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4月29日の月曜日は、昼過ぎから、JOC(カトリック青年労働者連盟)の日本での創立70年のお祝い行事が、東京隅田川の辺にある永代働く人の家で行われました。JOCのOBやOG中心に50名ほどの方が参加。青年たちによるコンサートあり、分かち合いの発表あり、同伴しているペラール師(パリ外国宣教会)の80歳の誕生祝いありと、楽しいひとときでした。

JOCは、例えばガーナなどではYCWとして知られていますが、ホームページによれば「20代前後の働く・働こうとする若者のグループです。“人を大切にする”という精神をもとに、それぞれの現状を分かち合いながら、仲間と共に成長していくことを目指します」とあります。

また、「個人の活動を助けるために毎週あるいは月2、3回程度の集まりをしています。 そこではお互いの生活や活動について分かち合い、「見直し」をしています。 仲間を広げたり、グループの仲間意識を育てるために、自分たちで楽しい行事を企画しています」ともあります。関心のあるかたは、JOCのホームページをご覧ください

そして、5月5日には、六本木のフランシスカン・チャペルセンターで堅信式があり、32名のおもに子どもたちが堅信を受けました。

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フランシスカン・チャペルセンターのミサは英語ミサで、東京近隣に在住する英語を使う様々な国籍の方々がミサに参加されています。しっかりとした聖歌隊には、3本のブラスの伴奏もついて、荘厳でした。海外に住む親族などのためでしょうか、堅信式の様子はインターネットで同時中継されていたようです。

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千葉中央宣教協力体のミサでも、六本木でのミサでもお話ししたことですが、主の復活を見なければ信じないと言ったのは弟子のトマスでしたが、まさしく見なければ神など信じないと主張する世界の中で、わたしたちは信仰を生きています。そもそも現実の生活においては、様々な具体的価値観がもてはやされ、人生の中にあって大切だと思われているものは、何らかのレベルでの利益をもたらす具体的な事柄ばかりであって、目に見えない神を信じる宗教は、それほど重要な位置を占めてはいません。宗教に重要性があったとしても、例えば祈ればこれだけの効果があるとか、この神に頼ればこれこれの願いが叶うとか、そういった類いの具体的な出来事でもてはやされることはあっても、なかなかそれ以上ではありません。大げさに言えば、たくさんの神の存在を疑うトマスに囲まれてしまっています。

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その中にあって、神を示すのは、わたしたち信仰者による共同体の存在そのものではないでしょうか。教会は社会の直中にあって、神によってもたらされる愛と希望と喜びの目に見えるしるしでありたいと思います。その共同体の存在を通じて、神の存在を実感させるような、愛と希望と喜びと、そして大切な霊性に満ちあふれた共同体でありたいと思います。小教区共同体を、そういった存在に育てていくことは、福音宣教の一つの道であると思います。