新しい5人の枢機卿任命
先週は国際カリタスの会議でバチカンにいました。いろんな人と出会って話をする中で、教皇様は次に「いつ」枢機卿を任命するだろうかというトピックで、少し盛り上がりました。ご存じのように教皇選挙権を持つのは80歳未満の枢機卿で、その人数は120名と定められています。(写真はローマの国際カリタス本部隣りにある、サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会)
教皇フランシスコは、様々に改革を進めているので、この人数を150名に拡大するのではないかといった類いの噂もありました。120名というのは、パウロ6世によって定められた人数です。しかし、先日教皇様と直接話したある関係者によれば、教皇様は「任命したい人はまだ多いが、定員があるから」と言明し、この120名枠は今のところ変更しない方針を示唆されたそうです。というわけで、この話をしていたときに80歳未満の枢機卿は116名。そのため今年は新たな枢機卿の任命はないのではないか、早くても来年の2月ではないか、というあたりで、話は終わりました。
ところが、会議が終わってローマからターキッシュ航空便に乗り、イスタンブールを経由して、日曜日の夜に成田空港へ到着し、携帯の電源を入れると、なんとその数分前に教皇様が日曜日のレジナ・チェリの祈りの後に、新しい枢機卿の任命を発表されていました。
以前のバチカンの他の会議で、ニュージーランドの枢機卿が、自分が枢機卿に任命されたこと知ったのは、友人から突然『おめでとうメール』が来たからだった。それまではまったく知らなかった、といわれてましたが、今回任命された方々も、驚かれたことでしょう。
というわけで、このたび5名の方が、枢機卿に任命され、親任式は6月28日に行われることになりました。任命されたのは以下の司教様たちで、わたしが個人的に存じ上げている方もおられます。
- マリ・バマコの司教 ジャン・ゼルボ大司教
- スペイン・バルセロナのフアン・ホセ・オメリャ大司教
- スエーデン・ストックホルムのアンデルス・アルボレリウス司教
- ラオス・パクセのルイス・マリ・マングカネクホン司教
- エル・サルバドルのサン・サルヴァドルの補佐司教グレゴリオ・ロサ・チャベス司教
一番最後のロサ・チャベス司教は、カリタスエルサルバドルの責任者で、以前はカリタスラテンアメリカの総裁を務められていました。彼は、昨年福者に上げられたオスカル・ロメロ大司教の協働者で、ロメロ大司教の列福運動で大きな役割を果たした一人です。首都サンサルバドルの司教であった福者ロメロ大司教が、ミサを捧げている最中に暗殺され殉教を遂げた後に、ロサ・チャベス司教は同教区の補佐司教に任命され、現在に至っています。ロメロ大司教の殉教は1980年3月24日。ロサ・チャベス司教が補佐司教に任命されたのは1982年2月です。(写真上は、福者ロメロ大司教の肖像の前に立つロサ・チャベス司教)
何度もカリタスの理事会で一緒になりました。会議で一緒になったときのイメージは、『正義のためのファイター』です。ロメロ大司教に倣って、恐れることなく、常に正しい道を押し進んでいくファイターです。
教皇フランシスコは、今回もそうですが、これまで枢機卿のいなかった国や、従来の慣例に捕らわれすに人物本位で枢機卿を任命されます。今回も、アフリカのマリや、アジアではラオスの司教が任命されました。スエーデンに至っては、この国に独りしかいない司教です。カルメル会士で、研修会で三度ほど一緒になったことがありますが、とても心優しい司教様です。いずれにしろそうした教皇フランシスコの方針からすれば、サンサルバドル教区の補佐司教を枢機卿に任命したのは、やはり福者ロメロ大司教のような生き方を、教皇様が現代社会に模範として示したいと願われているからではないでしょうか。
さて、全国的に意見が大きく分かれている「共謀罪」を盛り込んだ「組織犯罪処罰法」の改正案が
法律の細かいところは、新聞を読んだり、国会の論戦を聞いたりしても、聞けば聞くほど、なにやらはっきりしないということだけがはっきりしてきます。
法律の専門家の立場からはまたそれぞれの考えるところがあるのでしょうが、宗教者の立場からも明確にしてほしいと願うところがあります。
もちろん歴史はそのまま繰り返しませんし、時代によって国の内外の状況や関係も異なるので一概には言えないのは当然理解しています。その上で、国による恣意的な運用の可能性を否定しない法律によって、すくなからずの宗教者が内心の自由を侵害された体験のある国に生きている宗教者ですし、実際に新潟県の高田において戦争中、信徒と司祭が、信仰に基づく信念のゆえに治安維持法違反で逮捕され、実際に有罪を宣告されたことがある新潟教区の司教としては、どうしても一つの点を、具体的に担保する保証がないことには、安心が出来ないのです。それはすなわち、内心の自由の保障が、今の政治家の『言葉』による担保なのではなく、将来的に渡って具体的な制度として護られることがしっかりと定められることです。これからの参議院の議論において、そのことがしっかりと取り上げられるように心から望みます。
国会の議論において、野党の皆さんの質問の中心には、『一般人が対象になるのかどうか』という点がありましたが、それを今の与党政権の誰かが、『そのようなことはないから安心してほしい』と言葉で言ったところで、それは将来的には何の保障にもなりません。残念ながら、あの議論は、時間を費やすばかりで、実りがなかったように思います。それよりも、法の恣意的な解釈による国の権力の濫用によって、内心の自由が侵されることのないような目に見える制度を具体的に設けるような知恵を絞っていただきたく思います。
なおご参考までに、以前に高田で起こったことについて触れた司教の日記は二つありますが、次のリンクを参照ください。2006年8月17日。そしてもう一つ2007年8月8日。
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