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2016年9月27日 (火)

教区司祭年次黙想会@宣教クララ会

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毎年恒例の新潟教区とさいたま教区合同の司祭黙想会が、軽井沢の宣教クララ会を会場に、昨日から開催されています。

さいたま教区の参加者が圧倒的に多く、教区司祭・終身助祭や宣教会・修道会の司祭も含めて30名が申し込み。それに対して新潟は、主に教区司祭だけ(修道会から一名)で12名。教区管理者の岡田大司教と新潟の私も参加してます。

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今年の黙想会の指導は、サレジオ会の阿倍仲麻呂神父様。神学院の先生でもあります。お名前も独特ですが(しかも本名です)、その独特な雰囲気で、講話をして下さっています。

今年のテーマは、いつくしみの特別聖年を記念して、「聖霊に満たされて御子イエス・キリストとともに御父と一致し、その喜びを人々に向けてあかしする」となっており、しっかりと50ページにも及ぶテキスト資料を準備して配布して下さり、さらにお話はそのテキストにこだわらず自由に飛び回る。

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金曜日まで、黙想と祈りの内に過ごしております。

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2016年9月24日 (土)

福島の復興支援の集い@新潟

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本日土曜日の午後1時から3時まで、カトリック新潟教会を会場に、新潟地区信徒使徒職協議会の主催で、「福島の復興支援の集い」が行われました。

新潟地区信徒使徒職協議会では、以前から福島野菜畑の野菜販売などを通じて福島の復興支援に関わってきました。今回は、福島の現状、特に原発事故関連の現地の状況を学ぶために、三人の講師をお願いしました。

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まずカトリック東京ボランティアセンター(CTVC)の事務局長である漆原さんが、六年目に入った福島の状況や、避難指示が徐々に解除されている現状の中で、具体的に避難されている方々は戻っているのかどうか。復興公営住宅などの開設はどうなっているのか。今後の地域のコミュニティをどう支えていくべきかについて、お話しくださいました。

続いて福島で酒屋を営みながら、子どもたちの健康を最優先に考えられて、隣の山形県米沢に自主避難されている湯野川さんが、自主避難にともなう現状をお話しくださいました。目に見えない原発事故の影響と、定期的に子どもたちが甲状腺の検査を受けるという心理的圧迫の中で、心理的にも大きなストレスを家族は感じておられる現状と、公的支援の欠如、さらには帰還することへの心理的プレッシャーなどについてお話しくださいました。湯野川さんご自身は毎日、米沢から福島のお店に通われています。司教団の勉強会でも、以前、お店に立ち寄り、お話を聞かせていただいたことがありました。

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政府をはじめ行政はなるべく早い段階で避難を解除し、帰還する方針を進めているようですし、それにともなって様々な公的支援や保障にも打ち切りや変更が生じてくる可能があります。しかし、原発事故の一番の特徴は、その影響が目に見えないことから、それぞれの人によって受け止め方は千差万別で、どれが正しくてどれが間違っているなどと言えるものではないこと。しかもそこに実際に生きていない外部の人間が、客観的判断などと言ってとやかく言えるような性質のものではないこと。そんなことを考慮に入れれば、現地で生きておられる方々の、それぞれの選択を尊重し、できる限り心穏やか暮らしていただけるように支援するというのが、行政や支援団体の務めであるように思います。

そして最後に、カリタス原町ベースのベース長であるシスター畠中が、原町での活動や、福島第一原発からほぼ二五キロと一番近いカトリック教会としての立場について、また今後の活動の見通しについてお話しくださいました。

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講演会が終わってからは、信徒会館前で、福島の野菜の即売も行われました。新潟教区は小さな共同体なので出来ることには限度がありますが、それでも被災地の隣の県にある教会として、これからも息の長い支援に取り組んで行きたいと思います。

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2016年9月23日 (金)

アンリ・ホイスゴムス神父金祝@新潟

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新潟教区司祭でベルギー出身のアンリ・ホイスゴムス神父が、司祭叙階50周年を迎え、金祝感謝のミサと祝賀会が、昨日、9月22日に、新潟市内のホテルで行われました。アンリ神父は、新潟市内にある青山教会の協力司祭ですので、祝賀行事は青山教会の方々を中心に企画準備されました。市内外から150人を超える方が参加されましたが、特にアンリ神父のこれまでの活動との関連もあって、カトリック教会外の方も多数参加されました。

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アンリ神父は1940年にベルギーのブリュッセルで誕生。1966年9月に司祭に叙階されました。1967年に来日後、日本語を学び、1969年から新潟教区で働いておられます。アンリ神父は横浜教区のカンペンハウド神父と同じ司祭の会に入り、同じように日本に派遣されてきました。この会は、それぞれの派遣先で、その教区司祭として働くグループです。

アンリ神父は新潟大学で非常勤講師を長く務められたり、新潟清心高校で講師を務められたりしましたが、それ以上にアンリ神父のこれまでの宣教生活を特徴づけているのは、その生きる姿勢を持って福音をあかししようとしていることでしょう。

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アンリ神父は障がいと共に生きている方々を手助けすることから始まって、その後は現在に至るまで、障がいのある方と健常者が一緒に暮らすアパートで、共同生活を送っておられます。その活動や、またホームレスの方々のための越冬支援活動を通じてプロテスタント教会の方々とも親交があり、その関係の方も大勢昨日はおいでになりました。

さらに、イエズス会の愛宮真備(えのみやまきび)神父の影響を受けて、禅による瞑想にも深く入り込み、いまでも修行を続けておられます。

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さらにギターを弾いてシャンソンを歌う名手でもあり、市内でしばしばコンサートを開いたりもしておられる、非常に多彩な人物です。

司祭として福音を告げ知らせるにあたり、アンリ神父に与えられた聖霊の恵みは、普通の神父とは異なるものであるように思います。たぶんアンリ神父には、小教区の管理をする姿は似合わないものがあるように思いますが、その分、社会での活動を通じて、言葉と行いで福音をあかしされてきたと思います。司祭叙階金祝、おめでとうございます。

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2016年9月21日 (水)

聖地巡礼参加者募集、まもなく閉めきり。

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宣伝です。まもなく締め切りとなりますので、あらためて今年の終わり頃、11月の末に、横浜の信徒の旅行会社「パラダイス」さんと企画している、聖地巡礼のご案内です。

11月24日(木)夜9時過ぎに成田を出発し、12月2日(金)夜7時過ぎに成田へ帰国する九日間の旅程です(詳しくは以下)。

行き先は聖地イスラエル。現時点で旅行代金は398,000円(他諸税が別途かかります)。

成田からはパラダイスの添乗員とともに私が同行します。現地では、イスラエル在住の日本人ベテランガイドが、案内いたします。

11月末はちょうど聖地巡礼のオフシーズンで、ほとんどの巡礼所で、長時間並ぶことなく落ち着いて祈りが出来ます。また季節的にも、暑すぎず寒すぎず、ちょうど良い頃です。(上の写真はエルサレム旧市街。下は嘆きの壁の前。2014年12月の巡礼)

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現地での宿泊はガリラヤ湖畔のティベリアに3連泊、死海湖畔のエンポケックに1泊、そしてベトレヘム2連泊です。連泊中心のゆったりとしたスケジュールですので、若い方ばかりでなく、お年を召された方々にも安心してゆっくりと旅行していただけます。エルサレム市内には、ベトレヘムから出かけます。イスラエル国内での移動は、専用の観光バスです。

もちろん毎日、私が司式でミサを行います。

興味をもたれましたら、まずは是非パラダイスさんにお問い合わせください。パラダイスさんの営業時間は、月曜から金曜まで、午前9時半から午後6時まで。

電話は045-580-0023。そしてファックスは045-580-0024。担当は村上さんです。横浜教区の信徒の方です。

現地在住のガイドとともに、安全には細心の注意を払ってスケジュールを組んであります。(下はベトレヘムの降誕教会前。2014年12月)
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旅程(予定)

  1. 11月24日 21:20 ターキッシュ航空(トルコ航空)で成田からイスタンブールへ(機内泊。なおイスタンブールは乗り換えだけですので、空港外には出ません
  2. 11月25日 8:30 イスタンブールからテルアビブに到着。その後カイサリア遺跡などを経てティベリアへ。(ティベリア宿泊)
  3. 11月26日 一日中ティベリアから、ガリラヤ湖周辺、カファルナウムやベトサイダなど。(ティベリア宿泊)
  4. 11月27日 一日中ティベリアから、フィリポカイサリアやガリラヤ湖周遊など。(ティベリア宿泊)
  5. 11月28日 ティベリアから、カナ、ナザレ、マサダを経て死海。(エンポケック宿泊)
  6. 11月29日 エンポケックから、クムラン、エリコ、エインカレム(エリザベトご訪問の教会)を経てベトレヘムへ。(ベトレヘム宿泊)
  7. 11月30日 ベトレヘムから、一日中エルサレム市内巡礼。(ベトレヘム宿泊)
  8. 12月1日 日中はエルサレム市内巡礼。夕食後に空港へ移動。22:00テルアビブ発イスタンブールへ(機内泊。イスタンブールは乗り換えだけですので、空港外には出ません
  9. 12月2日 19:10 イスタンブールからターキッシュ航空で成田着

一人でも多くの方の、参加をお待ちしています。

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(上はカナ婚姻の聖堂)
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(上はガリラヤ湖周遊の船)

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(上は、ナザレにあるお告げの教会地下聖堂)

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2016年9月20日 (火)

白浜司教様叙階式@広島

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広島教区の新しい教区司教として任命されたアレキシオ白浜満師の司教叙階式が、昨日、9月19日午後1時半から、広島カテドラル世界平和記念聖堂で行われました。前任の前田司教が大阪大司教に転任されてからほぼ2年。広島教区司教座の空位が終わりました。台風が接近しあいにくの雨模様でしたが、あの巨大な広島の聖堂に入りきれないほどたくさんの方がお祝いに駆けつけられました。(上の写真は沖縄の押川司教撮影)

日本の司教団も、マザーテレサの列聖祝賀ミサの予定が事前に入っていた岡田大司教を除いて全員が集まり、広島と姉妹教区である韓国の釜山からも補佐司教が。また白浜新司教が所属するサンスルピス司祭会からもカナダの管区長をはじめ関係者が参列されました。

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司式は前任の前田大司教。横につく二人の司教は、司教協議会会長の高見大司教と、神学院常任司教委員会委員長の大塚司教。説教は前田大司教が、いつものように俳句を披露しながら。(上の写真は挨拶する高見大司教)

さすがに神学院で長く養成に関わっておられたこともあり、しかも現職の院長ですから、全国から多くの司祭が集まりました。100名をこす司祭団であったと思います。また聖堂内に入りきれず、外に設置されたテントや信徒会館でモニターによる参加をされた方も含めて、二千人近い参加があったようです。白浜司教の故郷である長崎教区からも、バスで代表団が駆けつけた模様です。

白浜司教は典礼学が専門ですから、さすがによく準備された典礼でした。また前日から青年たちの集まりがあり、白浜司教自身もすでに参加されたようですが、叙階式の終わりに信徒代表として歓迎の挨拶を述べたのは、三人の青年たちでした。

新司教のモットーは「福音のためならどんなことでも」です。教会での司牧の経験がない自分がどうして司教に選ばれたのか、今もって分からないとしつつも、しかし任命を告げられたときは、神の召し出しに全幅の信頼を持って「はい」と応えたと言います。まさしく、「福音のためならどんなことでも」をそのままに生きておられます。

また新司教はまだ54歳ですから、現時点で日本の司教団の最年少司教となります。私は本日9月20日で司教叙階12年になりましたが、昨日までの12年間の最年少司教を、これでやっと終わりにし、その座を白浜司教に譲ることが出来ました。

白浜司教様、本当におめでとうございます。

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2016年9月18日 (日)

宮古から久慈へ@岩手県

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秋田の聖母の日が終了後、横浜の信徒の旅行会社パラダイスさんの企画で、昨年同様に岩手県を二泊三日でまわってきました。20名ほどの巡礼の旅です。

秋田の聖母の日のミサが終了後、巡礼参加者と一緒に昼食。そしてバスで一路盛岡へ。昨年もそうでしたが、ちょうど盛岡は秋祭りで街中にはいくつもの山車が繰り出していました。懐かしいかけ声と光景でした。

盛岡の四ツ家教会で祈りを捧げ、まっていたくださった信徒の方々から歓迎していただき、しばし、茶話会で交流。私はこの教会に、幼稚園年長から小学校4年まで住んでいました。当時父親が、この教会で働いていたからです。幼稚園は、当時すぐとなり、現在の郵便局のところにあった白百合へ。そして小学校は近くの仁王小学校でした。

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その後、先日の台風による災害で土砂崩れが発生し、再開したばかりの国道106号線を通り宮古へ。台風10号による災害で、一時通行止めとなっていたとのことでしたが、一部交互通行があるものの、復旧工事は急ピッチで進み、迂回せずに宮古へ行くことが出来ました。

翌日は宮古教会でミサ。信徒の方も参加してくださり、私は昔からの懐かしい信徒の方と写真も。札幌教区の宮古ベースの方が、復興支援の活動について、ミサ後にお話とビデオの上映をしてくださいました。この日は宮古教会担当の田中神父様も常駐している釜石からおいでくださり、一緒にミサを捧げ、旅の参加者を歓迎してくださいました。

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なお宮古教会には、今年の12月11日の日曜日、待降節の黙想会のために、再度訪問させていただくことにいたしました。また田中神父様の依頼で、その日は宮古が終わってから、釜石でもミサを捧げる予定です。

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そして宮古から昨年同様に田老へ。田老では震災ガイドの方にお話をお願いし、さらに震災遺構としてオープンした旧田老観光ホテルに向かい、外階段を上って一番上の6階へ。ここで津波襲来当日の映像を見せていただき、震災ガイドの方からお話をいただきました。昨年と大きく変わったのは、この旧観光ホテルの震災遺構としてのオープンと、防潮堤内のかさ上げ工事が終わった部分に、道の駅と野球場ができあがっていたことでしょうか。さらには、防潮堤内には住民の家を建設できなくなったので、待ちを見下ろす丘に造成された場所に、多くの家が建設されていたことでしょうか。しかしまだまだ、田老の町が完全に昔のような姿を取り戻すのは、時間がかかるものと感じました。

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最後の日は北へ向かって久慈市へ。先日の台風10号で川が氾濫し、久慈市の一部は水に浸かったと伺いました。そして久慈カトリック教会も被害に遭っていました。その教会を皆で訪問。信徒の方がお二人迎えてくださり、また担当の佐藤修神父様もおいでくださって、状況を説明してくださいました。

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思いの外、教会の被害は大きいものです。洪水の水も私の身長より高いところまで到達していました。水の跡が外壁に残っています。泥だしの作業のため床板は外されています。教会の復旧のためには、まだ時間と力が必要です。

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最終日の最後には久慈から二戸に向かい、二戸教会で佐藤神父様も交えてミサを捧げました。古い民家を使った小さな教会です。道路拡張で、将来的にはどうなるのか不明確だとも伺いました。

2011年の大震災と今年の台風。大きな被害に遭われた方々の復興は、まだまだ時間が必要です。それぞれの場で、忘れることなく、できる限りの支援を継続していきたいと思います。

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2016年9月15日 (木)

秋田の聖母の日@聖体奉仕会

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毎年恒例となりつつある秋田の聖母の日が、今年も9月14日と15日に聖体奉仕会で開催されています。今年は250人ほどの方々が、全国各地から集まり参加して下さっています。

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9月14日は十字架称賛の日、そして15日は悲しみの聖母の日で、ともに聖母マリアの信仰における生き方を黙想する機会となります。秋田の聖母の日は、毎年この二日間に固定して開催されています。

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天気が心配されましたが、初日は雨も降らず、外の庭園で十字架の道行きをすることができました。初日は、いつくしみの特別聖年ですので、いつくしみのチャプレットを唱え、その後私の講話。一時間ほど、教皇様の回勅「ラウダート・シ」についてお話しさせていただきました。

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十字架の道行きのあとにはミサ。私が司式。秋田地区長のロボ神父様の説教。ミサはロボ神父、飯野神父、ホー神父、との共同司式。引退されているミュラー神父様も、車いすで元気に参加されました。

二日目の今日は午前9時からロザリオ。その後ミサを捧げて終了となります。

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2016年9月11日 (日)

見附教会訪問

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本日の日曜日は新潟県の見附教会を司牧訪問。明日から神学院に戻る岡神学生を伴って出かけてきました。カトリック神学院東京キャンパスで二学期目をはじめる岡神学生のためにも、お祈りください。

見附教会には、隣接して幼稚園と児童養護施設並びに乳児院があります。それぞれ独立した学校法人と社会福祉法人が運営していますが、どちらも新潟教区が運営母体です。昨年までは見附教会の主任司祭である真壁神父が、特に社会福祉法人の常務理事として教会と施設の両方に深く関わっておられました。真壁神父の現在の立場は変わりませんが、今年からは隣の長岡教会の主任をお願いしています。

そして現在の見附教会の主任は神言会員のスタン神父。さらに栃尾教会も兼任で担当していただくために、同じく神言会員のナジ神父が助任として任命されています。

ポーランド出身のスタン神父は、以前は秋田地区で働いており、横手教会の主任を務めた当時は保育園の園長もしていましたから、社会福祉に関しては知見と経験があります。現在も児童養護施設のチャプレンなどを務めていただいております。

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ミサには日本人の信徒の方に加えて、たくさんのフィリピン出身の信徒の方がおいでになりました。結婚しておられる方もおりますが、大多数は近隣の会社で働いている研修生などの方々。大勢でミサをともに祝い、見附教会に若いエネルギーを注入している様が見て取れました。

9時に始まったミサの終わった後は、お昼近くまで、私の話と質疑応答。その間も、フィリピンの方々の用意してくださった料理をいただくことが出来ました。おいしい料理をありがとうございました。

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今週は秋田の聖体奉仕会で、秋田の聖母の日が予定されています。(9月14と15日)。いつくしみの特別聖年にあって、わたしたちはまさしくわたしたちの間にいつくしみが欠けている様を、様々な出来事によって思い知らされています。その最悪の出来事は、世界各地で頻発する武力による生命を奪う行為でしょう。教皇様はたびたびシリアにおける人命を軽視した戦闘行為を批判され、平和のために祈るよう呼びかけておられます。また日本においても、先日の障がい者の方々に対する残虐な殺人事件をはじめとして、生命の価値を軽視する、または無視するような価値観を見せつける出来事も起こっています。わたしたちが神の望まれる世界を構築できるように、そのいつくしみを体現して生きていくことが出来るように、聖母の取り次ぎを祈りたいと思います。

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2016年9月 8日 (木)

札幌教区100周年のお祝い@札幌

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札幌教区が知牧区になって100周年を迎え、一年以上に及んだお祝いの特別な年を締めくくる式典とミサが、先日9月4日に札幌で行われました。会場は札幌市内にある藤女子大学。2013年に勝谷司教の司教叙階式を行った会場でもあります。

札幌教区のホームページから、札幌教区の歴史の部分を引用します。

「本教区は1915年4月13日、函館教区から分かれ、渡島地方(函館教区)を除く北海道全土、および樺太南部を管轄区域とする札幌知牧区として新設され、ドイツのフランシスコ会(フルダ管区)に委託された。ついで1929年3月30日、代牧区に昇格し、初代教区長V・キノルド師が司教に叙階された。

1932年7月14日、樺太教区が分離して、ポーランドのフランシスコ会に委譲された。キノルド司教の教区長辞任により、1941年、戸田帯刀師が教区長となったが、1944年、戸田師の横浜教区長転出にともない、瀬野勇師が教区長となった。

1952年12月11日、それまで仙台教区であった函館地区を含めて併合し、全北海道が札幌司教区に昇格。冨澤孝彦師が教区長に就任し、1953年3月19日、司教に叙階された。

冨澤司教の教区長辞任により、1987年10月3日、地主敏夫師が後任に任命され、1988年1月15日、司教に叙階されて教区長に就任。

2009年11月17日に地主司教の辞任が受理されると同時に、新潟司教兼任まま菊地功司教が教区管理者に任命される。         

 2013年6月22日に、4年弱待ち望んでいた新司教にベルナルド勝谷太治師が任命され、10月14日に司教に叙階された。」

というわけで、2015年が教区100周年だったわけですが、勝谷司教は教区への呼びかけに次のように記しておられました。

「教区が一体となって次の100年に向かって歩んで行けるように、100年の節目の日である知牧区となった2015年4月13日(月)から、100周年記念式典を行う2016年9月4日(日)までを「札幌教区100周年の年」とします」

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これまで教区宣教司牧評議会や司祭評議会などで、これまでの100年を振り返り、現状を見直して、次の100年への課題を明確にする作業が続けられてたそうです。今回の式典はその一年の締めくくりとして、まず、教区事務局長である上杉神父から、各地区から上がってきたこれまでの振り返りや今後への提言をとりまとめた発表があり(写真上)、それを受ける形で、勝谷司教から、これからの歩みへの方向性が示されました。

またちょうどこの日はマザーテレサのローマにおける列聖式当日でもあったことから、神の愛の宣教者会のシスターが、メッセージを述べられました。

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その後は感謝ミサ。東京教会管区の全ての司教が集まりました。すなわち、東京の岡田大司教、仙台の平賀司教、横浜の梅村司教、そして新潟の私、(さいたまは岡田大司教が管理者として兼任)、さらには引退された札幌の地主名誉司教も元気に参加。札幌教区各地区の司祭団と共同司式のミサが捧げられました。ミサの最後には教皇様からの使徒的祝福を知らせる国務長官パロリン枢機卿のメッセージが岡田大司教によって代読されました。なお教皇大使は所用のため海外出張中で、欠席でした。

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祭壇横のステージ上、向かって右側には、聖ヨハネパウロ二世と聖ファウスティナの聖遺物が安置されていました。

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ミサ後、昼食を挟んで、午後からは音楽会。まず札幌教区が携わる東北大震災の被災地宮古でも訪問演奏を行っているグループによる、演奏。(ピアノ、オーボエ、フルート、バイオリンと歌)。その後、札幌教区が長年にわたって支援しているフィリピンの児童養護施設イースタービレッジの子どもたちによるパフォーマンス。素晴らしい歌声でした。

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ギターでの伴奏には、イースタービレッジに深く関わる札幌教区司祭の祐川神父も加わりました(上の写真の右端が祐川神父)。私は飛行機の関係で最後までいることが出来なかったのですが、最後には、毎年イースタービレッジを訪れている勝谷司教も加わって大合唱になったとか。

札幌教区の皆さん、おめでとうございます。

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2016年9月 6日 (火)

カリタスアジア、南アジア地域行動計画会議@ネパール

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すでにお知らせしていましたが、8月の末に、カリタスアジアの会議のためにネパールのカトマンズに出かけてきました。今年二回目のカトマンズです。

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カリタスアジアでは現在、次回の国際カリタスの総会が開催され、またわたし自身の総裁の任期でもある2019年までの中期活動計画を策定するために、いわゆる「Strategic planning」、直訳すれば「戦略計画」の立案中です。戦略計画とはいかにも堅苦しい響きですが、優先事項を明確にし目標を確定することで、具体的な行動計画を立案するために不可欠な計画です。言ってみれば「行動方針計画」のようなものです。

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カリタスアジア全体の計画策定に先だって、四つの地域(中央アジア、南アジア、東アジア、東南アジア)でワークショップを開催して、専門のコンサルタントに指導を受けながら、それぞれの地域の考えを反映させることになりました。その第一回が、この8月29日と30日にネパールの首都カトマンズで開催され、南アジアのカリタスの代表が集まりました。参加したのはパキスタン、インド、スリランカ、バングラデシュ、ネパールの代表で、主催者である私やカリタスアジアの事務局長、そして今回の一連の計画策定の指導をお願いしているコンサルタントも含めて14名の参加がありました。(一番上の写真は参加者)

同様のワークショップは今後10月までにすべての地域で行われますが、残念ながら主催者である私は日程の関係で、すべての参加することは出来ません。もしかしたら、最後に行われる中央アジアに参加できるかもしれませんが、開催場所がキルギスなので、どうなるやら。

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飛行機の関係で私は数日早くカトマンズに出かけました。ちょうどその週末、8月27日にはカトマンズのカテドラルで、ポール・シミック司教の司式でイエズス会の司祭叙階式が行われるとのこと。一緒に叙階ミサに参加することが出来ました。

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ネパールは主にヒンズー教の国ですし、全体で七千人ほどのカトリック信者しかいない、カトリックが少数派の国です。先代で初代でもあった司教さんはイエズス会員でネパールの方でしたが、現在の司教さんはインドのダージリン出身。叙階されたイエズス会員もインド出身で、今後ダージリンでの司牧研修を経てネパールで働くことになるのだそうです。叙階式には、遠くインドのタミルナドから、新司祭のご両親もおいでになっていました。ネパール知牧区は、司教総代理のシラス・ボガティ神父がネパール人で、彼がカリタスネパールの責任者も兼任しています。ネパール出身の司祭も10数名で、多くの司祭がインド出身です。ネパールの教会のためにもお祈りください。

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カテドラルは一杯でしたから、500人くらいの方がミサに参加したのではないでしょうか。カラフルに装った子どもたちの踊りもあり、また聖歌隊もリズムに乗って素晴らしいハーモニーで、喜びに満ちあふれた叙階式のミサでした。叙階式のあとは、カレーが振る舞われる野外祝賀会。

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ミサ後の午後にはシラス神父の案内で、昨年の地震で大きな被害を受けた世界遺産にも登録されている王宮などがあるダンバール広場へ出かけました。今年の4月にネパールを初めて訪れたときは、訪れる時間がありませんでした。

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修復作業が進んでいましたが、はっきりと地震の爪痕を見ることが出来ます。またそれぞれの歴史的建物の前には、地震前の姿を写した写真が掲示されており、地震の被害の大きさを知ることが出来ます。完全な修復にはまだまだ時間がかかるものと思われますが、それでも多くの観光客が訪れていました。前回4月の訪問では、地震の被害から復興を目指している山間部の村をいくつか訪ねることが出来ました。今回は、首都の中の被害地域を訪れることが出来ました。耐震のほとんどない煉瓦造りの家ばかりですから、同じような地震が発生すれば、大きな被害が発生することは容易に想像がつきます。地震大国でもあり、同時に耐震対策の先進国でもある日本からの積極的な支援は、ふさわしいのではないでしょうか。なおカリタスジャパンでは、カリタスネパールの主導する長期的な復興活動に、日本からの募金を充てていく予定でおります。

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