司祭の帰天@東京教区
東京教区司祭のアシジのフランシスコ井手雄太郎神父様が、昨日3月4日の日曜日に帰天されました。井手神父様は1926年9月生まれで、91歳でした。
1954年に土井大司教様から司祭叙階を受け、その後各地の助任を経て、蒲田教会、麻布教会、高円寺教会、成城教会、本郷教会などの主任司祭を務められたと、手元の資料にあります。また巡礼旅行記などの著書も多数あり、さらには絵もお上手であったと。
残念ながらわたしは、東京に来て初めてお会いしたものですから、すでにペトロの家で引退されている姿しか存じ上げませんが、多くの方がそれぞれの思い出を持って神父様を御父のもとへと送られることでしょう。どうぞ永遠の安息をお祈りください。
司祭は、いわゆる就職する職業ではありませんから、司祭の定年退職というものもありません。定年退職は、司祭としての役職、たとえば主任司祭などですが、その役職には定年が定められています。主任司祭は75歳になったら、教区司教に引退願いを出すことになっていますが、もちろんそれぞれの健康状態などに応じて、教区司教はそのまま継続することをお願いできることになっており、近年は平均寿命も長くなっているのですから、健康がゆるす司祭には75歳を過ぎても主任を継続してもらう方が増えています。
ちなみに司教も同じで、75歳になると定年引退願いを教皇様に提出することになっています。
そして、司教であっても司祭であっても、その役職としての教区司教や主任司祭に定年での引退はあっても、一人ひとりが叙階の秘跡で受けた司祭であることや司教であることは、終わることはありません。
従って、司祭は引退しても司祭です。高齢になられて、活発な活動や仕事を積極的に担うことができなくなっても、この命がつきるまでは司祭であり続けるのです。ですから、役職を引退した後も、司祭としてどのように生きていくのかは重要な課題です。東京教区にたとえばペトロの家のような場所が整備されているのは、高齢司祭の暮らす場所としてだけではなく、その場で、その年齢と能力に見合った司祭の務めを果たすことができるようにとの配慮であろうとわたしは思います。それはたとえば祈ることなのかも知れません。病床にあっても、司祭としての祈りを続けることはできるからです。
その意味で、教区の司祭団にとっては、現役ではなくても、ひとりの先輩司祭が帰天されることは、体の一部が失われるような痛みを伴う出来事でもあります。司祭団といわれるように、司祭はともに一つの体を形作っています。その一部が失われた痛みを、今感じています。
そしてひとりの司祭が帰天されるとき、その失われた部分を担う新しい召命が与えられるようにと、祈らざるを得ないのです。井手雄太郎神父様の永遠の安息を祈るとき、同時に東京教区司祭団に加わる新しい召命が誕生するようにと、お祈りくださいますように。
井手神父様の通夜は、3月7日水曜日の午後6時から、葬儀ミサは3月8日木曜日の午後1時から、ともにカテドラルの関口教会で行われます。
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