
秋田の聖母の日が終了後、横浜の信徒の旅行会社パラダイスさんの企画で、昨年同様に岩手県を二泊三日でまわってきました。20名ほどの巡礼の旅です。
秋田の聖母の日のミサが終了後、巡礼参加者と一緒に昼食。そしてバスで一路盛岡へ。昨年もそうでしたが、ちょうど盛岡は秋祭りで街中にはいくつもの山車が繰り出していました。懐かしいかけ声と光景でした。
盛岡の四ツ家教会で祈りを捧げ、まっていたくださった信徒の方々から歓迎していただき、しばし、茶話会で交流。私はこの教会に、幼稚園年長から小学校4年まで住んでいました。当時父親が、この教会で働いていたからです。幼稚園は、当時すぐとなり、現在の郵便局のところにあった白百合へ。そして小学校は近くの仁王小学校でした。

その後、先日の台風による災害で土砂崩れが発生し、再開したばかりの国道106号線を通り宮古へ。台風10号による災害で、一時通行止めとなっていたとのことでしたが、一部交互通行があるものの、復旧工事は急ピッチで進み、迂回せずに宮古へ行くことが出来ました。
翌日は宮古教会でミサ。信徒の方も参加してくださり、私は昔からの懐かしい信徒の方と写真も。札幌教区の宮古ベースの方が、復興支援の活動について、ミサ後にお話とビデオの上映をしてくださいました。この日は宮古教会担当の田中神父様も常駐している釜石からおいでくださり、一緒にミサを捧げ、旅の参加者を歓迎してくださいました。

なお宮古教会には、今年の12月11日の日曜日、待降節の黙想会のために、再度訪問させていただくことにいたしました。また田中神父様の依頼で、その日は宮古が終わってから、釜石でもミサを捧げる予定です。

そして宮古から昨年同様に田老へ。田老では震災ガイドの方にお話をお願いし、さらに震災遺構としてオープンした旧田老観光ホテルに向かい、外階段を上って一番上の6階へ。ここで津波襲来当日の映像を見せていただき、震災ガイドの方からお話をいただきました。昨年と大きく変わったのは、この旧観光ホテルの震災遺構としてのオープンと、防潮堤内のかさ上げ工事が終わった部分に、道の駅と野球場ができあがっていたことでしょうか。さらには、防潮堤内には住民の家を建設できなくなったので、待ちを見下ろす丘に造成された場所に、多くの家が建設されていたことでしょうか。しかしまだまだ、田老の町が完全に昔のような姿を取り戻すのは、時間がかかるものと感じました。

最後の日は北へ向かって久慈市へ。先日の台風10号で川が氾濫し、久慈市の一部は水に浸かったと伺いました。そして久慈カトリック教会も被害に遭っていました。その教会を皆で訪問。信徒の方がお二人迎えてくださり、また担当の佐藤修神父様もおいでくださって、状況を説明してくださいました。

思いの外、教会の被害は大きいものです。洪水の水も私の身長より高いところまで到達していました。水の跡が外壁に残っています。泥だしの作業のため床板は外されています。教会の復旧のためには、まだ時間と力が必要です。

最終日の最後には久慈から二戸に向かい、二戸教会で佐藤神父様も交えてミサを捧げました。古い民家を使った小さな教会です。道路拡張で、将来的にはどうなるのか不明確だとも伺いました。
2011年の大震災と今年の台風。大きな被害に遭われた方々の復興は、まだまだ時間が必要です。それぞれの場で、忘れることなく、できる限りの支援を継続していきたいと思います。