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2016年7月28日 (木)

生命の重さを量るのはだれなのでしょうか。

パプアニューギニアから帰国した一昨日の夜、その日の早朝に、相模原市の障がいのある方々がともに暮らす施設で、19名が殺害され26名が怪我をされるという事件が発生したと聞き、心の底から驚き、大きな衝撃を受けました。加えて犯行に及んだ人物が、障がいのある方々を殺害することが「正しい」ことであると主張しているという報道に接し、さらに大きな衝撃を受けています。

亡くなられた方々の無念さと恐怖はいかばかりだったでしょう。永遠の安息を心から祈ります。また怪我をされた方々の一日も早い回復と、さらには恐怖の時を過ごし心に刃物を突きつけられてしまった多くの方に、いつくしみの神の御手が差しのべられ、癒やしがあるように心から祈ります。

今更あらためて言うまでもなく、キリスト教の信仰の立場にあっては、生命の重さを量ることがゆるされているのはいったいだれなのかといえば、それはわたしたち人間ではなく、人間に生命を与えられた生命の創造主である神でしかありません。だれが生存して良いのか、だれが生存する価値があるのか。それを判断しようとするのは人間にとって傲慢なことではないでしょうか。しかも神は、自らの似姿として生命を創造されたのですから、すべての生命にはすべからく神の似姿としての大切な価値があります。わたしたちはそれを人間の尊厳と言います。

社会的に弱い立場に置かれた人たちに対するこのような攻撃的な価値判断と行動に対して、すでに多くの方がその大きなあやまちを指摘しておられます。社会的に弱い立場は、単に目に見える形の障がいと共に生きている方々だけではなく、様々な意味で「異質」だなどと見なされている多くの方々や、経済的な困難、健康上の困難、制度上の困難、文化的困難等々様々な困難を抱えている人たちを包括し、言うならば、ほぼすべての人が何らかの困難を抱えているのですから、視点を変えさえすれば、だれでもいつでも社会的に弱い立場になる可能性をもっています。だからこそ、すべての人が互いに協力し助け合わなければ、わたしたちは生き延びることが出来ないでしょう。

あらためて、一つの共同体に生きるようにと生命を与えられているわたしたちが、なぜ生きているのかをよく考え、互いに支え合っていくことの大切さを、心に刻みたいと思います。

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2016年7月27日 (水)

ブーゲンビル島で平和の祈り@パプアニューギニア

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7月18日に羽田を出発し、昨日の夜帰国するまで、都合九日間、パプアニューギニアに出かけてきました。往復ともマニラ経由で、マニラからエアニューギニーで首都のポートモレスビーへ飛び、さらにそこから乗り継いで到達したのはブーゲンビル島のブカ。今回の目的地は、このブーゲンビル島です。地図で見れば、パプアニューギニアの東の端にある島。羽田からマニラまで4時間強。マニラからポートモレスビーまで5時間弱。そしてポートモレスビーからブーゲンビル島のブカまで1時間半。(写真上と下2枚、山本長官搭乗機の残骸)

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パプアニューギニアは1975年に独立を遂げていますが、その一部であるブーゲンビル島では1988年に分離独立を求めた内戦が勃発。その後2001年に国連の仲介でブーゲンビル和平協定が結ばれて内戦は一応終結。2005年には協定に従って自治政府の大統領選挙も行われ、現在は独立か否かを問う国民投票が2019年6月に予定されています。独立運動が起こった一番の理由は、ブーゲンビル島内にある世界有数の露天掘りの金・銅鉱山による環境破壊と、その利益が島内に還元されないことへの長年の蓄積した怒りと、さらには、そもそも地理的にも民族的にもパプアニューギニア本島よりもソロモン諸島により近い(ソロモン諸島の一部がブーゲンビル島南端から見える距離)という、本島への帰属意識の低さにもあります。

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さてそんなブーゲンビル島は、太平洋戦争中に日本軍が航空基地をいくつか開設し、そこに中央を割って連合軍が上陸し、多くの兵士や地元の人も生命を落とし、さらには連合艦隊司令長官の山本五十六海軍大将が1943年4月に、ラバウルからの視察途上で搭乗機が撃墜され戦死された地でもあります。太平洋戦争の悲劇とその後の内戦の悲劇。二つの平和をかき乱した出来事の地を巡り、その歴史に基づいて将来を築き挙げようとしている地で、平和のために祈ることが今回の旅行の最大の目的でした。言うまでもなく、山本五十六は新潟県の長岡出身の人物でもあります。

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旅行のそれぞれの出来事については後日また詳述しますが、横浜教区の山口道孝神父の友人がブーゲンビル自治政府(ABG)の関係者であって様々手配してくれたことと、現地ブーゲンビル教区のベルナルド・ウナバリ司教をはじめ教区関係者が全面的に協力してくださったことで実現しました。特にブーゲンビル島は25万人ほどの人口の8割程度がカトリック信者というパプアニューギニアでも有数のカトリック地域で、日本の司教が来ているというラジオの報道もあり、多くの地元の方の協力を得ることが出来ました。(写真上、スモール東京の日本軍施設跡)

内戦前には島の中央部にあるアラワという町に州政府や教区本部、カテドラルもあったと言うことです。アラワは鉱山関係者のオーストラリア人居住者で栄えた町でしたが、内戦で荒廃し、治安の確保のため自治政府や教区も本拠を現在でも島北部のブカ島にあるブカの町に移しています。

ブカからボートで海を渡り、ブーゲンビル島を北の端から南の端まで二日がかりで走りました。島内は、とにかくトヨタのランドクルーザーばかり。これほどランドクルーザーが走り回っているところは他にないのではないでしょうか。

アラワに一泊して翌日はブインへ。泊めていただいたブインの教会は、日本軍の飛行場後のすぐ横に建てられています。南端部から往復10キロほどジャングルを切り開いてもらいながら歩いて到達したのが「スモール東京」と呼ばれる建物。ジャングルの中に忽然とあらわれたのは巨大なコンクリートの建造物。かつて日本軍の施設だった建物です。70年以上経過しているのに、本当にしっかりとしたコンクリートの巨大な建造物でした。

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その日の夜、ブイン教会のミサに集まった人は千人を超えていました。素晴らしい歌声です。(上の写真、ミサ後に挨拶に集まった人たちと。下はミサ中の様子)

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さらに翌日は山本五十六海軍大将がラバウルからブインの飛行場へ向かう途中に米軍によって待ち伏せされ撃墜された現場へ。この撃墜現場を支配するいくつかの家族はやはりカトリック信者で、そのうちの二つの家族から人が集まり、現場まで徒歩の道を切り開き案内してくれました。数年前に日本の大使が訪れたときは何日も前から道を切り開いて車が近くまでは入れるように準備をしたそうですが、今回はさすがにそこまでではなかったものの、それでも泥にぬかるむ道を何とか歩けるようにいろいろと手助けをしていただきました。小川も三つ渡りました。車を降りてから片道6キロで、密林の中に撃墜された搭乗機の残骸が出現。かつては全体がほぼ完全に残っていたそうですが、残念なことに所有権を主張する現地の家族たちの間で切り刻まれ、完全な形は機体後部から尾翼にかけてのみ残っていました。近くにはそのほかの部分やエンジンなどがまとめておかれていました。この場で集まった皆で平和のために一緒に祈りのひとときを持ちました。雨期であればさらに泥沼が悪化し、ほとんど入ることは不可能だとも聞きました。

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その後、内戦の原因となった鉱山の露天掘り現場を視察して、ブカへ戻りました。日曜日には現在のカテドラルとなっているブカのハヘラ教会でミサを司式させていただきました。二千人を超える人が集まっていたと思います。その晩は、ブーゲンビル自治政府のジョン・モミス大統領の招きで夕食へ。大統領の公邸は司教館のすぐそばで、実は大統領自身もかつてカトリック司祭から政治家に転身した過去を持つ方でした。(写真上の右がモミス大統領)

いろいろと考えさせられた旅でしたが、昨晩帰国したときに知った相模原の障害のある方々の殺害事件の衝撃も大きくて、ちょっとまとめがつきません。いずれにしろ、戦争がすさまじい喪失をもたらすものであることを深く感じました。それはもちろん金銭的な意味でもそうですが、敵対する国同士だけではなく、戦地となった地域においても、多くの将来のある若者が生命を落とした。その意味での、将来に対する大きな喪失を引き起こしたのも戦争であると感じます。

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2016年7月17日 (日)

寺尾教会堅信式、そして平和旬間行事へ

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本日の日曜日、新潟市内にある寺尾教会を訪問し9時半のミサを一緒にして参りました。本日のミサの中で、お二人の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。これからも寺尾教会共同体の積極的なメンバーとして、活躍されることを期待しております。

暑さはそれほどでもないものの、曇り空で湿度が高く、何ともすっきりしない梅雨の日曜日でした。寺尾教会の聖堂は、冷房はないものの、それでも天井が高いので、それほど暑くは感じませんでしたが、ミサが終わるとさすがに祭服の下は汗でびっしょりでした。

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年齢構成的には新潟の他の小教区と同じく若い年代が極端に少ない共同体ですが、しかしそれでも聖歌を歌う声には力がありました。やはり良いオルガンのリードは必要だと感じました。

マリアとマルタのお話は、いろいろな解釈が成り立ち、今日も全世界でいろいろな説教がなされたことだと思います。私にとっては、今という「とき」が神の目にあってどんな「とき」であるのかを識別し、その「とき」にあった生き方を選択することの重要性をイエスが説いているように思います。祈りと労働のどちらが大切なのかという二者択一や価値判断の問題ではなく、それ以前の、今という「とき」を識別するのかどうかという点に重要性があるのではないでしょうか。福音の話で言えば、今はまさに「主と共に過ごすとき」であるという識別が出来ているのかどうかの問題ではないでしょうか

その意味で、今の時代に生きているわたしたちは、まさしくいま、神の目においてどのような「とき」をわたしたちは生きていて、それに見合ったどのような生き方が信仰者として求められているかを、信仰のうちに見つめ直す必要があると思います。

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ミサ後には、聖堂に残られた方々からの質問に答える対話集会。新潟教区の今後の宣教体制のあり方についての質問もいただきました。司祭の高齢化と召命の減少、そして信徒の高齢化の中で、小教区をどのように運営していくのかは、常に考えていかなくてはならない問題ですが、これ以上拠点教会を閉鎖するつもりは私にはまったくありませんが、それよりも地域において教会が多くの人の心身の良い生活のために貢献できる場となっていくように、教会共同体がどのように時代の必要に合わせて変化していくのが良いのかを、これから模索していきたいなどと考えています。ただ将来的に、一人の司祭が複数の小教区を担当するという体制は、避けて通ることは出来ないだろうとは思います。

対話集会の後、サンドイッチなどをいただきながらの茶話会で、楽しいひとときを過ごさしていただきました。寺尾教会の皆様、ありがとうございます。

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さて日本の教会は毎年、8月6日から15日までの10日間を、平和旬間と定め、平和のために考え祈るときとしています。新潟教区では以前より、諸般の事情から7月の末の日曜日に平和を考える行事を行ってきています。今年も7月31日の日曜日、午後1時半から講演会と午後3時半からミサが新潟教会で行われます。

今回の講演会は、受刑されて出所した方々の社会復帰などを支援するマザーハウスの五十嵐弘志さんのお話です。東京のイグナチオ教会の信徒です。どうぞ参加ください.またその後の平和祈願ミサは、私が司式する予定です。多くの方の参加を期待しております。講演会は新潟教会の信徒会館1階で行われます。タイトルは「神の憐れみと愛の証し人として生きる」となっています。

なお平和旬間にあたり、日本カトリック司教協議会の会長である高見大司教から、会長談話が発表されています。中央協のこちらのリンクからご一読ください

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2016年7月10日 (日)

東京から福岡を経て秋田まで

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先週は火曜日と水曜日に東京教会管区(札幌、仙台、新潟、さいたま、東京、横浜の各教区で構成)の司教や事務局長の会議が千葉で行われ、その後、東京で常任司教委員会と社会司教委員会。その後福岡に飛んで、神学院の常任司教委員会。さらに福岡から羽田経由で秋田に飛んで、週末は聖体奉仕会に滞在しました。聖体奉仕会では、年に一度の会員の集い。今朝、日曜日の修道院のミサの後には、秋田県内の本荘教会から、主任司祭の桃田師と一緒に、信徒の方々10名ほどが巡礼でおいでになり、ミサを捧げ、祈りと昼食を共にする時間を過ごして行かれました。以下は会員の集いについて記された、聖体奉仕会のTwitterから。

ところですでにご存じの通り、聖座から二つの重要な発表がありました。一つはユスト高山右近の列福式のこと。そしてもう一つは広島教区の白浜満被選司教の任命。

ユスト高山右近の列福式は、来年、2017年2月7日(火)の正午から、大阪の大阪城ホールで開催されます。司式はバチカンの列聖省長官であるアマート枢機卿。前回の188殉教者の列福式が雨で大変だたことから、今回は屋根のある会場を考えたのですが、なかなか押さえるのが難しく、また聖座の決定もなかなか内定せず、結局、平日に行うことになりました。詳しくはこちらの中央協のリンクへ。列福式に合わせて教皇様の来日もと希望していましたが、やはりなかなか日程の調整がつかず、今回は実現しませんでした。

教会が、高山右近のように、処刑ではなく病死であっても、人生それ自体をなげうって信仰を証しした信仰者を、殉教者と考えるようになったことは、現代に生きる私たちに、どう生きるのかという姿勢の模範を与えているように思います。現実やしがらみに妥協するのではなく、「神のことは一切曲げるべきではない」という、信仰における頑固ともいうべき徹底した生き方は、現代社会にどのような意味を持っているのか、高山右近の列福を機会に考えてみたいと思います。

そして白浜満被選司教の広島への任命です。司教叙階式(かつては司教祝聖式ともいわれました)は、9月19日(月)の午後1時半から、広島市内の幟町教会(カテドラル)で行われます。白浜被選司教は1962年生まれですから、私よりも4歳年下。これで、これまで11年以上、私が日本の司教団で一番若年という状況は終了です。白浜満被選司教のためにお祈り下さい。

ちょうど会議で日本カトリック神学院の福岡キャンパスへ出かけ、院長である白浜被選司教と時間を共にしたのですが、残念ながら写真を撮ってくるのを失念しました。一応、中央協のこちらのサイトに、写真が掲載されています

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2016年7月 4日 (月)

鶴岡から米沢殉教祭へ

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土曜日は一日、山形県の鶴岡で講演をしていました。話を聞いていただいたのは、鶴岡のマリア幼稚園の保護者の皆さん。午前中に鶴岡教会の聖堂を会場に、集まった100名近い保護者の方々に、キリスト教が人間の生命をどう考えているのか、人間が生きることの意味は何なのか、また教会はどうして世界各地で慈善活動を行っているのかなど、カリタスジャパンなどでの活動を通じて学んだことを、1時間ほど話させていただきました。

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その後、マリア幼稚園の職員と園長の伴神父と一緒に、鶴岡など庄内地方の特産を使ったお弁当でお昼をいただき、午後からはその職員の研修会。園長以外には信徒の方は職員に一人しかおられず、そんな中で、カトリックの幼稚園であるというのはどんなことが大切なのかについて、いろいろとお話しさせていただきました。

鶴岡での一日が終了後に、鶴岡から車で月山を越え(山形から仙台方面へとつながる山形自動車道は、月山越えのところで途切れています)、今度は米沢へ。

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昨日の日曜日が、米沢の殉教祭ミサでした。米沢の福者殉教者は53名。福者ペトロ岐部と187殉教者の一部をなす53名です。そのリーダーは福者ルイス甘粕右衛門。上杉家の家臣でありました。1629年の1月12日にこの地、米沢市の北山原をはじめ数カ所で殉教した53名です。

2008年に188殉教者として列福以来、新潟教区の行事として毎年この殉教祭を行っています。7月1日が188殉教者の記念日ですから、その日に近い日曜日に開催。今年は、2014年以来、二度目の雨模様の殉教祭となり、それも結構な雨だったので、会場に張られたテントからなかなか出られないミサとなりました。

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ミサは山形地区の司祭団、千原師(山形)、楠師(山形)、パリヤント師(米沢)、伴師(鶴岡)、そして終身助祭の中沢師(イエズス・マリアの聖心会)も加わってくださり、山形地区の信徒の方々を中心に捧げられました。またミサ中には山形、鶴岡、米沢から、10名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。

今回はミサ後の昼食は、その場での交流会ではなく、それぞれの教会でいただくことになり、私は米沢教会で一緒にお弁当をいただきました。昼食会では、ケニアから山形大学に留学生としてきている青年とも会い、アフリカの話で楽しいひとときを過ごしました。準備をしてくださった米沢教会の皆さん、ありがとうございます。雨の中、準備も撤収も大変だたと思います。本当にご苦労様でした。来年もよろしくお願いします。それにまもなく列福10年の記念になりますから。(列福の正式発表は2007年の6月1日でした。また長崎での列福式はその翌年、2008年の11月でした)

さて7月1日の夜、バングラデシュの首都ダッカでテロ事件が発生し、日本人7名を含む20名の方々と、2名の警察官が殺害されるという事件が発生しました。この数年間、自爆を含め爆弾テロの頻発に加えて、人が集まる場所に押し入って、多数を残虐な方法で殺害するというテロ事件もしばしば発生していますが、今回は特に日本人が多数犠牲になったことから、大きな衝撃を受けました。

宗教を口実に、また神の存在を口実に、人間の尊い生命を奪う行為は、決してゆるされることではありません。ましてわたしたちキリスト者にとって、生命は神がその似姿として、また良いものとして、尊厳を与えて創造されたものであり、神はその生命を救うために、自らを犠牲とするまで愛し抜かれたのです。

キリスト教であれイスラム教であれ、宗教者が本当に信じている神は、他者の生命を奪うことを、しかも慈悲のかけらも感じさせない方法で暴力的に奪うことを良いこととして命じる神ではありません。

加えて、今回非道な暴力の犠牲になった方々の中で、特に報道されているように日本人の犠牲者の方々は、バングラデシュの発展のために、またそのほかのいわゆる途上国の人々の発展のために力を尽くしてこられた方々だったといいます。その無念さはいかばかりだったでしょう。

このグローバル化した世界では、どこかの国だけ、またはどこかの地域だけが孤立して生き延びることなど出来ません。一つの国で起こったことは、経済であれ政治であれ環境であれ、即座に他の国にも影響を及ぼす時代です。互いに助けあわなければ、地球は生き延びていくことは出来ません。そしてそのことは、昨年発表された教皇様の「ラウダト・シ」でも強調されていることです。自分たちだけを大切にし、他者を排斥しようとしたテロリストたちの生きる姿勢と、困難にある人々を助けようとする積極的な姿勢を生きた犠牲者たちとの間には、天と地ほどの開きがあります。どのような理由をつけるにしろ、このような他者を助けようとする人たちの生命を奪うことを認めることは出来ませんし、ましてそこに宗教や神を口実として利用することを、決して認めることは出来ません。

暴力によって犠牲となり、亡くなられた方々の、永遠の安息を、心からお祈り申し上げます。

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2016年7月 1日 (金)

名古屋からローマへ行って帰国

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6月25日の土曜日は、午後2時から名古屋の神言神学院で講演をさせていただきました。現在八雲町にある神言神学院の建物は、50年前に南山大学の新築に合わせてレーモンド氏が設計し、建てられたものです。ちなみに同じレーモンド氏はその年、新潟教区の新発田教会も設計しています。

神学院の建物ができあがって50年。来年の5月が献堂50年になるかと思いますが、それに合わせて神学院築50年の様々な行事が計画されています。今回の私の講演もその一環で、何人かの講師による講演会の第一回でした。テーマは、「日本の教会の現状と福音宣教」。そのうちに神学院から当日の録画などが公開される予定と聞きました。一番上の写真は神学院のフェースブックから、当日集まった人の一部と、講演会後の記念撮影。

講演会終了後に東京へ移動し、そのまま羽田発の深夜便でローマへ移動。翌日曜日の夕方から、ローマ市内のホテルを会場に行われた会議に参加してきました。

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6月26日夕方から28日夜まで行われたこの会議は、教皇庁の正義と平和評議会とカリタス米国(CRS)の共催で行われた「インパクト投資」について考える会議で、170名近い参加者がありました。招待者のみなので、たぶん私にはアジアのカリタスの代表として招待が来たのだと思います。アジアからは他に、アジア司教協議会連盟(FABC)の事務局長と人間開発局(OHD)のアンブローズ司教が参加。そのほかアフリカからも司教や司祭が参加していましたが、主な参加者は米国の企業家や政治家や投資家。私としてはかなり場違いな気分でした。(上の写真は挨拶するタクソン枢機卿)

インパクト投資とは、「教育や福祉などの社会的な課題の解決を図ると共に、経済的な利益を追求する投資行動です」とネット上にありましたが、完全なチャリティーと異なり、ある程度の節度ある利益を確保しながらも、社会的な様々な課題を解決するように導く投資行動のことを指しています。すなわちこれまでは、貧しい人と資産家は対立する概念で、資産家は批判の対象でしたが、そうではなくてより良い意向を持ってその資産を投資することで貧困の解消につなげるステップにしようという考えです。そこで教皇庁の正義と平和評議会は、必ずしも完全な方法ではないけれど、貧困の解消のために前進する有効なステップとして、インパクト投資に教会としても積極的に関わる道を模索していこうと、この会議を開催したものです。今回が二回目だと聞きました。

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月曜日の朝には正義と平和評議会のタクソン枢機卿司式で、聖ペトロ大聖堂でミサも行われましたが、参加された投資家や企業家の中には、カトリックだけではなく他の宗教の方もおられました。(上の写真は米国カリタス・CRSのニュースページから、会議参加者)

インパクト投資への理解を進めることは、教会にとっても今後の大きな課題だと思います。

そんな会議に参加して水曜日の午後にローマ発。羽田に木曜の午後に帰着。今日、金曜日派東京でカリタスジャパン委員会。明日は鶴岡で幼稚園の講演会、明後日は米沢の殉教祭です。

というわけで7月の主な予定です。

  • 7月2日 鶴岡マリア幼稚園講演会 (鶴岡)
  • 7月3日 米沢殉教祭 (米沢)
  • 7月4日 月曜会ミサ、教区顧問会 (新潟)
  • 7月5/6日 東京教会管区会議 (千葉)
  • 7月7日 常任司教委員会・社会司教委員会 (東京)
  • 7月8日 神学院常任司教委員会 (福岡)
  • 7月9/10日 聖体奉仕会会員の集い (秋田)
  • 7月11日 新潟カリタス会理事会、教区司祭静修 (新潟)
  • 7月15日 カリタスジャパン会議 (東京)
  • 7月17日 寺尾教会ミサ (新潟)
  • 7月18日~26日 パプアニューギニア
  • 7月29日 仙台教区サポート会議拡大会 (東京)
  • 7月31日 新潟教区平和旬間行事とミサ (新潟)

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