« 日本26聖殉教者祭@本所教会 | トップページ | ミャンマーの視察旅行 »

2020年2月16日 (日)

世界病者の日ミサ@東京カテドラル

Wds2005

2月11日はルルドの聖母の祝日ですが、そのルルドの泉での様々な奇跡的治癒の出来事や、心身の癒やしを求めてルルドに多くの人が集い、聖母の取り次ぎを求めて祈ることに倣い、この日は世界病者の日と定められています。

東京カテドラル聖マリア大聖堂では、毎年2月11日の午後1時半から、教区の行事として世界病者の日ミサを捧げています。今年は550人を超える方が参加してくださいました。

Wds2003

手話通訳や要約筆記をしてくださった皆さん、ありがとうございます。またこの日は午前中に、大聖堂ではスカウトのBP祭ミサが行われましたが、カトリックセンターでは東京教区の障がい者の方々の団体であるヨブの会の会議も行われました。

なお新型コロナウイルス(COVID-19)の感染が拡大する中、東京教区ではすでに初期の対応を発表しているところです。香港教区では灰の水曜日を含めて2週間、シンガポール大司教区では無期限に、公のミサを停止する措置を執りました。

東京教区の指針は、カトリック医師会の東京支部の専門会のアドバイスをいただきながら策定し、また必要に応じて改訂するものです。状況を見極めながら専門家の指導をいただいて、対応していきます。

以下、当日のミサの説教の原稿です。

この数週間、新型コロナウイルスによる感染症が拡大し、国内における感染事例の報告も少なからず聞かれるようになりました。

ありとあらゆる情報が瞬時に飛び交う現代社会にあって、特に専門家ではないわたしたち大多数は、それまでに体験したことのない事態が発生すると、確実なことがわからなければわからないほど、疑心暗鬼の闇にとらわれてしまいます。

とりわけ今回のように、健康に影響があるとなると、その最終的な結果が確実にはわからないため、さらに不安は深まってしまいます。

不安の闇に取り残されたとき、わたしたちはどうしても差し込む光を求めてさまよってしまいます。闇にさまようとき、わたしたちの判断力は衰え、時に偽の光に飛びついてしまったり、または不安の根源を取り除こうとして、犯人捜しに奔走し、誤った差別的な言動をとってみたりします。

闇の中にあって必要なことは、互いの人間の尊厳を尊重しながら、互いの心身を慮ることであり、互いに助け合って、真の光を見いだすことであります。

Wds2004

今回の感染症の拡大にあって、教会は不特定多数が定期的に集まる場所ですから、まずは常識的な範囲で、感染症の予防に努めたいと思います。この時期は毎年のようにインフルエンザの予防が話題に上りますから、通常と同様の常識的な感染予防にまず務めたいと思います。その上で、お互いへの思いやりを忘れず、医療関係者や専門家の助言に耳を傾けながら、不必要な風評を広めたり、誤った差別的言動に陥らないように心を配りたいと思います。

そして教会は、疑心暗鬼の闇の中にあって不安に苛まれ、心身ともに疲れ切った人々へ、 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」という、マタイ福音に記されたイエスの言葉を高く掲げます。

教会こそが、こういった不安を増幅させつつある社会の現実の直中にあって、真の心の安らぎを生み出す場であることを、明らかに示したいと思います。わたしたちは、多くの人が生きていくために抱え込んでいる心の重荷を、遠慮せずにひとまず解き放って、心の安らぎを実感できるような教会共同体でありたいと思います。

マタイの福音のこの言葉は、教皇フランシスコが今年の第28回世界病者の日にあたり、選ばれたテーマとなっています。

Wds2007

世界病者の日と定められた2月11日と言う日は、1858年に、フランスのルルドで、聖母マリアがベルナデッタに現れた日でもあります。聖母はご自分を、無原罪の聖母であると示され、聖母の指示でベルナデッタが洞窟の土を掘り、わき出した水は、その後、70を超える奇跡的な病気の治癒をもたらし、現在も豊かにわき出しています。

ルルドの泉がもたらす奇跡的治癒は、キリストのいつくしみの深さとすべてを超える偉大な力を示していますが、同時に、ルルドという聖地自体が、そこを訪れる多くの人に心の安らぎを与えていることも重要です。すなわち、聖地自体が、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」というイエスご自身の言葉を具現化している場所となっているからです。ルルドの聖地が生み出す安らぎの雰囲気は、すべての教会共同体がおなじように生み出したい、霊的な安らぎの雰囲気の模範であります。

教皇聖ヨハネパウロ2世が、1993年に、この日を世界病者の日と定められ、病気で苦しんでいる人たちのために祈り、同時に医療を通じて社会に貢献しようと働く多くの方々のために祈りを捧げる日とされました。もちろん教会には、奉献生活者をはじめ信徒の方々も含め、多くの方が医療活動に関わっておられます。その献身に、心から感謝したいと思います。

Wds2006_20200216144201

さて教皇様は今年のメッセージの中で、次のように述べられています。
「もろさ、痛み、弱さを抱えた自身の状態に苦悩する人々に、イエス・キリストは律法を課すのではなく、ご自分のあわれみを、つまりいやし手であるご自身を与えてくださいます。・・・奥深くにまで届くそのまなざしは、見て、気づきます。無関心にはならずに目をとめ、どのような健康状態にあってもだれ一人排除することなく、人間のすべてを受け入れ、ご自分のいのちに入り、優しさに触れるよう、一人ひとりを招いておられます。」

その上で「実際に自分自身でそれを経験した人だけが、人を慰めることができるのです」と言われます。

主イエスが人間の苦しみに真の慰めを与えることができるのは、主ご自身が、十字架上で生命を捧げるまでの苦しみを体験されているからです。

わたしたちは、それぞれの生命が尽きる日まで、完全完璧な状態で過ごすことができるわけではありません。人生の途上にあって、その度合いには違いがあるとはいえ、心身の様々な困難に直面し、さらには仮に健康を誇っていたとしても、年齢とともに、誰かの助けがなければ生命をつなぐことができません。ですから、自らの弱さを自覚し、慰めを体験することで、はじめて他者に対しての慰めとなることができます。

しかしながら同時に、教皇はこうも言われます。
「苦しみの厳しさはさまざまです。難病、精神疾患、リハビリや緩和ケアを要する状態、さまざまな障がい、小児疾患や高齢者疾患などです。こうした状態においては、人間らしさが奪われるように感じられることがあります」

そこで教皇フランシスコは、困難な状態にある人たちを念頭に、「全人的な回復のためには、治すだけではなく相手を思いやり、それぞれの病者に合わせて対応することが求められ」るのだと指摘します。


Wds2002

東京ドームミサで教皇はわたしたちに次のように呼びかけられました。
「いのちの福音を告げるということは、共同体としてわたしたちを駆り立て、わたしたちに強く求めます。それは、傷のいやしと、和解とゆるしの道を、つねに差し出す準備のある、野戦病院となることです」

世界病者の日は、特定の疾患のうちにある人たちへの回復だけを対象にした、特別な人の特別な日ではなく、私たちすべてを包み込む神の癒やしの手に、いつくしみの神の手に、ともに包み込まれることを実感する日でもあります。主の癒やしといつくしみの手に包み込まれながら、互いの困難さに思いやりの心を馳せ、その程度に応じながら、具体的に支え合って生きていくことができるように、野戦病院となる決意を新たにする日でもあります。

ルルドの泉で神のいやしの泉へとベルナデッタを招いた聖母マリアが、御子イエスのいつくしみへと、わたしたちを導いてくださいますように。

|

« 日本26聖殉教者祭@本所教会 | トップページ | ミャンマーの視察旅行 »

司教の日記」カテゴリの記事