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2018年11月27日 (火)

海外からの働き手と人間の尊厳

いわゆる入管法の改正が国会で論議され、その審議のプロセスがあまりに拙速だと、この数日間ニュースでも取り上げられています。

常日頃から、キリスト教の信仰の立場に立って、人間の尊厳を語る者として、海外からの働き手をより多く導入しようとする政策に、無関心でいることはできません。

毎日曜日の教会の現実を見れば、そこには日本人の信徒とともに、海外から来られた信徒の方が多くおられ、近年は特にアジア諸国からの若い信徒の方々が急増していることを実感いたします。キリスト者の立場からは、同じ神を信じ、同じイエスをキリストと信じる兄弟姉妹は、国境を越えて一つの共同体を形作る大切な仲間です。その仲間たちには、様々な歴史的背景があり、来日の事情もそれぞれ異なっています。留学生やビジネス、または結婚などで来日された方も多いとはいえ、今特に増加しているのは、いわゆる技能実習生として来日された若者たちです。

確かに、『人口の大きな塊である「団塊の世代」は2022年に後期高齢者(75歳)に達し、嘱託などとして働いていた職場からの「引退」が本格化し始めるとみられる。そうなると65歳以上の就業者数の増加はそろそろ見込めなくなってくる。つまり、人手不足はこれから「本番」を迎える』ことは間違いがなく、日本の社会は極端な人手不足に直面することは間違いがありません(日経ビジネス10月26日)

それを見越して、必要な労働力を確保しなければならないと考えることは、政府にとっては当然の責務であると思います。しかし、「いわゆる移民政策は採らない」という方針を明示するがあまり、ともすれば海外からやってこられる働き手を、一人ひとりの人間としてではなく、抽象的な「労働力」として見てしまう傾向も感じられます。

人間の生命は、神がご自分の似姿として創造されたが故に、一人ひとりに人間の尊厳があると信じている私たちキリスト者は、神がそのいつくしみをもってひとりたりとも忘れることなく、一人ひとりの名前を手のひらに刻みこむほどに(イザヤ書49章)すべてのいのちをいつくしまれているとも信じています。

そう信じるとき、ニュースなどから報道されてくる、いわゆる技能実習生の方々の置かれた過酷な労働現場の現実や、ともすれば奴隷労働のような取り扱い、そして実際に教会で出会う海外から来られた方々の実情を目の当たりにして、心の底から悲しみを感じざるを得ません。

教皇フランシスコは、排除されても良い人は誰ひとりいない、忘れ去られて良い人は誰ひとりいない、と説かれ、無関心のグローバル化に警鐘を鳴らされています。それは、キリストを信じる仲間だけに向けられているのではなく、思想や信条にかかわらず、神が創造されたすべての生命に対して向けられた言葉です。ですから教会は、キリスト者だけにではなく、すべての人の悲しみと苦しみに対して関心を持っています。

将来に向けて日本における労働力の確保を考えるとき、どうか、どうか、海外から来られる働き手は、ひとりの大切な人間であることを、尊厳を持った存在であることを、神が愛されいつくしまれて大切にされている生命であることを、忘れないでいただきたい。人間の尊厳を、守り抜く道を整えていただきたい。私たちは、それを常に心にとめておきたいと思います。

残念ながら、すべての人が満足する方法は、どの分野でも実際には存在しないのかも知れません。しかし、この大切な兄弟姉妹を、十把一絡げに抽象的な『労働力』と見なしてしまうことのないように、心から願います。

そして教会は、教会として、人間の尊厳を奪い取られるような状況に追い込まれた兄弟姉妹に、常に寄り添い助け合う存在でありたいと思います。

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藤岡師の葬儀@東京カテドラル聖マリア大聖堂

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パドアのアントニオ藤岡和滋神父の葬儀が、11月26日(月)12時半から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われました。

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亡くなる直前まで、病と闘いながらも、関口教会の土曜日や日曜日のミサを担当し、また近隣教会のお手伝いに出かけていたこともあり、また今年の待降節も、すでにお手伝いの予約も入っていたこともあり、最後まで現役司祭を貫き通した神父様の通夜と葬儀には、300名を超える方々が、両日とも参列し、祈りをともにしてくださいました。

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また葬儀のあった月曜日は、もともとの教区司祭団の予定では、11月の死者の月に当たり、この一年になくなった司祭を追悼するミサを捧げる予定でした。その意向も込めて、多くの司祭が葬儀に参列してくださいました。

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告別式の終わりには、司祭団が棺を囲み、いつものように「サルヴェ・レジナ」を歌いました。献花の後、藤岡神父様の棺は、後輩の司祭たちによって運ばれ、出棺となりました。

なお納骨式は、年明けに府中墓地で行われる予定ですが、日程が決まり次第、お知らせいたします。

以下、通夜の説教の原稿です。

パドアのアントニオ藤岡和滋神父様は、11月21日の早朝、桜町病院で87年の人生に幕を下ろされました。その87年の人生のうち、60年以上を司祭として、教会のために、すべての人のために、そして神のためにささげられました。

私は引退してからの神父様のことしか存じ上げません。ペトロの家で隠退生活を送られていた神父様とは、私が東京へまいりましてからこの一年間、朝のミサや、食事の時に、多少の時間をご一緒させていただきました。その中で感じたのは、神父様はなんとも頑固な方であったということであります。

よく、ご自分は軍人の家庭に生まれた軍人のこどもであり、幼い頃は自分も軍人になるのだと思っていたとお話になっておられましたが、そのような自覚からも、その頑固さが生まれてきたのかも知れません。

しかしその頑固さは、単に独りよがりの頑迷さではありませんでした。その頑固さは、自分に厳しく、他人には必死になって使えようとする生き方への頑固さであり、信仰に生きることへの頑固さでありました。

神父様は、前立腺癌と戦っておられましたし、そのほかにもいくつもの病気を抱えておいででした。しかし、身体的な困難を抱えながらも、例えば関口教会の土曜夕方のミサや日曜昼のミサの司式を最後まで引き受け、近隣の教会からも、頼まれれば必死になってミサの手伝いに出かけておられました。この数ヶ月は、肉体的にも非常に厳しくなっていたと思います。時に、主任の西川神父様あたりが、休んだらどうだと勧めても、それはそれは頑固に、自らの務めを果たそうとされました。ペトロの家の毎朝のミサでは、本当に最後まで、聖歌を大きな声で歌われておりました。どんなに肉体的な困難を抱えても、司祭としての奉仕の務めを果たすことを最優先にし、必死にその頑固さを貫き通されました。

何年か前の教区ニュースの司祭紹介で、ご自分でこう語られています。

「若い時に入院をすることになり、最初は置いていかれるような気持ちになり焦りました。でも大きな手術をしたら、くよくよしなくなりました。何回か入院していますが、退院したら病人だということは表に出さないと決めています。退院した瞬間、自分は健康人だと言い聞かせ、そうなるのです。それ以来「『病』はすれど『病気』はせず」です。何事も自分で決めて、切り替えられる「チャンネル男」にもなったのもこの時からです。神父が教会で暗い顔をしていたら嫌でしょう?神父が教会で明るくニコニコしていれば、信徒も明るくなれると思うのです。

全く最後まで、頑固にその生き方を貫かれたと思います。

癌が進行し、肉体的にも精神的にも苦しみが増し、しかしそれでも入院を断りながら、在宅のケアでドクターから痛み止めをいただきながら、必死に司祭を生きておられました。わたし自身は11月17日土曜日の昼食の時に、最後にお話をしたと思います。入院を勧める周囲に耳を貸さず、それでも時間になると食堂には出てきて、しかし痛みと食欲のなさに苦しんでおられる様子でした。

近寄って「大丈夫ですか」と声をかけましたら、「どうしちゃったんだろうねえ。食欲がなくて」と一言。「無理せず、お大事になさってくださいね」

それが、私にとっての最後の神父様との会話でした。私は翌日、18日日曜の夕方には所用のため新潟へ出かけましたが、そのとき、神父様がやっと桜町病院への入院に同意されたと伺いました。

そして病院の受け入れが整い、入院されたのが20日火曜日。翌21日朝には、御父のもとへ帰られました。あっぱれな司祭人生であったと思います。最後の最後まで、頑固に司祭として生きた、藤岡神父様らしい人生であったと思います。

ヨハネの福音に、「私が天から降ってきたのは、自分の意思を行うためではなく、私をお遣わしになった方の御心を行うためである」という、イエスの言葉が記されておりました。

司祭の人生は、まさしく自分のための人生ではなく、神の御心の実現のために奉仕する人生であります。

イエスご自身が、神の意思の実現においては、妥協を許さない頑固な人であったと思います。司祭もまた、信仰の実践と神の使命の遂行にあっては、やはりおなじように頑固であらねばならないと思います。藤岡神父様の司祭としての人生は、まさしく主であるイエスに倣う、信仰における頑固さに満ちあふれた人生であったと思います。

師である主イエスに忠実に生きた僕に、父である神が豊かに報いを与え、その懐にあって、永遠の安息を与えてくださいますように。

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訃報:國枝夏夫神父様

東京教区司祭のペトロ國枝夏夫神父様は、11月26日(月)に、入院中の聖パウロ病院(八王子)で、老衰のため帰天されました。86歳でした。

通夜は、11月29日(木)午後6時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で。

葬儀ミサは、11月30日(金)午後1時半から、同じく東京カテドラル聖マリア大聖堂で。

私がケルン大司教区へ出張中のため、通夜と葬儀は岡田大司教様が司式されます。

國枝神父様は、1932年8月5日の生まれで、1947年に受洗。1964年3月18日に司祭叙階を受けられました。その後、世田谷、築地、福生などの教会で司牧に当たり、特に60年代は学生指導司祭に専念されたそうです。その後、長期にわたり汚れなきマリア会東村山修道院でミサを担当され、2015年からは、入院生活を送られていました。

國枝神父様の、永遠の安息をお祈りください。

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2018年11月25日 (日)

王であるキリスト@小金井教会

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典礼暦の上で年間最後の主日となる「王であるキリストの主日」の本日、小金井教会でミサを捧げ、その中で9名の方が堅信の秘跡を受けられました。

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堅信を受けられた皆さん、おめでとうございます。これからも、福音を告げしらせるという使命に生きるキリスト者としての自覚を心に刻み、人生の歩みを進めてください。

小金井教会の聖堂でミサを捧げることは、実は初めてではありませんでした。先日、聖ヨハネ修道会の総会があり、その開会のミサをこの聖堂でシスター方と捧げておりました。しかし小教区の皆さんとは今回が初めてです。

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小金井教会は、聖ヨハネ修道会が経営母体となる桜町病院の敷地の中にある教会です。設立の歴史的経緯から、一見すると病院の付属教会のように見えないこともありません。

東京教区のホームページには、次のような歴史が掲載されています。

「小教区として設立される前に、長い前史がある。1939年に桜町病院が教区司祭戸塚文卿博士によって設立され、博士の帰天後、福音史家聖ヨハネ布教修道会に引き継がれた。この敷地内にあった聖堂に集う信者が増えたので、1975年に正式に吉祥寺小教区から分かれ、小金井小教区が誕生した。当初は府中墓地聖堂でもミサを毎週行っていたが、1990年、府中教会が小教区として独立、それ以降は小金井市を主な受持ち地域としている。」

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また表の道路を挟んで向かい側には、聖霊会のシスターたちの家もあります。

ちなみに今夕、カテドラルで通夜が行われた東京教区司祭藤岡神父様の最期も、この桜町病院のホスピス病棟でした。

今日の堅信式のミサには、小教区管理者の加藤豊神父様をはじめ、小金井教会出身で今年叙階されたカルメル会員の志村神父様も参加してくださり、侍者デビューのかわいい二人もいて、盛大で荘厳なミサができたと思います。ミサ後には、地下のホールで祝賀の茶話会。

堅信を受けられた皆様に、聖霊の護りと導きを祈ります。

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2018年11月22日 (木)

訃報: 藤岡神父様

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東京教区司祭、パドアのアントニオ藤岡和滋神父様が、11月21日(水)の早朝に、桜町病院にて帰天されました。87歳でした。神父様は以前から患っていた癌のため、ペトロの家で在宅治療を続けておられましたが、この数週間に体調を崩され、11月20日(火)に桜町病院に入院したばかりでした。

藤岡神父様は1931年8月8日に滋賀県八日市町(現在の東近江市)で生まれ、1940年に受洗。1956年の12月21日に神田教会で司祭叙階を受けられました。

その後大森教会、本郷教会、小平教会、立川教会、松戸教会、関町教会などで働かれ、2003年より教区本部の協力司祭として過ごされていました。つい数日前まで、関口教会の主日前晩(土曜日)の夜6時のミサや、主日のお昼のミサの司式を担当し、近隣の教会にもお手伝いに出かけておられました。

通夜は11月25日(日)18時より、葬儀ミサは11月26日(月)12時半より、どちらも東京カテドラル聖マリア大聖堂でささげられます。

どうぞ藤岡神父様の永遠の安息のために、お祈りください。

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(写真は今年8月の87歳の誕生日に、ペトロの家で)

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2018年11月20日 (火)

2019年の主日の予定

来年2019年の復活祭以降、日曜日の教会訪問などの予定についてお問い合わせを頂いております。今の段階ですでに予定されている2019年1月から12月の日曜の小教区などの訪問予定を、ご参考までに記載いたします。

  • 1月20日 一致祈祷集会小金井教会
  • 1月27日 碑文谷教会

  • 2月3日 本所教会 ベトナム共同体
  • 2月10日 新庄教会
  • 2月24日 八王子教会

  • 3月10日 一粒会総会
  • 3月17日 新潟教会
  • 3月24日 北町教会
  • 3月31日 茂原教会

  • 4月28日 千葉中央宣教協力体

  • 5月5日 フランシスカン・チャペルセンター
  • 5月12日 世界召命祈願日
  • 5月19日 フランス語共同体
  • 5月26日 国際カリタス総会

  • 6月2日 成城教会
  • 6月9日 聖霊降臨・合同堅信式
  • 6月16日 吉祥寺教会
  • 6月23日 築地教会、イグナチオ教会
  • 6月30日 豊四季教会

  • 7月7日 赤羽教会
  • 7月21日 高円寺教会

  • 8月18日 新潟教区
  • 8月25日 宮古教会

  • 9月1日 日本カトリック教育学会講演
  • 9月8日 徳田教会
  • 9月15日 聖体奉仕会
  • 9月22日 葛西教会
  • 9月29日 青梅教会

  • 10月6日 あきるの教会
  • 10月13日 巡礼
  • 10月20日 新潟教会
  • 10月27日 大森教会

  • 11月3日 合同追悼ミサ
  • 11月17日 豊島教会

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2018年11月19日 (月)

東京国際カトリック青年の集い@関口教会

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東京教区の国際センター(CTIC)と主に海外出身の青年心とのグループが一緒に、東京国際青年の集い(TICYG: Tokyo International Catholic Youth Gathering)を東京カテドラルのケルンホールで11月18日の日曜日に開催し、15カ国出身の青年信徒が160名以上参加してくれました。

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午前中から集まった青年たちは、自分たちのコアグループの作成したプログラムに従い、7つのステージをクリアするグループゲームや、互いの分かち合い、それぞれの文化からの歌やダンスの披露などの交わりの時間を過ごし、最後に午後5時から、ケルンホールでミサを捧げ、一日の活動を締めくくりました。ミサは私が司式し、国際センター所長の高木神父、関口教会の西川神父、真境名神父が共同司式。

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今の日本には様々な国からやってきた人たちや、様々な国を背景に日本で生まれ育った方々が多くおられ、その中には信徒の青年たちも少なくありません。文化の違いや言葉の違いもあり、なかなか一緒になって一つのキリストの体を作っているのだという意識を持ちきれていないと感じます。お客さん的な扱いも、時に見受けられます。

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そんな中で、同じキリストにおける兄弟姉妹としてともに歩んでいくためには、互いを知り合うことが重要です。それぞれが抱えているそれぞれの人生の物語を、互いに分かち合うところから、互いの理解が始まり、支え合うことにつながることでしょう。

その意味で、今回の集まりは、海外をベースに持つ青年たちだけではなく、日本人の青年も多く参加したことには、大きな意味があると思います。プログラムの企画も、日本人を含むさまざまな文化的背景を持った人が集まって行いました。

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そして、私にとって一番重要だと感じたのは、その地の言葉で、つまり日本語でのミサが締めくくりのミサで会ったことです。プログラム中のアナウンスや語りは、すべて英語と日本語で行われました。ミサの私の説教も、日本語と英語でしたが、ミサ自体は日本語。生活の基盤のある国の言葉でのミサで一致することには、一緒になって一つの体を作り上げる道にとって大切なことです。

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もちろん司牧的な配慮として、それぞれの言葉でのミサや霊的生活は否定しませんし、必要であると思います。しかしそこだけに留まっていては、一つの体はできません。やはりそこを前提にした上で、基盤のあるその地の言葉での交わりと祈りは、重要です。

これからも、さらにこの輪を広げて、大きなキリストの体を育て上げていってください。

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江戸の殉教者記念ミサ@高輪教会

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11月18日の午前中10時から、高輪教会を会場に、江戸の殉教者記念ミサが捧げられました。高輪教会の記念ミサは今回が59回目。59年にわたって、毎年記念ミサが続けられてきました。

高輪教会のホームページには、次のような記載があります。

「1623年(元和9年)12月4日、宣教師を含む信者50名は小伝馬町の牢から 江戸市中を引き回され、東海道沿いの札の辻(現在の田町駅付近)から 品川に至る小高い地で、火刑に処せられました。中でも、下総(千葉)六万石の臼井城々主の長男、原主水がキリシタンの 中心的人物であったと記録されています。」

50名の中から、原主水は188殉教者の一人として列福されています。また205福者殉教者の中には3名の江戸の殉教者が含まれています。

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ミサの前には子どもたちによって、殉教の様子を再現した朗読劇もあり、小教区管理者である古郡神父も一緒に熱演しておられました。

ミサ後には、歩いて20分ほどの距離にある江戸の殉教者が処刑された地、札の辻まででかけ、祈りを捧げました。祈念碑がちょうどその地に建った高層オフィスビルの公開空き地になり、立ち入ってお祈りをすることができます。また東京都の史跡にも指定されているようです。

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ここでは、同じ宣教協力体の目黒、麻布からも司祭と信徒が参加。マルコ師(目黒)、稲川師(麻布)、古郡師(高輪)と一緒に祈りを捧げました。

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殉教者たちがいのちをかけて生き抜いた信仰。その勇気あるあかしの生き方に、現代に生きる私たちも倣いたいと思います。

確かに今の時代、私たちは当時と同じような肉体的な意味での迫害は受けていませんし、信仰のために「公」からいのちを奪われることはないのかもしれません。

しかし現実を見ると、神からの賜物であるいのちがその尊厳を奪われ、あたかも人間がその価値を決定できるかのような錯覚に満ちあふれた言動が後を絶ちません。

そういった現実の中で、いのちを最優先にし守り抜こうとすると、その行動自体が蔑視されてみたり、ときに命の危機にすら直面することもあります。

それはたとえば、障害のある人たちには生きる価値がないと切り捨てるような言動だったり、心優しい人たちが軟弱だとして追い詰められ、時にはいじめに遭い、命の危機にまで追い込まれたりする現実です。

ですから今の時代に合っても、すべての根本である私たちのいのち、神からの愛に満ちた賜物であるいのちを守り抜こうとする言動は、それこそ命がけです。わたしたちは命を守ろうとするから、愛の奉仕を行い、平和について語り行動します。信仰に生きることは、あの殉教者たちにのあかしの生き方にあるように、まさしくいまでも命がけであります。

信仰の先達である殉教者の取り次ぎによって、私たちも信仰を生き抜く勇気を頂くことができるように祈りましょう。

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2018年11月17日 (土)

第24回日韓司教交流会@議政府教区

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第24回目となる日本と韓国の司教団の交流会が、今年は韓国のソウルの北にある議政府教区(ウィジョンブ)にある「ハンマウム(一つの心)」青少年センターで11月13日から15日まで開催されました。

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毎年交互にそれぞれの国を訪れ、お隣同士の教会が互いに抱える福音宣教の課題について、学び、分かち合い、さらに相互の理解を深めるために行われており、今年は「青少年たちの現実と司牧の展望」と題して勉強会が行われました。ちょうど青少年をテーマにしたシノドスが開催され、そこに参加した司教が日本にも韓国にもいることから、時宜に適ったテーマとなりました。

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日本と韓国には同じ数の16の教区がありますが(韓国は15教区と軍教区で16)、教会の規模は韓国の方が遙かに大きいので、補佐司教の数も多く、参加者は日本からは全員の18名(引退された郡山司教も参加)、韓国からは24名(ベネディクト会大修院長を含む)となりました。

初日には駐韓教皇大使のシュエレブ大司教も参加され、ご挨拶をいただきました。大使は数年前まで、教皇様の個人秘書を務めておられた方です。

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初日には韓国と日本、それぞれの青年たちの主張と希望をまとめたビデオも上映され、さらに二日目には韓国科学技術情報研究院のパク・ヨンソ博士が、「第四次産業革命時代のAIと将来の展望」と題して、めまぐるしい科学技術の発展と、これからのAI時代の見通しについてお話しくださいました。

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また二日目午後には、信徒が先導した韓国カトリック教会の発祥の地でもあるマジェの聖地を訪問し、聖堂でミサをささげることもできました。またここでは、著名な両腕を失っている義手の芸術家による即興の水墨画作成の披露もありました。

規模を違うとはいえ、日本でも韓国でも教会における青少年との関わりには共通の課題も多く、また技術革新が激しく進む中で、私を含め高齢者の多い教会の指導層は肝心のコミュニケーションから取り残されているようなところもあり、これからの時代の新しい若いリーダーたちを見いだし育てていくことの重要性も、互いに確認しました。

来年の記念すべき25回目の交流会は、日本で開催されますが、会場は未定です。

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2018年11月12日 (月)

合同堅信式@新潟教会

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昨年12月に私が東京へ着座して以来、新潟教区には新しい司教が任命されていません。ですから新潟の司教座は空位です。そのため、いまでもわたしは、東京の大司教とともに、新潟教区の教区管理者を務めています。一日も早く、新しい司教様が新潟教区に任命されるよう、皆様のお祈りを改めてお願いいたします。

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さてそういうわけで、新潟教区の合同堅信式を、11月11日の日曜日午前9時半から、新潟教会で行いました。新潟の司教を私は13年間務めましたが、合同堅信式を行ったのは初めてです。主に新潟県内の信徒の方を中心に、14名が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。

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またこの日のミサでは、拝領後に、子どもたちの祝福の祈りも行いました。10名近い子どもたちが元気に集まっていたのには、うれしい驚きでした。心も体も健やかに育ちますように。

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ミサ後には信徒会館でお祝いの茶話会。前日から用意してくださった軽食を頂きながら、しかも準備された椅子では足りずに、椅子の補充をしなければならないほど多くの方が参加してくださいました。

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茶話会では、私の還暦のお祝いのケーキも頂き、また質問コーナーもあって、久しぶりに新潟での楽しいひとときを過ごしました。

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また前日の土曜日には、集会司会者、聖体授与の臨時の奉仕者の養成講座も行われ、全三回の二回目のこの日には、40名以上の参加者が、新潟県内だけではなく山形県からも、また遠くは秋田からも駆けつけてくださいました。講師は教区管理者代理の大瀧神父様。

ちょうど新しい集会祭儀の儀式書も出たことですし、これからの日本の教会の現状を考えたとき、集会祭儀をふさわしく行う養成を行うことは不可欠です。現実の司祭志願者の数と、現役司祭の年齢を考えれば、数年後には各地で、小教区すべての司祭を配置することは不可能となります。それはすでにいくつかの教区では起こっていることです。司祭の数の増減に左右されて、小教区の数を変更するべきではないのですが、かといってすべての小教区でこれまで通りのミサが行えるかどうかは、厳しい挑戦であると思われます。その中で信徒の方々がふさわしく役割をになってくださり、共同体の祈りの場を保ち続けることは重要です。これから、たとえば東京教区でも、集会祭儀の司会者のふさわしい養成が必要になると考えています。

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2018年11月 9日 (金)

合同追悼ミサの説教@カテドラル

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この数日は、いろいろなところでお話をさせていただく機会をいただきました。まず水曜日の午前中には、府中にあるミラノ会の総会で、集まっていた会員の皆さんに、東京教区の福音宣教についてお話しいたしました。ミラノ会の宣教師の皆さんには、東京をはじめ、各地での宣教司牧への貢献に感謝します。

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そしてその日の夕方には、上石神井にある神学院へ出かけ、神学生の静修でお話をさせていただきました。夕食後に一時間、そしてそのまま神学院に泊まり、翌朝に一時間。そしてお昼前には一緒にミサを捧げ、お昼を一緒にいただいて戻りました。

神学生たちを前にして思うこと。私が今60歳ですから、健康が許せばこれから15年間は司教職を続けることになります。そうすると15年後くらいに教会のリーダーとなっているのは、目の前にいる神学生たちであろうと思います。もしかしたらその中から司教が誕生するかも知れない。15年後が楽しみです。神学院はこれからの長い司祭生活の霊性の土台を築き上げる時期ですから、その時間を有効に生かしていっていただきたいと願っています。

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以下、先日11月4日午後に東京カテドラルでささげられた、合同追悼ミサの説教原稿です。

イエスをキリストと信じる私たちは、イエスに結ばれることで、「イエスを信じ、その御体を食べ、御血を飲む人々を世の終わりに復活させてくださる」のだと確信し、永遠のいのちに生きる大きな希望を持ちながら、この人生を歩んでいます。

同時に、「私をお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人をひとりも失わないで、終わりの日に復活させることである」と言われたイエスの言葉への信頼のうちに、いつくしみ深い神が、その深い愛をもって、すべての人を永遠のいのちのうちに生きるよう招かれていることも信じています。

葬儀や追悼のミサで唱えられる叙唱には、「信じる者にとって、死は滅びではなく、新たないのちへの門であり、地上の生活を終わった後も、天に永遠のすみかが備えられています」と私たちの信仰における希望が記されています。

わたしたちの人生には時間という限りがあり、長寿になったと言ってもそれは長くて100年程度のことであり、人類の歴史、全世界の歴史に比べれば、ほんの一瞬に過ぎない時間です。この世のいのちに限るのであれば、その程度の時間しか、私たちには与えられていません。

人生には順調に進むときもあれば、困難のうちに苦しむときもあります。よろこびの時もあれば、悲しみの時もあります。人生において与えられた時間の間には、自らの努力の結果を味わうことができないこともあります。仮に私たちのいのちが、人類の歴史の中における一瞬ですべてが終わってしまうとしたら、それほどむなしいことはありません。

しかし私たちは、歴史におけるその一瞬の時間が、実は永遠のいのち一部に過ぎないことを知っています。ですから私たちは、「人生が一瞬に過ぎないのであれば、その中で様々な努力をしたり善行をすることはむなしい」、などとあきらめてしまうことはありません。永遠のいのちの流れを見据えながら、わたしたちは常により良く生きるように努力を生み重ね、この命を懸命に生きたその報いが、永遠のいのちに必ずやつながっていくことを信じています。

昔、アフリカのガーナで働いていたとき体験したことを少しお話ししたいと思います。ガーナの人たちからしばしば、「祖先たちは今でも皆と一緒に生きている」と言うような話を聞いたことがあります。初めての家などを訪問すると、必ずライベーションが行われました。お酒を、祈りの言葉とともに、少しずつ地面に注ぐ儀式です。どうしてそうするのかと尋ねたとこと、「祖先たちは今でも皆と一緒に生きている」と言われたのです。

つまり、人は死んでいなくなってしまうのではなく、目に見えない形で生きていて、一緒にいるのだ。だから客人が来たら、祖先たちに、この人は悪い人ではないから機嫌を損ねないでほしいと酒を注ぐのだというのです。

祖先たちが一緒に生きているのだという感覚は、大切だとそのとき思いました。キリスト教の信仰に通じるところもあるからです。

私たちも、信仰宣言で「聖徒の交わり」を信じると宣言しています。そもそも教会は「聖徒の交わり」であります。私たちは地上の教会において、御聖体を通じて一致し、一つの体を形作っていること、互いに与えられた賜物を生きることによって体全体を生かす分かち合いにおける交わりに生きています。同時に教会は、地上で信仰を生きている私たちの教会が、天上の教会と結ばれていることも信じています。カテキズムには「地上で旅する者、自分の清めを受けている死者、また天国の至福に与っている者たちが、皆ともに一つの教会を構成している」と記しています。

ですから私たちは互いのために祈るように、亡くなった人たちのために祈り、また聖人たちの取り次ぎを求めて祈るのです。そのすべての祈りは、一つの教会を形作っている兄弟姉妹のための、生きた祈りであります。死んでいなくなってしまった人たちを嘆き悲しむ祈りではなく、今一緒になって一つの教会を作り上げているすべての人たちへの生きた祈りであります。

確かに、祖先たちは、ガーナで言われたように、死んでいなくなってしまった人たちではなく、今一緒になって生きている人たちだと言うこともできるでしょう。

伝統的な信仰の中で、死後すぐに私審判を受け、世の終わりの最後の審判までの間、煉獄で清めの時を過ごす霊魂のために祈ることが勧められてきました。その伝統はなくなってしまったわけではありませんし、教会の教えから、天国や煉獄や地獄がなくなったわけでもありません。

「死者のためのわたしたちの祈りは、死者を助けるだけではなく、死者がわたしたちのために執り成すのを有効にすることができる」とカテキズムに記されています。

私たちは、互いに祈り合う一つの教会に生きているのです。
私たちに先立って永遠のいのちへと旅立たれたすべての霊魂を、いつくしみ深い御父のみ手にゆだねましょう。また私たち一人ひとりも、神のめぐみといつくしみのうちにこの人生をより良く生き、いつの日か先達とともに御父のもとで、ともに永遠のいのちに与ることができるように、「旅する神の民にとって確実な希望と慰めのしるしとして輝いている」聖母マリアの取り次ぎのうちに、神の導きを祈り求めましょう。
 

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2018年11月 5日 (月)

東京教区青年の合宿、そして合同追悼ミサ


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東京教区の青年たちの合宿、「mass mass 楽しい」が、11月3日と4日、イエスのカリタス会管区本部を会場に行われ、60名を超える青年たちが参加しました。

主催は東京教区の青少年委員会。そのホームページには、今回の目的が次のように記されていました。

「神様のもとで、同年代の若者が集うこと。それが第一の目的です。 共に学び、語り合い、食事をし、ミサを受ける中で、仲間の広がりを大事にします。   

そして、ミサについて少しでも知って考えてもらうこと。

ミサに関して、分かっている / 分かっていない ひとまず置いておいて、ひとつひとつ大事な基本要素を学んでいきます。ミサの中で行われることひとつひとつに意味があって、それぞれに思いがあります。 ただ学ぶばかりではなく、ミサについて考え、若者によるミサを作ることを目的にします。

ミサについて、たくさん知っている人は、もっと深めるために、まったく知らない人は、この機会にちょっぴり知るために、興味ない人も、楽しさを見つけ出すために、単純に、仲間と楽しく過ごすために、ぜひ、この青年合宿参加してみてください。」

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というわけで「mass mass 楽しい」をテーマに、参加者は典礼について真剣に学び、いくつかのグループに分かれて意見を交わし、私たちの信仰の中心にある聖体祭儀への理解を深めたようです。

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わたしは二日目の10時から行われたミサを、司式させていただきました。事前にしっかりと学んだこともあり、よく準備され、また積極的に参加する、良い典礼であったと思います。修道院のシスター方も一緒に参加してくださいました。

準備したリーダーたちに感謝。もっとこの輪が広がりますように。

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そして、同じ11月4日の日曜日午後2時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、合同追悼ミサを執り行いました。

11月は死者の月です。11月最初の日曜日に、府中と五日市のそれぞれの教区墓地と、納骨堂のある関口で、合同追悼ミサが行われています。関口の納骨堂にご親戚やご家族が眠っておられる方々を中心に、多くの方がミサに参加され、亡くなられた方々の永遠の安息を祈るとともに、地上の教会と天上の教会の交わりを心にとめ、互いに祈り合うことの大切さを再確認しました。

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復活の主を信じる者にとって、死は終わりではなく永遠のいのちへの門です。私たちは、目に見えるこの世の生活だけで、すべてが完結するものではないことを信じています。常に、永遠のいのちへの希望のうちに生きています。

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ミサの奉献では、亡くなられた方々を追悼して記入された名簿が奉納されました。またミサ後には、地下の納骨堂へ移り、祈りが捧げられました。

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亡くなられた方々の、永遠の安息を、心からお祈りいたします。

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60歳となりました

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11月1日は、私の60歳の誕生日でありました。多くの方々からお祝いの言葉やお祈りをいただいたことに、心から感謝申し上げます。これまでも多くの方々のお祈りによる支えをいただき、司教職をなんとか務めることができました。健康が許すならば、司教職の定年は75歳ですので、まだ15年も先があることになります。どうか皆様のお祈りによる支えをいただきますように、心からお願い申し上げます。お一人お一人に、御礼を申し上げることが適いませんので、この場を借りて、感謝申し上げます。

還暦ですから、何か赤いものを身につけるのが慣例ですが、先般行われた東京教区の司祭研修会では、伝統的な還暦の衣装をいただきました。その写真は、白黒ですが、教区ニュースの最新号に掲載されています。

カリタスジャパンのチームからは、10月末に行われた全国担当者会議の懇親会で、Share the Journeyキャンペーン(日本では排除ゼロキャンペーン)のTシャツを、記念にいただきました。もちろん赤色のTシャツです(写真上)。

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そこでもお祝いのケーキをいただきましたが、日曜日のイエスのカリタス会管区本部で行われていた教区の青年の集まりでも、ミサの後の振り返りの集まりで、お祝いのケーキをいただきました。配慮してくださった青年のリーダーたちに感謝します。(写真上)

これからも、職務に忠実で、そして懸命に使命を果たしていくことができるように、皆様の変わらぬお祈りをお願いいたします。

感謝のうちに。

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