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2019年11月28日 (木)

教皇様訪日が終わり、新しい一歩がはじまりました

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教皇フランシスコの訪日が無事終了しました。26日火曜日の昼頃に全日空(ANA)の特別機で、羽田を出発してローマに戻られた教皇様は、なんとその翌日水曜日午前中に、サンピエトロ広場で行われた一般謁見に出席し、日本とタイの司牧訪問についてお話をされていました。教皇様のタフさには、驚かされます。

今回の訪日にあたり、教会関係者のみなさんは言うに及ばず、行政や警察、さらには教皇様が立ち寄った施設の近隣のみなさん、交通規制でご迷惑をおかけしたみなさん、ロジを担ってくださった電通の方々に、心から感謝申し上げます。みなさま、本当にありがとうございました。

司教団としての今回の振り返りは、12月に入ってからの司教総会などで行われますので、司教団としての公式の謝辞は、その際に公開されるかと思います。(一番上の写真は、到着直後、教皇庁大使館で司教たちに講話する教皇様。山野内司教から剣玉をもらって笑顔に)

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教皇様の言葉には力がありました。教皇様は、もちろんカトリックの指導者として来日されていますが、同時に国家元首としても来日されています。従ってその発言は、両者を意識してなされていますが、当然、日本国内のみを意識した発言ではなく、また国家元首として他国の内政に干渉するものでもなく、日本という場から世界に向かって発言されました。とりわけ核廃絶のメッセージは、広島や長崎という世界的に意味を持つ二つの都市から世界の政治のリーダーに向けて発信されたものです。教皇の視点は常にグローバルに広がっており、その立ち位置から、教皇の日本での様々な発言を理解したいと思います。なんといっても、教皇は世界に広がる普遍教会(カトリック)の牧者ですから。(上の写真は、東京カテドラルに入られる教皇様。@CBCJ)

もちろんすでに繰り返し述べてきたように、教皇は一番弟子の後継者として、わたしたち日本のキリスト者に福音宣教に取り組む姿の模範を示されました。わたしたちは、教皇の様々な言葉の中に、今の日本で信仰を生きる者に向けられた信仰における示唆を読み取る努力を始めたいと思います。

ですから、教皇の訪日は終わりましたが、信仰に生きるものにとって、それは新たな一歩の始まりです。教皇が語られた様々な言葉に、わたしたちは信仰におけるいのちの息吹を感じ取り、わたしたち自身の信仰を燃え立たせる努力を始めたいと思います。そうしなければ、ただの素敵で興奮した良い思い出で終わってしまいます。

といいながら、わたしもこれから教皇様が語られてことを、もう一度テキストを読んでみなくてはなりません。教皇様のスピーチや説教の公式なテキストは、順次、中央協議会のサイトで公開されていく予定です。わたし自身は、当日のその場になるまで、どの説教もスピーチも内容を知りませんでした。最後の最後まで、原稿の秘密を守るようにバチカンからの厳しい指示があったそうです。事前には原稿は配られていないのです。それにドームミサの説教にいたっては、祭壇上からはスクリーンが見えないので、何を話されているのか全くわかりませんでしたし。

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(上の写真は、教皇様カテドラル入堂の際に、キスで祝福していただいた十字架を持つ、稲川総代理)

東京での行事には、わたしは当地の司教と言うことで、皇居以外はすべてご一緒させていただき、各会場ではエスコートもさせていただきました。圧巻は、パパモービルに同乗して、ドーム内を周回させていただいたことでした。わたしはお付きですから、ただ座って見ているしかないのですが、警備担当者が後ろからよく見ていて、無線で指示を出しては車を止め、幼児を教皇様の元へ連れてきては祝福をしてもらうことの繰り返し。そのたびごとのドーム内の熱狂は凄まじい力がありました。一番前の障害者の方々のところで教皇様は車を降り、一人ひとり順に祝福をされていました。教皇様ご自身は、時間と体力がゆるせば、すべての人と握手をしたいと思うような方です。

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またドームミサでは、歌うことがない教皇様のなんと代わりに、「信仰の神秘」と奉献分の最後の栄唱をラテン語で歌わせていただくというお役もいただき、さすがにあの大観衆の前で、緊張いたしました。(写真は、ドームにてパパモービルの前で教皇様を待っているところ)

以下、東京ドームでのミサの終わりに、わたしが教皇様に述べたお礼の言葉です。

フランシスコ教皇様、この度の来日に対し、日本の教会共同体を代表して、また当地、東京の司教として、心からの感謝を申し上げます。ありがとうございます。 

この度の教皇様来日にあたり、「すべてのいのちを守るため」を、司教団はテーマとして選びました。『ラウダート・シ』に記された「被造物とともにささげるキリスト者の祈り」にあるように、わたしたちは、世界を守り、それぞれのものの価値を見いだし、美と愛と平和の種をまくために働く道具となることが、今の日本にとって大切なことだと思いました。 

わたしたちの共通の家である地球は蹂躙され、うめき声をあげています。教皇様は、この嘆き声に耳を傾け、地球を保全し、未来の世代のためにその美しさを守るように、世界の人々に呼びかけておられます。 

今日の日本は、環境、経済、近隣諸国との共存の関係、大震災からの復興、そして原発事故の影響など、さまざまなレベルで人間のいのちにかかわる問題に直面しています。人間のいのちの尊厳を踏みにじるような事件も少なからず発生し、さまざまな要因から、孤独や孤立のうちに誰からも理解されず、助けを得ることもなく、いのちの危機に瀕している方も少なくありません。 

フランシスコ教皇様、この度の日本訪問で、教皇様は日本に住む多くの人々に、神のいやしと愛と希望を示してくださいました。 

わたしたちは、小さな共同体ですが、教皇様の励ましをいただき、アジアの兄弟姉妹と手を取り合い、歩みをともにしながら、神から与えられたいのちの尊厳を守り、いつくしみの神のいやしと、希望の福音を宣べ伝えていきます。 

教皇様、あなたの力強いことばと模範を通して、わたしたちを、すべてのいのちに仕える奉仕者になるようお導きくださり、感謝申し上げます。 

最後に、もう一度、教皇様、日本を訪れていただき、ありがとうございました。

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(写真は、教皇様のバンコクからの到着を待つ、麻生副総理ほか関係者)

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(写真は、教皇様帰国の準備中の全日空特別機)

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2019年11月22日 (金)

使徒ヨハネ田中康晴神父様葬儀・告別式

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東京教区司祭使徒ヨハネ田中康晴神父様は、11月16日朝に、入院先の病院で帰天されました。84歳でした。

田中神父様の葬儀・告別式は、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、11月20日午後に執り行われました。

田中神父様は、1935年4月3日生まれ、1966年4月17日に司祭叙階。叙階後は様々な病気に苦しまれましたが、その困難な状況の中でも、ご自分ができる限りの力を持って司祭職を全うされました。面倒見の良い方だったとうかがっています。いろいろなところに喜んで連れて行ってくれたという話を、多くの方から伺いました。わたし自身は、東京へ赴任した2年前に、田中神父様はすでに入院されていましたので、一緒に働いた体験がありません。

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東京教区は、先日の市川神父様に続いて、今年は二人の司祭を失いました。司祭は定年で引退したからと言って、または病気で引退したからと言って、それで司祭でなくなるわけではありません。叙階の秘跡は役職の有無に左右されないからです。病気にあっても、老齢にあっても、司祭は祈ることで司祭職は果たすことができます。その意味で、大切な働き手が、また一人、御父の元へ変えられました。田中康晴神父様の永遠の安息を、お祈りください。

以下、当日の説教の原稿です。

「神の計らいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる」

人知を遙かに超えた全能の神は、私たちのいのちを支配されている。だからわたしたちは、神の限りない愛による計らいに信頼し、それに身をゆだねていのちを全うしていこう。そう心に刻みながら、わたしたちは信仰の道を歩んでまいります。

本日わたしたちは、神の計らいに身をゆだね、生涯を司祭として神の救いの計画の実現のために捧げられた、東京教区の司祭使徒ヨハネ田中康晴神父様に、別れを告げ、その永遠の安息を祈るためにここに集まっています。

わたしは、東京教区へ赴任して2年ですが、そのとき田中神父様はすでに入院しておられましたので、残念ながら一緒に働いた体験がありません。ただ、田中神父様の司祭としての人生は、必ずしも順風満帆ではなかったとうかがっています。

教区ニュースの2012年5月号に、田中神父様の紹介記事が掲載されていました。
そこには、大学生の頃に不思議な出会いから洗礼を受けた体験や、お父さんの強い反対を押し切って神学校へ入学した経緯などが記されていました。

そして、司祭叙階後しばらくして病を得て、それから長い年月にわたって、病と闘いながら、ご自分にとって可能な限り、司祭として様々な分野での奉仕職に当たられてきたことが述べられています。

締めくくりには、次のような田中神父様の言葉が記されていました。
「神さまのはからいのままに、神さまの意に従って働くことが大事。病気を経験したことで、自分はもとより他者に注がれる神さまの愛、恵みをたくさんいただいていることに気づかせてもらう。たくさんの人を通していただくお恵み、その元をただせば、それは神さまです。出てくる言葉は「神に感謝!」

「神の計らいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる」。
この答唱句を持つ典礼聖歌は、詩篇90編で、「あなたの目には千年も過ぎ去った一日のよう、夜回りのひとときに過ぎない。人の命は草のよう、あしたには花を開くが夕べにはしおれて枯れる」と歌います。

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健康に生きることも、病と共に生きることも、人間の意図するところではなく、神の計らいの中にあることなのだ。そしてそれに生きることによって、新たな気づきがある。すべては与えられているのだから、与えてくださる神に感謝。そのように、田中神父様は述べておられました。

わたしたちが生きている現実には、ありとあらゆる困難が存在しており、様々な意味でわたしたちの人生に苦しみを生み出しています。そういった現実に直面するとき、わたしたちはどうしても、苦しみは何のために存在するのか、なぜわたしに苦しみが与えられるのか、という問いかけを発してしまいます。

教皇ヨハネパウロ2世は、1984年の贖い聖年にあたり、苦しみの意味を考察する書簡を発表されています。
教皇は、「神は御ひとり子を、人間が悪から解放されるために世に与えられた」と指摘し、その中に、「苦しみについての決定的、絶対的な見地が」示されていると述べています。

十字架の苦しみは、永遠のいのちへの門を開く、希望を生み出す苦しみです。十字架の苦しみは、あふれ出る神の愛を多くの人に与えるための、愛の源としての苦しみです。

田中神父様は、人生の様々な苦しみに直面しながらも、それを神の計らいのなせる業だと受け入れ、病気による人生の苦しみは、「自分はもとより他者に注がれる神さまの愛、恵みをたくさんいただいていることに気づかせて」くれたのだと言われ、その苦しみから神の愛が生み出されたのだとして、インタビューを「神に感謝」と締めくくられました。

そういった生きる姿勢は、司祭として忠実に召命に生きた姿でもありました。司祭が忠実にその使命に生きる姿は、勇気を持って神からの呼びかけに応える姿として、すべてのキリスト者の模範であります。

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司祭は叙階の秘跡によって、「最高永遠の祭司であるキリストにかたどられて、新約の真の祭司として、福音を宣教し信者を司牧し神の祭礼を執行するために聖別される」とカテキズムには記されています。

すなわち司祭には、三つの重要な役割があるとそこには記されています。一つ目は「福音を宣教すること」。二つ目が「信者を司牧すること」。そして三つ目が、「神の祭礼を執行する」ことです。

小教区を担当する司祭として、また様々な役職につく司祭として、その人生を全うすることも、司祭としての召命を生きる姿であります。しかし、病を得て、その病と闘いながら、苦しみのうちから神の愛を見いだしている姿も、司祭としての召命を生きる姿であります。

実際に体を充分に動かすことができなくなっても、司祭は祈ることができます。
苦しみとの戦いの中で神の計らいに身をゆだねている姿の模範で、司祭は福音を告げしらせることができます。
病床にあっても、出会う人々との絆の中で、司祭は信徒を司牧することができます。

「苦しみは、また、人間の人格の中で、愛を誘発するために存在している」と述べられたのは、教皇ヨハネパウロ2世でありました。
人生の苦しみのなかから、神は愛を生み出そうとしているに違いない。そう信じて、神の計画に身をゆだねて司祭職を生きた田中神父様は、それぞれの召命を生きているキリスト者にとって、一つの模範を示す存在です。 

天に召された兄弟である司祭の人生から、わたしたちが生きる道を学び、その働きを引き継いで、すべての人に神の愛の福音をのべ伝え、祈りを捧げ、互いに共同体にあって支えていくことができるよう、神様の計らいに身をゆだねたいと思います。

そしてわたしたちも、様々な困難に出会う中で、神に感謝とすべてを締めくくることができるように、人生の道程を歩んでいきたいと思います。

 

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2019年11月20日 (水)

教皇様がまもなく来日されます

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教皇様の来日まで、秒読み段階に入りました。

いろいろな期待があることでしょうし、様々な方の様々な思いが交錯する訪日です。わたし自身の訪日への期待は、長崎と広島での核兵器廃絶や平和メッセージも大切だけれど、同時に全体のテーマである「すべてのいのちを守るため」に通じるメッセージも重要だと思っています。その意味で、東京における、東北の被災者との集いや青年との集い、そしてドームミサでの教皇様のメッセージに注目したいと思っています。そういったことに関しての記事が、だいぶ前から「論座」に掲載されていますので、まだご覧になっておられなければ、ご一読ください。リンクです。

日本における教皇様司式のミサは、インターネットで中継されます。その他の行事も中継できるように調整中だと聞きました。これが38年前と大きく異なる点です。以前はマスコミ各社の報道や中継に頼るしかありませんでしたが、今では、映像を即座に共有することができます。是非ともご活用ください。機材が整えば、大きく映写して、パブリックビューイングもできるかと思います。中央協議会の特設サイトから飛ぶか、またはこのリンクからYouTubeのサイトへ入ってみてください

また長崎と東京での、教皇様司式のミサの式次第もPDFで公表されています。こちらのリンクです

ミサの内容については、使用する言語や使われる聖歌に至るまで、日本の担当者とバチカンの教皇儀典室とのやりとりが繰り返され、最終的に儀典室から認可を受けた内容になっています。なぜなら、教皇様の典礼は、どこで行われていても、教皇庁の主催する典礼行事であり、それぞれの国の教会が自由にできるものではないからです。

東京のミサは、その意向が今回の訪日のテーマに合わせて、「すべてのいのちを守るため」とされました。困難だったのは、ミサの公式祈願をどうするのか。教皇儀典室によれば、すでに典礼秘跡省の認可を受けているテキストでなければならないことと、仮にこのミサ用に新しく作るのであれば、やはり典礼秘跡省の認可を求めなくてはならないと指摘されたことだったと、担当者からうかがいました。日本語の現行ミサ典書にも、ラテン語規範版にもふさわしい祈願がなくて苦慮していたところ、最新版の英語のミサ典書にふさわしい祈願が掲載されていることに、どなたかが気がつかれました。ラテン語規範版にはない、英語版の独自の祈願ですが、もちろん典礼秘跡省から認可されています。そのため、東京ドームのミサは、基本的に教皇様はラテン語で司式されますが、公式祈願はそういうわけで英語となっています。

あと数日です。教皇様は現在バンコクにおられます。暑いタイから寒い日本へ、週末に移動されます。教皇様の健康のために、是非ともお祈りください。

 

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豊島教会での堅信式と青年の集まり

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教皇様の訪日が迫って準備に追われる中、以前から予定していた行事はそのまま進めていかなくてはなりません。そういうわけで、11月17日の日曜日は、またまたダブルヘッダーでした。

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午前中は9時半から、豊島教会で堅信式。豊島教会へは、山手通りを通って、関口から車で20分ほど。以前はコロンバン会の担当の小教区で、ですから聖パトリック教会です。現在の主任司祭は東京教区司祭の田中隆弘神父様。

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ミサの最中に18名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。豊島教会では、9時半の日本語ミサの後に12時から英語のミサが行われており、英語を話すかたがたの共同体もあります。アフリカから来られた方々にもお目にかかりました。

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今回の堅信式には、英語共同体も含めて、全体の共同体から18名の受堅者でした。女性も含めて、きびきびと動く侍者もたくさんおり、全体的に引き締まった感じの典礼でした。18名の方々おめでとうございます。ミサ後には、お隣の会館で、堅信祝いの茶話会が開催されました。

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そして午後からは、東京教区の国際センター(CTIC)、外国籍のカトリック青年たちの集まりであるTICYG (Tokyo International Catholic Youth Gathering)が企画する青年の集いに途中から参加。

これは「キリストを通して皆が1つになること」を目的に、TICYG (Tokyo International Catholic Youth Gathering)が、毎年開催しているNational Youth Gatheringを、今年はカリタスジャパンと日本カトリック難民移住移動者委員会(J-CaRM)が共同で行っている国際的キャンペーンである「Share the Journey(日本名は「排除ZEROキャンペーン ~国籍をこえて人びとが出会うために~」)と合流する形で企画された集まりでした。

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プログラム自体は午前中から、関口のケルンホールではじまり、全体としては150名ほどが参加。基本的に英語で行われ、日本語の通訳がつきました。

午前中は、司教団の青年担当でもあるさいたま教区の山野内司教が来られ、午後からはわたしが参加。わたしの役目は、このキャンペーンについて英語で説明すること。わたしの20分ほどの話の後に、二人の青年がその体験を分かち合ってくれました。

そして4時からカテドラル聖マリア大聖堂で派遣ミサ。様々な文化的背景を持った青年たちの聖歌隊が、美しいハーモニーを響かせてくれました。ミサは基本的に日本語でしたが、朗読や共同祈願は多言語で、わたしも日本語と英語で説教させていただきました。

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昨年もこの集まりで感じましたが、理念としてはまさしくキャンペーンの「排除ゼロ」ですが、現実には様々な課題があって、簡単に日本人も含めた多国籍多文化の集いを即座に実現できる訳ではありません。しかし、東京教区をはじめ、関東圏の教会の現実を見れば、すでに教会は各地で多国籍多文化の共同体であり、その現実を反映して、共同体も育てていかなくてはなりません。まだまだ模索状態ですが、さらに良い方向を目指して、来年もまた企画していただきたいです。

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2019年11月11日 (月)

二人の大先輩司祭逝く@新潟教区

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既報の通り、新潟教区の二人の大先輩司祭が、相次いで亡くなられました。アシジのフランシスコ鎌田耕一郎師(91歳)は11月5日の午前中に、ロベルト三崎良次師(87歳)は翌日11月6日の未明に帰天されました。葬儀は11月8日金曜日の午前11時から、カトリック新潟教会で行われ、新潟教区の使徒座管理区長として司式してまいりました。

鎌田師は1928年秋田県生まれで、盛岡で学校に通っている当時に受洗されたとうかがったことがありました。1958年に司祭叙階、その後新潟県内の教会の主任を各地で務めるとともに、幼稚園の園長として活躍されました。また、私の前任である佐藤敬一司教様時代には、司教総代理を務めておられました。2016年に引退されて司教館の隣のビアンネ館に移られましたが、そのときまで新津教会の主任や幼稚園長を務められ、今年の8月くらいまでは、腰の痛みなどの持病はあったものの、お元気に過ごされておられました。

三崎師は1932年新潟県生まれで、1969年に司祭叙階。その後、県内各地の教会で主任を務め、やはり幼稚園の園長としても活躍されました。残念ながら体調不良に悩まされ、わたしが新潟に赴任した頃から、病気療養生活に入られ、その後回復されたものの、主任などの役職からは退かれ、新潟教会の協力司祭として長年勤めてくださいました。今年の7月には、司祭叙階金祝をお祝いしたばかりでした。

新潟教区は、今年すでに70歳の働き盛りの司祭を二人失っています。今回の大先輩お二人で4人です。教区司祭団は12名となってしまいました。

ぜひとも、新潟教区の司祭の召命のためにも、お祈りくださいますようにお願いします。

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以下、葬儀ミサの説教の原稿です。

「神のはからいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる」

新潟教区の数少ない教区司祭団の中から、今年はすでに二人の働き盛りの司祭を失っています。そしてまた、この数日の間に、相次いでさらに二人のベテラン司祭が、神様のもとに召されてしまいました。

「神の計らいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる」と歌う答唱句ではじまる典礼聖歌は、詩篇90編で、「あなたの目には千年も過ぎ去った一日のよう、夜回りのひとときに過ぎない。人の命は草のよう、あしたには花を開くが夕べにはしおれて枯れる」と歌います。

人知を遙かに超えた全能の神は、わたしたち人間の知恵を遙かに超えて、私たちのいのちを支配されている。だからわたしたちは、神の限りない愛による計らいに信頼し、それに身をゆだねていのちを全うしていこう。

そうわたしたちは信じて、神様にこの人生をゆだねようとしています。しかし、神様のお考えになることはわたしたちの理解を超えていて、この小さな教区から、一年のうちに司祭を4名も御許に召されるとは、神様はいったい何をお考えなのだろうかという思いがよぎります。

しかし、限りない計らいのうちに、神様は何かを計画されているに違いない。この日本海側の地にあって、神様はその福音が少しでも広まり、ご自分が創造されたすべてのいのちが救いに与るようにと配慮されているに違いない。「苦しみは、また、人間の人格の中で、愛を誘発するために存在している」と述べられたのは、教皇ヨハネパウロ2世でありました。

ですから、この大きな悲しみと喪失感の中にある新潟教区にも、何らかの計らいがあるに違いない。この悲しみと苦しみから、神は愛を生み出そうとしているに違いない。天に召された司祭たちの人生から、わたしたちが生きる道を学び、その働きを引き継いで、すべての人に神の愛の福音をのべ伝えるようにと、導いてくださるに違いない。そう信じています。

わたしたちにとって召命とは、司祭であれ信徒であれ、キリストに従うすべての者に与えられている神からの呼びかけですから、この出来事の中にも、わたしたち一人ひとりへの召命の道が示されているはずです。

その中でも司祭が忠実にその使命に生きる姿は、勇気を持って神からの呼びかけに応える姿として、すべてのキリスト者の模範であります。
司祭は叙階の秘跡によって、「最高永遠の祭司であるキリストにかたどられて、新約の真の祭司として、福音を宣教し信者を司牧し神の祭礼を執行するために聖別される」とカテキズムには記されています。

すなわち司祭には、三つの重要な役割があるとそこには記されています。一つ目は「福音を宣教すること」。二つ目が「信者を司牧すること」。そして三つ目が、「神の祭礼を執行する」ことです。

その三つの務めのすべては、すべてのキリスト者にとって生きる姿勢への模範を示すものでもあります。

鎌田神父様も、三崎神父様も、長い司祭としての人生の中で、小教区の主任司祭として多くの人と関わり、また幼稚園の園長として多くの幼子たちに関わり、福音を宣教し、教会共同体を作り上げ、宗教者として聖なる者であろうとしました。

晩年は、年齢と病気のため、お二人とも、ご自分たちが意図されたような活躍ができなかったかも知れません。しかし鎌田神父様にあっては、つい数年前まで小教区で主任として働き、幼稚園の園長を務められました。三崎神父様も、体調の制約がある中で、新潟教会の協力司祭として、懸命に尽くしてくださいました。

お二人の司祭としての長年の働きに敬意を表するとともに、わたしたちもその模範に倣って、それぞれに与えられた場で福音を宣教し、教会共同体を育て、聖なる者である努力を続けていきたいと思います。

イエスをキリストと信じる私たちは、イエスに結ばれることで、「イエスを信じ、その御体を食べ、御血を飲む人々を世の終わりに復活させてくださる」のだと確信し、永遠のいのちに生きる大きな希望を持ちながら、この人生を歩んでいます。

同時に、「私をお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人をひとりも失わないで、終わりの日に復活させることである」と言われたイエスの言葉への信頼のうちに、いつくしみ深い神が、その深い愛をもって、すべての人を永遠のいのちのうちに生きるよう招かれていることも信じています。

葬儀ミサで唱えられる叙唱には、「信じる者にとって、死は滅びではなく、新たないのちへの門であり、地上の生活を終わった後も、天に永遠のすみかが備えられています」と私たちの信仰における希望が記されています。

鎌田神父様と三崎神父様は、ともに、50年以上を司祭として、教会のために、すべての人のために、そして神のためにささげられました。今年の7月に三崎神父様の司祭叙階金祝を、鎌田神父様も交えてお祝いしたことを、つい昨日のように思い出します。

お二人は、ある意味での頑固さをもって、司祭として生きることにすべてをかけられた、司祭として生涯現役の人生を送られたと思います。
永遠のいのちへの希望は、「イエスを信じ、その御体を食べ、御血を飲む」ことにあるのですから、お二人とも毎日のミサを最後まで捧げることは、かくことのできない人生の一部であり続けたと思います。

ともに同じ屋根の下で隠退生活を送っておられたお二人が、ほぼ同じ日に旅立たれたことは、不思議で仕方がありません。そこにはわたしたちが理解できない、神の限りない計らいがあることでしょう。

お二人の大先輩の司祭の人生の模範に励まされながら、わたしたちも神の深い計らいの中で、その導きに信頼して、司祭の模範に倣いながら、福音を告げしらせ、教会共同体を育て、聖なる者としての道を歩み続けてまいりましょう。

 

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2019年11月 6日 (水)

二つの修道誓願式・など

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10月には、新潟教会での堅信式、あきる野教会、大森教会、高輪教会などで堅信式を行いました。日記更新が滞っていたため、それぞれに日記で触れることができずに申し訳ありません。

そんな中、10月中の土曜日に、二つの女子修道会で初誓願式がありました。ひとつは10月5日のお告げのフランシスコ修道会、もう一つは10月26日の聖ヨハネ布教修道女会。前者は大田区久が原の同会修道院で、後者は聖ヨハネ会が運営に関わる桜町病院のある小金井教会聖堂で、それぞれの修道会でお一人ずつの方が初誓願を宣立され、さらに先輩の修道女の方々が、それぞれの会で修道誓願の銀祝、金祝、ダイアモンド祝を祝われました。

新たに誓願を宣立されたお二人、節目の年を祝われた先輩シスター方に、心からお祝いを申し上げます。

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修道誓願を新たに宣立する会員が誕生することは、一人修道会にとって仲間が増えたという喜びであるだけではなく、普遍教会全体にとって大きな喜びです。それは奉献生活が、その人個人の信仰生活のためだけではなく、教会にとって意味があることだからです。

修道者は一体誰のために誓願を宣立するのか。そもそも修道生活は誰のためなのか。修道者は自分のために修道生活を営むのではありません。自分がより信仰を深め立派な宗教者になるためでもなく、自分だけがより神に近くにあるためでもなく、結局のところ、そして至極当たり前のことですが、修道者は神の民全体のために修道生活を営んでいます。神の民全体で、教会の本質的つとめがまんべんなく果たされるように、その固有の役割を果たしているのです。

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教皇ヨハネパウロ二世の使徒的勧告「奉献生活」にこう記されています。

「奉献生活は、教会の使命の決定的な要素として教会のまさに中心に位置づけられます。奉献生活がこれまで教会にとって助けとなり支えとなってきただけでなく、神の民の現在と将来にとって貴重な欠かすことの出来ないたまものであるということです。」

そして奉献生活者の存在の重要性を、こう指摘します。

「他の人々がいのちと希望を持つことが出来るために、自分のいのちを費やすことが出来る人々も必要です。(104)」

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新しく修道者としての道を歩み始めた方々を見ながら、一人でも多くのキリスト者がそこから信仰における希望を見いだし、自らもその模範に倣おうと決意をされることを祈ります。東京教区の共同体にとって、新たに二人の奉献生活者が加わったことは、大きな喜びであり信仰における希望です。

10月19日には、昨年に引き続いて今年も、受刑者や出所者の支援活動を行っているマザーハウスの主催で、イグナチオ教会を会場に、「受刑者のためのミサ」が捧げられました。マザーハウスの五十嵐さんの話や、実際に刑務所などで教誨を行う司祭と一緒に捧げるミサで、多くの方が参加してくださいました。

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以下は、当日の説教の原稿です。説教の内容は、実はわたしがこのところどこに行っても繰り返しているテーマで、教皇様の訪日に備えるための内容です。

まもなく11月の23日に、教皇様が来日されます。

38年前にヨハネパウロ二世がはじめて来日されたときは、まだ50代後半の若々しい教皇でしたから、そのときと同じように、今年83になる教皇様が、朝から晩まで精力的に行事をこなすというわけには、今回は行きません。もっといろいろな方々に機会を設けて、直接教皇様に会っていただきたかったのですが、今回は最低限の行事だけとなりました。長崎や広島では、核兵器廃絶や平和に関するメッセージが世界に向けて発表されるでしょう。東京では、政府の行事として天皇陛下や首相などとお会いになりますが、教会の行事としては、東北の大震災の被災者を慰め、青年たちと出会い、そして東京ドームでミサを捧げられます。

教皇様が日本を訪れる一番の目的は何でしょうか。
今の段階では、どうしても長崎や広島でのメッセージに注目が集まり、それは教会だけではなく広く一般の方々や政府も、教皇様が核兵器に関する言葉を述べることを重要視しているように感じています。

しかしわたしは、教皇様の来日の目的は、それだけにとどまるものではないと思っています。訪日のテーマは「すべてのいのちを守るため」とされています。わたしはこのテーマにこそ、今回の教皇来日の一番の目的が記されいると感じています。

わたしたちにとって教皇様はもちろんこの世におけるキリストの代理者ですし、世界に10数億人の信徒を抱える巨大組織のトップではありますが、それ以上に重要な役割があります。教皇の地位は、あのガリラヤ湖畔で主イエス御自身が、一番弟子のペトロに天国の鍵を与えて、その首位権を宣言したことに基づいています。

ですから教皇様にとっては、この世界において、一番弟子の後継者としての役割を果たすこと、すなわち教会共同体という大きな群れの先頭に立って、主から与えられた使命を率先して果たしていくこと、またその姿を模範としてすべての人に示していくこと。それこそが、最も重要な一番弟子の使命なのではないかと思うのです。

主ご自身が残された命令の中で一番重要な命令は何か。主が十字架上の受難と死に打ち勝って復活され、御父の元へ戻られるとき弟子たちに対して命じた最後の命令であります。

すなわち「全世界に行って福音を宣べ伝えよ。すべての人に、父と子と聖霊の御名によって洗礼を授けよ」という福音宣教命令であります。
ペトロの後継者にとって一番大切な努めは、皆の先頭に立って、目に見える形で、この福音宣教命令を模範的に果たしていくことであります。

2013年3月に教皇フランシスコが選出されて以来、今日に至るまで、彼が率先して語り、行動してきた最優先事項は、まさしくこの福音宣教命令を率先して実行することであります。

教皇フランシスコは、選出後の初めての司牧訪問先に、地中海に浮かぶランペドゥーザ島を選ばれました。
ここはアフリカに一番近いヨーロッパです。難民が押し寄せていました。そこで教皇はミサを捧げ、世界中に向かって、「忘れられて良い人は一人もいない。排除されて良い人は一人もいない」という彼の福音に生きる姿勢を明確に示す説教をされました。

その説教の中で、世界中の人々が、自分の生活を守ることにばかり固執し、困難を抱える他の人々への思いやりを忘れてしまったと非難し、そういう姿は、むなしいシャボン玉の中に閉じこもっているようだと指摘しました。ここで教皇ははじめて、「無関心のグローバル化」という言葉を使いました。

教皇フランシスコのこの姿勢は、その後に発表された「福音の喜び」で、さらに明確になります。教皇は、教会のあるべき姿として、「出向いていく教会」であることを掲げ、安楽な生活を守ろうとするのではなく、常に挑戦し続ける姿勢を教会に求めました。失敗を恐れずに、常に挑戦を続ける教会です。しかもその挑戦は、困難に直面し、誰かの助けを必要としている人のところへ駆けつける挑戦です。

そして『福音の喜び』には、「イエスは弟子たちに、排他的な集団を作るようには言いませんでした」という言葉もあります。その上で教皇は、「教会は無償のあわれみの場でなければなりません。すべての人が受け入れられ、愛され、ゆるされ、福音に従うよい生活を送るよう励まされると感じられる場でなければならないのです」と指摘します。(114)

神は、この世界に誕生するすべてのいのちを愛しておられる。ひとつとして忘れられることなく、すべてのいのちが与えられた使命を十分に果たすことができる社会が実現されることを求めている。だから教会は、排除するのではなく、弱い立場にある人、世間から忘れられた人、誰からも顧みられない人、困難に直面する人、いのちの危機にある人の元へ、積極的に出向いていかなくてはならない。神の愛しみに満たされて、ともに共同体を作り上げていかなくてはならないと説かれるのです。

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若者のためのシノドスの後に発表された『キリストは生きている』という文書には、和解について述べた箇所があります。教皇はまず、「あなたの霊的成長は、何よりも、兄弟的で寛大で思いやりのある愛において示されます」と指摘します。(163)

その上で、虐殺事件を経験したルワンダ司教団の文書を引用して、次のように言います。
「相手との和解にはまず、その人には神の似姿としての輝きがあると認めることが必要です。・・・真の和解に至るためには、罪を犯した人とその罪や悪行を分けて受け止めることが欠かせません。」

教会は、神のいつくしみを具体的にあらわう存在として、社会の中にあって和解の道を常に示す存在でありたいと思います。互いの人間の尊厳、神の似姿としての価値を認め合い、手を差し伸べあう共同体でありたいと思います。

ですからわたしたちは、自らの過去を顧みながら許しを求めている人に善なる道が示されるように、祈りたいと思います。同時に犯罪の被害に遭われた方々には、心と体のいやしがあるように、いつくしみ深い主のみ手が差し伸べられるよう祈りたいと思います。犯罪の加害者の、また被害者の御家族の方々の生きる希望のために、祈りたいと思います。そして、すべてのいのちが神の望まれる道を歩むことができるように、受刑者の方々に、また犯罪の被害者の方々に支援の手を差し伸べるすべての人のために、心から祈りたいと思います。

福音のメッセージをその言葉と行いで、はっきりと日本のすべての人に示すために、来られる教皇様の模範に倣って、わたしたちも勇気を持って、福音を証しして生きていきましょう。

 

 

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訃報:新潟教区


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残念なお知らせです。カトリック新潟教区の司祭が、相次いでお二人亡くなられました。今年はすでに、5月と6月に、相次いで70歳の主任司祭お二人を病気のために失いました。山頭神父と川崎神父ですが、この二日間でさらにお二人です。すでに引退されていたとはいえ、大先輩の司祭をさらに二人相次いで失ってしまいました。

11月5日の朝、かねてより入院加療中であったアシジのウランシスコ鎌田耕一郎神父が、肺炎のため帰天されました。91歳でありました。

そして11月6日の朝、同じく入院加療中であったロベルト三崎良次神父が、帰天されました。87歳でありました。

鎌田神父様は現場の司牧に最後までこだわられた方で、幼稚園教育にも力を入れ、3年前に高齢で引退されるまで、幼稚園園長や主任司祭を務められました。

三崎神父様は10数年ほど前に体調を崩され、わたしが新潟に来てからは、新潟教会内に住まわれて、協力司祭としてミサの手伝いや勉強会などのために働いておられました。今年、司祭叙階金祝をお祝いしたばかりでした。

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新しい司教館が2014年に完成してからは、新潟教会と司教館の間にあるビアンネ館の一階が改装されて、引退した司祭の住居となっていますが、この数年は鎌田神父も三崎神父も一緒にそこに住まわれて、司教館で食事も一緒にしておられました。

大先輩の司祭を相次いで失い、言葉もありません。お二人のこれまでの司祭としての働きに神様が豊かな報いを与え、永遠の安息のうちに憩わせてくださいますように。

お二人の通夜は11月7日(木)18時、葬儀は11月8日(金)11時、新潟教会で行われます。わたしは葬儀ミサを司式させていただく予定です。

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一番上の写真は、7月に三崎神父の金祝をお祝いしたときの司祭団の食事会でのお二人(向かって左が三崎神父、中央が鎌田神父。右端は、町田神父)。その次が、10年ほど前の鎌田神父のクリスマス会での定番の七面鳥係姿。そして最後が、三崎神父の金祝を祝って司祭団で捧げたミサの写真です。これで新潟教区司祭は12名となりました。

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