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2016年2月29日 (月)

四旬節カリタス黙想会@広島

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カリタスジャパンではこの数年、四旬節の黙想会を企画しております。できる限り、二人いるカリタスの司教、わたしか幸田司教、または委員会秘書の瀬戸神父がいろいろな地域でカリタスジャパン黙想会としてお話をさせていただき、祈りの時をともにし、またカリタスの活動についても、情報提供をさせていただいております。今年の予定は(すでに昨日二つ終わりましたが)このリンクです。カリタスジャパンの広報誌「We are Caritas」の最新号に掲載されています

今年のわたしの担当は、広島でした。カリタスジャパンと広島教区の共催の黙想会。一昨日の土曜日の午後、そして昨日日曜日の午前中、広島教区のカテドラルである幟町教会で行いました。土曜日には60名ほど、日曜日には100名を超える方が参加してくださいました。感謝します。

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土曜日は午後4時から一時間、国際カリタスのこの4年間(2015年から2019年)の活動のテーマである「わたしたちは一つの家族、すべてのいのちにいつくしみを」を今回の黙想会のテーマとして、特に教皇様の回勅「ラウダト・シ」がどのようなことをわたしたちに告げようとしているのかについてお話をさせていただきました。その後、カリタスジャパンの職員である横山さんが、具体的な海外支援について実例を挙げながらお話を30分ほどさせていただきました。そして最後は地下聖堂でミサ。広島は雨模様で寒い土曜日でしたが、多くの方に集まっていただき感謝します。

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そして日曜日。9時半からの大聖堂でのミサを司式させていただきました。教区管理者である肥塚神父や広島教区のカリタス担当者である野嵜神父も共同司式。広島のカテドラル・世界平和記念聖堂は重要文化財ですが、とても大きな聖堂で、パイプオルガンも響き渡り、環境は素晴らしい。(写真上は、広島カテドラルの特別聖年のいつくしみの扉。大阪と同様、暖簾です)

その後、残ってくださった100名を超える方を前に、昨日同様わたしが一時間のお話。その後横山さんからカリタスジャパンの支援の話があり、黙想会は終了となりました。暖かな晴天の日曜日でありました。

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2016年2月25日 (木)

東日本大震災から5年を迎えるにあたって

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東日本大震災発生からまもなく3月11日で5年になります。新潟教区の小教区に昨日付で配布した、お祈りの呼びかけ文を、ここにも掲載します。

東日本大震災の発生から5年を迎えるにあたって

新潟教区の皆様

 5年という時間は、ある人にとってはあっという間に過ぎ去った時間であり、またある人にとっては耐えがたいほどの長い時間であったことだと思います。巨大な地震と津波が、主に東北の地を襲った2011年3月11日から、まもなく5年となります。被災地において復興の道を毎日歩んでおられる多くの方々にとって、5年という時間は非常に長い時間であったと思います。あらためてこの大災害で生命を落とされた方々と、その後の復興の過程で亡くなられた方々の永遠の安息をお祈り申し上げます。

 大震災発生当時、5年もすれば日常を取り戻しているに違いない。わたし自身そう思っていました。しかし、被災地における復興の歩みは、本当にゆっくりです。原子力発電所の事故の影響が残る福島県内では、将来を見通すことが難しい状況が今でも続いています。帰還が可能だという地域でも、それは一人だけの問題ではなく地域共同体の問題ですから、以前のような普通の生活を取り戻すには、まだまだ時間が必要です。復興庁の統計によれば、今年の1月末の段階で被災地からの避難生活を送っている方々の総数は、多少減少しているものの、いまだに17万人を超えるといいます。

 日本のカトリック教会は、一昨年の司教総会で、2017年までの全国的な復興支援活動の継続を決めていますが、仙台教区が中心となって、沿岸部を中心に設置されているボランティアベースや、福島における諸活動の現場からは、少なくとも大震災発生10年までは教会は被災地とともに歩むという決意が表明されています。司教団も、その方向で今後検討をすることになります。これまでの5年の歩みを通じて培われた全国の教会と被災地の教会のつながりと、それを通じて生まれている地元の方々との『絆』を、これからも大切にしていきたいと思います。

 新潟教区では、カリタス担当の町田正師(寺尾教会)が中心になって、教区全体の様々な支援活動の情報とりまとめを行っております。これからも、是非、それぞれの地域で可能な復興支援活動を続けてくださるようにお願いいたします。

 さて、5年目に当たる3月11日は週日ですので、その直後の日曜日である3月13日に、新潟教区内の小教区・修道院のミサにおいて、東日本大震災で亡くなられた方々の永遠の安息のために、また被災地の復興のためにお祈りくださるようにお願い申し上げます。
 福音に照らされた希望の光が、被災の地にあって輝きますように。

2016年2月24日

カトリック新潟教区司教
菊地功

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2016年2月22日 (月)

新潟教区人事異動などの、お知らせ

すでに各小教区にはお知らせいたしましたが、今年の人事異動について、以下のようにお知らせいたします。任命は4月1日付です。なおこれとは別に、すでに年頭司牧書簡でお知らせしたとおり、教区内のすべてのカトリック施設にチャプレンを任命することにいたしました。すでにすべての施設へのチャプレンの任命を決定いたしました。こちらも4月1日付となります。これについては、小教区へ別途お知らせいたします。

2016年度司祭人事 (氏名右のカッコ内はこれまでの任務等)

<新潟地区>

新潟教会協力司祭 鎌田耕一郎師 (新津教会、村松巡回教会、主任)

<新発田地区>

新津教会(付村松巡回教会)主任 伊藤幸史師 (糸魚川・直江津・高田教会協力)=東京教区

見附教会・栃尾教会主任 スタニスワヴ・ポウォムスキ師 (研修)=神言修道会

見附教会・栃尾教会助任 エデルベルトゥス・ナジ師 (新潟教会助任)=神言修道会

<長岡地区>

長岡教会主任 真壁良雄師 (見附・栃尾教会主任)

糸魚川教会 小教区管理者 (高田教会・直江津教会主任兼任) フーベルト・ネルスカンプ師 (高田教会・直江津教会主任)=フランシスコ会

高田教会・直江津教会・糸魚川教会協力司祭 伊能哲大師 (六本木聖ヨゼフ修道院)=フランシスコ会

<教区外への転出>

上村勉師 (長岡教会主任)=神言修道会

<修道会関係>

上越修道院付 ブルーノ・ファブリ師 (糸魚川教会主任)=フランシスコ会

なお、先日発行された教区報には、その時点でのわたしの今年の司牧訪問の予定が記してありますが、それに関連して、(年頭司牧書簡でも触れましたが)、今年は新潟県内の教会を訪問する年ですので、いくつかの教会の信徒会長さんからお問い合わせの電話をいただいております。以下、ご参考までに、本日現在ですでに決まっている日曜日の予定を一覧にした表を、画像で貼り付けます。主任司祭とよくご相談の上、教区事務局長と調整くださいますようお願いいたします。 予定表は今年(2016年)復活祭から来年(2017年)3月末までです。

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2016年2月19日 (金)

司教総会は無事終了

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今週月曜日の午後から東京のカトリック中央協議会で開催された司教総会は、順調に話し合いが進み、予定より一日ほど早く、昨日の午後ですべての日程が終了しました。司教総会のためにお祈りいただいた皆様に感謝いたします。

司教総会は月曜から金曜までの5日間の日程で、毎年2月と6月に開催。それ以外の課題に取り組むために、数年前からは10月に一日だけの開催も加えていました。今回の総会の議題ともなりましたが、カトリック中央協議会は2017年度から会計年度を、従来の4月から翌年3月までであるところを変更し、暦年と同じ1月から12月までとし、聖座(バチカン)と合わせることになりました。それに合わせて予算の審議の日程確保も必要となることから、来年からは5日間の総会を2月と9月に。そして一日だけの総会を12月に開催するように変更することも、今回の総会で決定しました。

今回の総会には16教区から15名の司教と一名の教区管理者(広島とさいたまが司教の不在=空位ですので教区数より司教が少ない)、そして男女の修道会の代表4名も参加。会期中の初日には教皇大使が臨席し挨拶。水曜日には午後6時から、東京のカテドラル関口教会聖マリア大聖堂で、全司教と教皇大使が参加して、「いつくしみの特別聖年のミサ」をささげ、さらに木曜の朝には、今年のワールドユースデーにも関連して、クラクフの隣りにあるポーランド・カトヴィツェ教区のヴィクトー・スクフォルツ大司教ら一行が、挨拶に訪れました。(写真下。岡田大司教の向かって左がスクフォルツ大司教)

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司教総会ではさまざまな内容が話し合われましたが(詳細は後日、カトリック新聞をご参照ください)、そのなかでも、いくつかの点は紹介しておきたいと思います。

まず、司祭の高齢化や不足が顕著になる中、いくつかの小教区では、日曜日にミサが捧げられず、その代わりにいろいろな形で祭儀が行われることも珍しくない状態になってきました。新潟教区では、恒常化しているところは少ないのですが、他の教区では頻繁に行われるところもあると耳にしています。ただ、その祭儀の内容について詳細な検討の必要があるのではないかと、以前から指摘されてきました。そこで典礼委員会では、このたび、「司祭不在の時の主日の集会祭儀」の儀式書を準備してくださいました。今回の総会でこれが承認されましたので、いずれ試用版として公表され、多くの方の意見をいただいた上で、正式な儀式書として発行される予定です。

集会祭儀では、小教区によっては主任司祭の判断で聖体が臨時の奉仕者から授けられることもありますが、基本的にはミサに変わるものではありません。集会祭儀の意味合いは、どちらかといえば、主日に神の民である教会の信徒が集まり、神のことばに耳を傾け、主の存在を感じながら共に祈りを捧げる「とき」であって、それ自体がいわば「ミニ・ミサ」ではありません。だからといって、どのような形式でも構わないという軽い存在でもありませんので、今回しっかりと内容が定められたことには重要な意味があると思います。なお儀式書には、朝晩の祈りの形式と、御ことばの祭儀の形式の三形式が用意され、どの形式でも、任命された臨時の奉仕者が聖体を授けることが出来るように配慮されています。

また、2011年11月に司教団が発表した、「今すぐ原発の廃止を」というメッセージに基づき、さらに教皇様の回勅「ラウダート・シ」の教える「人は何のために生きるのか」というメッセージを念頭に、司教団メッセージを深めるための文書が準備されていることが社会司教委員会から報告されました。これは複数の専門家の方にお願いをして執筆いただいているもので、内容的には高校生以上であれば理解できるように、原発事故以降たびたび聞かれる疑問に専門的見地から応えながら、さらにはそれに基づいて教会の考えをあらためて確認する内容となっています。これは今回内容が承認され、今後さらに手直しを加えて発行されていく予定です。

そのほかにはユスト高山右近の列福の準備、新福音化委員会による継続養成への取り組み、今夏のWYDの件、次回のシノドスのテーマについてなどが話し合われました。

さらに今年の6月で3年の任期となる司教協議会会長と副会長の選挙も行われ、次期会長に高見大司教(長崎)、次期副会長に前田大司教(大阪)が選出されました。お二人は今年の6月の総会から、会長と副会長に就任されます。

なお中央協のサイトに、いつくしみの特別聖年ミサにおける高見大司教の説教が掲載されています。こちらのリンクからご覧ください

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2016年2月14日 (日)

共同洗礼志願式@新潟教会

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四旬節の第一主日にあたる本日、新潟教会で洗礼志願式を行いました。昨年から、新潟近隣の教会を主に対象にして、共同で洗礼志願式を行うようにと呼びかけております。交通の便などもあり、そう簡単にすべての洗礼志願者が新潟教会に集まれるわけではありませんが、今年は、新潟教会の志願者4名に加えて、新発田教会の志願者2名が加わり、6名の洗礼志願式を行うことが出来ました。

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洗礼志願式では、まず代父母の方に、それぞれの志願者の方の祈りの生活などについて質問をし、その後にそれぞれの志願者の方の意向を確かめます。その後で、洗礼を受けたいのだという意志を自覚していただくために、一人ずつ署名をしていただきました。その上で、教会共同体が一節ずつ唱え、それを志願者が繰り返す形で信条の授与を行い、共同祈願のあとに、志願者の油で塗油を行いました。

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ミサの終わりには、洗礼式で使うことになるロウソクをお一人ずつにお渡しもしました。6名の方、どうか良い四旬節を過ごし、復活祭に向けて洗礼のより良い準備が出来ますように。

以下は、本日のミサの説教です。

 わたしたちの人生は、ありとあらゆる誘惑の宝庫でもあります。今日の福音は、イエスご自身がその宣教活動を始めるにあたって40日間の試練の時を過ごされ、まさしく悪魔からの誘惑を受けた出来事を記していました。悪魔からの誘惑とは一体どういうことか。それは、神から離れる方向へと人を誘うさまざまな力のことでしょう。というと、そういう誘惑はどこからか降りかかってくるのかといえば、実はそうでもありません。その多くは、結局のところ、わたしたち一人ひとりの心の中から生み出されているように思います。

 福音によれば、40日の試練の中で、イエスは三つの大きな誘惑を受けておられます。
 まず空腹を覚えた時に、石をパンにせよとの誘惑。次にすべての権力と繁栄を手にするの誘惑。そして神への挑戦の誘惑。この三つが記されています。
 この三つの誘惑は、今を生きるわたしたちにとっても、大きな意味をもっている誘惑ではないでしょうか。先ほども申し上げたように、それらの誘惑は結局のところ、わたしたちの心の中に潜んでいる欲望です。すなわち、第一に人間の本能的な欲望や安楽への願望。そして字義通りに権力や繁栄への欲望。そして人間こそ万能であるという、神の前での謙遜を忘れた思い上がりの欲望。すべて人間こそが世界の中心にあるという考え方で、神から遙かに離れたところへと人間を誘う、まさしく悪魔の誘惑です。そしてわたしたちは、現代社会にあって、この誘惑の直中で生きているのではないでしょうか。

 残念ながら世界の現状を見るときに、生命の創り主である神の存在は軽視され、またはまったく無視され、すべては人間の都合や欲望のために推し進められていく。その結果は、ほんの一握りの人には幸福をもたらしているのかも知れませんが、多くの人にとっては苦しみの現実を生み出し、しばしば人間の尊厳を踏みにじるような出来事、さらには生命を奪うような出来事も頻発しています。
 こうした悪魔の誘惑に対してイエスは、「人はパンだけで生きる者ではない」とか、「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」とか、または「あなたの神である主を試してはならない」とお答えになることによって、わたしたちに、人間の欲望を中心にして人生を築き上げるのではなく、神のおもいを中心にして生きるように、神の思いを基礎にして人生を築き上げるようにと諭されます。四旬節は、この40日の間、わたしたちがどのような悪魔の誘惑に日々負けながら生きているのかをしっかりと見極める時です。その上で、神のいつくしみに支えられながら、神の思いを中心にして生きていこうと、神のおもいを基礎にして人生を築いていこうと、あらためて決意をするときであります。 

 さて四旬節の始まりに当たり、教会は第一主日に洗礼志願式を行うように勧めています。それは、キリスト者として生きることを望み、そのための学びと祈りの時を過ごしてきた方々が、洗礼への最後の準備をするために最もふさわしいのが、四旬節だからです。
 神の思いを中心に生きるためにはどうしたらよいのか、一人で悩むのではなく、教会はこの四旬節に教会共同体が一緒になって、ともに道を探るように招いています。その道は、わたしたちは何を信じているのか、どうして信じているのか、信じているのであればどのように生きるのか探求する道でもあります。その上で四旬節は、イエスの受難と死と復活の神秘的な出来事を祝う聖週間へとつながっていきます。言うまでもなく、私たちの信仰の根底にはこの神秘的な出来事があり、まさしく私たちは水による洗礼を受けることによって、キリストの死と復活に与るものとなり、キリストとともに死に、キリストとともに新しい生命に生きるようになります。

 今日は、昨年に続いて、主に新潟の近隣のいくつかの教会から、洗礼の準備をしてきた方々が、一緒にこのミサに参加しておられ、この後、洗礼志願式に臨まれます。
 このように集まっていただいたことには、もちろん理由があります。
 第一に、洗礼を受けキリスト者になることは、単に個人的な心の問題に終わるのではないことを実感していただくためです。宗教は、わたし個人のことであって他人は関係ないと思われがちですが、キリスト者にとって、信仰は常に共同体の中で生きられるものだからです。
 共同体のないキリスト教は考えられません。イエスご自身が、まず最初に12人の弟子という共同体を形成して、祈りをともにし、聖体の秘蹟を定め、福音宣教に送り出されました。
 洗礼を受けることによって、キリストの体の一部となるのだという自覚を持っていただくためにも、洗礼志願者として洗礼への最終的準備を始めるとき、それは共同体の中でなされなければなりません。

 第二に、なぜカテドラルなのか、です。教会共同体とは、単にどこそこの小教区教会だけを限定しているのではなく、もっと大きなつながりを意味しています。教会とは、私がミサに与る場所だけを意味しているのではなく、まさしく「普遍教会」と呼ばれるように、全世界に広がる一つの共同体を指し示している言葉です。洗礼を通して、私たちはどこかの教会のメンバーになるのではありません。それを遙かにこえた神の民の一員となるのです。キリストの体としての教会は、民族や文化や国境を越えて、この世界に一つの神の民として存在しています。その一つの群れの牧者として与えられているのが教皇です。
 この地域にあっては、新潟教区という名称の下に、一つの民が形成されていて、司教がその牧者として教皇から任ぜられています。洗礼を受けて教会の一員となることは、同時に新潟教区という一つの共同体の一員となることを意味しているのですから、このようにその牧者である私と祈りの時をともにすることで、自らが歩みをともにしようとしている共同体の普遍的な広がりの一端を感じていただければと願って、カテドラルに集まっていただきました。

 洗礼志願式の典礼では、自らの意思でこの道を歩む決意を明確にするために署名をしていただくことや、共同体の一員となることを自覚するために、キリスト者の共同体の皆が信仰のうちに共有している信条の授与があり、さらに悪の誘惑から守られ清められることを祈りのうちに願います。

 教会は今、いつくしみの特別聖年を祝っています。神を中心にして生きる人とは、まさしく神ご自身を体現しようとして生きる人でもあります。その神は、いつくしみの神です。溢れんばかりのいつくしみをもって、わたしたちを包み込もうとする神です。ですからわたしたちも、その神のいつくしみを、自分の生き方をもって、言葉と行いをもって、具体的に現していけるようになりたいと思います。

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明日の月曜日から金曜日までの予定で、司教総会が開催されます。全国の司教が集まり、さまざまな課題について話し合う場です。またその期間中、2月17日水曜日の18時から、東京のカテドラル関口教会聖マリア大聖堂で、司教団全員と教皇大使も出席して、いつくしみの特別聖年ミサが捧げられます。お近くの方は是非ご参加ください。また司教総会が実りある会議となるよう、皆様のお祈りをお願いいたします。

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2016年2月13日 (土)

長岡天使・聖母幼稚園新園舎落成式@長岡

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新潟県のほぼ中央部にある長岡市。ここにはカトリック幼稚園が二つ存在します。以前は小教区も二つ存在していました。一つは表町教会と天使幼稚園。そしてもう一つは信越線や上越新幹線を挟んで反対側にある福住教会と聖母幼稚園。

小教区は2014年1月に合併しました(そのときの「司教の日記」のリンクです)。人口の推移や、それまで司牧を担当していたフランシスコ会の撤退、司祭の減少、耐震などを考えての将来的な建物の維持管理など、さまざまな要因を考慮に入れて長年にわたって両者の信徒の代表で話し合いを重ねていただき、最終的に信徒の総会で方向性を打ち出して合併となったものです。

しかし二つの幼稚園には、それぞれの歴史があり、保育にも特色があります。一緒にすることは難しいだろうと考えていました。しかしこれも、少子化が進む現実と、政府の子育て支援に関する新たな方針の策定による幼稚園と保育園の垣根の撤廃、そして何よりも老朽化する建物の更新と耐震化。こういったことを考え理事会などで議論を重ねた結果、まずは何より園舎を新しくすることを優先して考えました。そのとき、学校法人の現有の経済的体力では二つの園の園舎更新は難しい。そこで、一つを更新して、そこに二つの園を合併させることを考えました。園長の真壁神父、両幼稚園の教職員、そして保護者の皆様の理解をいただき、また長岡市の指導の下に計画を進め、4月からは新しい一つの園舎において、「認定こども園長岡天使・聖母幼稚園」として新しい一歩を踏み出すことになりました。

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そして今日は新しい園舎の落成式。長岡教会(旧表町教会)と道路を挟む形で、二階建ての園舎が完成しました。今日の落成式には園児と保護者100名ほどが参加。まず園舎を祝福する祈りをわたしが唱え、聖水で全館を祝福。その後天使と聖母両方の園児による遊戯(というよりエグザイルのようなダンスパフォーマンス)と手話の歌。そして設計してくださったワシヅ設計さんと建設を担当した植木組さんに感謝状を贈呈。皆で一緒に、新しい園舎の完成を祝いました。(上の写真は幼稚園園舎から見た長岡教会。下の写真は、落成式で挨拶する真壁園長)

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今後は、新園舎の裏手に位置する旧園舎の取り壊しと、園庭の整備が急ピッチで進められる予定です。

ご存じのように教皇様は現在、メキシコを訪問中です。昨日から18日の午後にローマに帰着するまでの6日間の訪問です。また教皇様は昨日、メキシコへの途上でキューバのハバナに立ち寄り、そこでロシア正教のキリル・モスクワ総大主教と会談され、さらに共同声明を発表されました。教会は1054年に東西に分裂していますが、1965年に当時のパウロ6世とギリシア正教コンスタンティノープル総大主教との間で相互の破門状態は解消しており、その後もコンスタンティノープル総大主教ほかとの交流は存在していました。しかし東方教会のなかでも大きな勢力を持つロシア正教とはそういった意味での交流は実現していませんでした。

もちろんバチカンのさまざまな部署とモスクワとの間の交流は行われてきましたし、なかでも2007年4月、故濱尾文郎枢機卿がロシア正教のハバロフスク大主教マルク師の要望に応えて、聖ヨハネ・クリゾストムの聖遺物を自らハバロフスクまで運んだことで、東シベリアでのカトリック教会とロシア正教との関係は改善に向かいました。それと同時に、ハバロフスクの行政とカトリック教会との関係も劇的に改善しました。わたし自身も、新潟教区とハバロフスクのカトリック教会との交流でハバロフスクを訪れるときには、必ず、ハバロフスクのロシア正教会カテドラルや神学院にご招待をいただいてきました。一度に大きく関係が変化するとは思いませんが、今回の教皇様と総大主教との面談を通じて、さらなる交流の深化と、また互いの宗教的影響力を持って、世界の平和のために一歩前進があることを祈りたいと思います。(下の写真は、故濱尾枢機卿のハバロフスク訪問時のものです)

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2016年2月10日 (水)

灰の水曜日@新潟教会

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本日は灰の水曜日であります。四旬節が始まりました。今年は復活祭が早く、3月20日が枝の主日(受難の主日)、3月23日が聖香油ミサ、3月24日~26日が聖なる三日間。そして3月27日(日)が復活祭です。四旬節について、詳しい解説が中央協議会のホームページにありますので、参照ください

大斎小斎の日にあたる灰の水曜日(大斎小斎については、こちらのリンク)、午前10時から新潟教会でミサを執り行いました。平日の昼間で、晴れてはいたものの寒い日でしたが、40人ほどの方がミサに参加してくださいました。以下、本日のミサの説教です。

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先日、日本の教会にとって喜ばしいニュースが聖座から発表されました。それはユスト高山右近の列福が、教皇様によって承認されたというニュースです。

 ユスト高山右近は、信仰を守りぬいたが故に日本を追われ、家族とともにマニラに追放処分となりました。1614年末のことです。彼の地で大歓迎を受けた右近は、直後に熱病にかかり、翌1615年2月3日に、マニラで亡くなりました。

 高山右近に関して開かれた昨年のシンポジウムで、講師のお一人が次のような趣旨のお話をされていました。

 右近を追放しようと決めた秀吉の気持ちを和らげるため、対立を避けよという周囲の忠告には耳を貸さず、「イエス・キリストの騎士」である名誉を守り通そうとした。そして説得する周囲に対して、「神に関することは、一点たりとも曲げるべきではない」と述べたといわれます。その後、すべての地位や財産を没収され、流罪の身となっても、右近はそれを感謝と喜びのうちに受け入れ、他人から施しを受ける身になったことを喜びとしていた。さらにはそういう境遇にあっても、自分が受けたものを、他者の必要のための奉仕へと回していた。右近の人生の大半は、すべてを神にゆだねる人生、すなわち殉教の人生であった。こういう趣旨のお話でした。

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 さて高山右近はマニラに追放の身となった亡くなったのですが、例えば米沢の福者殉教者たちのように、処刑されて亡くなったのではありません。病死であります。しかし今回教皇様は、高山右近を「殉教者」として認定されました。それは、殉教が、単に信仰を守るために殺されたという事実だけを意味するのではないことを教えています。殉教とは、右近のように、信仰における逆境にあっても、信仰を守るためにその人生を神に捧げ尽くし、地位も名誉も財産もすべてを奪われ、その上でその事実を喜んで受け入れ、その姿を、そして言動を通じて信仰を他者にあかしをするような生き方。殉教者の人生。そういう意味で、殉教者なのです。そこに、高山右近の殉教者としての現代的な意味があるのです。

 「神に関することは、一点たりとも曲げるべきではない」という覚悟を、現代社会に生きるわたしたちは、どのように考えるのでしょうか。「現実的判断」などという言葉をもって、自分の周囲で起こっている出来事やその中における人間関係などに翻弄されながら、その場その場で最善と考える対応をとって、わたしたちは人生の荒波を生き抜こうとしている。それが現代社会に生きるわたしたちの姿ではないでしょうか。その中にあって、往々にしてわたしたちは、「現実的判断」のために信仰における妥協を重ねてはいないでしょうか。そういう生き方を選択しているわたしたちに対して、高山右近は、人間の生きるべき姿の模範を示しているように思います。

 とはいえ、そういった厳しさをもった人生への取り組みを、だれでもが簡単に出来るわけではない。当然のことでしょう。人間の弱さは、わたしたちを妥協への道へと誘うのです。
 だからこそ、ヨエルの預言は、わたしたちにこう語りかけます。
 「あなたたちの神、主に立ち返れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く、忍耐強く、いつくしみに富み、くだした災いを悔いられるからだ」
 神のいつくしみに包み込まれるという究極の心の安らぎを、預言者はわたしたちに思い起こさせています。

 「いつくしみの特別聖年」を過ごしている今年、教皇様は四旬節メッセージで、次のように呼びかけられます。
 「この聖年の四旬節を、神のいつくしみを祝いまた実践するための集中期間として、深く味わいながら過ごすことができますように」
 その上で、教皇様は、こう呼びかけています。
 「わたしたち皆にとって、この聖年の四旬節は、神のことばに耳を傾け、慈善のわざを行うことによって自己疎外を克服するのにふさわしい季節です。身体的な慈善のわざを通して、わたしたちは食料や衣服、住居、かかわりを必要としている兄弟姉妹のうちにおられるキリストの肉に触れます。一方、精神的な慈善のわざ―助け、教え、ゆるし、忠告し、祈ること―は、自分たちが罪人であることにより直接的に触れさせてくれます。したがって、身体的な慈善のわざと精神的な慈善のわざを、決して引き離してはなりません」

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 この説教の後、わたしたちは灰を額にいただきます。灰を受けることによって、人間という存在が神の前でいかに小さなものであるのか、神の偉大な力の前でどれほど謙遜に生きていかなくてはならないものなのか、心で感じていただければと思います。司祭は灰を頭や額にかけるときに、「回心して福音を信じなさい」、または「あなたはちりでありちりに帰っていくのです」と唱えます。
 前者は、四旬節の持っている意味、つまりあらためて自分たちの信仰の原点を見つめ直し、神に向かってまっすぐに進めるように軌道修正をするということを明示しています。後者は、すでに触れたように、神の前で人間がいかに権勢を誇ろうとも、小さなむなしい存在であることを自覚して謙遜に生きるようにと諭しています。

 わたしたちすべてが、いつも、高山右近のように殉教の気概を持って、喜びのうちに「殉教者の人生」を送ることが出来るとは限りません。わたしたちは、確固たる信仰ではなく、揺れ動く信仰しか持っていないからです。弱い存在だからです。しかし、それでもそういったわたしたちを大切にし、愛し、導いてくださる主のいつくしみに信頼いたしましょう。
 この四旬節の間、神のいつくしみに包まれながら、信仰の根本を見直しいたしましょう。その上で、教皇様の呼びかけに応えて、身体的な慈善のわざだけにとどまらず、精神的な慈善のわざにも励むことの大切さを心に刻みましょう。

次の日曜日、四旬節第一日曜日には、新潟教会において午前9時半から、この地域の小教区のかたでこの復活祭に洗礼を予定しておられる方々のために、共同の洗礼志願式を行います。どうぞご参加くださり、教区の共同体の一員として新しく洗礼を受けられる方々を迎え入れるために、お祈りください。

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2016年2月 7日 (日)

雪の聖母@新庄教会

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本日の日曜日、主日ミサは山形県の舟形町にある新庄教会でささげました。2010年に献堂式を行った新庄教会は、新潟教区で一番新しい小教区共同体であるとともに、所属する信徒の大多数が、地元で結婚しているフィリピン出身の方々であるという点で、非常にユニークな共同体です。新潟教区では他に、新潟県の十日町教会も、信徒の多数がフィリピン出身の方々になりつつありますが、新庄はその成り立ちからして、数名の日本人信徒と多数のフィリピン出身信徒によって教会設立計画が進められて来たという点で、非常にユニークな存在です。

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新庄教会のある舟形町は、山形県内でも非常に雪の深いところで、新庄教会も冬の間は深い雪に覆われています。そういうところに、この季節、ただでさえ南国出身の方々が、かなり広い地域に住んでいるなかを、教会に集まってくるのは大変なことだろうと想像しますが、それでも今日のミサには20人を超える方が集まってくださいました。

今回は、新庄教会を担当する山形教会の千原神父と一緒に、土曜日の午後に新庄教会へやってきました。夕方前にすでに数名の信徒の方が集まり、夕食の準備中。午前中には、冬の間に何回か行う契約をしている業者によって、教会の周囲が除雪され、さらに信徒の一人が、雪の中で夜の準備をしていました。

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何の準備かというと、雪の聖母への祈りの準備です。新庄教会は「雪の聖母教会」ですから、この時期に雪の中で、聖母への祈りを捧げるひとときをもっているのです。

昨日の土曜日も、夕方6時半頃から聖堂で一緒に、ロザリオを一環唱え、そのあとに聖母像を掲げた千原神父を先頭に、皆がロウソクを手にして聖堂の外へと行列しました。そして雪の壁にいくつも掘られた穴の中にロウソクを灯し、最後に中央の穴のほこらに聖母像を安置し、花とロウソクをささげて、一緒に祈りました。

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その後、教会へ戻り、一緒に夕食会。もうすでに20年以上も日本に住んでいる方もおられるので、食事はフィリピンと日本と両方の味でした。信徒ではない家族の理解を得て、こうやって教会に集まってくることが出来ています。何人かは泊まり込んで、遅くまでいろいろと楽しそうに話し込んでいました。食卓を囲んで、自分たちの言葉で思いっきり話している姿を見て、教会が存在することの意味をあらためて思います。ここに教会を設立できて、本当に良かった。そう思います。

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2016年2月 5日 (金)

中国本土のカリタス組織との関わり@マニラ

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国際カリタスはカトリック教会の愛のわざを実施するための教会の組織体で、同時に国際的なNGOでもありますが、各国に存在するカリタスによる連盟組織でもあります。連盟組織であるというのはどういうことかといいますと、つまり本社がどこかにあって、その支店が各国に設置されているというような組織体ではない、ということです。そうではなくて、カトリック教会の信仰に基づいた愛のわざを実施するさまざまな組織がまず各国に存在していて、それを国際カリタスの名称のもとで連合体にしているということです。

もちろんそういった各国の組織は勝手に設立されるわけではなくて、それぞれの教区司教の指導の下に設立され、さらに国や地域の代表として国際カリタスの連盟に加わるためには、その国や地域の司教協議会の承認を必要とすると、国際カリタスの規約に定められています。

そうしますと、教会は存在しているのに、司教協議会がないところにあるカリタスはどうなるのか、という問題が生じます。具体的にそれがどこで生じているのかというと、教会は存在しているが、聖座が認めた司教協議会が今のところ存在していない中国(本土)に、まさしくその問題が生じています。(香港とマカオは、中国に返還される以前に、聖座の直接管理下にある独立した教区として、それぞれのカリタスが国際カリタスの連盟の一員となっていました)

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すでに以前にも記したとおり、(例えば昨年8月の広島での平和行事についての日記に中央協の解説へのリンクもあります)中国本土の教会は二つに見事に分かれて対立しているわけではなく、信徒や司祭を中心にした具体的な信仰生活のレベルでは、それほど違いはありません。問題は司教のレベルです。ちょうどこの数日の間に、聖座と中国政府との交渉が多少は進展して、司教任命についてのちょっとした前進があったと報じられていますが、課題はそこにあります。今でも中国の司教協議会は聖座から承認された存在とはなっていません。ですから中国本土には、いわゆる『カリタス中国』が存在しません。

しかしながら、カトリックの信仰に基づいて愛のわざを実践する団体や組織は、実際にそれぞれの教区に存在しています。そこでそういった教区の活動団体の関係者を招いて、普遍教会の立場から、愛の実践についてどのような方向性でいるのかなどの情報を交換するための、『China Social Pastoral Conference(中国社会司牧研究会)』を、国際カリタスでは開催してきました。そしてその三回目が、2月1日から3日まで、マニラで開催されましたので、参加してきました。

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一回目は台湾で、そして二度目はマカオで。三回目となる今回は、国際カリタスの総裁であるタグレ枢機卿(写真上)の話も聞いていただくために、カリタスフィリピンの協力の下、マニラ市内のホテルで開催されました。今回の集まりには30名を超える参加者があり、中国本土の教区の慈善活動団体からは5団体が参加。そのほか、主催者である国際カリタス事務局長ミシェル・ロワ氏とアジア担当のアロイス氏。関係する支援カリタスから、香港、マカオ、台湾、シンガポールのカリタス関係者。そして日本、ドイツ、イタリア、スペインのカリタス関係者も参加。わたしは、カリタスアジア責任者として、ゴメス事務局長と一緒に参加しました。

今回の集まりでは、香港のマイケル楊補佐司教、国際カリタスのロワ事務局長、そして国際カリタスの総裁でもあるマニラのタグレ枢機卿の三名が講演を行い、わたしも開会のアイサ宇土、そして最終日のまとめの話をさせていただきました。

国際カリタスの主催ではありますが、もちろんアジアの問題なので、実際に具体的な調整にあたるのはカリタスアジアの事務局です。今回の集まりでも、さまざまな課題が指摘され、それを実際にこれから調整していく役割を、カリタスアジアで担当することになります。例えば、本土の活動団体では、全体を統括する組織がないので、どうしても横の情報交換が出来ていないことや、またそのため、組織の活動実行能力にも格差があることなどが指摘され、そういったことをどのように是正していくのかが、カリタスアジアにとってこれからの大きな課題となります。

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今回の集まりは、旧正月にかからないように一週間早めに日程を定めたのですが、会場となったホテルはマニラ市内ですが中国系のオーナーのようで、すでに正月気分。朝にはホテル前で、シンバルと太鼓と爆竹の轟音の中で、ドラゴンダンスが披露されておりました。

真冬の雪降る新潟から真夏の陽気のマニラに数日でかけ、また明日からは雪の山形県です。やはり、暑い方が好きなような気がします、わたしは。

なお教皇様は、ちょうどこの時期、つまり旧正月にあわせて、『Asia Times』というインターネットニュースサイトのインタビューを受けられ、中国にむけてのメッセージを送っておられます。インタビューの全文は英語ですが、こちらのリンクから読むことが出来ます。

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