるを得ません。倫理的方向性には、現実に対応した中途半端な選択はあり得ないからです。生命の尊厳を守るのか守らないのかの二者択一しかあり得ません。現実社会には、人間としての矜持と倫理的規範を保ちながらも、具体的な選択において、宗教者が語る方向性を尊重されることを願うばかりです。

さて聖体奉仕会における秋田の聖母の日が終わった9月15日の午後から17日の夕方にかけて、東日本大震災の被災地である岩手県の沿岸部を、祈りのうちに訪ねる巡礼の旅をしてきました。(上の写真は宮古教会)
横浜にある信徒の旅行社「パラダイス」の企画で、26名の方々と一緒に、私の生まれ故郷でもある宮古を中心に被災地を訪れ、亡くなられた方々の永遠の安息を祈り、同時に復興に取り組まれている多くの方々に勇気と希望の力が与えられるように祈りを捧げました。
15日午後はバスで秋田から盛岡に移動し、私が小学生時代に生活していた(実際にその地に住んでいました)盛岡の四ツ家教会を訪れました。担当のミゲル師(グアダルペ会)をはじめ信徒の方が数名待っていてくださり、祈りの後に楽しい茶話会のひとときを持ちました。ちょうど盛岡の八幡様のお祭りで、昔懐かしい山車の引き回しのお囃子が町中に響いていました。

その後宮古にバスで移動。翌16日はまず宮古教会でミサ。田中師(仙台教区)と信徒の方数名が待っていてくださり、一緒にミサで祈り、交流会を持ちました。私が幼稚園に通っていた頃からの信徒の方々が、元気にしておられました。(上の写真)
四ツ家教会、宮古教会の皆様、ありがとうございます。
その後、宮古市田老に移動。宮古市観光協会の震災ガイドの方の説明を聞き、残された防潮堤の上で皆で祈りを捧げました。(この記事の一番上の写真が、田老の防潮堤。地盤沈下のため70センチのかさ上げが施され、町もかさ上げ整地中。この防潮堤以外の防潮堤は、津波で破壊された)
その後は釜石に移動。釜石教会で再び田中師と信徒の方に迎えられ、カリタス釜石の活動についてお話を伺いました。この日はさらに予定外でしたが大船渡教会にも寄り、聖体礼拝をすることも出来ました。そして巨大なベルトコンベアーがその前日に仕事を終えたという陸前高田を通り気仙沼で宿泊。

最終日は気仙沼から大籠のキリシタン殉教地へむかい、高橋師(仙台教区)の説明をいただいた後に神父様と一緒に米川教会へ移動。ここでも数名の信徒の方に迎えられ、一緒にミサを捧げました。米川教会の皆様、感謝いたします。(上の写真は大籠の殉教地)
秋田の聖母の日は、来年以降も9月14日と15日に続けられます。そして今回その直後に被災地巡礼をしていろいろと感じるところもありましたので、是非来年以降も、秋田の聖母の日にいただく霊的な恵みを心に、大震災被災地で祈る巡礼を継続したいと思います。