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2016年10月30日 (日)

十日町教会で洗礼式

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さすがに寒さが増してきた10月末の新潟ですが、本日の日曜日は、新潟県の十日町教会で主日ミサを共にして参りました。また今日のミサの中では洗礼を受けられた方がお一人。成人洗礼です。おめでとうございます。

十日町教会は、近隣の地域で結婚しているフィリピン出身の信徒の方が多数集まってくる教会で、今日のミサも三十名ほどの方が集まりましたが八割方がフィリピン出身者。新潟県では、長岡市から群馬県境と長野県財界方面に向かう地域にはこの十日町教会しかなく、(高田方面には、長野との県境に妙高教会がありますが)、そのため多くの方々が車でかなりの時間をかけて集まってこられます。ですから冬になって雪が積もりはじめると、移動が困難になり、ミサの参加者も極端に少なくなると聞きました。特に十日町市は豪雪地帯で有名です。また小中学生のお子さんをお持ちの家庭もまだまだ多く、日曜日には学校の行事があって保護者もかり出され、そのため教会に来ることが出来ないことも多いという話も聞きました。日曜日に学校や地域の行事があって、教会に来ることが難しいという話は、近頃、多くの地域で耳にします。そのような状況が深刻化するのであれば、日曜日以外の週日の夜にでも、教会で定期的な集まりを持つようにしなければならないのかもしれません。教会は日曜だけの存在ではなく、毎日の存在であり、なおかつ単に場所のことではなく神の民としての共同体のことですから、日曜のミサ以外でも共同体とのつながりを具体化する方策を考えなければならないとも感じます。

Tokamachi1603

ミサ後には、まず記念撮影。フィリピン出身の方々の第一の特徴(失礼)は写真撮影ですから、たっぷり時間をかけました。スマホとカメラの数の凄いこと。すでに何枚かはフェースブックに上がっているようです。

そしてその後は持ち寄りのパーティー。洗礼を受けられたご本人も料理の名人で、素晴らしいビーフシチューをご持参くださいました。また、まもなく11月1日がわたしの誕生日ということで、信徒の方からプレゼントまでいただきました。ありがとうございます。

今日の午後、イタリア中部で再び地震があったと報道されています。建物の崩壊も多数あったようです。地震が続いていますが、被害に遭われた方々のために祈りたいと思います。

先日の記事でもお知らせしましたが、教皇様は明日、スウェーデンに出かけ、ルーテル派の方々と祈祷集会を開き、その中で特にシリアの和平のために祈られます。そして多くの方がその祈りに加わるように求められています。カリタスジャパンでは、国際カリタスの用意した祈りのカードをホームページに掲載しています(リンクです)。日本語訳もありますので、是非ご一緒にお祈りください。

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2016年10月29日 (土)

新潟地区信仰養成講座

Laudatosi1601
この数年、この時期になると、新潟地区の信徒の方々を主な対象に、連続でお話をさせていただいています。新潟地区の主催行事として、「新潟地区信仰養成講座」というタイトルで、連続講座を開いています。スケジュールの都合で、毎年二回のみですが、市内の信徒の方々に、多数参加いただいています。

もちろん二回程度のお話で、しかも一度が一時間強ですから、その程度で信仰が養成できるなどと甘いことを考えているわけではありませんが、普段、それぞれの小教区で行われている様々な講座を補完する意味で、一年に二回くらいは、司教がお話をする機会を持つこと自体には意味があろうと、信じています。

今年のテーマは、もちろん先日日本語訳が出版されたばかりの「ラウダート・シ」について。ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、「『ラウダート・シ』に学ぶキリスト者の生きる道」と題して、今日の土曜日と、来週の土曜日(11月5日)に、午後1時半から3時までの予定で、新潟教会のセンター二階を会場に、お話をいたします。来週も、もう一度ありますから、どうぞご参加ください。

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今回のお話の肝は、「ラウダート・シ」は単に環境問題について警告を発している文書なのではなく、キリスト者が、ひいては人間が、どのように生きるのがふさわしいのかを説いている文書である、という点です。確かに環境問題の様々な課題を教皇様は取り上げていますが、同時にどういった課題を、技術で解決するのでは足りないとも言います。

冒頭部分にこう記されています。

「罪によって傷ついたわたしたちの心に潜む暴力は、土壌や水や大気、そしてあらゆる種類の生き物に見て取れる病的徴候にも映し出されています。(2)」

つまり環境の破壊は、わたしたち人類がしばしば神を裏切り続けてきたことによって心に蓄積し続ける暴力が、そのまま反映している現実であると指摘するのです。従って、小手先のテクノロジーに頼って解決を図っても、本当の解決は得られない。環境問題は、究極的には、人類の回心なしには成し遂げられないのです。

加えて、環境問題は、結局は平和問題でもあると指摘します。すなわち、わたしたちが考える平和は、例えば聖ヨハネ23世教皇の、『地上の平和』の冒頭にこう記されています。

「すべての時代にわたり人々が絶え間なく切望してきた地上の平和は、神の定めた秩序が全面的に尊重されなければ、達成されることも保障されることもありません」(「ヨハネ23世地上の平和1)

神は無秩序にこの世界を創造されたのではなく、ご自身のよしとされる秩序に基づいて、その秩序を持って世界を創造されています。その秩序が保たれている状態が平和です。戦争や殺人や対立など生命の尊重をないがしろにする行動は、当然この神の秩序を乱しているので、平和を乱しているのです。同じように、被造物を混乱に陥れる環境の乱れも、同じように平和を乱しているのです。それぞれの人ができる限りで、個々の課題に取り組むことは大切ですが、同時に教会共同体は、世界の平和を乱している、つまり神の秩序への挑戦である様々な課題に広く取り組まなくてはならない。教会がシングルイシューにのみ固執することは出来ない。だから環境問題にも取り組むのだと指摘されています。

後半は、核心部分である「人はどう生きるのか」に入り込んでいきます。それはまた来週に。明日は十日町教会で主日ミサです。

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2016年10月27日 (木)

キルギスの首都ビシュケクへ

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先週の金曜日から日曜の朝にかけて、中央アジアのキルギス共和国(キルギスタン)の首都ビシュケクを訪問する機会に恵まれました。旧ソ連の一部であったキルギスは、周囲をカザフスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、中国に囲まれている内陸国です。日本からは、モスクワで乗り換えたり、中国国内を乗り継いだりして行くことができますが、今回はターキッシュ航空でイスタンブール経由。日本からイスタンブールまで11時間。そしてイスタンブールからビシュケクまで4時間強。さらに今回は前後の予定に合わせるため、早朝に羽田を発ってソウルに行き、ソウルからターキッシュの昼便でイスタンブールへ飛びましたが、行きも帰りも二日がかかりました。

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さて目的は、私が責任者を務めるカリタスアジアの主催する、中央アジア地域のカリタスのワークショップに出席するためです。カリタスアジアの中央アジア地域には、モンゴル、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンにカリタス組織が存在しています。その多くがまだできたばかりで、正式な国際カリタスのメンバーにはなっていませんが、これからが期待される組織ばかりです。今回はビザの関係でモンゴルの代表が参加できませんでした。ちなみに日本のパスポートはビザなしで入国することができました。

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キルギスの首都ビシュケクは周囲を高い山に囲まれた平野にあり、現地で働く司祭によればトレッキングなどで訪れる観光客が多いとのこと。550万人ほどの全人口の中でカトリック信者は500人ほどと統計にあります。小教区は3カ所。そして国全体の宣教はイエズス会に任されていて、全国に司祭は5人。そのうちのひとり、ヤネス・ミハエリチック神父が使徒座管理者に任じられています。この方は20年ほど前まで上智大学でロシア語を教えておられたとのことで、日本語がペラペラ。現在はキルギスの大学で日本語を教えておられるとのこと。この7月にそれまで知牧区長だったメスマー司教が病気のため61歳で急逝し、そのために75歳になるミハエリチック神父が管理者に任命されています。全人口の7割がイスラム教。残りの大半はロシア正教。カトリック教会にとって、なかなか厳しい環境です。

市内のホテルで行われたワークショップは、現在カリタスアジアが2017年から3年間の戦略計画と活動計画を策定するためにアジア全域で進めているプログラムの一環です。まだカリタスの活動が始まったばかりの地域ですが、将来はこうありたいという理想について、そしてその挑戦にどう答えるかについて、熱い議論が交わされました。

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毎日会議の前にはバスに乗ってホテルからカテドラルに移動。カテドラルといっても50人ほどが入ったら一杯になる聖堂です。集まって下さった信徒の方と一緒に、ミサを司式する機会も頂きました。ロシア語でミサができないので、英語で司式させていただきました。

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キルギスは秋から冬に入る時期で、寒いみぞれの日もありました。

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さて月曜の夜に帰国し、火曜からは今度は東京で、カリタスジャパンの全国教区担当者の会議。その後委員会の委員を含めて皆で一緒に、カリタスジャパンの戦略計画策定のためにワークショップを行いました。このように委員の方も含めてワークショップを行うのは、カリタスジャパンにとって初めてです。また教区担当者の会議では、子どもたちの貧困問題に関連して、子どもたちの居場所の確保を考えながら、調布のサレジオ会に出かけ、そこで活動を続けている方々や、大阪の釜ヶ崎で子どもたちの居場所である「子どもの里」を主宰する荘保さんのお話を伺うなどしました。

そして今日の木曜は、カリタスジャパンの援助部会会議後に福島へ移動。明日の朝から福島で、仙台教区サポート会議と全ベース会議です。それが終わると九日ぶり新潟へ戻れます。

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2016年10月19日 (水)

聖地巡礼@その後

11月25日夜から12月3日夜までで企画されているパラダイスさんの聖地巡礼は、実施が決まりました。わたし以外にも、仙台教区の平賀司教様もご同行いただけることになりました。

小さなグループですが、司教2名と司祭1名の参加を予定しています。もし急に心が動いて、いまから参加したいと思われる方。まだ可能性がありますので、パラダイスの村上さんにご相談ください。全国どこの方でもご参加いただけます。

パラダイスさんの営業時間は、月曜から金曜まで、午前9時半から午後6時まで。

電話は045-580-0023。そしてファックスは045-580-0024。担当は村上さんです。横浜教区の信徒の方です。

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シリアの和平のために

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教皇様は混乱が続くシリアの和平のため、しばしばメッセージを発表されてきました。さらにはシリア難民の受け入れについても、各国に寛容な態度で臨むように要望され、またご自分から具体的に、昨年の4月16日にギリシアのレスボス島を訪問した際には、シリア難民の三家族12人を一緒にローマへ連れ帰ったりしてきました。

国際カリタスも、世界中のカリタスや司教団に呼びかけて、「シリアに平和は可能だ」と題した和平を求めるキャンペーンを現在も行っています。昨年の7月5日にこのキャンペーンに対してビデオメッセージを寄せた教皇は、その中で次のように呼びかけました。

「市民の苦しみの一方で、大量の資金が武器に費やされている。・・・平和を説く国々の間には、武器を供給している国もあり、右手で人を慰めながら、左手で人を打つ人をどうして信用することができるだろうか。・・・この『いつくしみの特別聖年』に、無関心に打ち勝ち、シリアの平和を力強く唱えよう」

このたび教皇様は、10月31日にスウェーデンで行われる超教派の祈祷集会に参加され、そこでシリアの和平のために祈りを捧げられます。この祈祷集会は、宗教改革500年を記念するもので、初めてカトリックとルーテル派の指導者が一緒に祈る機会となります。教皇フランシスコとともに、ルーテル世界連盟(LWF)議長のムニブ・A・ヨウナン博士、LWF総幹事のマルティン・ユンゲ博士が祈りを捧げます。

シリアの和平のためにキャンペーンを続けている国際カリタスも、ミシェル・ロワ事務局長をはじめとした代表団をこの祈祷集会に派遣します。同時に国際カリタスでは、全世界のカリタスメンバーを通じて、多くの人がこの10月31日に一緒に心を合わせて、シリアの和平のために祈ることを呼びかけています。(カリタスジャパンのホームページへのリンク

またfacebookやtwitterのために、ハシュタグも用意されています。#peacepossible4Syria

是非、10月31日、またはその前後に、個人で、共同体で、教皇様と心を合わせて、シリアの和平のために祈りを捧げてくださるようにお願いいたします。

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2016年10月17日 (月)

バンコクから上越高田、そして妙高へ

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さすらいの旅を続けているわけではありませんが、(人はすべからく時の旅人であるのはその通りですけれど)、先週は新発田地区大会と新潟地区大会の後、羽田空港からタイのバンコクへ向かいました。10月13日と14日にカリタスアジアの地域委員会(理事会)が予定されていました。

カリタスアジアの地域員会は、総裁であるわたしと、それぞれの地区の代表、すなわち、南アジアのパキスタン、東南アジアのミャンマー、東アジアのマカオ、そして中央アジアのモンゴルの各委員と、バンコク事務局に勤めるコーディネーター、さらに国際カリタス事務局から一名が参加して年に最低でも3度開催されています。今回は11月に予定されている国際カリタスの代表委員会(理事会)に向けての準備もありました。

バンコク滞在中の13日、夕食に皆で出かけていると携帯に日本の緊急ニュースが。何かと思ってみると、タイのプミポン国王が亡くなられたとのこと。かねてより病気療養中と報道されていましたが、この日の午後、88歳でお亡くなりになられました。国民に敬愛された素晴らしい王様だと、多くの人から聞きました。その翌日から、町中は黒っぽい服装の人で溢れ、テレビも国王の業績をたたえる白黒の番組一本のみ。皇太子がその後を継承することになっているのですが、当分の間、タイの人々の悲しみは癒えることがないのかもしれません。

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そんなタイから土曜の夜に戻り、日曜は朝9時半から上越市の高田教会で堅信式ミサ。中学生を中心に8名の方が堅信を受けられました。おめでとうございます。ミサの後には、主任のフーベルト神父(フランシスコ会)のかねてよりのリクエストで、教皇様の回勅「ラウダート・シ」について、一時間ほど話をさせていただきました。あのボリュームのある回勅を1時間でまとめるのは至難の業です。今度10月末と11月頭に、新潟教会で二回にわたってお話をさせていただくのですが、それくらいでも入りきらないほど、中身の濃い回勅です。

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このお話の後、受堅者やその家族と一緒に昼食。持ち寄りの料理もあり、終わりには受堅者によるピアノ生伴奏での歌の披露もあり、楽しいひとときを過ごしました。

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そして今度は午後2時半から、赤倉にある妙高教会でミサ。高田教会の巡回ですが、聖堂には20名近い人が集まってくださいました。聖堂には立派なオルガンがありますので、他教会からオルガニストの助っ人もあり、歌ミサでした。

ここでも高田と同じように、ミサ後には「ラウダート・シ」の話を一時間。そのあと、聖堂のとなりにある山荘に移り、茶話会。妙高の山もきれいに見える素晴らしい秋晴れでした。

そのまま高速をゆっくりと走り、休み休みで、司教館に戻ったのは夜8時近く。ひとまず、長い旅が終わりました。そしてすぐ次が始まります。

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昨日は新潟県知事選挙の投票日でした。わたしは高田と妙高のミサの予定があったので、すでに期日前投票を済ませていました。この結果をどのように評価するべきか、わたしは政治評論家ではないのでそれを試みようとは思いませんが、予想とは異なる結果となりました。自民と公明が推薦した前長岡市長が圧勝かと思いきや、いわゆる野党推薦の米山さんが勝利されました。

米山新知事は、退任される現職の泉田知事の路線を継承する、すなわち福島原発の事故の原因がはっきりしないうちは、柏崎刈羽の原子力発電所の再稼働は認めないという立場を鮮明に打ち出しておられました。ですから、新潟県の民意の多数派は、その路線を選択したということでしょう。

ちょうど、「東日本大震災から8か月後の2011年11月に司教団が発表した脱原発のメッセージを補完して、科学的、哲学的、神学的な裏づけをなす。核エネルギー利用の歴史をひもとき原発事故当事国である日本の責任を問い、核技術に関する科学的な解説をなしたうえで、カトリックの教理と現代の環境思想を踏まえた核をめぐる倫理的な考察を展開する」という書籍、「いまこそ原発の廃止を」が発刊されたところです(リンクから中央協のホームページへ飛びます)

司教団のメッセージを、様々な専門家が裏付けるための文書を作成してくれました。まもなくそれにともなう新たな司教団の呼びかけも発表される予定です。

ですから、その意味では、米山新知事が誕生したことは、喜ばしいのですが、同時にそう単純に喜ぶことも出来ないとも感じています。それは特に、今般、「ラウダート・シ」についてのお話を準備していたときに強く感じた点ですが、シングルイシューの(ワンイシューともいうみたいですが)一点突破では、全体は改善された方向には向かわないと感じるからです。教皇フランシスコは総合的エコロジーという言葉を使って、様々な分野が複雑に絡み合ってできあがっている複雑な現実を、どのように総合的な視点から捉えてより良い方向を目指すのかという指摘をされています。ですから原発についてのシングルイシューでの一点突破では、その前に大きな現実の壁が立ちはだかるようなおもいがいたします。

いずれにしろ、米山新知事の誕生と今後の新潟県の進む道を、神様が祝福し、より良い方向へと導いてくださることを、心から祈っています。

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2016年10月10日 (月)

新発田地区信徒大会と新潟地区信徒大会

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この二日間は、新潟県内の新発田地区と新潟地区で、それぞれ信徒大会が行われました。(写真上は、加茂教会の新しい祭壇。この日のミサで祝別しました)

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まず昨日の日曜日、新発田地区信徒大会が加茂教会を会場に開催されました。新発田地区は、新発田、村上、加茂、三条、新津、村松、見附、栃尾の八つの教会共同体で成り立っています。現在の地区長は新発田教会の佐藤師です。また加茂教会は三条教会の石黒師が、主任司祭を兼任しています。この日、加茂に集まったのは70名を超えていました。

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まず11時からわたしが司式して、加茂教会の聖堂で主日のミサ。共同司式は佐藤師、石黒師、スタン師、ナジ師。加茂教会ではこのたび新しい祭壇が完成。信徒の方が作成した木造と聞きました。ミサのはじめにこの祭壇の祝別を執り行いました。聖水を集まった方々と祭壇に撒き、祝別の祈りを唱え、聖香油を祭壇に塗油しました。

ミサの説教は石黒師。お話は得意の三部構成で、今回の地区大会を小さいな加茂共同体がどのように準備したのかではじまり、いつくしみの意味を、地元の言葉でどういう感情表現かをじっくりと話してくださいました。

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ミサ後には昼食を挟んで、今度は会場を隣の幼稚園ホールに移し、お二人の方の講演をいただきました。

まずはケアマネとして介護の仕事をしている寺尾教会の橘さんが、仕事を通じての様々な人との出会いとそれによる気づきについて話してくださいました。もともと音楽を学んでいた彼女が、どうして洗礼を受けることになり、また介護の仕事に進むことになったのか。信仰の旅路を分かち合ってくださいました。

Kamo1605
続けて見附教会のスタン神父が、聖ファウスティナについて話してくださいました。スタン神父は聖人と同じポーランド出身の神言会員です。神のいつくしみの信心についても、多くの人が初めて聞くような話であったと思います。講演の後に全員で、祈りの花束である神のいつくしみのチャプレットを全員で唱えました。

そして体育の日の今日。新潟地区が信徒大会を開催。新潟地区は、新潟、青山、寺尾、亀田、花園、鳥屋野、白根、佐渡の八つの教会で構成されています。

今回は単なる集まりではなくて、いつくしみの特別聖年の行事として、地区内のすべての教会を巡礼して廻ると言うことになったそうです。朝九時半に新潟教会をバスで出発し、順番にそれぞれの教会を訪ねて祈りを捧げ、途中でお弁当もいただき、最後は午後4時過ぎに新潟教会へ帰着。そして4時半からわたしが司式して、ミサを捧げました。ミサは巡礼参加者以外もおいでになったので、70名ほどの方が参加しておられたのではないでしょうか。わたしは巡礼にはご一緒しませんでしたが、ミサだけを一緒にさせていただきました。

わたし以外に、地区長の山頭師、大瀧師、ラウル師、高橋師の共同司式で、町田師と三崎師も顔を見せてくださいました。

巡礼の旅を一緒にすることは、教会がただ義務を果たすために定期的に訪れるというような存在ではなくて、みんなと一緒に常に旅を続ける神の民なのだと言うことを実感するために、大切な行いです。わたしたちの信仰は、個人的なイエスとの出会いを基礎としながらも、常に共同体の信仰です。個人の信心の集合体ではなく、この世においてともに旅を続ける一つの民です。家族です。そしてそれは小教区にとどまらず、全世界の教会共同体と一緒に、家族を、民を構成しているのです。巡礼の旅が、そのことを心に刻む機会となればと思います。

(付記)

昨日、教皇様は新しい枢機卿を親任することを発表され、そのための枢機卿会を11月19日(土)に招集されました。教皇選挙権を持つ80歳未満の新しい枢機卿は13名ですが、日本からは選ばれませんでした。80歳を超えている枢機卿も4名任命されました。

アジアからは、80歳未満で、バングラデシュの首都ダッカ教区のパトリック・デ・ロザリオ大司教が選ばれ、80歳を超えていますがマレーシアのクアラルンプール名誉大司教のアントニー・ソテル・フェルナンデス大司教も選ばれました。バングラデシュもマレーシアも初めての枢機卿選任です。

また近くでは、パプアニューギニアの首都ポートモレスビーのジョン・リバット大司教も選ばれました。パプアニューギニアも初めての枢機卿です。

新しい枢機卿たちのために、どうぞお祈りください。

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2016年10月 8日 (土)

日弁連の死刑廃止の宣言に関連して

報道によれば、日本弁護士連合会は10月7日、福井市で開催した人権擁護大会で、「2020年までに死刑制度の廃止を目指し、終身刑の導入を検討する」とする宣言を採択したとのことで、日弁連が「死刑廃止」を掲げるのは初めてだといわれます。

日本社会全体には、このことに関してまったく相異なる意見が在ることは明確ですし、またカトリック教会内部にも、特に日本の教会の中では相異なる立場があることをよく承知しています。また犯罪被害者家族の心の思いも無視することは出来ないことも、確かにその通りであると思います。

しかし、すべての生命のすべてのレベルにおける完全な尊厳を信じるキリスト教の信仰は、やはり犯罪者に対する処罰にあっても、生命を奪い去ることを是とすることが出来ないと考えています。生命がすべからく神からの賜物として尊厳を有すると信仰において主張するとき、当然の論理的帰結として、その受胎の瞬間からこの世の生を終えるときまで、生命を司るのは神のみであって、人間が介入するべきではないとしか考えられないからです。

教会の教えをまとめているカテキズムの要約をみると、教会の伝統的な教えは第五戒の流れの中でいくつかの条件を前提としながらも「正当防衛」を認めており、その枠組みの中で死刑を含む刑罰について語っています。しかしその続きの部分で、カテキズムの要約の469には、次のような指摘があります。

「科される刑罰は犯罪の重大性と均衡がとれたものでなければなりません。今日では、国家は犯罪を抑止する種々の手段を用いて、犯罪者を無害化することが可能となっているので、死刑の絶対的な必要性の事例は『実質的に全くなくなったわけではないが、ごくまれなことになっています』。血を流さない手段で十分であるなら、権威はそれらの手段に限定すべきです・・・。」

教会は長い歴史を背負って現在がありますし、世界中の様々な国家体制の現実の中で存在していますから、政治の権威が関与する事柄に対しては、公的な「教え」として断定的な判断を下すことは避けています。また基本的には信仰箇条の譲れない部分を除いて、個々人の内心の自由に介入することも避けています。ですからこのカテキズムの文章も幅を持って解釈できる文章であり、『だから死刑は廃止だ』と考える人たちと、『だから死刑は必要だ』と考える人たちの両者を否定しないものとなっていますし、そのどちらかを全ての信徒に強制しようとするものでもありません。このスタンスは変わることがないでしょう。

しかし時々に教会は、様々なレベルでの発言を通じて、その幅のある「教え」を、具体的にどのように解釈するべきかを示してきました。

死刑については、教皇聖ヨハネパウロ2世に始まっていまに至るまで、死刑の抑制から廃止に向かった流れを明確に主張しています。2015年3月4日には、国連の人権理事会第28回会議において、バチカンのジュネーブにおける国連代表であるシルバノ・トマシ大司教(当時)が、この数十年の教会の立場を説明した後で、次のように述べて、現在の教会の考え方を国際社会に明確に示しました。

「さらに教皇フランシスコは、国家の立法府と司法府は「人間の生命優先と人間の尊厳」に、常に従っていなければならないと強調します。教皇はまた、法的過誤の可能性と、全体主義や独裁政権による政敵抹殺や宗教や文化的少数者への迫害のための法律の利用についても言及しました。

従って、すべての人の尊厳への敬意と共通善への敬意は、聖座の立場のよりどころである二つの柱です。これらの原則は、国際的人権法や法学の同様の発展と重なり合っています。加えて、死刑が抑止的であるという明確な積極的効果は見られないと言うことを考慮すべきであり、この刑罰の不可逆性は誤判の場合にそれを是正することが出来ないという点も考慮すべきです。

議長、我が代表団は無血の方法で共通善を護り正義を保つことが可能であると強調し、諸国がより人道的な刑罰をを支持する姿勢を明確にするように刑罰制度をあらためるように呼びかけます。この方法を廃止するにはまだ準備が出来ていないと主張する国に対しては、我が代表団はそれが可能となるように努力するよう勧めます。

結論として、議長、聖座代表団は死刑を廃止する努力を全面的に支持します。この望むべき目的に到達するために、次の段階を踏むべきです。1)社会が死刑の廃止を実行できるように社会改革を進める。2)刑務所の状況を改善し、それによって自由を奪われている人々の人間の尊厳への敬意を保つ」

以上のように述べて、現時点でカトリック教会は、死刑廃止を積極的に支持するという姿勢を明確にしました。またいつくしみの特別聖年にあたって教皇フランシスコは今年の2月、カトリック信徒である世界の政治リーダーたちに対して呼びかけ、せめてこの特別聖年の間には死刑執行を停止して欲しいと願われました。

わたしたちにとって神は絶対的な存在であり、絶対的な価値判断の基準であります。そのような大局的な見地から、つまり神の見地から、根本的に大事なことを判断し尊重するような価値基準は、入り込む余地がなくなってしまう。いま世界はそういう状態にあって、お互いに自分の狭い周囲のことばかりに目を奪われて、大局的な見地、すなわち神の立場から世界を見ることが出来なくなっているのではないかと思います。

 だから、このところ、教皇様は、例えば難民の受け入れの問題であったり、国境封鎖の問題であったり、環境問題であったり、世界経済の問題であったり、様々な個々の問題に、教会としての立場を明確に示されることが増えているのです。大局的な見地から、神の価値観を具体的に示そうとされています。抽象的な価値観ではなく、具体的な個々の課題に直接、判断の基準を示すことで、そこには譲れない絶対的な価値基準があることを示そうとされています。そしてそれは死刑の問題でも同じなのです。

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2016年10月 5日 (水)

堅信式@柏崎教会&フランシスコのお祝い

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先日2日の日曜日。新潟県の柏崎教会で9名の方の堅信と3名の方の初聖体を、主日ミサの間に執り行いました。

柏崎教会の主任司祭は、フランシスコ会員で90歳を超えるイタリア出身のレオ・バッシ神父。バッシ神父は、年齢をいまでも感じさせず、とてもお元気です。

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ミサ後には、階下のホールでちょっとした茶話会。堅信式の特別ではなく、いつもの日曜のミサの後には、こうやって皆が集まり、しばしお茶などをいただきながら歓談しているとのこと。素晴らしい。

堅信を受けられた方々、初聖体を受けられた方々。おめでとうございます。

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そして昨日10月4日は、アシジの聖フランシスコのお祝いを、長岡教会で行いました。以前は長岡教会がフランシスコ会のこの地区の拠点で会ったこともあり、長年にわたって長岡教会(旧表町)で、フランシスコ会員と教区司祭が集まってミサを捧げてきました。現在は、長岡の主任司祭は教区司祭となり(真壁神父)、フランシスコ会員は拠点を高田教会に移していますが、これまでの伝統と、皆の集まりやすさを考えて、長岡でミサを捧げています。

11時からのミサには、近隣の信徒の方々、特にフランシスコ第三会員などが中心に参加してくだいました。感謝。

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2016年10月 1日 (土)

10月となりました。今月の予定。

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あっという間に時は過ぎ去り、もう10月です。今年も残すところあと3ヶ月。先日来宣伝しております聖地巡礼。航空便の関係で日程が一日ずれました。11月25日(金)の夜に成田発。12月3日(土)の夜に成田帰着です。あと2/3名ほど余裕があります。まだ数日は募集中です。詳しくは先日のこちらの記事へ。この機会に是非ご一緒に。

写真は、司祭の黙想会で指導いただいたサレジオ会の阿部仲麻呂神父の近著。「使徒信条を詠む」です。この「読む」ではなくて「詠む」というところがいい。阿部神父様が小教区の講演でお話になった内容をまとめたものですので、かなりのボリュームですが、わかりやすく書かれているものです。教友社から。是非ご一読を。アマゾンはこちらのリンクへ。下の写真は黙想会最終日に、岡田大司教司式のミサで説教する阿部神父。

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さて10月になりましたので、いつものように今月の主な予定を記しておきます。

  • 10月2日 柏崎教会ミサ (柏崎教会9時)
  • 10月4日 聖フランシスコのお祝いミサ (長岡教会11時)
  • 10月6日 常任司教委員会、神学院常任委員会 (潮見)
  • 10月7日 臨時司教総会 (潮見)
  • 10月9日 新発田地区大会 (加茂教会)
  • 10月10日 新潟地区大会 (新潟教会他)
  • 10月13/14日 カリタスアジア地域委員会 (バンコク)
  • 10月16日 高田教会、妙高教会ミサ (上越、妙高)
  • 10月17日 月曜会ミサ (新潟教会11時)
  • 10月17日 (社福)新潟カリタス会理事会 (新潟)
  • 10月18日 (学)聖母学園理事会、園長会 (新潟)
  • 10月21/22/23日 カリタスアジア、中央アジア研修会 (キルギス)
  • 10月25/26/27日 カリタスジャパン教区担当者会、委員研修 (潮見)
  • 10月28日 仙台教区サポート会議 (福島)
  • 10月29日 信徒養成講座 (新潟教会13時半)
  • 10月30日 十日町教会ミサ (十日町教会10時半)

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