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2018年2月26日 (月)

司祭の月修@東京教区

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今日は東京教区の司祭の月修でした。東京教区で働く司祭が対象で,もちろん教区司祭も修道会司祭も宣教会司祭も含まれます。全員が参加するわけではありませんが、それでも今日は50人近い司祭が集まってくださいました。

新潟教区ではだいたい月の初めの月曜の夕食に集まって一晩泊まり、翌朝ミサと昼食で終わりというパターンでした。最も全員が泊まれるほどのスペースは教区本部にありませんし、地理的条件から教区全部の司祭が集まることも不可能です。ですからいきおい、新潟県内で働く司祭が中心になり、市内の司祭は泊まらずに帰るというパターンでありました。それでも,ほぼ毎月、泊まりがけで集まっていろいろと話をする機会があったことは、少ない人数ながら司祭団の結束を強めてくれていた気がします。

東京教区では、新潟に比べると比較できないほど多くの司祭が働いています。さすがに毎月皆が泊まりがけは不可能です。東京教区では,基本的に月の最後の月曜日に、10時半からカテドラルで昼の祈りを唱え、その後ケルンホールで研修。そして12時半頃から昼食を一緒にとって解散となります。教区司祭だけではなく、修道会の司祭も、多く集まってくださっています。

本日の研修は,私が話をする番でした。東京の大司教として着座して2ヶ月ほどがたちましたが、そもそもこの教区で働いていたことがないので、私がどんな人物なのかをよく知らない方が多い。そこで、今回は私が32年前に神言会の司祭に叙階してから今に至るまで、どのような道を歩んだのか、そして今の司祭としての自分のあり方に対して大きな影響を受けた出来事について、1時間ほどお話をさせていただきました。

もちろんいろいろな経験をしながら32年という時間を刻んできましたが、その中から、特に三つの体験を分かち合いました。

ひとつは、叙階してすぐに派遣されたアフリカのガーナでの司牧体験。わたしはそこで、様々な困難に直面したけれど、人間結局はなんとかなるという、非常に楽天的な視点を持って生きることを学びました。

二つ目は、カリタスジャパンから派遣されたルワンダ難民キャンプでの体験。それには二つあり、私たちが働いていたキャンプが武装集団に襲撃され、2時間を超える銃撃戦に巻き込まれ、収容されていた難民の方々から30名以上が殺害されるという体験の中で、以下に自分が命の危機に直面しておろおろする頼りない存在であるのかを悟ったこと。そして洗礼を受けた信仰者があれほど多かった宣教が成功したと言われた国で、歴史に残る虐殺が起きたという事実に直面したとき、信仰が本来持っているはずのいのちに対する尊厳をしっかりと一人一人の心に刻むことこそが、本当の福音宣教の使命ではないかと感じたこと。

三つ目は、同じルワンダ難民キャンプから始まり、その後、東北の震災の復興現場に至るまで、訪れた様々な紛争の地、災害の地で、困難に直面する多くの人から、「私たちは、世界から忘れ去られた」という言葉を聞かされたこと。その言葉が聞かれないような現実を作り出していくのが、キリスト者の使命の一つではないかと感じたこと。

そんなあたりをお話しさせていただきました。話をする機会を与えてくださった月修の担当者の司祭団に感謝します。

この週末、土曜日の午後に、朝祷会全国連合の会長さんが、日本エキュメニカル協会の担当者と、関東ブロックの代表の牧師先生と一緒に、訪問してくださいました。ちなみに現在の会長さんはカトリックの方です。

朝祷会は、1957年頃に大阪から始まった超教派の祈りの集いで、朝早くに集まることから朝祷会と名付けられました。現在休会中の会もありますが、全国で登録されている会は200を超えており、中にはカトリック教会を会場にしている朝祷会も多くあります。

わたし自身は、まだ神学生で名古屋にいた頃、名古屋の朝祷会で歌を歌いに来いと、カトリックの信徒のリーダーの方から何回か呼び出されて参加したことがありましたし、新潟では近くの日本基督教団の教会を会場に、盛んに行われており、何度かお邪魔したり、お話をさせていただいたこともありました。

数年前には、定期的に行っている全国大会が新潟の新発田市にある敬和大学を会場に行われたこともあり、ご挨拶にうかがったこともありました。

その全国大会が、来年は東京で行われるのだとうかがいました。そのお話で、皆さんおいでくださいました。わたし自身が、そのときにちょうどローマでの会議と重なるようなので申し訳ないのですが、できる限り応援したいと思います。

それぞれの教派の伝統を大切にしつつも、同じ神を、同じキリストを信じているのですから、協力しながら、一緒に福音を広めていくことができればと思います。

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2018年2月23日 (金)

定例司教総会開催

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2018年度の定例司教総会が、2月19日月曜午後から22日木曜午後まで、江東区潮見の日本カトリック会館で開催されました。今回の司教総会には、先日叙階したばかりの那覇教区のウェイン・バーント司教も参加。空位の新潟は管理者の私が、また同じく空位のさいたまは管理者の岡田名誉大司教が代表して参加しました。

司教協議会は、会計年度を1月から12月に変更しており、そのため以前は6月に定例司教総会を開催し、2月に臨時総会を開催していましたが、現在は2月が定例、7月が臨時と変更されています。

今回の司教総会では、東北における全国のカトリック教会による復興支援活動の報告や、新福音化委員会が中心になって取り組んでいる福音宣教への取り組みの報告、また福者ペトロ岐部と187福者殉教者の列福10周年に当たって、さらに列聖運動を推進することなどが話し合われました。

また議決事項では、すでに中央協議会のホームページにも掲載されていますが、日本カトリック神学院の2キャンパス制から、二つの諸教区共立神学校制への以降が決定されました。

これは、司教団の発表文書をお読みいただきたいのですが(リンクはこちら)、かつて福岡にあったサンスルピス大神学院と東京カトリック神学院が、2009年4月に一つの神学院となり、東京と福岡にキャンパスを持つ日本カトリック神学院として再出発をしていました。ところが、様々な事由から、二つのキャンパスに分けることに伴う司祭養成と組織運営の弊害が散見されるようになり、2014年4月頃から、キャンパスを一つにする可能性の模索が始まっていました。

その話し合いの中で、最終的には九州の司教様たちが福岡での独自の神学院がやはり必要だと判断され、司教団全員での度重なる話し合いの結果、このたび福岡と東京に、それぞれ別個の大神学院を設置することで合意したものです。

東京では、東京教会管区(札幌、仙台、さいたま、新潟、東京、横浜)と、大阪教会管区(名古屋、京都、大阪、高松、広島)が運営に参加し、福岡は長崎教会管区(福岡、長崎、大分、鹿児島、那覇)が運営に参加することになりました。今後詳細を詰め、聖座(バチカン)の許可を受けた上で、できるだけ早い時期に新しい制度が始まります。

なおこれ以外には、その内容が決まりつつある来年の天皇退位と即位に際しての政教分離の要望書を採択し、カトリック新聞のこれからについてインターネットを通じた発信の重点化を軸とした将来ビジョンチームの提案を承認し、昨年度の中央協議会の収支決算書を承認しました。

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また司教総会中の一日、勉強会を企画し、午前中はイエズス会の川村信三師による、「幕末・明治初期の信仰と教会」の講演をいただきました。信徒発見から浦上四番崩れに至る歴史を振り返りながら、現代の福音宣教への様々な示唆をいただきました。(写真上の向かって左が川村師。右隣は司会の白浜司教)

その午後には、ヤフー株式会社の執行役員である志立正嗣氏においでいただき、「ITを通じた福音宣教」について非常に興味深いお話をいただきました。志立氏は、信徒の方です。

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2018年2月18日 (日)

共同洗礼志願式@新潟教会

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灰の水曜日の夜から、新潟に来ています。大雪です。これまで13年ほど新潟に住んでいましたが、この時期に新潟市内でこれだけ雪が降るのは、珍しいことです。(写真は、金曜日朝に上越新幹線浦佐駅あたりで)

そんな寒い新潟で、木曜日は朝から、新潟県内にある16のカトリック幼稚園を統括する学校法人聖母学園の理事会。そして午後からは、その園長や副園長が集まる園長会。この学校法人の理事長は、今年五月の任期前に交代すると、手続きなどが大変なので、任期までわたしがそのまま務めています。

東京では多くの幼稚園が宗教法人立でやっていけることに驚きましたが、地方では、子どもの減少は著しく、かつてのような幼稚園一本槍ではもう経営が成り立ちません。つまりいわゆる教育機関としての幼稚園だけで、文科省系統の補助金だけでは、経営していくのが大変難しい。そのためほとんどのところが、保育園としての機能を取り入れたこども園に模様替えをして、厚生労働省系の補助金をいただくことで、何とか経営を成り立たせています。教育機関としての特性よりも、社会福祉機関としての特性が強くなりつつあるなかで、これまでのカトリック幼児教育のあり方は、大きな曲がり角にあるように感じております。

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金曜日は新潟を朝6時過ぎに出発して、仙台へ。仙台教区本部で定期的に開催される、東北の復興支援に当たっている各ボランティアベースの関係者の会議と、それに続いて開催される仙台教区サポート会議に参加するためです。まもなく大震災発生から七年です。復興支援活動も変化する時期に入り、岩手県の大槌ベースや、福島のいわきにあるもみの木ベースなどは、まもなく閉鎖されていくことになります。それ以外のベースでも、復興支援から地域の再生へと、活動の主眼を大きく変更する時期に来ているように思います。

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そして本日の日曜日。四旬節第一主日は、新潟教会で、毎年恒例となった共同洗礼志願式ミサを行いました。なかなかいろいろな教会から集まってくるのは難しいですし(天候の問題)、また教区全体で洗礼志願者が非常に多いというわけでもないので、共同と言いながら膨大な数の志願者が集まるわけではありません。今年は、新潟教会から6名、十日町と花園教会からそれぞれ一名の、合計8名の方が洗礼志願者として受け入れられました。

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代父母による証言、志願者の皆さんの意思の表明の後に、実際にノートに署名をしていただき、さらに全会衆」が一節ずつ唱える使徒信条を繰り返し、最後にわたしが洗礼志願者の油で塗油をいたしました。

これからの四旬節の間、本当に良い準備ができますように、お祈りいたします。

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そして今日のミサでは、新潟教区の岡秀太神学生の、助祭・司祭志願者認定式も行われました。岡神学生は、これで二年間の哲学の課程を修了し、四月からは4年間の神学の課程に進むことになりました。神学の課程に進むにあたって、正式に助祭・司祭志願者として、新潟教区から認定されました。外見上はそれほど変わることはないのですが、一応この認定を受けることで、公式の場でスータンを着用したり、ローマンカラーのシャツを着用したりすることができるようになります。(ちなみに今日のミサには、岡神学生の同級生で、横浜教区の水上神学生が参加してくれました。上の写真正面で背を向けているのが岡神学生。向かって右手で侍者をしているのが水上神学生。岡神学生、水上神学生とも、人生経験が豊富な50歳前後の人物です)

岡神学生のこれからの司祭養成のために、どうぞお祈りください。また彼に続く司祭志願者が新潟教区に誕生するよう、お祈りをお願いいたします。

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2018年2月14日 (水)

灰の水曜日@東京カテドラル

今日は灰の水曜日。四旬節が始まりました。復活祭に洗礼を受けられる方々が、最終的な準備をするこの時期は、すでに洗礼を受けている信仰者にとっても、洗礼志願者とともに信仰の原点に立ち返り、あらためてイエスとの出会いを模索する時でもあります。

次の日曜日、四旬節第一主日には、多くの教会で洗礼志願式が執り行われることと思います。関口教会でも30名近い方が洗礼志願者として準備をしているとうかがいました。

四旬節の始まりに洗礼志願式を共同体として行うのは、洗礼を受けることは、個人的な内心の問題だけではないことを教会共同体の全員が実感することが大切だからです。私たちの信仰は個人の内心の問題にとどまるのではなく、共同体において生きられるものだからです。

共同体のないキリスト教は考えられません。イエスご自身が、まず最初に12人の弟子という共同体を形成して、祈りをともにし、聖体の秘蹟を定め、福音宣教に送り出されました。

洗礼を受けることは、ひとり個人が新しい生命に生きることだけではなく、それを通じて、「神との交わりと全人類一致のしるし、道具」である教会の一部となることをも意味しています。一つの体の部分となるのだという自覚を皆が持つためにも、洗礼志願者として洗礼への最終的準備を始めるとき、それは共同体の中で行われるのがふさわしいのです。

今年の四旬節第一主日は、新潟教会9時半のミサで、例年の通り、共同の洗礼志願式を行います。また新潟では同日、岡神学生の司祭・助祭候補者認定式も執り行います。哲学の2年間にわたる勉強を終え、神学の課程に進む前に、正式に、将来司祭となる候補者として認定されなければなりません。召命のために、続けてお祈りください。

以下、本日10時の東京カテドラル、関口教会での灰の水曜日ミサの、説教の原稿です。平日の午前中にもかかわらず多くの方が参列され、関口教会の主任と助任、そして韓人教会の主任に終身助祭、さらには侍者の青年まで現れて、私にとっては盛大な灰の水曜日ミサでした。

なお四旬節に当たっての教皇様のメッセージは、こちらのリンクから。また今日からカリタスジャパンの四旬節キャンペーンが始まっています。どうぞ皆様の協力をお願いします。四旬節キャンペーンについては、こちらのカリタスジャパンのリンクから。

灰の水曜日                               

昨年2月に大阪で福者の栄誉を受けたユスト高山右近の初めての記念日、この2月3日を、私はマニラで過ごしました。マニラは、高山右近の終焉の地であります。日本の教会の栄誉ある殉教者である高山右近の記念日を、フィリピンの教会にとっても重要な記念日であるとして、この2月3日に、マニラのタグレ枢機卿様が自ら司式して、マニラカテドラルで記念ミサが捧げられました。このミサには、地元の多くの方も参加してくださり、日本からは私を含め6名の司教が60名近い巡礼団とともに参加いたしました。

家康によるマニラ追放に先立つほぼ30年間も、右近は国内で追放の身にありました。右近を最初に追放しようと決めた秀吉の気持ちをなんとか和らげるため、信仰を頑固に守り抜く右近に対して、対立を避けよと周囲は懸命に忠告したのだそうです。しかし彼は耳を貸さず、「神に関することは、一点たりとも曲げるべきではない」と述べたと言われます。右近はすべてを失い他人から施しを受ける身になったことを、最上の喜びとしていたといわれます。その人生の大半は、すべてを神にゆだねきった人生であり、他者の幸せのために、自らはすべてを失った人生でありました。

高山右近はマニラに追放の身となり亡くなったのですが、他の殉教者たちのように、処刑されたわけではありません。病死であります。しかし教会は高山右近を、「殉教者」として福者の栄誉を与えました。このことは、殉教が、信仰を守るために殺されるという、その人生の終わりの事実だけを意味しているのではないということを教えています。殉教とは、右近のように、信仰における逆境にあっても、信仰に忠実に生きる道を選び、それがために地位や名誉や財産というこの世の富をすべてを奪われ、それでもなおかつその事実を喜んで受け入れる。その信仰に真摯に生きようとする姿を通じて、その言葉と行いを通じて、信仰をあかしをする生き方。それこそが殉教者の人生であるということであります。

「神に関することは、一点たりとも曲げるべきではない」という覚悟は、神に対する信仰を命がけで生きるということでもあります。すべてをかけて真摯に信仰を生きるということでもあります。現代社会に生きるわたしたちは、その生き方をどのように考えるのでしょうか。

わたしたちは「現実的な判断」などという言葉が、賢い生き方だとされる時代に生きています。わたしたちは、自分の周囲で起こっている出来事やその中における人間関係などに翻弄されながら、その場その場で最善と考える道を選びながら、人生の荒波を生き抜こうとしている。それが現代社会に生きるわたしたちの姿ではないでしょうか。

往々にしてわたしたちは現実の壁の前で、信仰における価値判断において妥協を重ねてはいないでしょうか。そういう生き方を選択しているわたしたちに対して、高山右近は、人間の生きるべき姿の模範を示しているように思います。信仰に生きるとは、命をかける真剣さを持って生き抜くことだと、その人生が私たちに教えています。

とはいえ、だれでもが簡単に同じような道を歩むことができるわけではない。当然です。人間の弱さの故に、わたしたちは妥協への道へと誘われ続けるのであります。だからこそ、ヨエルの預言は、わたしたちにこう語りかけています。

「あなたたちの神、主に立ち返れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く、忍耐強く、いつくしみに富み、くだした災いを悔いられるからだ」

何度も何度も失敗を繰り返す私たちに、ヨエルは、何度も何度も、神のいつくしみに立ち返れ、立ち返れ、と呼びかけるのです。

さて四旬節の始まりに当たり、教皇フランシスコは、マタイ福音書24章12節の言葉を引用して、「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」というテーマのメッセージを発表されています。

教皇は、絶対的な価値観が意味を失っている現代社会の混乱を見つめながら、相対的な価値観を偽預言者にたとえ、このように指摘されています。

「偽預言者は「詐欺師」にもなります。彼らは苦しみに対して簡単で手短な解決策を示しますが、それらはまったく役に立ちません。どれほど多くの若者が麻薬、「用が済めば切り捨てる」人間関係、安易だが不正な利益といった誤った治療を施されていることでしょう。また、まったくバーチャルな生活にとらわれている人々がどれほどいることでしょう。そこでの結びつきは、非常に容易で迅速であるかのように思えますが、まったく無意味であることがのちに判明します。これらの詐欺師は価値のないものを与え、その代わりに尊厳、自由、愛する力といったもっとも大切なものを奪います」

その上で教皇様は、「怠惰な利己主義、実りをもたらさない悲観主義、孤立願望、互いに争い続けたいという欲望、表面的なものにしか関心をもたない世間一般の考え方など」が蔓延する中で教会共同体の中でさえも愛は冷え込み、「宣教的な情熱は失われて」行くのだと指摘されます。

この説教の後、わたしたちは灰を額にいただきます。灰を受けることによって、人間という存在が神の前でいかに小さなものであるのか、神の偉大な力の前でどれほど謙遜に生きていかなくてはならないものなのか、心で感じていただければと思います。

神の前にあって自らの小ささを謙遜に自覚するとき、私たちは自分の幸せばかりを願う利己主義や、孤立願望や自分中心主義から、やっと解放されるのではないでしょうか。そのとき、はじめて、高山右近のような生き方に、少しは近づくことができるようになると、私は思います。

わたしたちを大切にし、愛し、導いてくださる主のいつくしみに信頼しながらも、殉教者たちのように真剣に信仰に生きることができるよう努力をいたしましょう。四旬節は、その真摯な信仰の道に、少しでも近づくことができるように、人生の軌道修正をするときであります。もたもたしてなかなか軌道修正できない私たちを、神は愛しみ深く待っていてくださいます。

確固たる信仰に生きた福者高山右近のような生き方を模範としていただきながら、それにならう道を、模索して参りましょう。

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2018年2月12日 (月)

世界病者の日

昨日、2月11日は、「世界病者の日」でありました。この日は1858年2月11日に、フランスのルルドで、聖母マリアがベルナデッタに現れた日でもあります。聖母はご自分を、無原罪の聖母であると示され、聖母の指示でベルナデッタが洞窟の土を掘り湧き出した水は、その後、60を超える奇跡的な病気の治癒をもたらし、現在も豊かにわき出しています。

教皇聖ヨハネパウロ2世は、1993年に、この日を世界病者の日と定められました。毎年、教皇様はこの日に当たりメッセージを発表されています。今年のメッセージは、こちらのリンクの中央協議会のホームページから読むことができます。

もちろん病気から奇跡的に回復を遂げるということは、病気の苦しみにある人にとっては大きな意味があることであります。しかしながら同時に、奇跡的な病気の回復は、日常にありふれたことではなく、本当にまれにしか起こりません。ルルドでさえも、正式に奇跡と認定された病気の治癒は、この160年ほどで70件を超えてはいません。

教会が病者のために祈るのは、もちろん第一義的には、イエスご自身がそうされたように、具体的に奇跡的な病気の治癒があるようにと願ってのことですが、同時にもっと広い意味をそこに見いだしているからです。

私たちは、様々な意味で病者であります。完全で完璧な人間は存在しません。たとえば障害者という言葉に対峙するかのように、健常者などという言葉を使ってしまいますが、人間は大なり小なり困難を抱えて生きているのであり、また齢を重ねれば当然にその困難さはまし加わります。肉体的な困難さではなく、心に困難を抱えている人も多くおられるでしょう。その意味で、完全完璧な健常者なる存在は、空想の世界にしかいないのではないでしょうか。

皆同じように、なにがしかの困難を抱えて生きているからこそ、その程度に応じて、私たちは助け合わなければならないのです。支え合って生きていかなくてはならないのです。

そして教会は、なにがしかの困難を抱えて生きている人が、互いに支え合って生きていく場であります。主イエスの癒やしの手は、私たちすべてに向けられています。私たちは教会にともに集うとき、その主イエスの癒やしの手に、ともに抱かれて、安らぎを得るのです。

ですから病者の日は、特定の疾患のうちにある人たちだけを対象にした、特別な人の特別な日ではなく、私たちすべてを包み込む神の癒やしの手に、ともに包み込まれる日でもあります。主の癒やしの手に包み込まれながら、互いの困難さに思いやりの心を馳せ、その程度に応じながら、具体的に支え合って生きていくことができるように、慈しみの主の導きを願いましょう。

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2018年2月11日 (日)

札幌カトリックセンター竣工式@札幌

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札幌教区の司教館と教区本部などを兼ね備えた札幌カトリックセンターが完成し、昨日、2月10日午前10時半から、勝谷司教の司式で、竣工式が執り行われました。(写真上、左手が北一条教会。右手茶色や黄色の建物が新しいセンター)

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竣工式は,ちょうど雪祭りの時期で厳しい寒さの北海道ですから、外などの広いスペースで行うわけにも行かず、新しいセンターの玄関ロビーで行われました。そのため,参加者が小教区や地区の代表に限られましたが,会場がいっぱいになるほどの多くの方の参加がありました。東京教会管区からは,横浜の梅村司教、仙台の平賀司教、そしてわたしが参加しましたが、わたしは2009年から13年の勝谷司教誕生まで教区管理者をしていたこともあり、様々な思いが去来する式でありました。(写真上、玄関ロビー)

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カトリックセンターは、カテドラルである北一条教会の聖堂の東隣。以前は幼稚園があった場所に建てられました。幼稚園は,わたしが教区管理者であった頃に、聖堂の北側に移転しています。わたしも使わせていただいた旧司教館と,司教居室であった古い蔵は、これから解体されます。すでに司祭の居室やカリタス家庭支援センターなどに使われていたベネディクトハウスは取り壊され、そのほか,ウェルカムハウスなどに使われていた建物なども,すでに取り壊しが始まっています。(写真上、新カトリックセンター三階から見た旧司教館。左手が司教居室の蔵。白い蔵の二階が司教の居室でした)

この一帯には,定期借地権を活用して、マックスバリューのショッピング施設が建設されることになっており、今夏をめどに完成の予定です。

潤沢な資金を持っていたわけではない札幌教区に(失礼)、カトリックセンター建設のめどがついたのは、信徒の方々による専門家の諮問会議で、この定期借地権の活用による資金調達の可能性がはっきりしたからです。これについては,勝谷司教から教区の方々に説明した文書に詳しく掲載されています。こちらのリンクです(札幌教区のホームページの新司教館建設のページに飛びます)。これから他の地域でも,参考にできる方法なのかもしれません。

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新しいカトリックセンターは,地下に納骨堂を備え(写真上)、一階にはホールのほか、カトリック書籍や聖品販売の売店、炊き出しなどにも使うキッチンもあり、二階に教区本部、学校法人本部、そしてカリタス家庭支援センターが入り、三階は黙想会や研修に使える施設と小聖堂。四階が司教館になっています。

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カトリックセンターと言うほどですから、単に新しく司教さんの家が建ったと言うことではなく、この新しい施設が,北海道のカトリックの中心(センター)になり、多くの方に活用され、また福音の発信拠点となることを期待し,また祈っております。(上の写真、勝谷司教の後ろ手には,司教が阿寒湖のコタンの売店で一目惚れした母子像。それを基にして聖母子像を依頼するも,作者が急逝。最初に惚れ込んでいた母子像を購入した由)

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竣工式の前晩に、雪祭りを見ることができました。初めてです。以前,教区管理者をしていた頃はタイミングが合わず,わたしが札幌に出かけるのは雪祭りの前の週で,準備しか見たことがありませんでした。それにしても、大雪の日本列島ですが,札幌は格段に雪が少ないのが印象的でした。歩道に雪がほとんど積み上がっていない(無いわけではないですが,大雪の時は、かなりの高さに積み上がるのです)

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2018年2月 8日 (木)

「世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日」、2月8日

教皇フランシスコは、2015年に2月8日を、「世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日」と定められました。

この日、2月8日は聖ジョゼッピーナ・バキタの祝日です。彼女は1869年にスーダンのダルフールで生まれ、1876年、まだ幼い頃に奴隷として売買され、様々な体験の後イタリアにおいて1889年に自由の身となり、洗礼を受けた後にカノッサ会の修道女になりました。1947年に亡くなった彼女は、2000年に列聖されています。カノッサ会のホームページに聖バキタの次の言葉が紹介されていました。

「人々は私の過去の話を聞くと、「かわいそう!かわいそう!」と言います。でも、もっとかわいそうなのは神を知らない人です」

聖バキタの人生に象徴されているように、現代の世界において、人間的な尊厳を奪われ、自由意思を否定され、理不尽さのうちに囚われの身にあるすべての人のために、またそういった状況の中で生命の危険にさらされている人たちのために、教皇様は祈ること、その事実を知ること、そして行動することをこの日を定めた2015年の世界平和の日のメッセージで呼びかけられました。

人身売買や奴隷などという言葉を聞くと、現代の日本社会とは関係の無い話のように感じてしまうのかもしれません。実際は,そうなのではありません。一般に「人身取引議定書」と呼ばれる「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人、特に女性および児童の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書」には,次のような定義が掲載されています。

「“人身取引”とは、搾取の目的で、暴力その他の形態の強制力による脅迫若しくはその行使、誘拐、詐欺、欺もう、権力の濫用若しくはぜい弱な立場に乗ずること又は他の者を支配下に置く者の同意を得る目的で行われる金銭若しくは利益の授受の手段を用いて、人を獲得し、輸送し、引渡し、蔵匿し、又は収受することをいう。搾取には、少なくとも、他の者を売春させて搾取することその他の形態の性的搾取、強制的な労働若しくは役務の提供、奴隷化若しくはこれに類する行為、隷属又は臓器の摘出を含める。」
(同議定書第3条(a)

すなわち、売春の強制や安価な労働力として,自己の意思に反して強制的に労働に服させられている人たちは,日本にも多く存在していますし、日本は受け入れ大国であるという指摘すらあるのです。

カリタスジャパンと難民移住移動者委員会は、現在「排除ゼロキャンペーン」と題して、国際カリタスが主導する難民移民のための国際キャンペーンに参加しています。今日の世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日」に当たり、国際カリタスは、南シナ海で強制的な労働にかり出されているミャンマーの人たちにスポットライトを当てて紹介をしています。(英語ですが,こちらのリンクを参照ください

その記事の中で、世界中で4千万人もの人が人身取引の被害者となり、その取引によって年間1500億ドルもの利益が生み出されていると指摘します。こういった状況に対処するためには,二つのことが必要です。十分な情報の提供によって多くの人がその現実を知ること。そして政府だけではなく民間をも巻き込んだ決まり事の制定。国際カリタスのキャンペーンはこの二つを目指して,現在進められています。詳しくは,カリタスジャパンのホームページをご覧ください

世界中で,そして私たちの身の回りで,自分の意思に反した過酷な条件の下で働かざるを得ない状況にある人々のために、祈り、またその現実を知ろうとする努力を忘れないようにいたしましょう

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2018年2月 5日 (月)

初めての福者ユスト高山右近の記念日@マニラ

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この2月3日は、福者ユスト高山右近の初めての記念日でした。禁教令の中、信仰を捨てることのなかった高山右近は、日本を追放され、マニラにおいて1615年2月3日に病死されました。その人生そのものが、信仰を守り抜いたあかしの人生であったとして、昨年2月に大阪において、殉教者として福者の列に加えられたことは記憶に新しいところです。

その最初の記念日であるこの2月3日、右近終焉の地であるマニラにおいて、記念ミサが捧げられました。場所は、右近がマニラに上陸し、盛大な歓迎を受けてパレードをしたマニラの旧市街、イントラムロスにある、マニラ教区のカテドラルで、司式はマニラ教区大司教のルイス・アントニオ・タグレ枢機卿でした。

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このミサに合わせ、日本からも60名を超える巡礼団が組織され、司教団からも会長の高見大司教と列聖委員会の委員長の大塚司教をはじめ、押川、郡山、勝谷、そしてわたしと6名の司教が参加しました。

巡礼団は三つのコースに分かれ、わたしは高見大司教と勝谷司教とともに、一番短い三日間のコースに参加しました。金曜日に東京を出発し、その日はマニラ市内のパコの教会でミサ。翌日はマニラカテドラルで枢機卿ミサ。そして日曜日にはサントトーマス大学内の神学校聖堂でミサを捧げ、夜には東京へ戻りました。

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日本とマニラの間には30度に近い温度差があり、時差はほとんどないものの、やはり少しばかり体に堪える強行軍でありました。

巡礼団はマニラ教区からだけではなく政府の観光庁からも大歓迎を受け、空港からホテルまでの移動を始めすべての移動には白バイの先導付きとなりました。

土曜日のマニラ大聖堂でのミサには、日本からの巡礼団を始め、フィリピンに在住する日本人信徒・司祭・修道者や日本の教会にゆかりのある方々が参加され、またタグレ枢機卿の人気を反映して、多くの地元の信徒の方が集まってくださいました。

わたしは、何年ぶりでしょうか、本当に久しぶりに、マニラで活躍されている神言会のホルスト神父様に会うことができました。昔、まだ私が神学生だった頃にドイツから来日し、日本で司祭になり、名古屋で働いていた司祭です。現在は、マニラで神学生の霊的指導をしておられます。

このミサの模様は、以下のリンクで、Youtubeにアップされています。是非ご覧ください。カテドラルの聖歌隊が歌ってくれていますが、入祭の歌は途中から日本語になっています。また閉祭は、高山右近の歌が日本語で歌われています。また祭壇前には右近の木像と、聖遺物が顕示され、ミサ後には参加者が列をなして崇敬に訪れていました。

タグレ枢機卿の説教も、いつものようにわかりやすい説教です。苦しみの意味について解説しています。キリスト者は、十字架のキリストを掲げ、殉教者を崇敬するからといって、苦しむことや苦しみそれ自体を目的としているわけではなく、また苦しみを美化しているわけでもない。神から与えられた使命を果たす全体の中で、使命のために苦しみに意味を持たせているのであり、それは、キリストが「あなた方のために渡される私の体」、「あなた方のために流される私の血」と言われたように、他者への愛を具体化するための苦しみである。苦しみのその先の「他者への愛」という使命の実践があってこそ、はじめて苦しみには意味があるのだ、というような内容です。

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三日目の日曜は、一番短いコース参加者だけでマニラ市内のカトリック大学であるサントトーマス大学へ向かいました。ドミニコ会の運営する歴史のある(アジアで一番古い)大学です。この中にある神学校(諸教区立)の聖堂で、日本語のミサを捧げました。わたしが司式させていただきました。

ミサ後、大学構内にある右近の像を訪れ、皆で祈りを捧げました。

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これからも、日本とフィリピンの教会のつながりの中で、互いの教会にとって大きな意味を持つ福者殉教者の模範に習いながら、列聖に向けた運動を続けながら、信仰のあかしに努めたいと思います。福者高山右近の生き方が、現代社会に生きる私たちの生き方とどのように関係するのか。信仰の目から、それをしっかりと見極めることが大切です。そうしなければ、単に、その昔、すごいヒーローがいたのだ、という話で終わってしまいます。聖人は単なるあこがれではなく、信仰を生きる私たちに具体的な道を示す存在です。すべてを失っても守るべき価値が厳として存在するのだという、いうならば頑固なまでの信仰におけるこだわりこそが、風に流されてふらふら生きるような私たちに、福音をあかしする生き方の道を教えているのではないでしょうか。

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