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2018年5月31日 (木)

聖母のご訪問@5月も終わりです

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5月最後の日は、聖母マリアのご訪問の祝日です。典礼の暦が改訂される前は他の時期に合ったようですが、現在は聖母の月である5月の最後を締めくくる祝日として、定められています。

イエスの母となるマリアは、洗礼者ヨハネの母であるエリザベトを訪問されました。現在その地は、エルサレム郊外のエインカレム(エン・カレム)とされ、丘の上に聖母訪問の教会が建ち(写真上)、構内には各国語でマグニフィカトが掲示されています。

ちなみに谷を挟んで反対側の丘の上には洗礼者ヨハネが誕生した教会があり、こちらにはベネディクトゥス(ザカリアの讃歌)が各国語で掲示されています。

ところで、教皇フランシスコの使徒的勧告「福音の喜び」も他の教皇文書と同様、最後は聖母マリアへの言及で締めくくられています。ただし、「福音の喜び」における聖母への言及部分は、結構な分量となっており、教会の福音宣教への姿勢に関して教皇フランシスコが聖母の存在を重要だと考えていることが理解されます。

教皇は、「聖霊とともにマリアは民の中につねにおられます。マリアは、福音を宣べ伝える教会の母です」と、単に「教会の母」という伝統的な称号に留まらず、「福音を宣べ伝える教会の母」という呼び方をします。その上で、聖母マリアは、福音宣教の業において、「私たちとともに歩み、ともに闘い、神の愛で絶え間なく私たちを包んでくださる」方(286)だと指摘します。すなわち、教会の福音宣教において、聖母は脇役ではなくてその中心に位置している重要な存在であることが示唆されているのです。

さらに教皇フランシスコは、「教会の福音宣教の活動には、マリアという生き方があります。というのは、マリアへと目を向けるたびに、優しさと愛情の革命的な力をあらためて信じるようになるからです」(288)とも述べています。

ここで指摘されている、「マリアという生き方」が福音宣教にとって重要な姿勢であるという指摘に注目したいと思います。いったい「マリアという生き方」という言葉で何を語っているのでしょうか。

カテキズムには次のような指摘があります。「マリアは、しみやしわのない花嫁としての教会の神秘、つまり、その聖性を、私たちすべての者に先立って現しました。『教会のマリア的な面がペトロ的な面に先立っている』のはこのためです。(カテキズム773)」

教会のペトロ的な面とは、ペトロの後継者であるローマ教皇に代表されるような使徒的な側面、目に見える地上の組織という側面です。

教会のマリア的な面については、教皇ヨハネパウロ二世が使徒的書簡「女性の尊厳と使命」の中でこう指摘しています。「聖性の段階において教会の『かたどり』となるものは、ナザレのマリアであることを思い起こします。マリアは聖性への道において皆に『先行』するものです。彼女において『教会は、すでに完成に到達し、しみもしわもないもの』でした。(27)」

つまり聖母マリアこそはキリスト者が完成を目指して進むときに模範となる存在であり、教会のあるべき姿、「かたどり」なのだという指摘です。ですから教会にはマリア的な面があるというのです。

教皇フランシスコは、教会のマリア的な面がペトロ的な面に先行することを強調しつつ、同時にマリア的な面こそが福音宣教をする教会にとっては不可欠であることをいっそう強調されていると考えることが出来ます。それほどまでに、教皇フランシスコが大切だと考える福音宣教における教会のマリア的な面は、「マリアという生き方」という言葉に表されています。

聖母マリアがマグニフィカトにおいて「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」と歌い上げる理由は何でしょうか。それはそのすぐ後に記されている言葉から明らかです。それは主が「身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったから」に他なりません。

教皇フランシスコはこの言葉に、「謙虚さと優しさは、弱い者の徳ではなく、強い者のそれである」ことを見て取ります。そして続けます。「強い者は、自分の重要さを実感するために他者を虐げたりしません。(288)」

聖母マリアの人生を見れば、それは決して弱さのうちに恐れているような生き方ではありません。それどころか、神から選ばれ救い主の母となるというすさまじいまでの人生の転換点にあって、恐れることなくその運命を受け入れ、主イエスとともに歩み、その受難の苦しみをともにしながら死と復活に立ち会い、そして聖霊降臨の時に弟子たちとともに祈ることで、教会の歴史の始まりにも重要な位置を占めるのです。それほどの選びを受けた聖母マリアは、あくまでもその力を誇ることなく、謙虚さと優しさのうちに生きて行かれます。

教皇の言葉は、現代社会が優先するさまざまな価値観への警鐘であることがしばしばですが、この部分にも、いったい本当に力のあるものはだれなのかという基準への警告が含まれているといえるでしょう。今の世界では、いったいどういう人が強いものだと考えられているのか。その判断基準は本当の強さに基づいているのか。本当の強さとは、謙虚さと優しさという徳のうちにあるのではないか。

聖母の生きる姿に倣い、神のみ手にすべてをゆだねるところにすべては始まるという生き方。それはあきらめた弱い生き方ではなく、力ある生き方であることを、聖母は示しています。

明日から6月です。6月の主な予定を記しておきます。

  • 6月1日(金) 板橋教会初金ミサ (10時)
  • 6月2日(土) フィリピン共同体・GFGCミサ (六本木、11時)
  • 6月3日(日) 築地教会ミサ (9時半)
  • 6月4日~6日 新潟教区司祭の集い (秋田県内)
  • 6月7日(木) 常任司教委員会ほか (潮見)
  • 6月8日(金) 日本カトリック大学連盟総会など
  • 6月9日(土) 日本カトリック大学連盟ミサ (11時)
  • 6月9日(土) ロゴス点字図書館文化教室講演会 (14時、ニコラバレ)
  • 6月10日(日) 神田教会ミサ (10時)
  • 6月11日~14日 カリタスアジア年次総会 (バンコク)
  • 6月16日(土) 故市川嘉男師納骨式 (府中墓地、11時)
  • 6月17日(日) 吉祥寺教会堅信式 (10時半)
  • 6月18日(月) 司教顧問会ほか (教区本部)
  • 6月19日(火) カリタスジャパン会議 (潮見)
  • 6月20日(水) 横浜教区女性の会パスカ ミサなど (10時半、関口)
  • 6月20日(水) (福)ブドウの木(ロゴス点字図書館)評議員会 (14時、潮見)
  • 6月20日(水) オルガンコンサート 挨拶 (19時、関口)
  • 6月21日(木) カリタスジャパン会議 (9時半、潮見)
  • 6月21日(金) (福)ゲマインダハウス評議員会 (18時半、名古屋)
  • 6月23日(土) ペトロの家後援会ミサ (13時、関口)
  • 6月24日(日) 麹町教会堅信式 (15時半)
  • 6月25日(月) 司祭金銀祝ミサ (11時、関口)
  • 6月26日(火) カリタスジャパン委員会 (10時、潮見)
  • 6月27日~30日 ローマ

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2018年5月27日 (日)

この一週間は・・・

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この一週間は、なんとも忙しい一週間でした。21日の月曜日と22日の火曜日は新潟。23日の水曜日と24日の木曜日は軽井沢。そして25日の金曜日は仙台。さらに26日の土曜日は東京で宣教司牧評議会。今日の日曜日、三位一体の主日は、志村教会で堅信式でありました。

新潟から軽井沢へ回って仙台へ行くためには、新幹線を乗り継いでいたのでは時間とお金がかかりすぎるので、とりあえず新潟と軽井沢へは自分で運転していくことに。関口を出発すると、本当に一度右折するだけで、まっすぐに練馬インターから関越道へ。道路がそのまままっすぐに関越道になるので、一度も右左折しません。何を言っているかというと、いわゆる都市伝説で、関口教会の近くにある故田中角栄邸から新潟の西山にある実家まで、車で移動するには三回しか曲がらない、といわれているのです。今回走ってみて、なるほどと思いました。実際私も、新潟中央インターで降りたので、関口から新潟教会前まで四回しか右左折しませんでした。

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新潟へ出かけたのは、日本カトリック女性団体連盟(日カ連)の第44回新潟総会に参加するため。昨年、まだ新潟教区司教であったときに、講演するように頼まれていました。

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21日は夕方の懇親会から参加。顧問の浜口司教とともに、舞台に『引きずり出されて』、仮装のうえで踊らさせられました。私が人生で一番苦手としているのが踊り、ダンス。そのまま、山形教会の千原神父の職人芸とも言うべきギター演奏で、歌まで歌わさせられました。歌は、ダンスに比べれば、何百倍も得意なので構いません。

翌22日は、朝から講演会。「いのちへのまなざし」をメインテーマに、どうして教会は人を助けるのか、カリタスジャパンでの活動で学んだことを中心にお話しさせていただきました。

講演会後は派遣ミサ。新潟市内や近隣の司祭も参加してくださり、私と浜口司教の共同司式で、ミサを捧げました。参加してくださった全国の女性団体の方々、ありがとうございます。また準備に当たってくださった新潟の女性団体の皆様や小教区の皆様、ご苦労様でした。素晴らしい大会でした。

残念ながら東京からは日カ連に加盟していないので、できれば何らかの形で、将来的に、東京のカトリックの女性団体も、全国とつながることができればと期待しています。

水曜日と木曜日は、軽井沢の宣教クララ会修道院を会場に、全国で働く男子修道会と宣教会の管区長や責任上長の全国会議。修道会などは日本管区として独立しているところは『管区長』ですが、会員の減少から、多の国の地区と一緒になって管区を構成している会では、『地区長』などのタイトルを持っておられます。

ほとんどの会が、東京に何らかの拠点を持っておられますが、例えば神言会やカルメル会のように、管区本部が名古屋にあったり、そのほかの町(例えば淳心会は姫路)にあるものもあります。

今回でかけた理由は、これまた二年越しで、会長の柴田神父様(アウグスチノ会)から、講演を頼まれていたため。日本の教会で修道会が果たす役割について、質疑応答もあって、一時間のお話を三回。いろいろと意見交換もできました。

それぞれの修道会が会員の減少や高齢化という悩みを抱えるなかで、これからの日本の教会の福音宣教にどのような役割を果たしていくのかについて、今回同伴してくださった勝谷司教も交えて、良い話し合いができたと思います。初日には教皇大使も来られ、港意見を交わして行かれました。

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金曜日は定例の仙台教区の東北大震災復興支援の会議。7年が経過し、全国の教会としての支援活動である震災から10年目が視野に入る中で、例えば大槌のように閉鎖となったボランティアベースや、活動を地元に移管した宮古での札幌教区の活動なども出てきています。釜石のベースは、すでにNPO法人として独立しました。これから、10年以降にどのように地元に引き継いでいくのか、方策を考える時期になってきました。もっとも、福島は事情が異なり、まだまだ先が見えません。東京教区ではCTVCが中心になって南相馬市の原町教会敷地内の拠点を設置しています。今後これをどのように地元に根付かせていくのかが、課題となってきますが、10年と言わずさらに長期の関わりが、必要だと感じています。

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そして今日の日曜日、志村教会での堅信式。志村教会は、深水神父様が担当されています。ミサには100人近い方が集まり聖堂はいっぱい。東京教区の標準から言うと、小さい部類の小教区だと思いますが、例えば新潟教区であれば、十分に大きな小教区です。

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今日は9名の方が堅信を受けられました.。またそのうちのお一人は、今日が洗礼式。またお一人は今日が初聖体でもありました。堅信を受けられた方との関係で、イエズス会の竹内神父様(写真下)も共同司式に加わってくださいました。

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ミサ後には、先日教区の司祭団でもお話ししたのと同じパワーポイント資料を使って、アフリカでの宣教の体験についてお話しさせていただき、その後、皆で祝賀会。

堅信を受けられた皆さん、本当におめでとう。

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2018年5月24日 (木)

教区合同堅信式@聖霊降臨の主日

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5月20日の聖霊降臨の主日は、東京カテドラルの関口教会で、午後2時半から教区合同堅信式が行われました。

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いくつの教会から信徒の方が来られたのかは数え忘れたのですが、(もちろん公式な記録は残っています)、少なくとも7つくらいの小教区から、206人の方が集まり、堅信の秘跡を受けられました。

私にとって、200人を超える堅信式は、ガーナで働いていた30年ほど前以来、久しぶりのことでした。

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そのためにカテドラルに皆さん来られたのですから、司教が堅信を授けないわけには行きません。私ひとりですべての方に堅信を授けました。ですからミサ中の堅信の秘跡の部分だけで1時間以上かかり、結局2時半に始まったミサが終わり、記念撮影も終わったら、すでに5時を過ぎていました。参加した皆さん、おめでとうございます。そしてお疲れ様でした。カテドラルに一緒に集まり、教区の共同体の一部としてともに歩んでいることを肌で感じていただけたのであれば、幸いです。

以下、堅信式ミサの説教の原稿です。

私たちは、信仰に生きています。私たちが生きていくためには、例えば食事を誰かに代わりに食べてもらうことができないように、信仰に生きることも、誰かに変わってもらうことはできず、私たち一人ひとりの個人的な関わりと決断が必要です。その意味で、信仰に生きると言うことは、プライベートな個人的な事柄と言うこともできるでしょう。

しかし、第二バチカン公会議の教会憲章には、こう記されています。
「神は、人々を個別的に、まったく相互の関わりなしに聖化し救うのではなく、彼らを、真理に基づいて神を認め忠実に仕える一つの民として確立することを望んだ。(9)」

そして教皇フランシスコも、「福音のよろこび」の中で、こう言われます。
「神は人々を個々人としてではなく、民として呼び集めることをお選びになりました。一人で救われる人はいません。」(「福音の喜び」113)

わたしたちは、個人として信じると決断して受けたこの信仰を、一人で孤立して生きるのではなく、共同体の中でともに生きていくのです。それは神ご自身が、わたしたちを、一つの民、「神の民」として呼び集められたからに他なりません。教会にとって、信仰者が共に生きる共同体の存在はとても大切なものです。共同体なしに、教会はあり得ません。信仰者は個人として責任を持って信仰に生きるのですが、同時にその信仰を共同体の中で育むのです。

聖霊降臨の主日にあたり、多くの方がこのミサの中で堅信の秘跡を受けられます。聖霊の賜物をこの秘跡を通じて受けることで、キリスト教入信の秘跡が完結します。聖霊の賜物はそれぞれの方に、それぞれ固有の生き方の可能性を与えます。堅信の秘跡を受けることによって、いわば大人の信徒になるのですから、神からいただいた恵みに応える大人としての責務を自覚して行動してください。

五旬祭の日に、弟子たちは一つになって集まっていたと、第一朗読に記されていました。そこには共同体として一致している弟子たちの姿が描かれています。同時に集まりからは、主イエスを失い、戸惑いと恐れのうちに、社会の現実から自らを切り離し隠れようとしている、消極的な姿勢も垣間見ることができます。

しかし、その消極的だった弟子たちは、聖霊を受けることによって、「霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」と記されています。

聖霊を受けることで、急に外国語がペラペラになるのであれば、そんな素晴らしいことはないのですが、残念ながらそういうことはなかなか起こらない。ではこの弟子たちに起こった変化には、どういう意味があったのか。

この弟子たちの様子を目撃した人々の言葉にこうあります。「彼らが私たちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」。

すなわち弟子たちは聖霊に満たされることによって、神の業を語り始めたのだけれど、それは人々が理解できる言葉であったということです。私は、たぶん、外国語を話したと言うことよりも、人々がわかる言葉で、福音を語り始めたことの方が大切であるように思います。

堅信の秘跡を受ける信仰者は、大人の信徒としての道を歩み始めます。大人の信仰には、与えられた賜物に応えていく責任が伴います。その責任とは、主イエス御自身が弟子たちを通じて私たちに与えられている、福音宣教の命令です。大人の信徒の責任は、福音宣教の務めを果たすこと、すなわち、神の業を人々がわかる言葉で語ることであります。

聖霊を受けた弟子たちがそうであったように、私たちも教会共同体において聖霊を受け、そこから外に向かって派遣されていくのです。ですから問題は、派遣されて出た社会の現実の中で、果たして私たちは、人々が理解できる言葉で福音を語っているのかどうかであります。

私は口べただから、何を語って良いのかわからない。そうかも知れません。実は、福音宣教は、雄弁に語ることだけなのではありません。問題は聖霊の賜物を受けて、どのように生き.その生きる姿勢であかしをするのかであります。

わたしたちは、自分の生きる姿を通じて、福音をあかしいたします。それがわたしたちの福音宣教です。
わたしたちは、ほかの方々との関わりの中で、福音をあかしいたします。それがわたしたちの福音宣教です。
わたしたちは、愛の奉仕の業を行うことで、福音をあかしいたします。それがわたしたちの福音宣教です。

本日の第二の朗読、ガラテヤの教会への手紙でパウロは、霊の望むところと、肉の望むところは相反しているのだ。私たちは霊の導きに従って生きるのだ、と教えます。

肉の望むところとしてパウロは、具体的な様々な罪を掲げます。それらはすべて見てみると、結局は自分の欲望を中心とした、全くもって自分中心の利己的な欲望やそれに基づく罪ばかりであります。

それに対してパウロは、霊の結ぶ実として、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制を掲げます。これらは、自分の欲望を中心にするのではなく、誰か相手に対して良くしよう、仕えよう、奉仕しようとするときに必要な徳であります。他者中心の徳です。

すなわち私たちが、聖霊に促されて社会の現実の中で福音をあかしするとき、その言葉と行いは、自分中心ではなく、困難を抱えている人を中心に据えた、他者のために自らを犠牲にする行いによらなければなりません。まさしく、イエスご自身の人生は、他者のために自らを犠牲にする人生でありました。

一人ひとりの能力には限界があります。私たちはひとりでは完璧にはなることができません。でも私たちには互いを支え合う信仰の共同体があります。そしてなによりも、私たちを支え導く聖霊の照らしがあります。聖霊の導きに信頼しながら、そして共同体の支えに力づけられながら、勇気を持って、自らの言葉と行いで、福音をあかしして参りましょう。

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2018年5月22日 (火)

アフリカ開発の新しい視点を求めて@上智大学

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アフリカの新たなビジョンをテーマにした国際会議が、ローマから帰国した翌日、5月19日に土曜日に上智大学で開催されました。

今回の会議は、カトリックの聖エジディオ共同体、上智大学、立正佼成会が共催し、駐日イタリア大使館も協力。日本の政府関係者(外務省関係、国会議員、JICA関係者など)も参加し、日本とイタリアがアフリカでどのような役割を果たしていけるかの、意見を交換。

私は、主催者の一人であり、今回の企画を自らの人間関係の豊かさの中で実現した立役者である、聖エジディオ共同体の事務局長、アルベルト・クアトルッチ氏を以前から存じ上げていたこともあり、東京の大司教として、また元アフリカ宣教師としてあいさつをしてほしいと依頼され、参加しました。

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また講演者の一人は、ガーナ独立の父クワメ・エンクルマの娘サミア・エンクルマ女史でした。お名前は存じ上げていたものの、初めて話を聞き、挨拶をすることもできました。サミア女史は現在、ガーナの国民会議党の党首として、政治の場で活躍中ですが、ガーナにかかわるものとして、その父クワメ・エンクルマはガーナ独立の父として伝説の人物です。

1957年3月7日のガーナ独立の立役者であり、初代ガーナの首相、その後大統領になったエンクルマは、1966年に北京訪問中に起こったクーデターで失脚。そのままガーナへ帰ることなく、1972年にルーマニアで亡くなりました。現在首都のアクラに立派な記念廟が建立され、そこに葬られています。

エンクルマに対する評価は分かれるところがあり、パンアフリカニズムの旗手としてジョモ・ケニヤッタやユリウス・ニエレレなどとともに新生アフリカのリーダーとなったことは確かですし、非同盟運動においても重要な役割を果たしましたが、内政はそれほどうまくは運営されていなかったのも事実です。ちなみに1966年のクーデターは、共産化を恐れた米国のCIAが深くかかわっていたことは歴史的な事実であるといわれます。

サミアさんは1960年に生まれ、父の政権が転覆させられたクーデター後、一時は母親の祖国であるエジプトに住んでいたこともありましたが、その後帰国し、政治活動を続けています。

今回の会議には、多くの講演者が招かれており、それぞれの持ち時間が本当に短くて残念でした。次回以降の企画に期待したいと思います。なおバチカンからは、総合的人間開発促進の部署から、トマシ大司教が参加されました。

聖エジディオ共同体については、どう説明してよいかわからないのですが、1999年に庭野平和賞を受賞した時の、庭野平和財団のホームページの記載がわかりやすいので引用します。

カトリックの在家運動体として30年余、祈りの精神を基盤に国内外の社会的弱者への奉仕活動を展開。国際紛争の調停にも積極的にかかわり、1987年以降は、諸宗教の対話を促進するため、「人びとと諸宗教の出会いと平和の祈りの集会」を開催している。「聖エジディオ共同体のメンバーは誰もが、貧しい人びとやホームレスの人びとと日夜接しており、その中に友情と呼び得る個人的な絆を少しずつ築いています。実際、私たちは、誰かを支援したり、助けようとしたりするよりは、福音書がか弱き人と呼ぶ人びとの兄弟姉妹になり得るようにと努めています」

ローマのトラステベレに本部があり、日本でも宗教者の平和活動や死刑廃止運動にエキュメニカルにかかわっています。

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ローマで会議、そして枢機卿の誕生

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先週はローマで会議でした。5月13日日曜日の夜9時過ぎに成田空港をターキッシュ航空で出発し、イスタンブール経由で翌日の月曜日朝9時過ぎにはローマに到着。

その日は、駐バチカン日本大使館からのご招待で、京野菜を紹介するイベントに出席。場所はなんとバチカン美術館です。300人近くが参加しての夕食会では、京野菜がふんだんに使われた食事が提供され、京都のJA関係者や日本政府関係者、そして駐バチカンの各国外交官も招かれておりました。もちろん枢機卿たちも招待されており、一番のゲストはタグレ枢機卿でありました。

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翌火曜の午後から木曜昼までの会議は、国際カリタスの年に二度の、評議員会にあたる地域代表会議。アジアからは責任者の私と、パキスタン、ミャンマーの代表、そしてタイに駐在する事務局長が参加。

毎年の恒例の議題に加え、2019年に開催される4年に一度の総会とその後の活動方針、さらには現在展開中の難民や移住者を受け入れようというキャンペーンについてなどが話し合われました。議長はタグレ枢機卿。すぐ隣に事務局がある総合的人間開発促進の部署から、責任者のタクソン枢機卿も参加してくださいました。(上の写真、右から二人目がタグレ枢機卿。その左隣がタクソン枢機卿。その左隣がミシェル・ロワ国際カリタス事務局長)

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そして今回の会議のハイライトは、国際カリタスの保護の聖人である福者オスカル・ロメロ大司教の像の序幕と会議室への安置。福者オスカル・ロメロ大司教は、パウロ六世とともに、今年の10月に列聖が決まりました。世界に数えるほどしかないロメロ大司教のこの像は(確か四つしかないと聞きました)、同じものがエルサルバドルのロメロ大司教暗殺現場の聖堂に安置してあるのだそうです。

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タグレ枢機卿によって安置された像のある場所は、以前から国際カリタスの「ロメロ・ルーム」と名付けられていました。今回、この像の安置を手配したのは、以前からロメロ大司教の列聖運動を中心になって進めてきた英国人のジュリアン・フィロコウスキー氏(写真下)。以前、イギリスのカリタスの責任者を務めていた人物です。(彼について、そして福者ロメロ大司教について詳しくは、拙著「真の喜びに出会った人々」を参照ください)

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会議が終わった週末の19日土曜日には、パウロ六世やロメロ大司教の列聖を決める枢機卿会議があったこともあり、何人かの方から、そろそろ枢機卿の発表があるらしいといううわさは聞いていました。

そして5月20日。聖霊降臨の主日。教皇様は14名の新しい枢機卿の任命を発表され、そのうちの11名が80歳未満の教皇選挙権を持つ枢機卿。そしてそのうちの一人が、大阪の前田万葉大司教様でした。

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久しぶりに、やっと日本にも枢機卿が誕生です。白柳枢機卿様がなくなられてからほぼ10年。この数年、機会あるごとに教皇様に、日本にもぜひ枢機卿をとお願いしてきました。長崎の信仰の歴史に生きる枢機卿の誕生です。

前田大司教様、おめでとうございます。6月29日が親任式になるそうですが、その日はちょうど、私も東京大司教としてのパリウムなるものを教皇様に祝福していただく日で、バチカンでのミサに参加することになっていましたので、枢機卿親任式を目の当たりにする栄誉にあずかることになりました。

ちなみにネット上では、前田大司教様が枢機卿になることで、大阪からいなくなるというような心配を記されている方が散見されます。枢機卿になったからと言って、大阪の大司教でなくなるのではありませんから、大丈夫です。そのまま大阪でお続けになります。ただ、ローマでのいろいろな役所の委員に任命されるでしょうから、その意味では、しばしばローマにお出かけになる機会は増えるでしょうし、アジアでの会議に出席を要請されることも増えるだろうと思います。重責を担われることになった前田大司教様のために、お祈りを忘れないようにしたいと思います。

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2018年5月12日 (土)

この数日間の行事

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連休から今日あたりにかけて、いろいろな行事がありました。すでに日記に掲載したものもありますが、それ以外にどんなことがあったのか、駆け足で記します。

5月1日は、清瀬にある東星学園の創立記念日ミサでした。東星学園は、幼稚園、小学校、中学校、高校まである学園です。聖ヨゼフの祝日に、毎年創立記念ミサが捧げられています。今年は私が司式して、それ以外には東星学園理事の稲川圭三神父様、近隣の教会から、秋津教会主任司祭天本昭好神父様、清瀬教会主任司祭伊藤淳神父様が参加してくださいました。

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毎年この時期には「ヨゼフ祭」と命名された、文化祭のような一連の行事も生徒さんたちによって企画されるのだそうで、この日も、ミサ後に、様々な展示を見学させていただきました。

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同学園のホームページによれば、「東星学園は児童養護施設として出発しました。それは80年以上も前のことです。創立者のフロジャク神父は、現在の東星学園を含む清瀬地区の広大な敷地を『ベトレヘムの園』と名づけ、そこに、結核患者さんのための一大療養コロニーを作る計画を立てました」のだそうです。その後、その施設にいる子どもたちのための学校として出発したこともあり、当初から社会的に弱い立場に置かれた人たちを大切にする学校であったと言います。

今でも規模は小さいものの、とても愛に満ちあふれた家族的な学校であると感じました。これからもその素晴らしい雰囲気を失うことなく、心優しい生徒さんたちを輩出する真のカトリック校として発展されますように、お祈りします。

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5月6日の日曜日は、梅田教会に出かけました。梅田教会と言っても大阪ではなくて東京。足立区にあり、主任司祭は荒川博行神父。午前10時からは日本語のミサ、午後2時からは英語のミサで、特に午後の英語のミサは、電車の便も良いことから埼玉県方面からも信徒が集まり、400人近い方がミサに与りました。

梅田教会自体は隣接する、イエズス会創設の社会福祉事業を手がける社会福祉法人「からしだね」の関連でできあがった教会です。

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日本語ミサの共同体と英語ミサの共同体が、それぞれ代表を選出し、一緒になって教会運営に当たっている姿が印象的でした。ともすれば、日本語ミサ共同体と英語ミサ共同体が、互いに関係することなく存在するケースがしばしば見られるのですが、この教会は、荒川師のリーダーシップもあり、言葉は違えど一緒になって協力し、司祭とともに責任を分担し合ってより良い教会を作り上げようとする姿勢が顕著に見受けられました。その意味で、滞日外国人の共同体が根付いているケースとして、研究者が取り上げるという話も納得でした。

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夕方には、フィリピン出身の信徒の方が用意してくださった郷土料理をいただき、教会訪問を終えました。

その後、司祭評議会や新潟の司祭の静修や、中央協の常任司教委員会などもありましたが、本日、土曜日の午前11時から、カトリック府中墓地で、3月に亡くなられた井手雄太郎神父様の納骨式を行いました。

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初めて府中墓地に足を運びました。広い敷地に美しく整備され、入り口隣の聖堂でミサを捧げ、そのまま目の前にある教区司祭の共同納骨墓に、井手神父様の御遺骨を納めました。教区司祭団の最高齢である澤田和夫神父様(98歳)、寺西神父様、藤岡神父様、高木事務局長との共同司式でミサを捧げました。

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教区司祭の共同納骨墓のとなりは、かつて土葬であった歴代教区長の墓が並んでおりました。土井枢機卿までが土葬だと伺いました。

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あらためて、帰天された先輩司祭、井手神父様の永遠の安息を祈ります。

(P.S. これまで長年、忙しいと愚痴をこぼさないことにしてきたのですが、ちょっと想像を超えるほど多忙を極めており、この数日間は日記を更新することすらできずにおりました。健康の問題ではないので、ご心配なきように)

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2018年5月 5日 (土)

使徒ヨハネ市川嘉男神父様葬儀ミサ説教@東京カテドラル

4月29日に94歳で亡くなられた、東京教区司祭、使徒ヨハネ市川嘉男神父様の葬儀ミサが、本日5月5日午後1時半から、カテドラルの関口教会で執り行われ、200名近い方が参列してくださいました。連休中のお忙しいときに、お祈りをともにしてくださり、感謝申し上げます。

 以下本日のミサの説教の原稿です。

使徒ヨハネ市川嘉男神父 葬儀ミサ   2018年5月5日

使徒ヨハネ市川嘉男神父様は、今週の初めの日曜日、4月29日に、94年の人生に幕を下ろされ、御父のもとに帰られました。現役であった頃の市川嘉男神父様を私は存じ上げませんので、何かの手がかりにと10年ほど前の東京教区報に掲載されていた神父様のインタビュー記事を拝読いたしました。

そこには、「東京教区司祭で 『お兄ちゃん』 といえば、 市川嘉男神父を指します。 それは弟の市川裕神父と兄弟だからということもありますが、 市川嘉男神父のお人柄が、 呼びかけに反映されているということでしょう」と記されていました。「お兄ちゃん」とは、それだけで現役時代の市川神父様のお人柄をなんとなく想像させる呼び名であります。

そしてインタビューの中で、「司祭として大切にしてきたことは」という問いに、市川神父様はこう答えられています。
「特にはないけどねえ。 まあ、 司祭だからミサは大切にしてきたよ。 生来、 のんきな性格というか、 自分から積極的に何かをするというタイプではないから、 頼まれればするけど、 そうでなければじっと見て、 その都度対応していくという感じかな。 カッコよく言えば、 『あるがままを大事にする』 ってことかもしれないけど」

「あるがままを大事にする」、そういう司祭としての人生は、自らのうちに秘めた信仰を素直に生き抜く人生であったと想像いたします。

先日、5月1日に、清瀬にある東星学園で、創立記念日のミサを捧げる機会がありました。ミサの前に校長先生から、是非、市川嘉男神父様の永遠の安息のためにミサで祈ってほしいと依頼をいただきました。それは神父様が、東星学園でミサを捧げたり、宗教を教えたりと、生徒さんたちの心の教育のために30年近くにわたって関わってくださったからだと伺いました。それもまた、「あるがままを大事にする」司祭の人生は、子どもの時代に信仰によって心を育むことの大切さを、自ら身にしみて理解されていたからだろうと想像いたします。

同じ日に、ベタニアのシスターからこんな話も聞かされました。すでに引退されてある程度時間が過ぎたときのこと、ある公的な文書に職業を記入する欄があり、記入した方が「無職」と記されたそうです。その頃、高齢のためすでにあまりいろいろとお話にならなかった神父様は、その書類をなかなか認めようとしない。そしてシスターに、職業欄を指さして、「私は東京教区司祭です」と言われたそうです。「あるがままを大事にする」司祭は、ただ時の流れに身を任せて何気なく生きていたのではなく、その人生が終わるときまで、自らの召命をしっかりと自覚して生きてこられたのではないでしょうか。司祭はその命が終わる日まで、司祭としての務めを果たし続けます。それは、そのときそのときの自らの有り様を受け入れ、まさしく「あるがままを大事に」して、そのときに与えられた可能性のうちに召命を生き抜くのです。

司祭は叙階の秘跡によって、「最高永遠の祭司であるキリストにかたどられて、新約の真の祭司として、福音を宣教し信者を司牧し神の祭礼を執行するために聖別される」とカテキズムには記されています。

すなわち司祭には、三つの重要な役割があるとそこには記されています。一つ目は「福音を宣教すること」。二つ目が「信者を司牧すること」。そして三つ目が、「神の祭礼を執行する」ことです。司祭のこの三つの務めは、すべてのキリスト者にとって、生きる姿勢の模範となるものです。

同時にこの三つの務めは、司祭にだけ与えられているものではありません。キリスト者は洗礼によってすべからく「キリストと合体され」、その「固有の立場に応じて、祭司、預言者、王としてのキリストの任務に参与」します。

わたしたちは、司祭の示す模範に倣って福音を宣教したいのです。わたしたちは司祭の示す模範に倣って教会共同体を育て上げたいのです。そしてわたしたちは司祭の示す模範に倣って聖なる者でありたいのです。

パウロはローマ人への手紙で、「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださった」と記すことで、神のわたしたちへの愛には、世の理不尽さを遙かにしのぐ深さがあるのだと教えます。世の常識から言えば、あり得ないことを、神はわたしたちのために成し遂げられた。それほどにまで、神の愛といつくしみは、人間の理解を超えて深いものであります。

イエスは福音で、自分こそが「道であり、真理であり、命である」と宣言されました。イエスご自身が示された生き方にこそ、本当の命へ至る道があり、その道を歩むとき初めてわたしたちは、神とともにあると確信できるのです。

しかしながら、わたしたちが生きている今の社会は、神の御旨に従って成立しているとは言い難い。イエスの福音に忠実に生きようとすればするほど、それは理想主義であり、夢物語であり、非現実的だと見なされてしまいます。いったい、今の時代にあってわたしたちが生きるために頼りにし、その歩みを進めようとしている道は、正しい道なのでしょうか。その道は、真理へと続く道なのでしょうか。本当の命へと続く道でしょうか。それとも、刹那的な喜びと安楽を見いだすための、滅びへと続く道でしょうか。

御父を示してほしいと頼むフィリッポに対して、イエスは、ご自分とつながることこそが御父への道であると諭されます。

「あるがままを大事にする」生き方は、まさしく、イエスとのつながりに忠実に生きる生き方であったのではないでしょうか。まずもって大事にするのは、イエスとのつながりであり、そこがしっかりとつながっているのであれば、何も騒ぐことなく、うろたえることなく、自然体で生きることができる。この世の様々な思い煩い、この世が大切にする様々な価値観、社会の常識。そういった荒波に翻弄されることなく、イエスとのつながりに自信を持って身を任せ、悠々と生きる。市川神父様の生き方は、人生にとって一番大切なことは何かをしっかりと理解したうえでの、信仰における悠々自適な生き方ではなかったのかと思います。

わたしたちは、司祭の示す模範に倣って福音を宣教したい。わたしたちは司祭の示す模範に倣って教会共同体を育て上げたい。そしてわたしたちは司祭の示す模範に倣って聖なる者でありたい。生きる姿勢の模範を示される司祭に倣いながら、自分自身のイエスとのつながりをあらためて確認し、身を任せて、命へと続く真理の道を、歩んで参りましょう。

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2018年5月 2日 (水)

鎌田耕一郎神父、司祭叙階60年@新潟教会

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新潟教区司祭の鎌田耕一郎神父様が、今年で司祭叙階60年となりました。司祭に叙階されたのは、1958年3月21日ですから、なんと私の生まれた年です。私の人生と同じ年月、鎌田神父様は司祭を続けてきたことになります。そして鎌田神父様は今年の一月で90歳になられました。

その叙階60年のお祝いミサが、4月30日の午前11時から、新潟教会で行われ、新潟近隣の多くの信徒、修道者、司祭が参加してくださいました。

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鎌田神父様は基本的にとてもお元気です。私も新潟にいるときには、いつも一緒に食卓を囲んでおりました。残念なことに、この冬、スロープになっている廊下で転倒され、圧迫骨折で入院となりました。しかし懸命なリハビリのおかげで無事退院され、歩行器があれば移動もできるようになりました。

この日のミサでも、祭服に着替えられてから歩行器で内陣に入り、ちょっと腰高で座ることのできるバースツールのような特別ないすに腰掛けられて、共同司式されました。(上の写真、私の右後ろ、復活のろうそくところに座るのが、鎌田神父様)

また聖体拝領も、このいすに腰掛けて授けられました。神父様は幼稚園に長年園長として関わってこられましたので、現役の教員職員の方々も参加され、信徒でない教職員も、神父様から祝福をいただいておりました。

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ミサ後には、信徒会館で祝賀会。お酒を飲めない(体質的に)神父様に変わって、周囲の者が新潟のお酒をはじめいろいろといただきながら、大いに神父様の長寿を祝い、長年の司祭としての奉仕に感謝を申し上げました。

司祭は叙階の秘跡によって、「最高永遠の祭司であるキリストにかたどられて、新約の真の祭司として、福音を宣教し信者を司牧し神の祭礼を執行するために聖別される」とカテキズムには記されています。すなわち司祭には、三つの重要な役割があると言うことです。

一つ目は「福音を宣教すること」。二つ目が「信者を司牧すること」。そして三つ目が、「神の祭礼を執行する」ことです。

その三つの務めのすべては、すべてのキリスト者にとって生きる姿勢への模範を示すものでもあります。わたしたちは、司祭の示す模範に倣って福音を宣教したい。わたしたちは司祭の示す模範に倣って教会共同体を育て上げたい。そしてわたしたちは司祭の示す模範に従って聖なる者でありたい。

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第二バチカン公会議という教会の激動の時代を忠実な司祭として生き抜き、幼稚園教育をはじめとして様々な道で福音宣教に努めてこられた鎌田神父様のこの60年の司祭としての奉仕に感謝します。さらに神父様が日々示してくださる生きる姿勢の模範に倣い、わたしたち一人ひとりも勇気を持って、それぞれに与えられた固有の召命の道を生きていくことができるよう努めたいと思います。次は100歳の誕生祝いだと、参加者みなで確認し合いました。鎌田神父様、おめでとうございます。これからもお元気で。

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カルメル会司祭叙階式@上野毛教会

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カルメル会で司祭が誕生しました。4月29日日曜日の午後2時から、東京の上野毛教会において、カルメル会員・志村武さんの司祭叙階式が行われました。天気にも恵まれ、近隣の宣教協力体の小教区をはじめ、多くの信徒、司祭、修道者が参加し、新司祭の誕生を祝いました。

私にとっても、東京大司教として初めての司祭叙階式です。上野毛教会は、カルメル会の修道院の聖堂が教会になって行ったような形でしょうか。聖堂の写真の祭壇後ろの壁にあるスリットの向こう側には、修道者の祈りのための聖堂があり、教会の聖堂と空間的に結ばれていると伺いました。

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祭壇から会衆席を見渡しますと、ちょうど、新潟教会から回廊部分を取り除いたほどの大きさです。たぶん通常設置のベンチに座れる人数は、新潟教会と同じくらいではないでしょうか。その意味で、なにか安心した雰囲気の中でミサを司式することができた気がします。

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叙階式後には、正面玄関前で参加したすべての人が順番に新司祭と私も入れて記念撮影大会。その後隣の信徒会館で、温かな雰囲気の祝賀会となりました。

カルメル会は管区長さんが名古屋におられます。名古屋教区はもともと神言会の担当する教区でしたから、現在カルメル会が担当されている教会のいくつかも、神言会から移管したものです(例えば、金沢教会など)。名古屋にいた頃は、わたしもカルメル会の神父様方と一緒に働きましたが、そのことを現在の管区長である大瀬神父様が挨拶で触れてくださり、恐縮でした。(写真下:神言会を持ち上げる大瀬管区長と、恐縮する私)

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以下、当日の説教の前半部分です(後半部分は、叙階式の儀式書にある定式文でした)

カルメル会司祭叙階式
2018年4月29日
受階者:ヨハネ志村武

わたしたちは今、あふれんばかりの情報に覆い尽くされた世界で生きています。とりわけインターネットの普及で、この20年くらいの間に、わたしたちを取り巻く情報量は、格段に増加しました。

わたしたちは今、自分たちを取り巻く情報量があまりにも多いため、そのすべてをひとりで把握することが不可能だと感じる世界に生きています。いわゆる高度情報社会とは、結局、いろんなことを知ることができる情報が豊かにある世界と言うよりも、しっかりと取捨選択をしない限りは、実際には何も知ることができない世界であることに、わたしたちはすでに気がついています。

この、情報があふれかえった世界で、近年、フェイクニュースなどという言葉が普通に聞かれるようになりました。結局あふれかえった情報の荒波に翻弄されるとき、それが本当なのか嘘なのか判断することは至難の業です。そんなとき、わたしたちは、簡単に多数の人たちの興奮の渦に巻き込まれ、冷静に物事の真偽を判断する余裕すら失ってしまいます。

そんな世界の直中で、わたしたちは神の言葉という情報を多くの人に伝えようとしています。イエス・キリストの福音という情報を、ひとりでも多くの人に伝えようと努力を続けています。

あまりに多い情報のただ中で、人は自分の世界に閉じこもり、自分の世界観にとって都合の良い情報にばかり耳を傾けるようになってしまっている。その中で、神の言葉を語ることは、決して容易なことではありません。

使徒ヨハネは、「言葉や口先だけではなく、行いを持って誠実に愛し合おう」とその手紙で呼びかけます。それこそが真理に属する生き方であると指摘します。

あまりに大量の情報が満ちあふれているこの世界こそは、まさしく「口先だけ」の言葉で満ちあふれている世界です。ただ言ってみただけ。面白そうだったから書いてみただけ。興奮するから言ってみただけ。そこには自分の口から発する言葉や、自らが綴る言葉への責任感はなく、ただただ、自分の興奮を追い求めているだけの、自分中心の世界が広がります。

そのような世界にあって意味を持っているのは、やはり具体的に目に見える行動であると、ヨハネの手紙は諭します。わたしたちを先に愛してくださった神の愛を、多くの人に具体的に示す行動こそが、わたしたちを真理に生きる者とするというのです。

バルナバは、サウロが使徒として神に選ばれた者であることを識別します。それこそ、様々な情報に翻弄されたことでしょう。サウロがあちらこちらで、いかに残忍にキリスト者を迫害してきたのか。多くの人が興奮して、サウロについての情報をまき散らしたことでしょう。そのような中にあって、バルナバはその情報の波に翻弄されることなく、神の御旨を識別し、その判断を勇気を持って行動に移します。バルナバの判断と決断と行動がなければ、サウロは使徒パウロとはなり得なかったのかも知れません。神のなさる業は不思議です。神のはからいは限りなく、生涯わたしたちはその中に生きるのです。しかし同時に、神のはからいが実現するためには、わたしたちの冷静な識別と決断と行動が必要なのです。

情報があふれかえったこの時代に、司祭として生きることは容易ではありません。真理の言葉に耳を傾ける人は少なく、多くの人は神からかけ離れた世界を代弁するような情報に翻弄され興奮しています。神の御旨を識別し、勇気を持って決断をし行動することで、神の真理を、イエス・キリストの福音を、あかしする司祭であってください。

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訃報: 市川嘉男神父様

東京教区司祭、使徒ヨハネ市川嘉男神父様が、4月29日夜、帰天されました。94歳でした。

通夜は5月4日(金)午後6時から、また葬儀と告別式は5月5日(土)午後1時半から、どちらも東京カテドラル聖マリア大聖堂で執り行われます。

市川神父様は1951年12月の司祭叙階ですから、66年の司祭生活でした。神父様の永遠の安息のためにお祈りください。

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