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2018年12月25日 (火)

主の降誕、おめでとうございます

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主イエスの降誕、おめでとうございます。

みなさま、お一人お一人にとって、またみなさまのご家族にとって、心の暖まるひとときが与えられる、素晴らしいクリスマスとなりますように。

またこのクリスマスの時期に、インドネシアでは大きな津波がありました。2004年にもインドネシアでは、クリスマスに大きな地震があり津波の大きな被害が出ています。被害を受けられた方々のため、特に亡くなられた方々のためにお祈りいたしましょう。

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関口の東京カテドラルでは、12月24日は、午後5時、午後7時、午後10時、そして深夜零時にミサが行われました。わたしは、午後7時のミサを担当いたしました。晴れていたものの、とても寒い晩でしたが、パイプいすがすべて埋まり、立ち見も出るほどで、千人を超える方がミサに与ってくださったのではないでしょうか。聖体拝領のときにも、だいたい6割以上が祝福を求める方でした。

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ミサは、幼子の像を抱いて、聖堂後ろからロウソクに導かれて入堂するキャンドルサービスに始まり、幼子を祭壇前の飼い葉桶に安置して、少女たち(献金少女と呼ばれているようです)が、カップローソクを100近く並べていきました。

以下、昨晩7時のミサの説教の原稿です。

主の降誕(夜半のミサ)
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2018年12月24日

お集まりの皆さん、主イエスの誕生、おめでとうございます。

誕生したばかりの幼子は、旅の途上にありました。両親が普通の生活を営んでいた故郷の街での誕生ではなく、旅の途上でありました。加えてその日、この家族には、安心して泊る場所さえ与えられなかった。心の安まらない状況で不安を抱え、そしていのちの誕生という人生における重大な出来事に直面したとき、この家族が抱える不安は、どれほどだったでしょう。助けてくれる知り合いとて見つからない土地で、どれほどの不安を抱えていたことでしょう。

それに追い打ちをかけるようにこの家族は、今宵の不安な出来事の直後に、次には迫害を避けていのちを守るために、エジプトへ避難する旅に出かけなくてはならなかったのです。どれほど心細く、不安であったことか。

クリスマスのお祝いは、明るいイルミネーションに照らされることで、なにやら明るく楽しいイベントになっていますが、その根底には暗闇の中にある不安が存在します。

いま、21世紀の現代社会にあって、同じように不安を抱え、心細さのなかで旅を続ける家族が、世界にはどれほどいることでしょう。

いったい、明日の自分はどうなるのだろう。家族に希望を見いだすことができるだろうか。果たして明るい将来はあるのだろうか。不安の中に、家族とともに、またはただひとりで、旅を続ける人が多くおられます。

紛争の地にあって、毎日のいのちの危険から逃れるために、旅に出ざるを得なかった人。政治の対立に翻弄されて、生きる場を失った人。国際関係の波間で、人間の尊厳を奪われ、自らの意思に反して旅に出ざるを得なかった人。厳しい経済環境の中で、生きるために旅に出る選択をせざるを得なかった人。愛する家族と一緒になるため、愛する人と一緒に生きていくために、法律の枠を超えて旅に出る人。

不安の中にも旅立つ理由には、他人が推し量ることのできないそれぞれの事情があることでしょう。それは一人一人の旅人にとって、いのちをかけた決断をするだけの事情であったことだと思います。それはわたしたちも想像してみればわかることですが、単に観光のために海外へ出かけるだけでも簡単ではありません。母国を離れ、未知の国へと旅に出ることが、どれほど大きな不安を伴うものであることか。暗闇の中に足を踏み出すことほど、不安なことはありません。

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キリスト教にとって、人間のいのちは神からの贈り物、賜物です。神はそれを条件をつけずに、わたしたちに与えられました。キリスト教の信仰は、完全である神が、自らの似姿としていのちを創造されたところに、人間の尊厳の源泉を見ています。そして神は、すべてのいのちを、大切なもの、かけがえのないものとして愛され、すべてのいのちがどんな条件にあったとしても、より良く生きられることを願われています。ですからキリスト教の信仰は、人間のいのちの価値は、人間が判断して決めるものではなく、神のみ手にゆだねられているのだと考えます。

ともすると今の時代、社会の役に立たないいのちには、存在する価値がないと決めつけようとすることがある。そう感じさせる事件や言動が見られるようになりました。まるで自分が生み出したものであるかのように、人間のいのちの値踏みをすることが、果たして正しいことだといえるでしょうか。

神は、大切でいとおしく思っている人間のいのちの尊厳を、明確に示すために、自ら進んで人間となられました。完全な神が、自ら不完全な人間となることで、人間のいのちが神にとってどれほど大切な存在であるのかを示されました。

神は、そうするために、どのような方法でも選ぶことができたことでしょう。

しかし神は、人間の尊厳がいのちにあることを示すために、幼子として誕生されました。親からの保護がなければ自分では生き抜くことが難しい頼りない存在の中に、人間の尊厳があることを示されました。だからすべてのいのちは、どのような状態にあっても、どのような条件の下にあっても尊厳があり、その尊厳は守られなくてはならないと、キリスト教は考えます。

さらに神は、旅路にあって暗闇の不安におののく家族に誕生されました。それによって、神は、すべての不安におののく家族に対して、自らが暗闇に輝く希望の光であることを示されました。ともに歩まれる希望の光であることを示されました。

神は希望の光。いのちの道しるべ。暗闇に輝く光。すべての不安をぬぐい去る力です。

教会は、クリスマスにあたって、あらためていのちを守り抜くことを呼びかけます。危機にさらされているすべていのちを守り抜くことを呼びかけます。その尊厳がそこなわれることのないよう、社会の状況が改善されるように呼びかけます。そして、旅にある人たちが、その安全を守られ、いのちの尊厳を奪われることのないように、歩みをともにすることを呼びかけます。

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クリスマスを祝うこの時期、世界の各地には、美しく飾り付けられたクリスマスツリーが数多く見受けられます。普段はキリスト教とそれほど縁のない日本においても、全国各地に美しく飾り付けられたクリスマスツリーがあります。

ツリーには様々なデコレーションがあることでしょうが、やはり一番伝統的なのはイルミネーションなどの明かりによる飾りであり、そしれ当然ですが、明かりは暗闇の中でこそ、美しく輝きます。

クリスマスツリーこそは、わたしたちがクリスマスに何を祝っているのかを、はっきりと教えてくれる存在です。暗闇の中に輝く光、すなわち人生の様々な不安を打ち破る希望の光は、イエス・キリストにあるのだと言うことを、その存在で教えているのです。

この時期、街角で、暗闇の中で様々に輝くクリスマスツリーを目にするとき、それがいのちの希望を示していること、それを通じていのちの大切さを説いていること、さらにはそのいのちが、すべて例外なく大切にされ、互いに助け合うように求められていること。それをどうぞ思い出してください。クリスマスに確認するべき愛は、助けを必要としている人への愛です。いのちの危機にさらされている人たちへの愛です。孤独と言う暗闇のうちにいる人への愛です。

すべてのいのちは、神の似姿として、よいものとして、例外なく神から愛され、神から使命を与えられてこの世界に誕生しました。誰一人として、その存在を無視されたり、排除されてもよい人はありません。神から与えられた使命を十全に生きることのできないような社会の現実も、そのままで容認されてよいはずがありません。夢物語の理想に聞こえるかもしれません。でも神はその夢物語のようなクリスマスの誕生物語の中で、今宵、ここに集まった皆さんに、語りかけておられます。

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2018年12月24日 (月)

コングレガシオン・ド・ノートルダム調布修道院起工式

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12月22日の土曜日の午後2時から、調布にあるコングレガシオン・ド・ノートルダム修道会において、修道院の耐震改築工事に伴う一連の工事の起工式を行いました。

これまであった修道院の一部を壊して、既設の建物に隣接して、平屋の建物を作るもので、施工は新発田建設さんです。設計者と施工者が同じなので、新潟の司教館とよく似たコンセプトの建物になるかと思います。

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当日は、小雨模様でしたが、起工式の間は雨もやみ、泥だらけにならずに済みました。シスター方と工事関係者が参加し、司式には私以外にサレジオ会の濱口管区長が参加してくださいました。

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式後には、管区長であるシスター遠藤の手作りというクッキーやケーキをいただきながら、茶話会となりました。

私が知っている限り、日本にはノートルダムを名乗る修道会は、コングレガシオン・ド・ノートルダムとノートルダム教育修道会と、ナミュール・ノートルダムの三つがあるように思います。

コングレガシオン・ド・ノートルダムは、東京の調布以外では、福島の桜の聖母学院や北九州の明治学園で知られています。

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ホームページによれば、「コングレガシオン・ド・ノートルダム修道会宣教的信仰に​生きるカトリック女子修道会です。本会は、モントリオール​の最初の教育者であり、新しいフランスの開拓者でもあったマルグリット・ブールジョワによって17世紀に創立されま​した」とあります。

工事が無事に終わり、会員の皆様にふさわしい修道院ができあがることを祈っております。

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神田教会献堂90年

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ケルンから戻りローマへ出かける間に、一つ重要な出来事がありました(澤田神父様の白寿ミサも重要ですが、既報です)

12月9日の日曜日に、神田教会の聖堂の献堂90年をお祝いいたしました。教会自体は140年ほど前に、再宣教の象徴として創立され、幾たびかカテドラルとしても指定された、東京教区にとって、重要な聖堂です。以下、当日の説教の原稿です。

                      神田カトリック教会献堂90周年感謝ミサ
                                2018年12月9日

神田教会の聖堂が献堂されて90年という節目の年に、神田教会の皆様と一緒に、この90年の神様の導きと護りに感謝して祈りを捧げたいと思います。 

現在の聖堂は1928年(昭和3年)に建築され、戦争中の東京大空襲からの難をなんとか逃れ、戦後には大司教座がおかれてプロカテドラルとされていたと伺いました。東京教区にとって、重要な聖堂であると共に、神田教会自体が禁教令が解かれた直後の1874年(明治7年)にその歴史を刻み始めたという、日本の教会の歴史にとっても重要な位置を占める教会です。

140年以上前の時代、この地にあってキリスト教の宣教に取り組んだ宣教師たちの苦労は、この自由な時代に生きている私たちには想像することもできません。数々の困難に直面しながらも、キリストの福音を宣べ伝えた宣教師たちの献身的働きに心から感謝すると共に、宣教師たちを助け共に福音を生きた私たちの信仰の先達たちの勇気に倣っていきたいと思います。

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信徒数の伸び悩み、召命の減少、司祭・修道者・信徒の高齢化。後継者の不在。現代の教会が直面する課題を挙げ始めたらきりがありません。かつての時代のような肉体的な迫害は終わり、信教の自由が保障されています。しかし残念ながら、社会全体はその自由の中で、神に近づくどころか、少しずつ離れ去る道を選び、宗教に対しての関心も失っています。

関心を失うだけならまだしも、私たちの信仰の立場から見れば、神への挑戦としか見られない出来事も頻発しています。それはすなわち、神が愛すべき賜物としていつくしみのうちに創造され私たちに与えられたいのちへの挑戦であります。

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私たちのいのちは、神がご自分の似姿として創造されたことで、限りない尊厳を与えられました。すべてのいのちが、どのような状態にあってもすべからく大切にされなくてはならないのは、私たちキリスト者が優しい人間だからではなく、イザヤ書にあるとおり、神がその一人一人を決して忘れることなく、その名を手のひらに刻んだといわれるほどに大切にされているからです。限りない愛を持って、すべての人を見守っておられるからです。

それにもかかわらず、私たちは、あたかも人間の知恵や知識がいのちを生み出し方のように錯覚し、その価値を自分たちで決めようとします。役に立たないいのちは生きる価値がないなどといてとしまいます。いのちを守ろうとしない時代に平和はありません。今の時代は、神に背を向けるだけではなく、挑戦しようとしています。

この時代にあって、私たちが福音に生きること、その福音をできる限り多くの人に伝えようとすることは、必ずしも歓迎されることではありません。いのちを守ることを最優先にしようとする姿勢は、時として夢を見るものとして揶揄される対象です。

そんな時代だからこそ、私たちは、臆することなく、積極的に勇気を持って、神の平和を告げたいのです。神が与えられた賜物であるいのちを守ることが、最優先だと主張したいのです。

わたしたちは、教会というのは単に聖堂という建物のことだけを指しているのではないことを良く知っています。第二バチカン公会議は教会憲章において、教会は神の民であると指摘したうえで、つぎのように述べています。

教会は、「神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具」です(教会憲章一)。
ですからわたしたちは、この地域社会にあって「神との親密な交わりと全人類の一致のしるしであり道具」として存在する「神の民」であって、その共同体の存在こそが教会そのものであります。

しかしながらこの共同体には、やはり集い祈る具体的な場が不可欠です。その意味で、聖堂の存在は、わたしたちが神の民としての互いの絆を具体的に確認し、「神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具」となるための目に見える場として、なくてはならないものであります。

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献堂90年を迎えたこの聖堂は、この地域にあってどのような存在となっているでしょうか。福音を告げしらせ、神の思いを伝えるための道具となっているでしょうか。神と人との親密な交わりを証しする場となっているでしょうか。人々の一致のしるしとなっているでしょうか。

またこの小教区の皆様は、この聖堂に入るときにどのような思いをいつも抱かれるのでしょうか。入るたびに、あまり快くない体験ばかりを思い出すのでは悲しい。そうではなくて、聖堂が、入るたびに心の安らぎと喜びを生み出してくれるような、そういう存在であって欲しいと思います。この聖堂に満ちている雰囲気は、すなわち教会共同体に満ちている雰囲気の反映です。現代社会に生きる神の民の心を映し出す鏡であります。

教皇フランシスコは、使徒的勧告「福音の喜び」において、教会のあるべき姿を明示されています。教会は、「出向いていく教会」でなければならないと教皇は言います。出向いていく教会は、「自分にとって快適な場所から出ていって、福音の光を必要としている隅に追いやられたすべての人に、それを届ける勇気を持つよう招かれている」教会です。

もちろん教皇は、まず第一にわたしたちに具体的な行動を促して、そのように呼びかけられています。神から与えられた賜物である生命を頂いているすべての人が、大切にされ神のいつくしみのうちに生きることができるような社会。それを築きあげることが、現代社会にあって福音を告げ知らせるキリスト者の使命であると教皇は主張されます。

同時に教皇は、わたしたちが教会の歴史の中に安住することにも警告を発しておられると思います。変化に対して臆病になりがちです。新しいことに挑戦していくことに、気後れしてしまいがちです。

日本の教会はいま、とりわけ地方の教会において、少子高齢化の影響を大きく受けて、どちらかと言えば規模の縮小期に入っています。そういうときに私たちはどうしても、いまあるものを守ることを優先して考えてしまいます。守ろうとするとき、わたしたちは外に対して固い殻をまとってしまうことさえあります。聖堂の雰囲気はそのわたしたちの心を即座に反映してしまいます。なぜならこの聖堂に満ちている雰囲気は、教会共同体に満ちている雰囲気の反映だからです。

献堂90周年にあたり、神田教会が、守りの姿勢に籠もってしまうことなく、あらためて社会の隅々にまで呼びかける教会として開かれるように、わたしたちと道をともに歩んでくださる主イエスの導きを願いましょう。

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2018年12月20日 (木)

教皇様の来日の可能性が、高まりました

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最終的には、教皇庁からの公式の発表がなければ確実とはいえないのですが、しかし、教皇様の日本への司牧訪問の可能性が、限りなく具体的になりました。(上の写真は、バチカンニュースから)

12月17日の月曜日は、教皇様の82歳の誕生日でした。前田枢機卿様は、6月の枢機卿親任の時から、名義教会の着座を12月16日と教皇庁と打ち合わせ、その際に、17日に教皇様への個人的な表敬訪問の約束を取り付けておられました。
枢機卿たちは教皇の顧問ですから、比較的自由に、教皇様との個人謁見の予約を取ることができます。
ところがその間、9月には教皇様が、2019年中の来日の可能性に公の場で言及されるという事態が生じました。そこで、急遽、その謁見の約束を利用させて頂いて、大阪、長崎、東京の三人の大司教が教皇様にお会いして、来日の可能性についてお伺いを立てることになりました。
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というわけで、わたしは、当初の予定にはなかったのですが、急遽、12月16日の前田枢機卿名義教会着座ミサに出席し、さらに17日には教皇様や国務長官、18日には福音宣教省長官や列聖省長官と面談することに相成りました。
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17日は、午前11時頃、誕生日と言うこともあっての特別の配慮で、前田枢機卿様に同行した25名ほどの日本からの巡礼団は、ケーキを持って教皇宮殿に入り、なんと、執務室の前室まで入れて頂き、そこで教皇様に直接、誕生日のお祝いを申し上げることができました。
そこで教皇様は、「この集まりは、私の訪日の食前酒みたいなものですね」といわれ、改めて訪日の意思を明確に示されました。
その後、前田枢機卿、高見大司教、私、アベイヤ司教、通訳の和田神父と教皇様の執務室で謁見。そこで教皇様からは、明確に、来年末頃(10月から12月の間)に、日本を訪れたい旨の発言がありました。教皇様は来年の日本における政治スケジュールをご存じで、そのように時期を希望されておられました。具体的な日時は、バチカンと日本政府との交渉で最終的に決まることですので、訪問の期間を含めて、今後の公式発表が待たれます。
教皇様からは、日本の高齢者の状況や青年たちの状況、そして核廃絶への取り組みへの質問があり、そのような教皇様の関心に基づいて、今後、日本におけるメッセージが準備されることになるかと思います。
同時に教皇様は、東北をはじめとした地震や津波の被災者の方々への思いも述べられ、この教皇様の思いをどのように具体化するか、これから考えていかなくてはなりません。
最終的には、日本滞在が何日になるのかで、具体的にできることが決められてくるのですが、教皇様の年齢や体調、その後のスケジュールも勘案しながら、できる限り多くの方々と会う機会を設ける努力をしたいと思います。
多くの方が、様々な思いや願いを持って、教皇様の訪日を待たれているとは思いますが、与えられる時間をどう生かすのか、そこに関わるのが教会だけではなくバチカンと日本の政府という関係もありますので、できる限り、教会の意向が尊重されて、司牧訪問が最優先されるように願っています。

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2018年12月16日 (日)

前田枢機卿、名義教会の着座式

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枢機卿に任命されると、必ずローマの名義教会を指定されます。これは枢機卿が教皇の顧問であることから、本来はローマに居住する者と考えられているからのようです。

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実際には、多くの枢機卿がローマに住まず、世界各地の教区司教をしているので、ローマの名義教会とは関係が無いようにも思われますが、それでも必ずその名義教会で着座にミサをし、折に触れて訪れるなど、関係を保つことになります。そしてその名義教会の入り口には、当該枢機卿の紋章も掲げられることになります。

というわけで、大阪の前田万葉枢機卿も、枢機卿親任に当たってローマの教会を名義教会として指定され、本日、待降節第三主日に、着座式が行われました。

名義教会は、ローマ市内のテルミニ駅に近く、サンタマリアマジョーレ大聖堂にも近い、聖プデンツィアナ(Basilica Santa Pudenziana)教会です。ローマ市内でのフィリピン人共同体司牧の中心にもなっており、ミサには多くのフィリピン出身の信徒が参加されました。

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今日のミサには、日本から高見大司教と私が参加したので、日本の三大司教がそろい、さらに大阪からアベイヤ補佐司教が参加。さらにはローマ在住の日本人や関係の司祭団も加わり、フィリピン人信徒に加え、日本の修道者や信徒、さらに25名の日本からの巡礼者も加わり、聖堂は一杯でした。駐バチカンの中村大使ご夫妻も参加されました。

また、こういった枢機卿のローマでの公式の行事には、教皇庁の儀典室から担当のモンセニョールが派遣されてきて、典礼をしっかりとコントロールし、ミサ後には、この日の行事についての記録を読み上げて、参加した司教や司祭の署名が求められました。

ミサは英語で行われ、説教では、もちろんのことですが、前田枢機卿が日本語で話されて、事前に色紙に記した三つの俳句を披露されました。通訳はアベイヤ司教。俳句の翻訳に、苦しんでおられました。

この教会では、現在聖堂地下の発掘が進んでおり、使徒の時代の遺跡なども発見されているとのことで、ミサ後の祝賀会が終わってから、責任者のモンセニョールが、日本からの巡礼者などを案内してくださいました。

前田枢機卿の前任は、ケルンのマイスナー枢機卿の名義教会であったと伺いました。なにかご縁のようなものを感じました。とてつもなく寒いローマでした。

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2018年12月 8日 (土)

澤田和夫神父様、白寿の感謝ミサ

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東京教区の名物司祭のひとりであるヨハネ澤田和夫神父様は、1919年12月9日の生まれです。すなわち、明日で99歳。白寿であります。

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本日午後2時半から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、澤田和夫神父様の白寿を祝い、感謝のミサが捧げられ、神父様とこれまで様々な出会いのあった多くの方々が参加してくださいました。その中には、岡田名誉大司教をはじめ司祭や修道者も多く、また信徒ではない方、様々な身体的であったり精神的困難を抱えて生きておられる方などなど、これまでの澤田神父様の人生を象徴するようなバラエティーに富んだ方々が集まりました。

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澤田神父様は、このところ車椅子での生活をされており、日曜日にはそのまま関口教会の主日ミサに会衆席から参加されておられます。今日は、屈強な侍者の青年たちが多数集まり、澤田神父様を、車椅子ごと内陣へ持ち上げ、久しぶりの共同司式となりました。

ミサ後には、ケルンホールで茶話会が行われ、神父様のお元気に、ケーキのロウソクの炎を吹き消されておりました。

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神父様、お誕生日おめでとうございます。次は来年の100歳の誕生日を目指して、これからもお元気でお過ごしくださいますように。

以下本日の説教の原稿です。

司祭が長年忠実にその務めを果たしてきたことを祝うとき、わたしたちは、神からの呼びかけ、すなわち召命に前向きに応えている人生そのものをお祝いいたします。ですから、澤田神父様の99歳の誕生日を祝うこのミサで、まずは召命について少し考えてみましょう。

召命は、わたしたちが神の望まれる生き方を選択することにあり、そのなかには司祭や修道者となる生き方もありますが、わたしたちキリストに従う者にはすべからく、何らかの神からの呼びかけがあり、すなわち召命があります。わたしたちひとりひとりは、その召命に忠実に生きるようにと招かれています。

わたしたちは、人生の中にあって幾度となく、どのように生きていくのか選択を迫られ、決断を重ねていきます。司祭や修道者になることだけではなく、わたしたちが神に従う者としてどのような生き方を選ぶべきなのか、どのような生き方へと招かれているのか、その神の呼びかけに耳を傾ける努力を続けることは、すべてのキリスト者に共通している大事な務めです。

召命のために祈るのは、単に、司祭が増えるようにとか、修道者が増えるようにと祈ることだけなのではありません。そうではなくて、キリストに従う者すべてが、神からの呼びかけを識別しながら、最善の道を見いだすことができるようにと、兄弟姉妹皆のために祈ることでもあります。

澤田神父様は1951年の12月に叙階されていますので、99年の人生のうちほぼすべてとも言うべき70年近くを司祭として奉仕されてきました。司祭が長年にわたり教会へ、社会へ、そして多くの人々へ奉仕されたことに感謝をささげるとき、わたしたちは、召命に生きる姿の模範をそこに見いだします。召命は、司祭であれ信徒であれ、キリストに従うすべての者に与えられているのですから、澤田神父様のように、長年にわたって司祭が忠実にその使命に生きる姿は、勇気を持って神からの呼びかけに応え生きる姿として、すべてのキリスト者の模範であります。

司祭は叙階の秘跡によって、「最高永遠の祭司であるキリストにかたどられて、新約の真の祭司として、福音を宣教し信者を司牧し神の祭礼を執行するために聖別される」とカテキズムには記されています。すなわち司祭には、三つの重要な役割があるということです。

一つ目は「福音を宣教すること」。二つ目が「信者を司牧すること」。そして三つ目が、「神の祭礼を執行する」ことです。この三つの務めすべてに忠実に生きる司祭の姿は、すべてのキリスト者にとって生きる姿勢への模範を示すものでもあります。

わたしたちは、司祭の示す模範に倣って福音を宣教したい。わたしたちは司祭の示す模範に倣って教会共同体を育て上げたい。そしてわたしたちは司祭の示す模範に従って聖なる者でありたい。

多くの方々が、澤田神父様の70年に及ぶ司祭生活の中で、様々な出会いの体験から、この三つの司祭の務めにおいて、大きな影響を受けられてきたことと思います。勇気を持って、司祭としての召命に応え、忠実に生きてきた人生の模範であります。

神からの呼びかけに、謙遜のうちにも勇気を持って応えられた最高の模範は、聖母マリアの生き方であります。

教皇フランシスコは、聖母マリアは祈りと観想のうちに、密やかに生きる信仰生活の姿を示しているだけではなく、その霊的な土台の上に、助けを必要とする他者のために積極的に行動する力強い信仰者の姿の模範でもあると指摘されます。

使徒的勧告「福音の喜び」の終わりに、次のように記しています。
「聖霊とともにマリアは民の中につねにおられます。マリアは、福音を宣べ伝える教会の母です。・・・教会の福音宣教の活動には、マリアという生き方があります。というのは、マリアへと目を向けるたびに、優しさと愛情の革命的な力をあらためて信じるようになるからです」(288)。

聖母マリアの人生を見れば、それは決して弱さのうちに恐れているような生き方ではありません。それどころか、神から選ばれ救い主の母となるというすさまじいまでの人生の転換点にあって、「私は主のはしためです。お言葉通りに、この身になりますように」と、恐れることなくその運命を受け入れ、主イエスとともに歩み、その受難の苦しみをともにしながら死と復活に立ち会い、そして聖霊降臨の時に弟子たちとともに祈ることで、教会の歴史の始まりにも重要な位置を占めるのです。教会にとって、これほどに強い存在はありません。まさしく、信仰における「革命的な力」を身をもって表された方です。

しかし聖母マリアは、あくまでもその強さを誇ることなく、謙虚さと優しさのうちに生きて行かれます。ですから謙虚さと優しさは、弱い者の特徴なのではなくて、本当に強い者が持つ特徴であると言うべきでしょう。

教皇フランシスコの言葉は、現代社会が優先するさまざまな価値観への警鐘となっています。聖母マリアの生き方を語るとき、ここでも、いったい本当に力のあるものはだれなのかという問いかけを通じて、この世の価値基準への警告を発していると感じます。今の世界では、いったいどういう人が強い者だと考えられているのか。その判断基準は、真の強さに基づいているのか。

聖母マリアの生き方を見るときに、本当の強さとは、謙虚さと優しさという徳のうちにあるのだとわかります。それならば、私たちの世界は「謙虚さと優しさ」に満ちているでしょうか。残念ながらそうとはいえません。それよりも、自分たちが一番、自分たちこそが強いと虚勢を張って他者を排除し、困難に直面する人や助けを必要とする存在に手を差し伸べるどころか、不必要なものとして彼らに関心を寄せることもなく、排除すらしてしまう。そんな虚勢を張った強者の価値観が力を持ち始めてはいないでしょうか。虚勢を張った強者の価値観は、どこまでも自分本位で身勝手です。

聖母マリアの生きる姿勢に倣いながら、私たちも謙虚さと優しさのうちに、神から与えられた召命に一生涯忠実に生きていきたいと思います。

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2018年12月 5日 (水)

ケルン教区表敬訪問

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11月28日から本日12月5日まで、東京教区と姉妹関係にあるドイツのケルン教区を、わたしと高木事務局長の二人で、表敬訪問してまいりました。今回は特に、1988年にケルン教区長に就任し2014年に引退され、昨年2017年7月に83歳で亡くなられた前ケルン教区大司教であるヨアキム・マイスナー枢機卿の墓参も重要な目的の一つでした。

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2014年7月からケルン教区大司教を務めておられるライナー・マリア・ヴェルキ枢機卿ともお会いし、ケルン大聖堂のミサをご一緒させていただき、またこれからの姉妹教区関係についてもゆっくりと意見を交わす機会がありました。時間を割いていただいた枢機卿に感謝です。(上の写真は、ヴェルキ枢機卿と。下の写真はマイスナー枢機卿の大聖堂地下の墓所)

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ケルン教区からの援助については、東京教区ホームページに次のような記載があります。

『まだ第2次世界大戦の傷あとの癒えない1954年、当時ドイツのケルン大司教区の大司教であったヨゼフ・フリングス枢機卿(すうききょう)は、ケルン大司教区の精神的な復興と立ち直りを願い、教区内の信徒に大きな犠牲をささげることを求めました。そして その犠牲は、東京教区と友好関係を結び、その宣教活動と復興のための援助をするという形で実現されていきました。』(詳しくは、こちらのリンク: 東京教区ホームページ

この支援活動が、後にドイツの教会の海外支援組織であるミゼリオールの設立につながったというお話も伺いました。

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今回は一週間という時間がとれたため、ケルン教区が取り組んでいる様々な司牧のプログラムを見学させていただきました。主に訪れたのは;青年たちのための拠点教会での活動、教区神学生との対話、デュッセルドルフでの日本人会の方々やイエスのカリタス会のシスター方との交流とミサ、そして日本人家族5名の洗礼式。ボン市内の小教区での、いくつかの小教区の連合体の月に一回の特別なミサ(下の写真。聖パウロ教会で、ミサ後の対話集会。真ん中で立っているのが主任司祭)ケルン教区カトリック社会学研究所の活動。教区のメディア関係の活動。

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なかでも、ちょうど11月30日にケルン大聖堂で、教区女性連盟の100周年感謝ミサがあり、ヴェルキ枢機卿が司式されるとのことで、一緒に司式させていただくことができました。いやはや、ケルン大聖堂の巨大なこと。

そして信徒の数も司祭の数も、東京教区とは比べものにならないくらい巨大なケルン教区ですが、やはり召命の減少には悩まされているようで、いくつかの教会をひとりの司祭が担当する制度が取り入れられ、信徒のリーダー養成などに、様々な取り組みがなされているように伺いました。

またデュッセルドルフでイエスのカリタス会のシスター方が幼稚園の活動をしている小教区は、聖フランシスコ・ザビエルを保護の聖人としており、12月1日の夕方のミサで、ザビエルと日本の教会について、説教もさせていただきました。シスター方はケルン市内とデュッセルドルフの二カ所で活動されていましたが、このたびケルン市内は引き上げ、デュッセルドルフに集中されるそうで、教区の方々から、一部撤退を残念がる声が聞こえておりました。それほどに。イエスのカリタス会のシスター方の活動と存在が、評価されている証拠であると思います。

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このミサの説教は、日本語でしたが、ドイツ語に通訳してくださったのは、なんとフランシスコ会のフーベルト神父様。数年前まで新潟教区の直江津や高田で働いておられた神父様は、ドイツに帰られ80になられましたがお元気で、日本語ミサの手伝いをしてくださっているとのこと。思いもかけない再会でした。

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ケルン大聖堂の内陣一番奥には、東方の三賢者の聖遺物がおさめられた金の櫃が安置されています。この三賢者の聖遺物があることで、ケルンは一大巡礼地となったのだとか。今でも巡礼で訪れる人が後を絶たず、巡礼団には、内陣の中に入り、聖遺物をおさめた櫃の下を祈りのうちに歩いて通ることが許されます。

この聖遺物を東京教区はケルン教区から一部分けていただき、その三賢者の聖遺物は、東京カテドラル聖マリア大聖堂に安置されています。

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ケルンからの東京への支援は、今ではミャンマーへの支援へとつながりました。次にミャンマーからさらに必要のある教会へとつながっていくことでしょう。信仰における兄弟姉妹の輪が広がり強まっていくことを願っています。

ケルン教区の皆様に、感謝。

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