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2017年9月26日 (火)

フィローニ枢機卿離日

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日本の教会を訪問されていた福音宣教省長官フェルナンド・フィローニ枢機卿は、本日火曜日の午後、日本を離れローマへの帰途につかれました。毎日、分刻みのようなプログラムを精力的にこなしてくださいましたが、視察の途中では「日本の人は時間の奴隷になっている」と冗談も言われたようです。(写真上。カトリック会館に到着し,職員に迎えられる枢機卿)

一昨日の日曜日には、関口の東京カテドラルで、信徒や修道者との対話集会の後、日本の司教団や教皇大使と主日のミサを一緒にされ,その後、司教団との夕食会が催されました。

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昨日の月曜日は、午前中から潮見の司教協議会で、昼食を挟んで,日本の司教団との話し合いが行われました。枢機卿は、教皇様からのメッセージに基づき、日本の福音宣教の現状を振り返り、熱意を新たにするように求められました。枢機卿は特に、30年前に開催された福音宣教全国会議(ナイス)の成果について触れ、その当時の福音宣教への熱意が今は衰えてしまったのではないかと問いかけ、守りの姿勢ではなく,積極的に福音を証しして生きるようにと,司教団に励ましをくださいました。

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枢機卿は,仙台を訪問された際に,わたしも同行して訪れた福島の被災地に非常に心を動かされた様子で、人間が自らの限界をわきまえて,神の前に謙遜に生きることの大切さを改めて強調されておられました。

枢機卿の今回の訪問に,感謝したいと思います。

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2017年9月24日 (日)

カトリック加茂教会50周年@新潟県加茂市

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新潟県加茂市にあるカトリック加茂教会が創立50周年を迎え、昨日9月23日の土曜日に感謝ミサと祝賀会が行われました。

加茂教会は、当時神言会員が担当していた近隣の三条教会を母体として始まりました。当初は三条教会の信徒として洗礼を受けていたようですが、1966年にまず加茂白百合幼稚園が創立され、その翌年に洗礼台帳に初めて加茂の地名が記され、さらにその翌年に聖堂が完成ということで、今年が創立の50周年です。

加茂教会は小さな教会共同体で、地域では幼稚園の存在の方が有名なのかもしれません。海外出身の信徒の方もおられ、司牧訪問をすると喜びに満ちあふれた家庭的な教会共同体を肌で感じることができます。

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今日のミサは、三条教会と主任を兼任する石黒師をはじめ、これまで加茂教会を担当したことのある川崎師、佐藤勤師、坂本師、そして近隣の新発田地区内で働く、伊藤師やナジ師も参加され、石黒師が説教をされました。

ミサ後には会場を、信越線の駅を挟んで街の反対側にある、酒蔵を改装してパーティーなどができる様にしたお店に移して、食事を共にしながらの祝賀会となりました。ここは由緒ある料亭が、敷地前にある酒蔵を改装したもので、結婚披露宴などにも使われているそうで、新郎新婦が街を練り歩く人力車が入り口に飾ってありました(上の写真)近隣の教会の信徒代表も参加され、50名近い方が祝いの時をともにされました。

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祝賀会では、幼稚園の先生方全員による歌の披露もあり、楽しいひとときを皆で共有しました。(写真上は挨拶する石黒神父。下は幼稚園の先生方と)

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挨拶でも申し上げたことです。わたしたちの信仰生活は、わたしたち一人一人が魅力を感じたからこそ従おうと決意した、そのイエスの生き方に倣おうとするものでありたいと思います。つまりわたしたち一人一人は、イエスに倣う者として、いつくしみと喜びと希望に満ちた生き方をする魅力ある人物になりたい。そんな魅力ある人たちが集まっているのが、教会共同体です。ですから教会共同体は、地域において魅力ある存在でありたいと思います。そしてそれこそが福音宣教につながります。わたしたちの福音宣教は、信徒獲得のための手練手管ではなく、イエスの生き方に忠実に生きることによって魅力をあふれさせ、わたしたちや共同体からあふれているその魅力を、周りの人たちに分かち合っていくことにあるのだと思います。人口減少や高齢化だといって消極的になり、店じまいを考えるのではなく、ちいさくとも魅力のある人であふれた、魅力ある共同体を育て、その魅力を分かち合っていきましょう。これからも。

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2017年9月23日 (土)

お知らせを二つ

お知らせを二つ

1:カリタスジャパンでは今般のメキシコでの大地震にあたり、カリタスメキシコが中心となって行う被災者への救援や復興支援活動を支援するために、募金を受け付けております。

詳細については、カリタスジャパンのお知らせを、こちらのリンクからご覧下さい

「現地ではカリタスメキシコが緊急救援活動を開始しており、まずは、地震により生活の糧を失った 人々のために、食料、飲み水、衛生用品などの提供、シェルターの確保などを行っています。

カリタスジャパンは、このカリタスメキシコの救援活動に協力し支援を行っていくため、募金を受付 けることと致しました。お寄せ頂いた募金は、カリタスメキシコへ支援金として送金させていただく 予定です」(カリタスジャパンのお知らせより)。

2:聖地巡礼、あと残りほんの数席ですが、まだ余裕があります。(10月1日現在、まだ数席あります

11月2日の夜に成田を出発し、11月11日の夜に成田へ戻る聖地巡礼。イヤホンガイドなどを使わずにガイドさんの生の声を中心にまとまって巡礼をするために、いつも小さなグループとしています。あと数名の余裕がまだ残っています。小さなグループですので、私とゆっくり話をする機会もありますし、今回は他に司祭も同行する予定となりました。

ご興味のある方、まもなく最終の確定をしなくてはなりませんので、是非この機会に、手配をしている旅行会社「パラダイス」さんにお問い合わせください。全国、どこからでもどうぞ。(「菊地司教と行く聖地巡礼」とお問い合わせください)

電話は045-580-0023

(営業時間は、月曜から金曜まで、9時半から18時まで)

FAXは045-580-0024

メールでのお問い合わせは、 mary@junrei.co.jp まで。担当は村上さんです。

もちろんわたしが同行し、毎日聖地の各所で、一緒にミサを捧げて祈ります。

 

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フィローニ枢機卿、南相馬、そして仙台へ

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訪日中の福音宣教省長官フィローニ枢機卿は、昨日9月22日、仙台教区を訪問され、東日本大震災の被災地である福島を訪れ祈りを捧げられました。その後、仙台教区のカテドラルである元寺小路教会で、被災地の復興を祈願しながらミサを共にされ、説教で福音宣教の必要性について信徒に親しく語りかけられました。

この日フィローニ枢機卿は、前日にミサを捧げた大阪から、昼前の全日空便で仙台へ移動。残念ながら全日空便の伊丹出発が一時間ほど遅れたため、その後の予定が厳しくなってしまいました。

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仙台空港から、教皇大使、平賀司教、通訳の和田神父、中央協事務局長の宮下神父などとともに小松神父の運転する車で一路福島県を目指しました。南相馬市の原町教会に到着し、聖堂で祈りを捧げたあと、カリタス南相馬のベースを視察。ベースで献身的に働かれるシスター畠中の説明を受けながら、今度は海岸沿いを南下。福島第一原発から20キロ圏内に入り、帰還困難区域では、道の両サイドがバリケードで封鎖され、建ち並ぶ家にだれも住んでいない様子や、未だに続く除染作業、そしてそこかしこに積み重ねてある除染廃棄物のフレコンパックなどを実際に見ていただきました。最後に富岡町にある津波で押しつぶされ二人の警官が殉職されたパトカーのまえで当時の状況の説明を受け、その場で警察官と、そして東日本大震災の被害の中で命を落とされたすべての方のために、献花し祈りを捧げられました。

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フィローニ枢機卿は、震災から6年経過しても、まだ復興は終わっていない現実と、原発事故の影響が続いていることに、大きな衝撃を受けられたと話されました。そしてその衝撃を、その晩の説教の中でも繰り返し語られていました。ヨーロッパなどにいると、東日本大震災の被害はすでに収束し復興しているかの様なイメージを受けてしまうが、現実はまったく異なること、そして原子力発電の事故が、どれほど甚大な影響を及ぼすかについて、認識を深められたと語っておられました。枢機卿は、だからこそ、ラウダート・シに述べられている教皇フランシスコの教えに謙虚に耳を傾け、もうけや効率や経済性を優先させる社会ではなく、人間を中心とした価値観が支配する社会に変えていかなくてはならないと、視察からの帰り道の車内で強調されておられました。

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夕方6時半からの元寺小路教会のミサは、平賀司教が司式され、枢機卿と教皇大使に加え、幸田司教とわたしが加わり、仙台教区で働く多くの司祭も参加され、集まった多くの信徒修道者の方々と、東日本大震災の被災者のため、そして復興のために祈りを捧げました。

枢機卿は本日は東京の神学院を訪問され、神学生とミサを共にされました。明日は夕方から、日本の司教団と東京のカテドラル関口教会で、17時から主日のミサが捧げられます。もちろんわたしも共同司式で参加いたします。

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2017年9月19日 (火)

フィローニ枢機卿来日

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すでにお知らせいたしましたが、福音宣教省の長官であるフィローニ枢機卿が、9月17日に来日され、その晩18時から、東京の教皇庁大使館において、司教団との最初の集いが行われました。(その模様の写真は、こちらのリンクの中央協のサイトで

当日は台風の接近もあり、九州方面や四国の司教様は参加ができませんでしたが、全国から9名の司教が集まり、大使館の聖堂で聖霊の続唱を歌って、集いを開始しました。

聖歌と祈りの後、フィローニ枢機卿の挨拶と、教皇様からの親書の朗読となりました。親書はイタリア語で書かれていますが、すでに日本語訳ができあがっており、中央協議会のホームページで公開されています。こちらのリンクで読むことができます。日本の司教団に向けた親書ですが、是非日本の教会のすべての方に読んでいただきたいと思います。

この親書の中で教皇フランシスコは、日本の殉教者の歴史に触れ、その殉教者の霊性と信仰をあらためて取り戻しながら、社会の様々な困難に直面し、逃げることなく、「地の塩、世の光」として福音宣教に取り組むようにと励ましを与えておられます。

現在の日本の教会の福音宣教への取り組みに関して、次の様に感謝の言葉も下さいました。

「さまざまな国々から来ている信者たちが日本へ融和するよう促進し、とくに弱い人々の世話にまい進する皆さんに心から感謝しています。文化の発展や諸宗教対話、また自然環境保全などに対する皆さんの働きにも感謝いたします」

教皇様の推進されている、だれ一人として排除されない世界の実現のためへの、日本の教会での様々な取り組みを評価され、また長年の伝統である諸宗教対話の重要性と、そして東日本大震災後の環境全般に関する教会の立場への評価であると感じています。

その上で教皇様は、日本の教会が直面する召命の現象や後継者不足といった挑戦を指摘しながら、次の様に励ましを与えられます。

「神のみ国は、イエスの言われる通り、はじめはほんの少量のパン種のような貧しさをもって現れます。まさしくこのシンボルは日本における教会の現状をよく表しています。イエスはこの小さな日本の教会に、大きな霊的、倫理的使命を託したのです。もちろんわたしは、日本の教会に聖職者や修道者、修道女が少ないこと、また一般信徒の限られた参加に由来する、少なからぬ困難のあることを十分承知しております。しかし、働き手の少なさは福音宣教の使命を弱めるわけではありません。かえってますます宣教熱を高揚し、働き手を絶えず求める好機とさえなるのです」

そして教皇様は、社会の次の様な現実に対して、事なかれ主義やあきらめに逃避することがないようにと指摘されます。

「わたしは日本における離婚や自殺率の高さ、若者たちの間における自殺の多さ、また社会生活から完全に孤立して生活することを選び取る人々の存在(「引きこもり」のこと)、宗教や霊性の形骸化、倫理的相対主義、宗教に対する無関心、仕事や儲けに関する過度の執着などのことを考えています。同様に、これも本当のことですが、経済的に発展した社会は、皆さんの中にも見られるように、新たに貧しい人や疎外者、落ちこぼれる人を生み出します。何もわたしは物質的に貧しい人々だけでを指摘しているのではなく、霊的に、また倫理的に貧しい人々のことも考えているのです」

なお教皇様の親書の最後には、「聖座が承認している教会のいくつかの運動体について」、そのカリスマの理解を深め、福音宣教のわざに積極的に参与させるようにとの呼びかけが記されています。

教皇様が「いくつかの運動体」といわれるのが具体的にどういう団体を指しているのかは定かではありませんが、この数年間の福音宣教省長官と日本の司教団の意見交換を前提として考えれば、これが新求道共同体の道を含めていることは明らかです。

あらためて新潟教区の公式な立場を披瀝することはしませんが、運動体をどのようなかたちでそれぞれの教区の福音宣教に生かしていくのかを判断するのは、その教区の司教の務めであり、それはその教区の司祭・修道者・信徒との交わりの中で行われるものです。教皇様のご指摘にあるとおり、さまざまなカリスマを持った運動体は、普遍教会全体にとって欠くべからざる大切な賜物ですが、それを各地域の教会共同体で、まったく同じように生かすことは不可能です。今後も、地域の実情と、教区内の小教区共同体の実情を考慮しながら、教区共同体との交わりの中で、司牧的な判断を積み重ねていきたいと思います。(新潟教区の公式な立場は、2011年2月1日の日記にあります)

なお枢機卿様は、昨日は福岡で神学生と出会い、今日は長崎、明日は広島、その後大阪に行かれ、金曜日には仙台に向かわれます。金曜日は平賀司教様や幸田司教様と一緒に私も同行して、南相馬あたりまでいくことができればと思います。金曜日は午後6時半から、仙台のカテドラルで枢機卿様を迎えてのミサが予定されており、私も共同司式させていただきます。その後土曜日には東京で神学生と出会い、日曜日の夕方には日本の司教団と一緒に関口のカテドラルでミサ。翌25日の月曜には、丸一日、日本の司教団と、教皇様の親書に基づいて、福音宣教の課題についての話し合いが行われる予定です。

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2017年9月16日 (土)

秋田の聖母の日@聖体奉仕会(9/19に写真を追加)

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第4回目となる秋田の聖母の日が、9月14日と15日、秋田市内の聖体奉仕会で開催されました。今年は両日とも、500人を超える方々が参加してくださり、天気にも恵まれて、マリア様とともに祈りの時間を過ごすことができました。

今年は1917年にポルトガルのファティマで、三人の牧童に聖母が後出現になってから100年という記念の年です。今回の秋田の聖母の日には、この100年を記念して制作されたファティマの聖母像のレプリカが、教皇庁大使館の協力によりやってくることになりました。教皇庁大使館を代表して、オビエジンスキー代理大使が参列くださいました。

木製のマリア像は、今回の記念にファティマで公式に制作された数体のレプリカの一つで、ポーランドの篤志家が寄付をしたことによって、日本にやってきました。このあとこのマリア像は名古屋などを巡回し(すでに出発)、広島教区のカテドラル幟町教会に安置される予定になっています。

今回はこのファティマの御像と、秋田の聖母像の両者を中心に祈りの時が進められました。

14日は午後2時半からロザリオの祈りと十字架の道行き。参加者が多く、一度に全員が聖堂に入りきれないため、グループを分けて、聖堂内のロザリオとお庭の十字架の道行きを同時に初めて、交互にグループ入れ替えとなりました。

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その後午後3時半過ぎから、わたしの講話。今年は、司教団メッセージ「いのちへのまなざし」について、一時間ほどお話しさせていただきました。今の日本において、そして世界において、神からのたまものである命を守り、その尊厳を多くの人に伝え、さらにその使命である相互の助け合いという生き方を証ししなければ、教会の現代社会における存在意義はありません。聖ヨハネパウロ2世の「いのちの福音」も引用させていただきましたが、いのちの尊厳について語ることは、私たちの信仰の基本、一丁目一番地です。いのちの尊厳を脅かすありとあらゆる人間の業に反対の声を上げるだけではなく、同時にそういう状況の中に追いやられ苦しんでいる人々に寄り添い、さらにはそういった状況を生み出す人間の生き方の姿勢や社会の構造的罪を問い続けていかなくてはならないと思います。

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講話の後、16時半頃から十字架称賛の祝日のミサ。わたしが司式し、説教はオビエジンスキー代理大使でした。(イタリア語の説教で、日本語訳がありました)説教ではファティマの出来事についてその歴史と現代的意味が説明されました。

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翌15日は午前9時からファティマの聖母の崇敬式に続いて聖体降福式。その後、全員で庭に出て、歩きながら二列になってロザリオの祈り。子羊の苑の真ん中にはファティマの聖母像が安置され、それを囲んでロザリオを唱えました。祈りの後には、御像を中心にして記念撮影をする人が大勢おられました。

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最後に10時半からのミサ。この日は地元のテレビ局も取材に来ており、夕方のニュースで映像が流れました。悲しみの聖母の記念日のミサはわたしが司式し、秋田地区長のクジュール師(神言会)が日本語と英語で説教をされました。クジュール師は、聖母の七つの悲しみについて、わかりやすく解説してくださいました。

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なおこの日のミサには、ちょうどこの日88歳の誕生日を迎えられたオズワルド・ミュラー神父様も、車いすで元気な姿を見せてくださいました。神言会会員のベテランのドイツ人宣教師です。現在は秋田で引退されておられます。

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多くの方の参加に感謝します。来年もまた、9月14日(金)と15日(土)に、聖母とともに祈るこの催しが続けられます。どうぞご参加ください。

(9月19日追記:広島でのファティマの聖母像安置のミサは、10月25日水曜日の午後6時から幟町教会で、世界平和祈願ミサとして、私も含め多くの司教が参加して行われます。)

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2017年9月11日 (月)

福音宣教省の長官が来日されます

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聖座(ヴァチカン教皇庁)の部署の一つである福音宣教省の長官であるフェルナンド・フィローニ枢機卿が、日本の司教団の招きを受けて初めて来日されます。

9月17日から26日までの滞在ですが、来日中のスケジュールについて、カトリック中央協議会から正式に発表がありましたので、こちらのリンクからご覧ください

中央協議会の発表にもあるとおり、9月24日(日)の17時から、東京の関口教会(カテドラル)において、日本の司教団とミサを共同司式されます。

福音宣教省は「バチカンの省の1つで、全世界の福音宣教、とくに宣教地と呼ばれる地域のカトリック教会(日本の教会も含む)の活動を支援し、援助することを任務にしています」(中央協議会HPより)。また日本カトリック神学院も福音宣教省の管轄下にあるので、長官は福岡と東京の両キャンパスを訪問され、神学生と交流と祈りのひとときをもたれます。

また仙台も訪れて、東日本大震災の被災地を訪問され、仙台のカテドラルでもミサを共同司式されます。仙台の訪問には、わたしも同行する予定でおります。

フィローニ枢機卿は、もともと聖座の外交官で、イラクの教皇大使を務めていたときには武力衝突のさなか、多くの外交官が退去される中、バグダッドに残り続けたと聞いています。フィリピンの教皇大使を務めた後、国務省の次官となり、その後2011年から福音宣教省の長官となられました。わたしも現在、福音宣教省の委員を務めさせていただいております。

フィローニ枢機卿とは、これまでにも日本の福音宣教の課題について、さまざまな意見の交換がありました。これまで日本に来られたことがないということで、是非日本の教会の現状を知っていただきたいと考え、司教団が今年の臨時司教総会(9月25日から29日)にあわせての来日をお願いしていたものです。長官の来日が実り豊かなものとなるように、お祈りをお願いいたします。(写真は、2015年の福音宣教省総会の時に撮影したものです)

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2017年9月10日 (日)

信仰養成講座開催@新潟地区

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毎年秋口になると、新潟地区信徒協の主催で、地区の信仰養成講座が開催されます。この数年間、私が二回の連続講話を担当してきました。ちょうど毎年のように取り上げるべき教会の文書があり、第二バチカン公会議の諸文書や、教皇様の回勅などを紹介する講座を続けてきました。

今年の講座は、講師である私の都合で、いつもより早い開催になってしまい、この9月2日と9日土曜日に、新潟教会で行われ、どちらにも50名を超える方が参加してくださいました。まだ暑さが残る時期で、また新潟教会のセンター二階ホールにはエアコンがないため、参加してくださった方々には、学習環境としてはよくないなかでの開催となり、大変申し訳ありませんでした。

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さて今年の講座は、先頃司教団が発表した「いのちへのまなざし」というメッセージを取り上げました。いのちを守るということは、私たちの信仰にとって最も重要な課題です。いのちは神から与えられた賜物であり、神の似姿として、そして善いものとして創造されたがために「尊厳」があり、そして一つ一つのいのちには、神が託した「使命」があります。

尊厳ある神からのたまものであるが故に、いのちはその始まりから終わりまでまもられなくてはなりません。さらに私たちの信仰は、いのちがこの世界だけで終わるものではなく、キリストの死と復活にあずかることによって、永遠のいのちへとつながるものであり、したがって、神と相まみえる永遠のいのちの世界への希望を生み出す人生が歩まれなければならないと考えます。

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残念ながら、私たちがこのいのちを生きる現実には、神が一人一人に託した使命の実現を阻む壁があり、いのちの尊厳を蔑ろにしようとする状況が存在しています。さらには人生から希望を奪おうとする状況もあり、それらをいのちを創造されたか神の側から見るならば、悲しみに満ちあふれているのではないでしょうか。

いのちを人間の都合で奪い取ろうとする様々な社会の状況に対して、勇気を持って立ち向かっていかなければならないと思います。同時に、そういった社会の現実の中で翻弄され、失われたいのちへの悲しみに生きている多くの人たちに、希望を生み出す優しさに満ちあふれた社会を造り出していきたいと願います。

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今年は、9月2日の一回目の講座の際に、師イエズス修道女会のシスター方が、聖品の販売に訪れてくださいました。師イエズス修道女会といえば、東京、大阪などで、典礼センター「ピエタ」を運営されており、よくお世話になっている方々です。新潟までの訪問販売の機会を設けてくださり、感謝いたします。

また昨日の2回目では、新潟教会の有志の方々が、ケーキやプリンなどのお茶菓子の販売をしてくださいました。これはいつも新潟教会の日曜ミサの後に行われている活動で、売り上げはカリタスジャパンを通じて東日本大震災復興支援のために寄付されるということです。

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2017年9月 8日 (金)

あらためて聖地巡礼へのお誘い

まもなく締め切りの日が近づいていますので、あらためてイスラエルとヨルダンの聖地巡礼へのお誘いです。

出発は11月2日(木)の夜10時頃。成田空港からです。帰国は11月11日(土)の夜7時過ぎに、同じく成田空港。旅行の手配は、今回もパラダイス社にお願いをしています。

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今回の巡礼では、まずガリラヤ湖を中心に、ティベリアで3連泊。その後一泊二日で国境を越えヨルダンを訪れます。その後イスラエルに戻り、エリコに一泊。その後ベトレヘムに2連泊しながら、エルサレムなどを巡礼します。現地では、日本人のガイドに聖書に基づいた詳細な案内をお願いしています。

聖地巡礼に興味のある方。まもなく締切りになります。まずは一度、パラダイス社にお問い合わせください。

電話は045-580-0023(営業時間は、月曜から金曜まで、9時半から18時まで)。FAXは045-580-0024。メールでのお問い合わせは、mary@junrei.co.jpまで。担当は村上さんです。

もちろんわたしが同行し、毎日聖地の各所で、一緒にミサを捧げて祈ります。まずは一度、問い合わせを。

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2017年9月 1日 (金)

「移民と難民に、受け入れ、保護、支援、統合を」@教皇フランシスコ

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総合的エコロジーを説かれる教皇フランシスコにとって、神からもっとも愛されている存在の人間が、その尊厳を蔑ろにされ排除されている状態は、被造物の有り様としてもっとも受け入れることのできない課題となっています。

特に、難民となっている人々や様々な事由から移住を選択せざるを得ない人々が、生命の危機に瀕している状況は、教皇フランシスコにとってもっとも優先して取り組むべき課題の一つとなっています。そのことは、教皇就任直後の2013年4月に、アフリカからの難民が数多く到達していたイタリア領のランペドゥーザ島(チェニジアに限りなく近いヨーロッパの地)へ、司牧訪問をされたことによって、明確に示されました。

国際カリタスは、教皇フランシスコとともに、この9月27日から、難民の救済に取り組むための国際的なキャンペーンを開始します。(上の写真はキャンペーン呼びかけの国際カリタスポスター)キャンペーンの詳細は、追ってカリタスジャパンから正式に発表となりますので、ここでは触れませんが、そのキャンペーン開始に先だって、教皇様は来年2018年の難民移住者の日のためのメッセージを、この8月にすでに発表されました。

そのタイトルは、「移民と難民に、受け入れ、保護、支援、統合を」とされています。教皇様は「受け入れ、保護、支援、統合を」という四つの言葉を掲げ、具体的な行動を私たちに求めています。

教皇様はメッセージの冒頭で、レビ記19章34節の言葉を引用され、難民や移住者に対する私たちのあるべき態度を指摘します。

「あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。なぜなら、あなたたちもエジプトの国においては寄留者であったからである。わたしはあなたたちの神、主である」

その上で、マタイ福音書25章の「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」の話を参照しながら、こう記します。

「あらゆる旅人がわたしたちの扉を叩くたびに、それはイエス・キリストとの出会いの機会になる」

もうこれだけで、私たちキリスト者がどういう態度でどういう行動をとるべきかは十分に言い尽くされているといえるでしょう。残念ながらこの数年、現実の世界では難民や移住者をできる限り受け入れまいとする方向に歩みが進められています。その行き着くところは、拒絶にとどまらずすでに隣人として暮らしている人たちへの排除であり、極端な場合にはヘイトクライムにまで行き着く恐れすらあります。すでにネット上では、異質な存在への様々なレベルでの攻撃が普通に見られるようになりました。

教皇様はメッセージの中で、 「受け入れ、保護、支援、統合を」という四つの行動を掲げ、それぞれに私たちと、また各国政府、そして国際社会に具体的な行動を求めていますが、その中には、例えば次のような呼びかけが含まれています。(ごく一部です)

    • 人道上の査証発給や、家族呼び寄せの簡素化。
    • 人間の尊厳と基本的人権を守ることのできない母国への送還の禁止。
    • 人間の尊厳をまもるために、安易な身柄拘束の廃止。
    • 法的保護の付与とふさわしい医療の提供。
    • 就労の可能性の提供と、未成年者への特別な保護の提供。
    • 避難国で誕生した子どもの無国籍化の防止。
    • 宗教の自由の保障とそれそれの職能の尊重。
    • 難民を多く受け入れている途上国への支援の強化。
    • 難民や移住者との出会いの機会を増やすことで、文化の多様性をそれぞれの共同体に生かしていく。

詳しくは、追って公式な翻訳が整った段階で、あらためて紹介します。

さてこういった点を指摘した上で、教皇フランシスコは、二つのグローバルコンパクトの実現のために、あらゆる努力を払うようにと呼びかけています。

そもそも「難民」とは、まず1951年の難民の地位に関する条約とその後の1967年の難民の地位に関する議定書に基づいて、国際社会がその存在を認めているかたがたです。第二次世界大戦後の混乱の中で発生した、主に欧州での難民問題に、世界人権宣言の立場から取り組むために誕生した難民の地位に関する条約は、基本的に1951年前に発生した課題だけを対象としていました。その条約から、時間の制限を除いたのが1967年の議定書です。

その条約には、難民の定義がこう記されています。

「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けられない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」

そもそも「恐れがある・・・恐怖」という主観的な概念でその存在を定義するのですから、本来は、困難に直面している人を中心に据えた庇護の考え方であったといえます。もっとも、その後の世界では、例えば内戦状態によって、国境を越えない国内避難民が発生したり、経済的避難民が発生したりと、条約が想定していない状態が出現するのですが、それでもそういったそれぞれの状況に対処しながら、国際社会は何らかの庇護を与える努力を続けてきました。

教皇フランシスコは、そういった条約的な考えを超越して、徹底的に、一人一人の人間の尊厳を優先し、今必要な助けを提供することが、一時的には受け入れ共同体に困難をもたらしてしまうかもしれないが、しかし、その行動が共同体自身のひいては人類全体の善につながると考えている点でユニークであると思います。

2016年9月19日に、国連で開催された「難民と移民に関するサミット」において、「ニューヨーク宣言」が採択されました。(その仮訳をこのリンクで読むことができます

ニューヨーク宣言には、難民と移民に関して、次のような対策をとることが約束されています。(国連の2016年9月22日プレスリリースより)

  • その地位に関係なく、すべての難民と移民の人権を守る。その中には、女性と女児の権利や、解決策の模索に対するその全面的、平等かつ有意義な参加を促進することが含まれる。
  • 難民と移民の子どもたちが全員、到着から2~3カ月以内に教育を受けられるようにする。
  • 性的暴力とジェンダーに基づく暴力を予防するとともに、これに対処する。
  • 大量の難民と移民を救出し、受け入れている国々を支援する。
  • 移住の地位を判定する目的で、子どもの身柄を拘束するという慣行に終止符を打つよう努める。
  • 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が再定住の必要性を認めた難民すべてにつき、新たな住居を確保するとともに、国境を越える労働移動や教育制度などを通じ、難民がさらに他国へ移住できる機会を拡大する。
  • 国際移住機関(IOM)を国連システムに組み込むことにより、移住のグローバル・ガバナンスを強化する。

その上でニューヨーク宣言は、二つのグローバルコンパクトを2018年までに成立させることを目指すと公約し、次のように記しています。

「本決議の添付文書Ⅰは、包括的な難民対応枠組を含みそして 2018 年に難民に関す るグローバル・コンパクトの達成に向けた措置を示しており、同時に添付文書Ⅱは、2018 年に安全な、秩序あるそして規則的な移住のためのグローバル・コンパクトの達成に向けた措置を定めて いる。」(宣言の仮約7ページ目から)

グローバルコンパクトは、1999年のダボス会議で当時のコフィ・アナン事務総長が提唱した、企業や団体を包摂した世界レベルでの責任ある行動のための枠組みで、現在すでに、「人権」・「労働」・「環境」・「腐敗防止」の4分野・10原則が成立しています。これに、2018年には、難民や移民に関する二つのグローバルコンパクトが加えられるように、国際社会は動いているのです。

教皇様の呼びかけを、私たちの現実の中でどう実現していくことが可能なのか、考えてみたいと思います。また日本では残念ながらあまり報道されることのない、難民や移民に関する国際社会の動きに、関心を深めていきたいと思います。

9月27日から2年間の予定で始まる国際カリタスのキャンペーンは、日本においてはカリタスジャパンと日本カトリック難民移住移動者委員会の共催で行われます。このキャンペーンが、この課題に多くの方が目を向ける契機となることを願っています。

<9月2日追記>

教皇様のメッセージは、英文をこちらのリンクで読むことができます。正式な日本語訳は今後、カトリック中央協議会事務局で作成し、追って公開されることになります。

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被造物を大切にする世界祈願日(まもなく)

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教皇フランシスコは、回勅「ラウダート・シ」を発表されたことで、教会がエコロジーの課題に真摯に取り組むことの大切さを強調されました。その啓発と霊的深化のため、毎年9月1日を「World Day of prayer for the Care of Creation」と定められました。日本の教会はこの祈願日の名称を、「被造物を大切にする世界祈願日」と翻訳し、9月1日は平日にあたることも多いことから、その直後、9月の第一日曜日をその祈願日として定めました。今年は、明後日、9月3日が、日本における祈願日となります。

教皇様のエコロジーへの配慮とは、単に気候変動に対処しようとか温暖化を食い止めようとかいう課題にとどまってはいません。「ラウダート・シ」の副題として示されているように、課題は「ともに暮らす家を大切に」することであり、究極的には、「この世界でわたしたちは何のために生きるのか、わたしたちはなぜここにいるのか、わたしたちの働きとあらゆる取り組みの目標はいかなるものか、わたしたちは地球から何を望まれているのか、といった問い」(160)に真摯に向き合うことを求めています。

そのために必要な課題を、教皇様はこう指摘されています。

「あらゆるものは密接に関係し合っており、今日の諸問題は、地球規模の危機のあらゆる側面を考慮することの出来る展望を求めています。それゆえここで、こうした危機の人間的側面と社会的側面を明確に取り上げる総合的なエコロジーの、様々な要素を考察していきましょう。」(137)

共通の家で発生しているすべての課題が教会(そして全人類)の取り組みの対象なのであって、総合的に考察することの重要性を回勅は強調しています。

そう考えるとき、総合的エコロジーへの取り組みとは、すなわち、神の平和を確立する取り組みでもあると言い換えることができます。教皇ヨハネ23世の『地上の平和』は、次のように始まります。

「すべての時代にわたり人々が絶え間なく切望してきた地上の平和は、神の定めた秩序が全面的に尊重されなければ、達成されることも保障されることもありません」(「ヨハネ23世地上の平和1)

すなわち、平和とは単に戦争や紛争や武力対立がない状態なのではなく、神が望まれる秩序がまもられ確立されている状態を指すのであって、そうであればこそ、被造物への暴力的姿勢、また環境破壊の問題も、究極的には「平和」の問題であると考えられます。

総合的な被造物の問題を取り扱うことが平和の確立への道である。そうであるからこそ、教皇様は先頃、「総合的人間開発促進の部署(仮訳)」を聖座に設立されました。これまで別々に課題に取り組んでいた、正義と平和、難民移住移動者、開発援助促進、保健従事者の各評議会を発展吸収してできあがった部署です。神の秩序の確立を妨げるあらゆる被造界の課題に対処しようという教皇様の姿勢の表れであって、これまで存在していた評議会が無用になって解散になったわけではありません。総合的視点から、そういった問題すべてを包括して、さらなる取り組みの強化の姿勢を明確にしているのです。

昨今、日本においても気候変動の影響を直接に感じるようになりました。そういった現実を前にしたとき、私たちはどういう姿勢で生きていけばよいのでしょう。回勅にはこういう指摘があります。

「自己満足と呑気な無責任さを助長する、見せかけの、表面的なエコロジーが広がりつつあることが指摘できます。往々にして勇気ある決断が必要とされる深刻な危機の時代にそれは生じ、起きていることがまだ明確ではないとの考えに流されています。汚染や悪化のいくつかの徴候は別として、表面的に見るならば事態はそれほど深刻に見えませんし、地球は当分今のままあり続けるのかもしれません。」(59)

「そうした言い逃れは、現今のライフスタイルと、生産および消費のモデルとを保つためのものです。見ないでおこう、認めないでおこう、重要な決断を先延ばしにしよう。なかったことにしよう。これが、自己破壊的な悪徳を勢いづかせるために人間がとる方策です。」(59)

教皇様は『ライフスタイルの改革』と『エコロジカルな回心』を呼びかけられています。世界祈願日にあたり、あらためて、私たちは何のためにこの共通の家にいのちを与えられているのか、神から託された使命は何であるのか、すべてを創造された神に対する責任は何であるのか、祈りのうちに考えてみたいと思います。

 

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