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2018年4月23日 (月)

世界召命祈願日ミサ

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4月22日の日曜日は、世界召命祈願日でもありました。東京教区では、一粒会の主催教区行事として、同日午後2時半からカテドラルの関口教会でミサが捧げられました。

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ミサには教区や修道会の司祭、神学生、そして女子修道会の会員や志願者も大勢参加してくださり、信徒の方々もあわせて400名近い方が集まって祈りを捧げました。

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またミサ中には、イエスのカリタス修道女会のシスター方の聖歌隊が美声を響かせてくださり、祭壇側から見るとよくわかるのですが、たまたま訪れた見学の方々が、パイプオルガンに合わせたシスター方の美声に聞き惚れてなのか、結構長い時間立ち止まっている姿も見られました。

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ミサ後には、ケルンホールを会場に、各修道会の神学生や志願者紹介。残念ながら神学生の多い神言会は名古屋にいるため誰も来られませんでしたが、神学生がいてもいなくても、東京にいるすべての修道会は男女を問わず紹介できるようにしたらよろしいのでは、とも感じました。来年以降検討です。

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準備してくださった一粒会の皆さんありがとうございます。以下、ミサ中の説教の原稿です。

わたしは1986年に司祭叙階を受けましたので、今年でもう32年司祭として生きてきました。司祭へと至る道を歩み始めたのは、小学校を卒業し、中学一年となった1971年ですから、そこから数えるともう47年も、この世界で生きてきたことになります。

自分の司祭にまでいたる道のりを振り返ってみるとき、そういえばいったい、自分はいつどこで、神様から呼ばれたのだろうと、自分でも不思議に思うことがあります。

聖書には、例えば少年サムエルが寝ていると、神が「サムエル、サムエル」と、三度も呼びかけたなどという話があります。または新約聖書にも、迫害に手を染めていたパウロに対して、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と主が直接に呼びかけた話があります。もちろん福音書には、例えばシモンとアンデレに主が直接「、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と呼びかける場面が記されています。

聖書に出てくる人たちは、そうやって直接呼びかけられて、従う者となっていくのです。そうしたら、わたしへの呼びかけはいつだったのだろう。わたしも、少なくとも自分では、主に従う道を歩んでいるつもりです。どこかで呼びかけられたに違いないはずですが、あまり気がついていない。その、呼びかけに気がついていないこと、または聞こえていないことが、今日の世界召命祈願日に当たり教皇様が発表されたメッセージの中心にあるテーマです。

メッセージのタイトルは、「主の呼びかけを聞き、識別し、生きる」です。
教皇様は、この呼びかけは、「はっきりとしたものではありません」と言います。これで少し安心です。メッセージはこう続きます。「神は、わたしたちの自由を抑圧することなく、静かにそっと来られるのです」

静かにそっとこられる神に、私たちはどうして気がつくことがないのか。教皇様はこう言います。「その声は、わたしたちの思いや心を覆っている心配や懸念によって、かき消されてしまうかも知れません」

静かに呼びかけられる神の声が聞こえないのは、もしかしたら私たちの心が、現実社会の中で生きていくために必要な心配事や、人間関係の中での懸念に埋め尽くされているためではないのか。そんなとき、わたしたちは静かに語りかける神の声を聞き逃してしまうかも知れないのです。

しかし考えてみれば、誰かのために心配したり、配慮したりすることは、少なくとも悪いことではないはずです。ですから教皇様の指摘はこう続きます。「自分だけの狭い世界にこもり人生を台無しにしている人に見られる無関心さの中に閉じこもるなら、神が、私たちのために考えてくださった各個人への特別な呼びかけに気づくことはできないでしょう」

自分の世界のことだけを心配し、他者への配慮に背を向けているとき、神の声はかき消されてしまうと言うのです。ということは、神の声は、積極的に他者への配慮を示す中で、聞こえてくるのではないか。人との前向きな関係を生きようとする中で、その他者との出会いの中で、聞こえてくるのだと言うことであります。

人生の中で、他者への積極的な配慮の関係に私たちが生きるとき、その人間関係のうちで神からの様々な語りかけがある。教皇様のメッセージは、それが何を語っているのか、そもそも神の語りかけなのか、識別するようにとも呼びかけます。霊的な識別とは、「人が、神との対話において、聖霊に声に耳を傾けながら、生き方の選択をはじめとする根本的選択を」行うことだと言います。

「生き方の選択」です。お気づきのように、教皇様のメッセージは、召命を語るとき、単に司祭の召命だけを語っているのではなく、神に従う者すべてがどのように生きるのかについて語っています。

私たちは、特に、まだ若い人たちは、将来を見据えて、幾度となく、どのように生きていくのか選択を迫られ、決断を重ねていきます。その選択は、どのような生き方となるにせよ、聖霊の声に耳を傾ける祈りのうちに、神の呼びかけを識別し、それに真摯に応えようとするところから始まります。司祭や修道者になることだけではなく、わたしたちが神に従う者としてどのような生き方を求められているのか、どのような生き方に招かれているのか、その神の呼びかけを聞く努力をすることは、男性女性を問わずすべてのキリスト者に共通している大事な務めです。

その識別の過程にあって、ある人たちは司祭に、またある人たちは修道者の道へと招かれるのです。その道に招かれている人は、少なからずこの東京教区にもいるはずです。まだ神の声が聞こえていない人が、少なからずいるはずであります。

召命のために祈るのは、単に、司祭が増えるようにとか、修道者が増えるようにと祈ることだけなのではありません。そうではなくて、キリストに従う者すべてが、自分中心の狭い世界の中だけのことにとらわれて生きるのではなく、積極的に出向いていって、そのなかで神からの呼びかけを識別しながら、命を生きるための最善の道を見いだすことができるようにと、祈ることでもあります。召命は、すべてのキリスト者の、そしてすべての人のものであります。神はすべての人に、それぞれの方法で語りかけ、すべての人にそれぞれの固有の使命を与え、それに生きるようにまねいておられるからです。

そうして祈る中でも、果たしてそれが神からの呼びかけなのか、それとも単なる思い込みなのか、悩んでいる人もおられるのだろうと思います。

そんな悩める人に、教皇様はメッセージでこう言われます。
「もっとふさわしい時を待っているのだと言い訳をしながら、より良い日和を期待しながら、窓から見ているだけでは、福音の喜びは訪れません。危険をいとわずに、今日、選択しなければ、福音の喜びは、私たちのもとで実現しません。今日こそ、召命の時なのです」

私たちの祈りは、一歩踏み出すことを躊躇している方々への霊的な励ましにもなります。わたしたちは自分自身も含めて、すべての人が召命への決断をすることができるように祈るのです。祈りながら、自分も勇気を持って一歩踏み出そうと、努力を続けるのです。

わたし自身はいったいいつ神様に呼びかけられたのか定かではないと申し上げました。きっといくつかの出会いの中にそのときがあったのだと思います。しかし一つだけ確実なのは、わたし自身の召命は、多くの人の祈りによって支えられてきたことです。これまでの司祭人生の中で、いったい何人の方が「あなたのために祈っています」といってくださったことかわかりません。新潟の司教の時代には、様々なグループの方が霊的花束をくださり、祈りの支えを目に見える形にしてくださいました。多くの司祭が、自分の力ではなく、たくさんの方の祈りに支えられていると感じ、感謝しています。祈りには力があります。お祈りください。そして互いの召命のために、祈り合いましょう。

今日こそ、召命の時です。

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2018年4月21日 (土)

習志野教会50周年

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習志野教会が創立50年を迎え、本日土曜日の午前10時から、感謝のミサが捧げられました。ミサには歴代の主任助任をはじめ、近隣の司祭も参加し、10名を超える司祭の共同司式ミサとなりました。現在の主任司祭は、教区司祭のディン神父様です。

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習志野教会は、元々は船橋教会として始まり、その後2000年に現在地に移転して、その名を習志野教会と定めたと伺っています。最初は100名ほどの小さな集まりであったのが、現在は多国籍の信徒の方も含めて二千人を超える大共同体になり、英語やポルトガル語でのミサも捧げられていると言うことです。

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ミサ後には信徒会館で祝賀会があり、信徒の方のお手製のケーキに、本当に50本のろうそくがともされました。ろうそくを吹き消し、ケーキカットしたのは、この教会出身の三名の教区司祭。福島、高木、泉の若手三名でした。

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今回のお祝いには、立派な記念誌も制作されていました。記念誌をはじめ、お祝い全体を準備してくださった皆さんに感謝します。(写真上は、習志野教会信徒でわたしの中学時代の先輩ご夫婦と。写真下は挨拶する主任のディン神父)

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以下、本日の説教の原稿です。

習志野教会が誕生して50年が過ぎました。1968年に船橋の地に「復活のキリスト」船橋教会として創立後、将来を長期的に展望しながら、2000年に現在の習志野の地に移転をされたと伺いました。教会の移転という事業には、膨大な時間と、膨大な労力と、膨大な調整が必要であったことと想像いたします。それこそは、この移転という事業に関わられた司祭と信徒の方々の、福音宣教への熱意を具体化した行動ではなかったかと思います。

50年という年月は、自分が若い頃にはとても長い時間の流れであると信じていました。しかし実際に自分が50歳を超えた頃から、50年というのは思いの外あっという間に過ぎ去る時間の流れであるということも分かってきました。今日お集まりの皆さんの中には、50年前、どのような思いを胸に抱きながら、新しい教会の誕生に立ち会ったのか、まだはっきりと記憶しておられる方も多くおられると思います。あっという間の50年であっただろうと思いますし、同時にその間には、語り尽くせぬほどの多くの出来事があったことだと思います。また多くの兄弟姉妹たちが、すでに御父のもとへ旅立って行かれました。

教会創立50周年を記念するにあたり、船橋そして習志野教会のために尽くしてこられ、いまは神の御許に旅立たれた信仰の先達たちの永遠の安息のために祈りたいと思います。

わたしたちは、教会というのは単に聖堂という建物のことだけを指しているのではないことを良く知っています。第二バチカン公会議は教会憲章において、教会はまず第一に「神の民」であると指摘していることは、わたしたちがよく知っているところです。

そして教会憲章は冒頭で、教会とは何かを教えてこう記しています。
教会は、「神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具」です(教会憲章一)。
ですからわたしたちは、この地域社会にあって「神との親密な交わりと全人類の一致のしるしであり道具」となるために存在する「神の民」であって、この「神の民」である共同体の存在こそが教会そのものであります。

しかしながらこの共同体には、やはり集い祈る具体的な場が不可欠です。その意味で、聖堂の存在は、わたしたちが神の民としての互いの絆を具体的に確認し、「神との親密な交わりと全人類一致の」まさしく「道具」となるための目に見える場として、なくてはならないものでもあります。

教会には、「神との親密な交わりと全人類の一致」の「しるし」としての意味と、「道具」としての意味の、二つの重要な役割があります。

この地域にあって、この習志野教会の共同体と聖堂は、その「しるし」と「道具」となっているのでしょうか。その存在を通じて、「神との親密な交わりと全人類の一致」をあかししているでしょうか。50年を契機に、わたしたちの共同体のあり方を振り返ってみたいと思います。

教皇フランシスコは、使徒的勧告「福音の喜び」において、あるべき教会のイメージを明確に示しておられます。教皇フランシスコにとって教会は、「出向いていく教会」でなければならないと言います。出向いていく教会は、「自分にとって快適な場所から出ていって、福音の光を必要としている隅に追いやられたすべての人に、それを届ける勇気を持つよう招かれている」教会です。

第一にわたしたちには具体的な行動が求められています。教会は社会の中心部に安住しているのではなく、社会の周辺部へと出向いて行かなくてはならない。その周辺部とは、社会の主流派から見れば排除され忘れ去られている人たちの所です。この世界に誰一人として忘れ去られて構わない人はおらず、排除されても構わない人もいない。神から与えられた賜物である生命を頂いているすべての人が、大切にされ神のいつくしみのうちに生きることができるような社会。それを築きあげるために、様々な努力を積み重ねていくことが、現代社会にあって福音を告げ知らせるキリスト者の使命であると教皇は主張されます。

同時に教皇は、挑戦し続けることの重要さも説かれます。わたしたちは変化に対して臆病になりがちです。新しいことに挑戦していくことに、気後れしてしまいがちです。でも教皇はそういった姿勢を、「居心地の良さを求める文化は、私たちを自分のことばかり考えるようにして、他の人々の叫びに対して鈍感になり、見栄えは良いが空しいシャボン玉の中で生きるようにしてしまった」と批判されます。これは教皇就任直後に訪れたランペドゥーザ島で、アフリカから海を渡ってきた多くの難民の方々と一緒にミサを捧げた時の、説教の一文です。変化を恐れ現状に安住しようとするとき、人は他者の叫びに耳を傾けようともしなくなる。自分たちのことばかりを考える利己主義に陥り、困難に直面する他者の叫びには無関心になってしまうという指摘です。

教会の土台は、主イエスご自身であると、パウロはコリントの教会への手紙に記しています。復活の日から、わたしたちには変わることのない土台が存在しています。その上に築き上げられる教会共同体は、それぞれの時代の状況に適応しながら、土台である主イエスをあかしする存在であり続けようとしてきました。時にその行動は、世間の常識から見るとかけ離れているように見られることもありました。それでも教会は、土台である主イエスから離れることをせず、勇気を持ってあかしを続けてきました。それは主御自身が、神殿で、周囲の人々の常識をうち破り、弟子たちにでさえ、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」という言葉を思い起こさせるほどの熱さを持って、真理に生きようとされたからです。ですから迫害の時代にも、教会は土台である主イエスから離れることなく、勇気を持ってあかしを続けてきました。

そしていま、日本において、わたしたちは、勇気を持って土台である主イエスから離れず、あかしする共同体として、しるしとなり続けているでしょうか。

日本の教会はいま、とりわけ地方の教会において、少子高齢化の影響を大きく受けて、どちらかと言えば規模の縮小期に入っています。そういうときに私たちはどうしても、いまあるものを守ることを優先して考えてしまいます。守ろうとするとき、わたしたちは外に対して固い殻をまとってしまうことさえあります。この聖堂に満ちあふれているであろう教会共同体の雰囲気とは、そのわたしたちの心の反映であります。

そういった消極的な姿勢に対して、教皇フランシスコは、かつてブエノスアイレスの教会で司祭や信徒に対して語った言葉を、使徒的勧告の中で繰り返しておられます。
「私は出て行ったことで事故に遭い、傷を負い、汚れた教会の方が好きです。閉じこもり、自分の安全地帯にしがみつく気楽さ故に病んだ教会より好きです。中心であろうと心配ばかりしている教会、強迫観念や手順に縛られ、閉じたまま死んでしまう教会は望みません」

教会創立50年の節目に、教会共同体のあり方を今一度見つめ直してみましょう。社会におけるあかしの共同体として勇気を持った行動を積極的にとるためにも、主イエスご自身の熱意にわたしたちも与ることができるよう、神様の導きを祈りましょう。

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2018年4月20日 (金)

聖心女子学院始業ミサ

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今朝は聖心女子学院の中学生高校生の始業ミサでした。朝8時半から白金台の聖心女子学院でミサのため、関口を7時過ぎに車で出発。一般道を通ることにして40分弱で無事到着。

住宅街の細い道から、生徒さんたちの歩く方向へ左折すると、道の先に門が見えます。1909年にできた門です。聖心女子学院のホームページによれば、この正門は次の通り。

「ヤン・レツル氏設計。日本に現存するレツル氏の建造物は広島原爆ドームと本校正門の2件のみで、東京都歴史的建造物に指定されています。」

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そのまま進んで本館前に。本館前から庭を挟んで見えるのが聖堂ですが、これはホームページによれば・・・。

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「1928年に完成したアントニン・レイモンド氏設計による聖堂です。」

本館は1956年にできた3代目だそうですが、これも趣があり、構内の建物全体が歴史を感じさせるものでした。

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中等科と高等科のそれぞれの定員が360名ですから、今日のミサは800人近い参加者でした。そのため聖堂には入りきらず、ミサは講堂「ソフィア・バラ・ホール」で。

二人の信徒の生徒さんが侍者をしてくださったミサ。朗読や説教や共同祈願が終わり、奉納です。献金として、生徒さんたちの活動で集めた献金を、カリタスジャパンにご寄付いただきました。感謝。

そして、生徒さんが持ってきてくれたチボリウムを見て驚きました。ホスチアがいっぱい詰まっているのです。ほかのいくつかのミッションスクールでもミサをしたことがありますが、こんなにたくさんのホスチアが奉納されたのは初めてです。大丈夫かいな。大量に余るのと違う?などと心配に。

ところが、聖体拝領となると、次から次から生徒さんが拝領の列に並ばれる。こんなにたくさんの信徒が在籍するミッションスクールは、わたしにとって初めての経験でした。

この学校で学ぶ皆さんのひとりでも多くに、キリストのおもいが心に刻まれることを願います。

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2018年4月15日 (日)

多摩東宣教協力体堅信式@調布教会

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復活節第3の主日の今日、午後2時から、調布教会を会場に、多摩東宣教協力体の合同堅信式が行われました。多摩東宣教協力体は、調布教会、府中教会、多摩教会の三つからなり、それぞれ調布がサレジオ会、府中がミラノ外国宣教会、多摩が教区の司祭が主任を務めていますs。宣教協力体としての主な活動は、秋の府中墓地での合同慰霊祭を企画したり、同じく秋口に合同で宣教についての学習会を行ったりしているのだと、多摩教会の豊島神父様がミサの終わりに紹介してくださいました。

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今回の合同堅信式では、それぞれの教会から10数名ずつ、全部で44名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。年齢層は若い方から年配の方まで様々でした。朗読をしてくださった受堅者の方々はわかりやすい良い朗読でした。三つの教会からミサに参加してくださった方々で聖堂はいっぱいでしたが、三つの教会のそれぞれの雰囲気を反映しているのでしょう。聖堂は明るい喜びの雰囲気に満たされていました。

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調布教会は広い敷地の中にサレジオ会の神学院などもあり、今日のミサには神学院で働く神父様方も、共同司式で参加してくださいました。その中には、ボリビアで働く倉橋神父様の姿も。まもなくボリビアに戻られるとのこと。ミサ後の茶話会の席で、得意のハーモニカ演奏を聴かせてくださいました。

調布教会は、祭壇に向かって床が下がっていく劇場のような構造です。イグナチオ教会と同じ設計者だと伺いました。入り口から内陣までは緩やかなスロープで、入堂の時には、それほど感じなかったのですが、さすがに1時間半以上の堅信式で、ほとんど立ちっぱなしでしたので体が疲れてしまったのか、閉祭の時にはバクルス(牧杖)を、本当に杖のように使ってスロープを上りました。まだまだ若いつもりですが、徐々に、バクルスが本当に役立つようになってきました。

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午前中は雨模様の東京都内でしたが、午後からは曇り空でしたので、ミサ後の茶話会の前に、聖堂を出たところで記念撮影をしました。山のようにカメラがあったので、ネットのどこかを探せば、そのうち出てくるのかも知れません。

堅信の秘跡を受けられた皆さんが、毎日の言葉と行いを通じて、福音をあかしする宣教者としての使命を果たされますように、聖霊を通じた神様の守りと導きを祈ります。

本日の昼のレジナチェリの祈りで教皇様も力強くアピールされていましたが、他の多くの不安定な地域とともにシリアの情勢には心が痛みます。情報が報道されているとおりそのまま信じて良いものか確実ではありませんし、実際に現場にいても誰がどの攻撃を仕掛けているのかは判然としないでしょう。そんな中で、関わっている様々なサイドの非難の応酬が続いています。わたしには誰が本当のことを言っているのか、誰が正しい判断をしているのかを判断するすべはありません。ただわかっていることは、武力が行使されることで、実際にシリアの各地で命を失う人が存在し、家族を失う人が存在し、友人を失う人が存在し、親を失う子どもが存在し、子どもを失う親が存在しているという事実だけです。また、命の危険を感じ恐怖のうちに毎日を過ごさなければならない人たちが、そこに多くおられるという事実だけです。

希望と喜びのうちにすべての人が安心して生活できる環境を取り戻すように、政治のリーダーたちには違いを乗り越え、またその行動を自制して、より良い道を見いだす努力をしてくださることを、心から期待します。

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2018年4月10日 (火)

岩手、岩手、そしてパナマ

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今日は岩手との絆を再確認させられた日でした。ちょっと大げさですが。

昼過ぎに、4台の大型観光バスがカテドラル構内へ。教区本部の執務室の窓から、中学生とおぼしき制服姿の男女が降車してくるのが見えます。それぞれのクラスごとなのか、カテドラルを背景にまず記念撮影。その後、聖堂の中へ。

何となく気になるものがあって、わたしも聖堂へ行ってみました。そのときにバスのフロントに張られた団体名は、なんと岩手県の某町立中学。岩手県です。私の故郷です。

聖堂へ入ってみると、なんとマイクが立てられ、録音の準備が。職員によると、毎年この学校は、修学旅行の際にこの名建築を訪れ、さらにここで生のパイプオルガンの演奏を鑑賞し、さらに自分たちの合唱を録音していくのだとか。「岩手県は合唱が盛んなんです」とはカテドラル職員の弁。そうだったのか。知らなかった。

練習が始まったので耳を澄ませていると、なんと歌い出したのは、典礼聖歌にも納められている高田三郎先生の「呼ばれています」であります。公立学校です。

「呼ばれています いつも。聞こえていますか。いつも。はるかな遠い声だから、良い耳を良い耳を持たなければ」

すばらしい。その一言。東京のカテドラルの響きの素晴らしいこと。残響は7秒でしたっけ。明日もほかの学校が、修学旅行で来られるようです。

今度は夕方に、後述のワールドユースデー関連の行事に出かけるためにタクシーを停めました。女性の運転手さん。後ろのドアのところには、「新人」のステッカーが。

行き先を告げると、さて目白からどうやってそちらへ向かうのか逆に尋ねられました。「まだ慣れていないもので」と運転手さん。

そこで、私も事前にグーグルマップなどで調べていたので、その知識を開陳して道を指示。走り出してから、「実は私も東京に来たばかりで、道はよく知らないんですけど」とわたしが言うところから会話が始まり、なんと運転手さんは岩手県から出てきて、半年前ほどからタクシーの運転を始めたとのこと。岩手です。私の故郷です。それから、目的地に着くまで、いかに東京の道がわからないかで話が盛り上がりました。彼女のイントネーションの懐かしいこと。

岩手、岩手でした。

そして目的地は駐日パナマ大使公邸。

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パナマと言えば、もちろん2019年1月のワールド・ユース・デーの開催地です。来年1月22日から27日まで、教皇フランシスコを迎えてパナマで開催されます。詳しくはこちらを

もちろんこの行事はカトリック教会の行事ですが、パナマ政府は全面的にバックアップしており、駐日パナマ大使館も、できるだけたくさんの青年たちにパナマへ出かけてほしいと、全面的に協力する姿勢を見せています。

そして今夜は関係者を大使公邸に招いて、ワールド・ユース・デーをパナマ政府がいかに支援しているかを説明し、ついでにパナマ料理を味わい、さらにパナマ音楽を味わうひとときでした。

ディアス大使が教区本部まで直々に招待においでになったので、私も出かけてきました。教会関係では、教皇庁大使館の参事官、都内の南米のシスターやこれまでワールド・ユース・デーに関わった方々、上智大学関係者が招かれ、それ以外の中米の大使館関係者や、たまたま来日中だったパナマ政府の港湾庁長官や、日本の外務省の中南米局長以下関係者が参加しました。

1月の末で、大学生などは試験期間となるので難しいかもしれませんが、多くの方がパナマでのワールド・ユース・デーに参加されることを期待しています。

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2018年4月 9日 (月)

堅信式@フランシスカンチャペルセンター

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復活節第二主日は、六本木にあるフランシスカンチャペルセンターで堅信式ミサでした。

六本木なる地域にはほとんどなじみがなく、足を踏み入れるのも人生で二回目ですが、何というか、地域全体の雰囲気がほかとは何か異なる感じがする場所です。(なんと形容していいか)。

そんな街の中にあるフランシスコ会の運営する小教区、チャペルセンターは、英語を話す信徒の方々のための教会です。女子パウロ会のホームページの教会の紹介記事に、次のように記されています。

「第2次大戦後、六本木の元防衛庁の敷地内にGHQの建物があった。そこで働くアメリカ人兵士たちのために、フランシスコ会のニューヨーク管区から司祭たちが来日し、教会を開いたのがそのはじまりである。そして、それ以来、外国の方が多い六本木にあって、フランシスカン・チャペルセンターは、日本に住む外国の人たちのための宣教・司牧にあたっている。」

足を踏み入れた瞬間から、どこか他の国に来たのかと思わせるような雰囲気。もちろん英語が飛び交っておりました。

この日のミサでは25名の方が堅信の秘跡を受けられました。お一人のお父さんを除いてほかの24名はすべて小学生低学年ほどの少年少女。この日のミサで、初聖体も受けられました。男の子たちはスーツに身を包み、女の子たちは白いドレスに白いベール。

ミサ後に写真撮影タイムがありましたので、ネットのどこかを探せば、あの数多いカメラのどれかの写真が、どこかに掲載されていることでしょう。

ここでのミサはもちろん英語。とてもよく準備された聖歌隊があり、ピアノの伴奏と、さらにはトランペットやトロンボーンも加わり、壮大な聖歌の演奏でした。

説教は英語でしたので、原稿の掲載はいたしませんが、英語の共同体も東京教区から切り離されて孤立して存在するのではなく、司教のもとで一つの教区共同体の一部として福音を告げる宣教者としての使命を果たしてほしいなどとお話しいたしました。

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明けて月曜日の今日は会議の日。午前中はほぼ毎月開催される司祭評議会。午後は宗教法人の責任役員会。東京教区は宗教法人立の幼稚園も多く運営しているので、責任役員会は教会の事案ばかりでなく、学校法人の理事会のような役目も果たしています。

ところで教皇様は、本日新しい回勅を発表されました。「聖性」について書かれており、タイトルは「Gaudete et exsultate (マタイ5章12節:新共同訳聖書では「喜びなさい。大いに喜びなさい。)」です。またこの数週間で要約などの記事が出てくることでしょうが、日本語訳はいつものように、時間がかかると思われますので、今しばらくのご辛抱を。

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2018年4月 5日 (木)

4月5月の予定です。

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東京は、あっという間に桜も散りました。4月に入り、学校や会社では新しい年度が始まり、各地の教会でも司祭の異動の季節となりました。

東京教区は、わたしが着座して間もないこともあり、本当に必要な数カ所での異動といたしましたが、それでも数名の司祭には新しい場でのお仕事をお願いいたしました。新しい年度の初めに当たり、新しい場で働き始める皆さんに、神様の守りと導きと祝福を祈ります。

この数日いろいろとありました。復活の主日は、浦野神父に連れられて本郷教会へ。表通りに面している本郷教会は、それでもこれだと指摘されなければ気がつかない佇まい(一番上の写真)実は聖堂はこの裏手に隠れているのです。3階建てで、一階と二階が信徒会館やホール。三階が聖堂。そして裏手の道を挟んでもう一つの建物が司祭館や教室や、地域のための活動に使われている箇所など。

復活徹夜祭に洗礼を受けられた三人の方を祝って、ミサ後には茶話会が開催されました。

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復活の月曜日は、年度初めと言うことで、東京教区が関わる二つの学校法人と教区立の幼稚園で採用された新人職員の方々への辞令授与式。その後、東京教区のカトリック幼児教育連盟主催で、新人教職員研修会が開催されました。

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午前中の基調講演は、長崎南山高校の西経一神父。ちなみに西神父は、わたしと同じ神言会の会員で、神学校ではわたしの2級ほど先輩ですが、今回の講師になったのは偶然で、わたしが呼んだわけではありません。話が上手な神父として有名な人物で、この日も思いっきり先生方を笑わせておられました。

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水曜日には、ペトロの家で生活されている東京教区の寺西神父様の誕生祝い。御年89歳は、元気です。準備されたチーズケーキのバースデーケーキに並べられた9本のろうそくを一気に吹き消されました。ちなみに寺西神父と司祭叙階の同級生が新潟の鎌田神父で、こちらも御年90歳。4月末には新潟で、司祭叙階のダイアモンド祝です。

本日は朝から司教協議会で、毎月の常任司教委員会。いろんな議題がありましたが、例えば、先般教皇様が定められた聖霊降臨祭後の月曜日を「教会の母聖マリア」の義務の記念日にする件。

そんなものはさっさと翻訳して発表をすれば良いと、待っておられる方も大勢いるのだと思います。でもこういうのは実は結構大変なのです。

ラテン語からの翻訳では、以前に典礼で翻訳された日本語との整合性をとる必要があります。同じラテン語はなるべく同じ日本語にする必要があります。その上で、翻訳しなくてはならないのはミサの祈願文や入祭唱、拝領唱だけではありません。義務の記念日になったので、教会の祈りの読書課を用意しなくてはなりません。定められている読書の第2朗読は、第2バチカン公会議中のパウロ六世の説教。これはゼロからの翻訳です。

さらに、今年から始めなくてはならないのですが、「毎日のミサ」はすでに印刷されていて、今から変更がききません。ではどうするかも決めなくてはなりません。

これ以外にももう一つ、待たれていた典礼の訳語の問題があるのですが、そちらは著作権者の許諾が得られたので、教会が望むように読み替えることができるようになりました。このあたりはまた、中央協議会のホームページなどで公示されますので、またご覧ください。

というわけで、4月と5月の主なわたしの予定です。なおこれ以外にも所用で不在のことがありますから、わたしに御用の際は、教区本部の事務局長にお問い合わせください。

  • 4月8日 フランシスカンチャペルセンター堅信式
  • 4月9日 司祭評議会 (関口)
  • 4月12日 「師イエズスの友」研修会 (関口)
  • 4月15日 多摩東合同堅信式 (調布)
  • 4月16日 新潟教区司祭の集まり (新潟)
  • 4月17日 カリタスジャパン会議 (潮見)
  • 4月20日 聖心女子学院始業ミサ
  • 4月21日 習志野教会50周年
  • 4月22日 世界召命祈願日ミサ (関口、14:30)
  • 4月23日 司祭月例集会、顧問会 (関口)
  • 4月28日 (全国カトリック学校)校長・理事長・総長・管区長の集い
  • 4月29日 カルメル会司祭叙階式 (上野毛)
  • 4月30日 鎌田神父ダイアモンド祝 (新潟)
  • 5月1日 東星学園創立記念日ミサ (清瀬)
  • 5月6日 梅田教会ミサ
  • 5月7日 司祭評議会、CTIC運営委員会 (関口)
  • 5月10日 常任司教委員会 (潮見)
  • 5月12日 井手神父納骨式 (府中)
  • 5月14日から18日 国際カリタス理事会 (ローマ)
  • 5月20日 聖霊降臨、合同堅信式 (関口)
  • 5月21日と22日 日本カトリック女性団体連盟総会 (新潟)
  • 5月23日と24日 男子修道会宣教会管区長協議会総会 (軽井沢)
  • 5月25日 東日本大震災仙台教区サポート会議 (仙台)
  • 5月26日 宣教司牧評議会 (関口)
  • 5月27日 志村教会ミサ
  • 5月28日 司祭月例集会 (関口)
  • 5月29日 聖母学園理事会 (新潟)
  • 5月30日 WCRP関連会議
  • 5月31日 ロゴス点字図書館理事会、HIV/AIDSデスク会議 (潮見)

 

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2018年4月 2日 (月)

御復活おめでとうございます

皆様、御復活おめでとうございます。

暖かな復活祭になりました。東京はすでに桜も散り始めました。

初めての関口での聖金曜日。やはり聖堂が物理的に大きいことや、そのため参加してくださる方の数が多いことから、新潟では経験したことのないことが起こります。たとえば十字架の崇敬の時に歌う典礼聖歌には、かなり多くの節が用意されていますが、新潟に限らず多くの教会では、崇敬の行列が終わってしまうために、かなりの節を飛ばして歌い、ちょうど良いくらいに合わせて最後の節に来るようにするのが、聖歌隊長の腕の見せ所です。しかし関口では、すべて歌いきってもまだ崇敬の列が終わらない。いや、驚きました。しかも一度に4名ずつも崇敬に並ぶにもかかわらずです。

この日は古郡神父に説教をお願いしました。たとえばサンピエトロの教皇様司式の聖金曜日の受難の祭儀は、このところいつもカンタラメッサ神父さんの説教です。それに負けないほどに力のこもった良い説教を、古郡神父から聞かせてもらいました。

そして復活徹夜祭。30名ほどのかたが洗礼を受けられました。すみません、正確に数えておけば良かったのですが、それくらいでした。多いです。要理を担当したグループごとに洗礼を行うので、西川神父と古郡神父はそれぞれご自分が担当した方々に洗礼を授け、私はシスターなどが担当された方々8名に洗礼を授けさせていただきました。

この8名の中には、全くの偶然なのですが、私の中学時代からの友人が含まれておりました。このような形で、東京で再会し、しかも洗礼を授けさせていただくことになろうとは、思ってもみませんでした。洗礼を受けられた皆さん、おめでとうございます。

復活の主日は、浦野神父が担当している本郷教会へ。マンションのようなたたずまいの立派な建物でびっくり。ミサ後には、復活徹夜祭で洗礼を受けられた3名の方々を囲んで、茶話会も行われました。おめでとうございます。

以下、復活徹夜祭の関口での説教の原稿です。

今宵、主イエスの復活を祝うわたしたちは、旧約聖書における出エジプトの出来事を記した聖書の言葉を聞きました。神はモーセにこう言われたと記されていました。「なぜ、私に向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい」。神に選ばれたイスラエルの民がエジプトにおける奴隷の状態から解放されるためには、いまの現実を完全に離れ、具体的にそして物理的に体を使って移動し、新たな地へ向かって出発することが求められたのです。

古い生き方からまったく異なる新しい生き方への「過ぎこし」によって解放は実現します。しかしその「過ぎこし」は、与えられるのではなく、イスラエルの人々がモーセとともに自ら行動することによって、初めて達成されたのです。神の愛といつくしみは、待って願っているだけでは実現しない。それはまず出発という行動を必要とするのです。

「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを探している」。先ほど朗読された福音に記された神の使いの言葉です。イエスの復活を告げるこの言葉は、単に「あなたがたはイエスを捜しているが」といえばよいものを、わざわざ「十字架につけられたナザレのイエス」と形容しています。つまり、復活されたイエスと、これまでの弟子たちが知っているあのナザレ出身で十字架上で殺されていったイエスとは同一ではない、全く異なる生命に生きている存在なのだということを、この言葉は示唆します。その上で、過去との決別を促すように、その過去のイエスは「ここにはいない」と宣言するのです。主イエスを失ったという悲しみと絶望に至ったこの場所にとどまり続けるのではなく、全く新しい生き方へと出発するようにと、行動を促します。それが、エルサレムを離れてガリラヤへ旅立つよう、弟子たちに命じる言葉です。

わたしたちの信仰は、恵みが与えられるのを座して待ち続ける受け身の信仰ではなく、その恵みの中に生きるために積極的に行動するよう促される信仰であります。しかも、神がイスラエルの民全体に旅立ちを求めたように、わたしたち信仰に生きる者が皆で生み出す信仰共同体が、全体として行動することを促されているのです。

教皇フランシスコは、旅立ち行動する教会共同体を、「出向いていく教会」という言葉で表されました。「『出向いていく教会』は、宣教する弟子たちの共同体です」と「福音の喜び」に記されています。あらためて言うまでもなく、わたしたちキリストにおける信仰に生きる者には、自らが信じる福音をすべての人に伝えていく務めが与えられています。ですから「出向いていく教会」とは福音を告げ知らせる教会であります。そのことを教皇フランシスコは、こう記しています。

「福音を宣教する共同体は、行いと態度によって他者の日常の中に入っていき、身近な者となり、必要とあらば自分をむなしくしてへりくだり、人間の生活を受け入れ、人々のうちに苦しむキリストのからだに触れるのです。・・・福音宣教する共同体には『寄り添う』用意があり、それがつらく長いものであっても、すべての道のりを人類とともに歩みます。」

もう50年以上前、1965年12月に、第二バチカン公会議が採択した現代世界憲章の冒頭で、教会は高らかに次のように宣言しました。

「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、とくに貧しい人々とすべての苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもある」

わたしたちは、それぞれの時代の現実における、人々の「喜びと希望、苦悩と不安」に寄り添うために、「出向いていく教会」であります。

それでは人間が生きていく人生の中で、一番の喜びと希望とはいったい何なのでしょう。もちろん、それぞれの方にとって自分の喜びや希望があることではありましょうが、しかし信仰の立場にとって一番の喜びと希望は、人間の命の誕生とその尊厳が護られることであります。なぜならば、本日一番最初の創世記の朗読で耳にしたように、神はわたしたちの命を、神ご自身の似姿として、そして良いものとして創造された。私たちの命を至高の賜物として創造されたと、信仰者は信じているからです。その最高の賜物が誕生し、十全に育まれるようにと、その尊厳が護られること以上の、喜びと希望はありません。

しかし現実はどうなのでしょうか。いま、神の賜物である人間の命は、その始まりから終わりまで、大切にされ、その尊厳は護られているのでしょうか。

世界の各地では、今このときも地域紛争はやむことがなく、特に将来を担うはずの子どもたちを中心に賜物である命は危機にさらされています。どこに生きるどの命であっても、神が愛され大切にされているのだから、それは徹底的に護られなくてはなりません。どのような形であれ、暴力的な手段で命が奪い取られるような状況や、その尊厳がないがしろにされるような事態に、教会は賛同できません。

私たちの国にあっても、近年、命の尊厳をどう考えているのか理解できない大量殺人ともいうべき事件を耳にすることもありました。障害とともに生きる方々の施設で、19名が殺害されるという事件も発生し、その後には、その殺害行為を正当化する考えに同調する論調が、インターネット上を中心に少なからず見られました。その現実が、日本における命に対する価値観が、身勝手で利己的なものになってしまったことを強く感じさせます。命が持つ価値を人間が決めることができるという考え方に、教会は賛同できません。

「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、とくに貧しい人々とすべての苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもある」

教会共同体は、社会の現実の中にあって、困難に直面し、生きることに困難を感じている方々に寄り添い、すべての命を大切にし、人間の尊厳を尊重する価値観のために、積極的に「出向いていく教会」でありたいと思います。信仰にあって神と共に歩む人生を送るために、人間中心の価値観に生きた過去と決別し、新たな生き方へと出発する神の民でありたいと思います。

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