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2019年12月30日 (月)

主の降誕、おめでとうございます

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まもなく2019年が終わろうとしています。明日12月31日の深夜、年が明けて2020年1月1日零時ちょうどから、東京カテドラル聖マリア大聖堂では新年のミサが捧げられます。わたしが司式いたします。1月1日は神の母聖マリアの祝日であり、世界平和の日でもあります。日本では1月1日は守るべき祝日となっていることをお忘れなく。31日の深夜ミサは、その守るべき祝日の1月1日のミサです。信徒ではない方も、年の初めのミサに、どうぞおいでくださり、祈りの時を一緒にいたしましょう。

さて少し遅くなりましたが、主の降誕のお喜びを申し上げます。クリスマスおめでとうございます。

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12月24日の夜、典礼的には日没後ですから翌日ですの、クリスマスの夜半のミサを捧げました。わたしの担当は夜10時。遅い時間にもかかわらず、大聖堂が一杯で、立ち見の方もおられる盛況でしたが、聖体拝領の時に祝福の方が半分ほどでした。

この日、関口教会では夕方5時、夜7時、夜10時、深夜零時の4回、夜半のミサが捧げられ、翌朝7時に早朝のミサ、そして10時に再びわたしが司式して日中のミサが捧げられました。典礼ではこれに前晩のミサも整えられており、4回のミサがクリスマスのために用意されていますが、伝統的には、夜半、早朝、日中の三回のミサが捧げられてきました。

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教皇様の訪日の記憶がまだまだ鮮明ですし、その語られた言葉のインパクトは大きく、これからさらに深めていく必要もあると思います。ですので、このところどこに行っても説教は、教皇様の日本での言葉の引用です。お許しを。

以下、夜半のミサの説教の原稿です。

「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住むものの上に、光が輝いた」

愛する自分の子どもに、最高の贈り物を与えたい。愛するあの人に、最高のプレゼントがしたい。クリスマスと言えばプレゼントがつきものですし、今日もこのミサが終わってから、またはもうすでにそういうシーズンですから、プレゼント交換をする人も少なくないことだと思います。

もちろんクリスマスとプレゼントは無関係ではありません。それは、クリスマスの出来事そのものが、神から人間への最高のプレゼントとして起こったからに他なりません。神は自ら創造した人間を愛するがあまりに、闇にさまようようにして生きている人間を見捨てることなく、神に至る道を指し示すために、自らを人間としてお与えになった。

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最初に天地を創造された状態にこそ、神が定められた秩序が実現しており、それこそが本当の意味での正義と平和に満ちあふれた状態であった。しかし人間は与えられた自由意志を乱用し、その世界からはみ出し神から逃れることによって、闇の中をさまようことになった。そこで神は、闇の中をさまよい続ける民に、自らが道しるべの光となるために、そして神の道に立ち返るよう呼びかけるために、自ら人となって誕生し、人類の歴史に直接介入する道を選ばれました。

この神の行為にこそ、わたしたちの信仰における重要な行動の原理が示されています。
必要があるところに直接自分から出向いていくという、行動の原理です。
神は天の高みから人に命令を下すのではなくて、自ら人間となって、人のもとへと出向いていくことによって、そこに光をもたらそうとされました。

教会は、神が示された道を歩みたいと願っています。ですから、神ご自身の行動の原理に倣い、必要とされているところへ自ら出向いていく教会でなければなりません。

「出向いていく教会」とは、あらためていうまでもなく、先日訪日された教皇フランシスコが、幾たびも繰り返されている教会のあるべき姿であります。

教皇はなぜ日本に来られたのか、と問う声がありました。教皇はまさしくこの教会のあるべき姿を自ら実践されたのではないかとわたしは思います。そこに必要があるからこそ、教皇は日本に来られた。

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それではいったいどのような必要が日本にはあるのか。それは今回の訪日のテーマであった「すべてのいのちを守るため」という福音のメッセージを、伝えなければならないような現実が日本にあるからこそ、教皇は自ら出向いて、現場に足を運んだのです。宮殿の中から教え命じる教皇ではなく、現場に足を運び、苦しみのうちに助けを、闇の中に光を必要としている人たちとともに歩みながら、大切なメッセージを発信するのは、今の教皇のスタイルです。

今わたしたちが生きている社会の現実は、ともにいのちを守ることよりも、自らのいのちを守るために他者を排除する社会でもあると感じることがあります。異質な存在を排除して安心安定を得ようとする誘惑に満ちあふれています。それは障害のある人たちへの排除であったり、海外から来られた方々への排除であったり、性的指向性による排除であったり、思想の違いによる排除であったり、姿格好の相違による排除であったり、文化や言葉や慣習の違いによる排除であったり、ありとあらゆる排除の傾向が現実社会には存在します。

異質な存在を排除することで安心安定を目指す社会は、残念ながら一部のいのちを守ることはできるでしょうが、「すべてのいのちを守るため」の社会ではありません。

教皇は、東京ドームでのミサで、こう呼びかけられました。
「わたしたちは、すべてのいのちを守り、あかしするよう招かれています。知恵と勇気をもって、無償性と思いやり、寛大さとすなおに耳を傾ける姿勢、それらに特徴づけられるあかしです。それは、実際に目前にあるいのちを、抱擁し、受け入れる態度です。『そこにあるもろさ、さもしさをそっくりそのまま、そして少なからず見られる、矛盾やくだらなさをもすべてそのまま』引き受けるのです。わたしたちは、この教えを推し進める共同体となるよう招かれています」

その上で教皇は、「傷のいやしと、和解とゆるしの道を、つねに差し出す準備のある、野戦病院となることです」と述べて、誰も排除されない社会は、神のいつくしみを状況判断の基準とする社会だと指摘されました。

さらに教皇は、このカテドラルで、集まった青年たちを前にして、こう言われています。
「世界には、物質的には豊かでありながらも、孤独に支配されて生きている人のなんと多いことでしょう。わたしは、繁栄した、しかし顔のない社会の中で、老いも若きも、多くの人が味わっている孤独のことを思います。・・・抱えている最大の貧しさは、孤独であり、愛されていないと感じることです」

クリスマスにはプレゼントがつきものです。神はすでに最高のプレゼントをわたしたちに与えられました。闇に輝く光を輝かせ、わたしたちに善の道を示し続けてくださっています。

今夜、主の降誕を祝うわたしたちが、自ら与えることのできるプレゼントはいったいなんでしょうか。わたしたち一人ひとりは、いったい何のために、どこへ出かけていくことができるでしょうか。伝えなければならないメッセージの必要があるところは、いったいどこでしょうか。

教皇は、「何のために生きているのではなく、だれのために生きているのか。だれと、人生を共有しているのか」と問いかけました。

わたしたちはこの問いかけにどう答えることができるでしょう。それぞれの生きている場の中で、この問いかけへの答えを探し続けたいと思います。

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誰のもとへ、どのようなプレゼントを持ってで向いていくのか。

「すべてのいのちを守るため」は、いま、この日本に生きているわたしたちすべてにとって、最も重要な呼びかけの一つであると思います。わたしたちは、この呼びかけに応えて積極的に出向いていき、いのちが危機に直面している暗闇の中で、互いに支え合い、互いを尊重し合い、理解を深め、いのちを守り抜いている姿を光のように輝かせ、より善なる道を指し示すプレゼントとなりたいと思います。

「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住むものの上に、光が輝いた」

 主イエスの輝ける光を、わたしたちも輝かし続けましょう。 

 

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2019年12月24日 (火)

降誕祭と1月1日の東京カテドラルミサについて

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あと数時間で降誕祭となります。その後1月1日の神の母聖マリアの祝日(元旦)まで、東京カテドラル聖マリア大聖堂でも、カトリック関口教会のミサとして、通常とは異なる時間が設定されています。

12月24日 17時、19時、22時、24時。

12月24日の四つのミサは、すべて司式司祭が異なります。大司教司式のミサは22時です。

12月25日 10時、大司教司式ミサです

1月1日 0時(12月31日深夜)、10時。

1月1日は、深夜0時のミサが大司教司式ミサです。

なお24日17時と19時には大勢の方が来られるため、入場制限が行われることもあります。クリスチャンではない方も、遠慮せず、どうぞおいでになって、聖なる夜をともに祈りのうちに過ごしましょう。

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2019年12月21日 (土)

習志野教会堅信式、澤田神父様の100歳誕生日、そして司祭叙階式

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教皇様の訪日に忙殺されていた頃に先延ばしにしていた予定が押し寄せてきていて、いつまで経っても余裕のない毎日です。更新が遅くなっています。

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その先延ばしにした行事の一つが、習志野教会の堅信式でした。当初の予定は11月24日。教皇訪日の日程が後で決まったので、堅信式を12月8日に先延ばしにしてもらっていました。

今年は主日と重なったので、無原罪の御宿りの祝日は翌9日に。

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習志野教会ではこの日、22名の方が堅信を受けられました。おめでとうございます。主任司祭はベトナム出身のディン神父様と言うこともあり、多くのベトナム出身の若者たちが集まっていました。ミサに参加する人で一杯の聖堂は、もちろん大多数の日本人とともに、ベトナムやフィリピンなど、様々な文化を背景に持った人たちであふれかえっていました。

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ミサ後の祝賀会でも、ベトナム出身の若者たちが、素晴らしいダンスを披露してくれました。様々な背景を持った人が、心やすく祈り、またともにいることができる共同体として、さらに成長してくださることを祈ります。

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さてその翌日、9日の午後には、東京教区司祭の最年長である澤田和夫神父様の100歳の誕生日のお祝いがありました。100歳ですから、1919年12月9日の生まれ。大正8年です。

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昨年は99歳で白寿と言うことで、カテドラルでミサを捧げましたが、今年は澤田神父様のご意向で、こぢんまりと司祭だけで祝いたいとのことで、しかも車椅子のご自分も一緒にミサに参加したいとのことで、段差の多い聖堂ではなく、カトリックセンターのホールでミサが捧げられました。わたしが司式をさせていただきました。ミサ後には、集まった司祭団と、茶話会でお祝い。澤田神父様は、お元気に笑顔を見せておられました。おめでとうございます。

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そして12月14日土曜日の午後には、碑文谷教会で、サレジオ会の司祭叙階式が行われました。このたび司祭に叙階されたのは、ベトナム出身の、レー・ファム・ギェ・フー師。おめでとうございます。叙階式にはサレジオ会員をはじめ、いくつかの修道会の司祭や教区司祭、そして仙台の平賀司教も参加。碑文谷教会の荘厳な佇まいの中、ベトナムの聖歌も歌われ、華やかなうちにも荘厳な叙階式でした。

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フー神父様、おめでとうございます。翌日、15日の日曜日には、調布教会で初ミサを捧げられたとうかがいました。

以下は当日の叙階式の中で行った説教の原稿です。

教皇フランシスコの日本訪問は、実質三日ほどの短い旅でしたが、多くの人に強烈な印象を残し、また特にわたしたち日本の教会に、豊かな宝を与えてくださいました。

教皇様の与えてくださった豊かな宝とは、日本にいる間に教皇様が語られた、様々な言葉です。広島や長崎では、核兵器の廃絶や平和について力強く語りました。そのメッセージは、原子爆弾の悲劇を体験した広島と長崎から語られたからこそ、日本のみならず、世界中の多くの人の心に力強い生きた言葉として届いたことだと思います。

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東京においても教皇様は、東北の大震災の被災者と出会い、災害からの本当の復興とは衣食住が整うことだけを意味するのではなくて、共同体の絆が再建されることが必要なのだと力説されました。教皇様は、次のように言われました。

「わたしたちにもっとも影響する悪の一つは、無関心の文化です。家族の一人が苦しめば家族全員がともに苦しむという自覚をもてるよう、力を合わせることが急務です。課題と解決を包括的に受け止め、きずなという知恵が培われないかぎり、互いの交わりはかないません。わたしたちは、互いにつながっているのです」

互いに助け合い、関心を持ち合うことの大切さは、教皇フランシスコが2013年の教皇就任以来、強調されてきたことです。就任直後には地中海に浮かぶランペドゥーザ島を訪れてアフリカから逃れてきた難民と出会い、自分の安全安心ばかりを考えてシャボン玉の中にこもり、助けを必要としている人に関心を持たない無関心のグローバル化に警鐘を鳴らされました。

そして、誰ひとりとして排除されない神の愛しみに満ちた世界の実現を、常に呼びかけてこられました。忘れられて良い人は誰もいない。無視されて良い人は誰もいない。すべてのひとが、神から与えられた賜物である命を生きているのだから、おなじように大切にされなければならないし、互いに支え合わなくてはならない。教皇様は、そう繰り返してこられました。今回のテーマ、『すべてのいのちを守るため』は、教皇フランシスコが大切にしていることを明確に表す言葉です。

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そして、カテドラルで青年たちと出会ったとき、教皇様は困難に直面する人たちへの思いやりの心の大切さを強調して、こう言われました。
「さて、とくにお願いしたいのは、友情の手を広げて、ひどくつらい目に遭って皆さんの国に避難して来た人々を受け入れることです。数名の難民のかたが、ここでわたしたちと一緒にいます。皆さんがこの人たちを受け入れてくださったことは、あかしになります。なぜなら多くの人にとってはよそ者である人が、皆さんにとっては兄弟姉妹だからです」

この短い言葉には、多くのことが詰め込まれています。

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今日本の社会を見れば、様々な国から来られた方が一緒に生活し、その中には、安全と安心を求めて避難してきた方々も少なくありません。文化の違い、言葉の違い、外見の違い。様々な違いによって、社会の中で孤立して、助けを必要としている人も少なくありません。

社会全体としても、若者たちの間にも、また高齢者の間にも、助けの手が差し伸べられることなく、孤立し孤独のうちに生きている人も少なくありません。

わたしたちは教皇様の呼びかけに励まされて、この社会にあって、助けを必要としている人に積極的に手を差し伸べ、互いに支え合って生きていく共同体を育てていきたいと思います。

教皇様は自ら率先して、この宝のような言葉をわたしたちに届けてくださいました。先頭に立って羊のために命をかける良い羊飼いの姿を明確に示してくださいました。教会全体にとって力強い模範の姿であると同時に、司教をはじめ司祭にとっても、模範とするべき姿勢です。

新しく司祭として叙階されるフーさんにあっては、教皇フランシスコの率先して宝である言葉を分かち合おうとする姿に倣い、群れの先頭に立って、いのちを守るための言葉を分かち合い、助けを必要としている人に手を差し伸べ、誰ひとりとして排除されることのない社会を作り上げるために、祈りのうちに日々努力を重ねてください。 

 

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2019年12月14日 (土)

教皇の語った言葉から・その3

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教皇様が日本で語られた言葉は、すべてがインパクトのあるものであったと言って差し支えないと思いますが、特にいくつかの言葉が、教会だけではなく広く一般の注目を浴びました。(写真上:東京カテドラルに入る教皇様;©cbcj)

もちろんその一つは、核兵器廃絶に関する発言であり、またもう一つは、帰国の飛行機の中で、『私的な考え』と断った上で語った原子力発電についての考え方でした。もう一つ、あらゆる意味で注目を浴びたのは、『日本も難民を受け入れるべき』と語ったと言われている発言です。

これは教皇滞日中にすでにメディアに流れ、それに対して、滞在中からすでに、「バチカンがまず難民を受け入れるべきだ」というリアクションがありました。そのリアクションについては後で触れるとして、いったいどこで教皇様は難民について語ったでしょう。

教皇様の語ったたくさんの言葉を探していくと、一カ所だけ。それも文章にして4センテンス。ほんの短い言及がありました。東京カテドラルでの青年との集いの中での、以下の発言です。

「さて、とくにお願いしたいのは、友情の手を広げて、ひどくつらい目に遭って皆さんの国に避難して来た人々を受け入れることです。数名の難民のかたが、ここでわたしたちと一緒にいます。皆さんがこの人たちを受け入れてくださったことは、あかしになります。なぜなら多くの人にとってはよそ者である人が、皆さんにとっては兄弟姉妹だからです」

確かに当日、東京カテドラルには数名の難民の青年が来ていました。一番前の列にいたことと、後で触れるロゴ入りのTシャツを着ていたことから教皇様もその存在に気がつかれ、握手をして祝福してくださいました。

この短い言及が、あれだけのリアクションを招くのですから、教皇の語られた言葉の持つ力と影響力には驚かされます。

教皇フランシスコは2013年の就任直後に地中海のランペドゥーザ島を訪れて、アフリカから逃れてきた人々と出会い、そこで記憶に残る説教をされました。

「居心地の良さを求める文化は、私たちを自分のことばかり考えるようにして、他の人々の叫びに対して鈍感になり、見栄えは良いが空しいシャボン玉の中で生きるようにしてしまった。これが私たちに、はかなく空しい夢を与え、そのため私たちは他者へ関心を抱かなくなった。まさしく、これが私たちを無関心のグローバル化へと導いている。このグローバル化した世界で、私たちは無関心のグローバル化に落ち込んでしまった」

それ以来、誰ひとり排除されない社会の実現は教皇フランシスコにとっての優先課題であり、特に助けを必要としている人たちのいのちを守るために行動することが、今の世界のためにも、そして将来の世代のためにも必要なのだと強調されてこられました。

カトリック教会はあのバチカンのテリトリーにとどまる存在ではありませんし、東京カテドラルで教皇は国家元首としてではなく、世界13億人の信徒のリーダーである宗教者として発言されています。

そのリーダーである教皇様の意図を具体化するために、バチカンには様々な機構が設けられていますが、特に慈善活動や助けを求めている人に手を差し伸べる活動を世界的に展開するために設けられているのが、国際カリタスです。教皇パウロ6世によって設立された、国際NGOです。

世界各地、カトリック教会があるところにはすべてカリタスが存在しており、日本にもカリタスジャパンがあります。カリタスジャパンは、例えば東北の大震災直後から今に至るまで、現地の教会と協力して、被害を受けた地域にとどまりながら復興支援活動を続けています。

また1970年代後半からインドシナ難民を日本で受け入れたときには、外務省や国連難民高等弁務官事務所と連携して、全国数カ所に拠点を設けて、難民受け入れ事業を行いました。

世界各地で、今現在も、カリタスは、教皇フランシスコの意を受けて、難民支援事業を展開しています。わたし自身も1995年頃に国際カリタスの行うルワンダ難民支援プログラムに参加して、3ヶ月ほど旧ザイールのキャンプで働きましたが、同様に難民を受け入れ保護する活動を、カトリック教会は長年にわたって実施してきました。

またこの2年ほどは、『Share the Journey』と名付けたキャンペーンを世界的に展開し(日本では『排除ゼロキャンペーン』)、安全を求めて旅を続ける人たちとともに歩む道を探り続けています。(キャンペーンについてはこちらのリンク

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このキャンペーンの先頭に立っていたのは、もちろん教皇フランシスコですが、もう一人、国際カリタス総裁のタグレ枢機卿は自ら世界各地の現場を訪れて、現場からの発信を続けています。そのタグレ枢機卿が、カトリック教会の世界宣教の責任者である福音宣教省長官に教皇フランシスコから任命されたのですから、いまや教皇様が目指しておられる教会の方向性は明確です。(写真上、向かって左がタグレ枢機卿)

そして下の写真でわたしが着用しているのが、このキャンペーンのロゴを入れたTシャツです。

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2019年12月 9日 (月)

福音宣教省長官の交代

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バチカンの重要な役所の一つである福音宣教省の長官が、交代することになりました。

12月8日日曜日のローマ時間正午、教皇様は、マニラの大司教であるアントニオ・タグレ枢機卿を福音宣教省の長官に任命されました。タグレ枢機卿様、おめでとうございます。

福音宣教省は、日本を含む宣教地域を管轄する役所で、伝統的にPropaganda Fideなどと呼ばれています。教会の福音宣教全般について、様々な調整や情報収集、研究を行う部署ですし、教皇庁宣教事業(Pontifical Mission Society)も配下に擁しており、世界宣教の日の献金を元に、宣教地の様々な活動を援助している機関でもあります。

アジアの各教会は、キリスト教国とされているフィリピンを除いて、すべてが福音宣教省の管轄下にあります。したがって、日本を含む宣教国の司教の任命は、バチカンの司教省ではなくて、福音宣教省の枢機卿会議が事前の調査や調整を行い、福音宣教省長官が最終的に教皇様へ具申することになっています。

バチカンの諸官庁は、バチカンにある事務局とメンバーと呼ばれるいわゆる委員で構成されており、そのメンバーの大半は枢機卿となっています。現在は40名ほどのメンバーが任命されています。その中に常に5名ほどの司教がメンバーとして含まれており、わたしも2014年から福音宣教省のメンバーになっておりますが、もう5年経つので、まもなくどなたか他のアジアの司教に変わることだと思います。

タグレ枢機卿様、おめでとうございます。

なおアジアから長官が選ばれるのは、ボンベイのディアス枢機卿が長官に任命されて以来、2度目です。

また同日、2011年から長官を務められたフィローニ枢機卿様は、Grand Master of the Equestrian Order of the Holy Sepulchre of Jerusalemに任ぜられています。

Cardinal Tagle of Manila has been appointed as the Prefect of the Congregation for the Evangelization of Peoples at noon on 8 December. Congratulations Cardinal Tagle. The Congregation is customary called Propaganda Fide and oversee all the Church activities of Mission countries including Japan. The Congregation also finalizes appointment of Bishops in mission territories.

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2019年12月 7日 (土)

教皇様の語った言葉から・その2

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東京カテドラルでの青年の集いでは、3名の方々が日本における青年たちの生きている現実を話し、同時に教皇様へ問いかけ、それに対して教皇様が回答する形でスピーチをされました。(写真は東京カテドラルでの教皇様。©CBCJ)

一人目は、新潟出身で、現在は日本のカトリック青年たちのリーダーの一人として活躍する女性。二人目は諸宗教の青年として、仏教の女性。三人目が、フィリピン出身のご両親のもと、日本で育った青年。

教皇様が語られた言葉から、その一節です。まず、最初に発言した小林さんの呈した疑問に答えながら、教皇様はこう言います。

「未希さんが語ったことです。彼女は、競争力、生産性ばかりが注目される慌ただしい社会で、若者がどのように神のために時間を割くことができるかを尋ねました。人間や共同体、あるいは社会全体でさえ、外的に高度に発展しても、内的生活は貧しく委縮し、熱意も活力も失っていることがよくあります。中身のない、お人形さんのようになるのです。すべてに退屈しています。夢を見ない若者がいます。夢を見ない若者は悲惨です。夢を見るための時間も、神が入る余地もなく、ワクワクする余裕もない人は、そうして、豊かな人生が味わえなくなるのです。笑うこと、楽しむことを忘れた人たちがいます。すごいと思ったり、驚いたりする感性を失った人たちがいます。ゾンビのように心の鼓動が止まってしまった人がいます。なぜでしょうか。他者との人生を喜べないからです」

日本のマスコミの報道でも注目された「ゾンビ」発言です。いったい何を大切にして生きているのか、疑問を投げかけ、その根底には「他者との人生を喜べない」と、自分にだけ感心を注ぎ、他者に心の目を向けることのない、人間関係の欠如を指摘されます。そして教皇様は、次のように続けられました。

「世界には、物質的には豊かでありながらも、孤独に支配されて生きている人のなんと多いことでしょう。わたしは、繁栄した、しかし顔のない社会の中で、老いも若きも、多くの人が味わっている孤独のことを思います。貧しい人々の中でも、もっとも貧しい人々の中で働いていたマザー・テレサは、かつて預言的で、示唆に富んだことをいっています。「孤独と、愛されていないという思いこそが、もっとも恐ろしい貧困です」。心に聞いてみたらいいと思います。「自分にとって、最悪と思う貧しさは何だろう。自分にとっていちばんの貧しさは何だろうか」。正直に気づくでしょう。抱えている最大の貧しさは、孤独であり、愛されていないと感じることです。」

昨年12月、前田枢機卿、高見大司教、アベイヤ司教と一緒にローマで教皇様とお会いしたとき、日本訪問への様々な思いを教皇様は語られました。教皇様はそこで、ご自分が心を痛めておられる様々な日本の抱える社会の問題を指摘されたのですが、そのうちに一つが、「孤独と孤立」でした。

被災者の集いにおいても、教皇様は「孤独と孤立」の問題を指摘されました。物質的な反映だけで人間は幸福にはならない。互いに支え合い、愛されていると感じる人間関係が不可欠だと呼びかけられます。

教皇様が2013年の就任からしばしば語られる「無関心のグローバル化」。むなしいシャボン玉の中に籠もって、そのかりそめの安住の地から、外への関心を持たない人々への警鐘。教皇様の一貫した主張です。

 

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2019年12月 6日 (金)

築地教会の「堅信堅堂」ミサ

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12月1日の日曜日、築地教会の聖堂の耐震改修工事が終了し、新装なった聖堂の祝福式ミサが行われました。またミサ中には堅信式も行われ、13名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。

築地教会では、この日の一連の行事を堅信に引っかけて、「堅信堅堂」としておられました。築地教会は正面の造りが有名で観光客も訪れますし、近隣のホテルに宿泊している海外からの観光客が、ミサに訪れる機会も増加していると聞きます。お隣は聖路加国際病院です。来年のオリンピックに向けて、さらに訪問客が増えることが想定されています。

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築地教会は、東京教区でも一番古い教会で、その歴史は、1874年の最初の聖堂の献堂にあります。その後、関東大震災などを経て、現在の聖堂は、1927年に献堂されました。

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また築地教会は、1891年から司教座聖堂となり、1920年に関口に移転するまで、東京教区の中心として機能していました。現聖堂は司教座が関口に移転した後に建てられたものですが、正面のギリシャ神殿風の柱で有名で、東京都の歴史的建造物にも指定されています。

主任のレオ神父(コロンバン会)が東京教区のミャンマー支援に関わっていることもあり、築地教会にはミャンマーからの信徒も多く集まります。この日のミサにも、ミャンマー出身の方々が多数参加され、ミサ後には祝賀会で、ミャンマー料理を提供してくださいました。

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堅信を受けられた方々にお祝い申しあげるとともに、築地教会の皆様にも、新しくなった聖堂とともに、これからますます共同体を育て上げて行かれますようにとの願いを込めて、心からお祝い申し上げます。

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2019年12月 3日 (火)

教皇様が語った言葉から・その1

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日本滞在中に、教皇フランシスコは様々な「言葉」を語りました。様々な人と出会う中で、いくつものスピーチを行い、その中で、多くの課題について触れられました。時間が限られていると同時に、宗教指導者であり、同時に国家元首でもあるという立場を考慮して、聖座(バチカン)によってスピーチは、用意周到に準備されていました。(写真は、東京カテドラルにて。©CBCJ)

しかし全体のテーマは、「すべてのいのちを守るために」で貫かれています。人間のいのちは、神からの賜物であり、神の似姿として創造されているところに人間の尊厳の根源があるのだという、信仰の根幹に根ざしたいのちへの理解にしっかりと足場を置いて、様々な課題について発言されていたのだと感じました。

人間のいのちは、その始まりから終わりまで、すべからく護られなくてはならないという信念が、人間のいのちを危機に陥らせている社会の様々な課題に対する教皇様の懸念を、力強いメッセージとして発信させたのだと思います。

たくさんのことを語られたので、すべてを通して読むことは大変かも知れません。かといって、そのほんの一部を切り出したのでは、本当に伝えたいことは理解できません。教皇様のスピーチの中からいくつかのフレーズを、少しばかりまとまった単位で順番に取り上げて、紹介していきたいと思います。

まず東京教区での行事から。11月25日の東京カテドラルにおける青年との集いでの教皇様のスピーチから。まず一つ目。

「皆さんを見ると、今日の日本に生きる若者は、文化的および宗教的に多様なことが分かります。それこそが、皆さんの世代が未来にも手渡せる美しさです。皆さんの間にある友情と、この場にいる一人ひとりの存在が、未来はモノトーンではなく、各人による多種多様な貢献によって実現するものだということを、すべての人に思い起こさせてくれます。わたしたち人類家族にとって、皆が同じようになるのではなく、調和と平和のうちに共存すべきだと学ぶことが、どれほど必要でしょうか。わたしたちは、工場の大量生産で作られたのではないのです。だれもが、両親や家族の愛から生まれたのです。だからこそ、皆、異なるのです。だれもが、分かち合うべき、自分の物語をもっているのです」

カテドラルには900人を超える青年たちが集まっていました。その中には、日本出身の人もいれば、諸外国出身の青年もおり、また多文化のルーツを持つ青年も、様々な混乱を逃れて避難生活を送る人もおられ、多様性のるつぼのような集まりでした。社会の全体の姿を象徴するとともに、今の、そしてこれからの日本のカトリック教会の現実をも象徴するような、多様性のある集まりでした。

その多様性を個々人がどのように生き、「人類家族」として、分裂ではなくて、「調和と平和」のうちに共存する道を探ることが大切だという呼びかけで、教皇様のメッセージははじまりました。メッセージの紹介は次に続きます。

(今回の訪問でわかったこと)

これは今回の体験からの個人的な推測に過ぎませんが、聖座はこういった教皇様の海外訪問において、教皇様が公式に発言することに非常に大きな注意を払って準備をしていると感じました。もちろん訪問先の国の教会からは様々な情報が寄せられます。今回も、聖座の担当部局から、日時を決められて情報提供をするようにとの指示があり、司教協議会の諸委員会はそれぞれの分野での情報を提出しました。

実際にできあがったスピーチは、現地からの情報を確かに参照してはいるものの、やはり聖座の独自の考えを見事に反映した内容となっていました。なにか、現地の教会がこれを教皇様に言ってほしいとか、例えばわたしが個人として教皇様にこう言ってほしいとか、そんなリクエストができるようなシステムにはなっていませんでした。

事前にいろいろな方から、教皇様にはこういうことを言ってほしいのでぜひ伝えてほしいというリクエストをいくつかいただきましたが、それはそもそも無理な話でありました。

 

 

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