世界病者の日
昨日、2月11日は、「世界病者の日」でありました。この日は1858年2月11日に、フランスのルルドで、聖母マリアがベルナデッタに現れた日でもあります。聖母はご自分を、無原罪の聖母であると示され、聖母の指示でベルナデッタが洞窟の土を掘り湧き出した水は、その後、60を超える奇跡的な病気の治癒をもたらし、現在も豊かにわき出しています。
教皇聖ヨハネパウロ2世は、1993年に、この日を世界病者の日と定められました。毎年、教皇様はこの日に当たりメッセージを発表されています。今年のメッセージは、こちらのリンクの中央協議会のホームページから読むことができます。
もちろん病気から奇跡的に回復を遂げるということは、病気の苦しみにある人にとっては大きな意味があることであります。しかしながら同時に、奇跡的な病気の回復は、日常にありふれたことではなく、本当にまれにしか起こりません。ルルドでさえも、正式に奇跡と認定された病気の治癒は、この160年ほどで70件を超えてはいません。
教会が病者のために祈るのは、もちろん第一義的には、イエスご自身がそうされたように、具体的に奇跡的な病気の治癒があるようにと願ってのことですが、同時にもっと広い意味をそこに見いだしているからです。
私たちは、様々な意味で病者であります。完全で完璧な人間は存在しません。たとえば障害者という言葉に対峙するかのように、健常者などという言葉を使ってしまいますが、人間は大なり小なり困難を抱えて生きているのであり、また齢を重ねれば当然にその困難さはまし加わります。肉体的な困難さではなく、心に困難を抱えている人も多くおられるでしょう。その意味で、完全完璧な健常者なる存在は、空想の世界にしかいないのではないでしょうか。
皆同じように、なにがしかの困難を抱えて生きているからこそ、その程度に応じて、私たちは助け合わなければならないのです。支え合って生きていかなくてはならないのです。
そして教会は、なにがしかの困難を抱えて生きている人が、互いに支え合って生きていく場であります。主イエスの癒やしの手は、私たちすべてに向けられています。私たちは教会にともに集うとき、その主イエスの癒やしの手に、ともに抱かれて、安らぎを得るのです。
ですから病者の日は、特定の疾患のうちにある人たちだけを対象にした、特別な人の特別な日ではなく、私たちすべてを包み込む神の癒やしの手に、ともに包み込まれる日でもあります。主の癒やしの手に包み込まれながら、互いの困難さに思いやりの心を馳せ、その程度に応じながら、具体的に支え合って生きていくことができるように、慈しみの主の導きを願いましょう。
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