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2020年2月 1日 (土)

奉献生活者の日ミサ

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2月2日の主の奉献の祝日にあわせて、教皇ヨハネパウロ2世は、1997年に奉献生活者のための祈りの日を設けられました。

日本の男女の修道会責任者たちは(男子が管区長会、女子は総長管区長会)、2月2日に一番近い土曜日の午後に、ともに集まってミサを捧げることをその時からはじめ、今年の奉献生活者のためのミサは、本日2月1日(土)午後2時から、麹町の聖イグナチオ教会で捧げられました。

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司式はチェノットゥ教皇大使、さいたま教区の山野内司教とわたしが大使の両脇で共同司式し、男子修道会の多くの管区長や責任者が共同司式してくださいました。聖歌隊はイエスのカリタス会のシスターたち、説教はわたしが担当しました。

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以下、本日のミサの説教の原稿です。

東北地方を中心に大震災が発生してから、まもなく9年となります。日本の教会は、仙台教区とカリタスジャパンを中心にして、この9年間、被災地の復興支援に携わってきました。わたしが改めて申し上げまでもなく、今日お集まりの皆さんの中にも、当初から今に至るまで、様々な形で復興支援に携わった方がおられることでしょう。

復興はまだ終わっていません。まだまだ時間が必要です。全国の教会をあげての支援活動は、10年目となる来年3月末で一旦終了となりますが、違う形で支援活動は継続していくことになるだろうと思います。

いみじくも、先日訪日された教皇フランシスコは、復興支援についてこう述べられました。
「日本だけでなく世界中の多くの人が、・・・祈りと物資や財政援助で、被災者を支えてくれました。そのような行動は、時間が経てばなくなるものや、最初の衝撃が薄れれば衰えていくものであってはなりません。むしろ、長く継続させなければなりません。・・・被災地の住人の中には、今はもう忘れられてしまったと感じている人もいます」

また教皇は福島の現状に触れながら、次のようにも指摘されました。
「地域社会で社会のつながりが再び築かれ、人々がまた安全で安定した生活ができるようにならなければ、福島の事故は完全には解決されません」

人間がいのちをつないでいくためには、もちろん「衣食住」が充分に保障されていることが不可欠です。しかし人間は、物質的充足それだけでは生きていけません。

人間が人間らしく生きていくためには、いのちを生きるための希望が不可欠です。そしていのちを生きるための希望は、誰かが外から持ってきて与えることができるものではなく、希望を必要としている人自身の心の奥底から生み出されるものです。

震災と原発事故によって破壊された地域のきずなを回復するということは、被災した地域に生きる方々の心に、いのちを生きる希望を生み出すことにほかならず、教会がこの9年間復興支援として行ってきたこととは、まさしくいのちを生きる希望を生み出すための活動であったと思います。

建物を建てたとか、物資を配布したとか、そういう「衣食住」に関わることも大切ですけれど、やはり、人と人との関わりの中で、そしてともに人生の道を歩むことによって、そして現場で共に生きることによって、わたしたちはいのちを生きる希望を生み出すための種まきをしてきたのだと思っています。

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そう考えたとき、この9年間は、日本の福音宣教の歴史に刻まれるべき特別な9年間であったとわたしは思います。日本の教会は、迫害の時代を経て、再宣教に取り組んで以来、小教区での宣教に加え様々な事業を全国で展開してきました。社会福祉や教育の分野で、社会において重要な役割を果たしてきたと思います。教会は、それが福音宣教だとは言わないものの、そういった愛の業を通じて、福音のあかしとし、それを通じて一人でも多くの人に福音が伝わるようにと努力をしてきました。

社会福祉や教育を通じた福音宣教において、奉献生活者の方々の貢献には大きなものがあります。奉献生活者がいなければ、多くの事業は存在すらしなかったでしょう。しかし、社会の少子高齢化を反映するように教会にも少子高齢化の波は押し寄せ、修道会が関わる諸事業にあっては、後継者がいないという事態に直面しており、地域によっては教会と諸事業との関わりが絶たれてしまうのではないかと危惧するような状況も出現しています。

そんなとき、東北における復興支援活動は、日本の教会に、日本における福音宣教のもう一つの姿を教えてくれたのではないかと、わたしは思っています。

ベネディクト16世の使徒的勧告「愛の秘跡」は、聖体について語っているのですが、その中に、奉献生活者についての興味深い指摘がありました。

「教会が奉献生活者から本質的に期待するのは、活動の次元における貢献よりも、存在の次元での貢献です」

教皇は、「神についての観想および祈りにおける神との絶えざる一致」こそが奉献生活の主要な目的であり、奉献生活者がそれを忠実に生きる姿そのものが、「預言的なあかし」なのだと指摘されています。

その意味で、教皇ヨハネパウロ二世が、使徒的勧告「奉献生活」の中で、「他の人々がいのちと希望を持つことが出来るために、自分のいのちを費やすことが出来る人々も必要です」と述べて、奉献生活が、「教会の使命の決定的な要素として教会のまさに中心に位置づけられます」と指摘しているところに、現代の教会における奉献生活者の果たす重要な役割を見いだすことができます。

復興支援の中で、ただひたすらに現場にあって人々と歩みをともにし、人々の語る言葉に耳を傾け、人々の喜びや悲しみをともにし、ただひたすらに祈り続ける奉献生活者のひたむきな生きる姿勢こそが、行いによる預言者的あかしによる福音宣教ではないでしょうか。

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教皇フランシスコは、東京ドームのミサで、日本の現状を次のように指摘されました。
「ここ日本は、経済的には高度に発展した社会です。今朝の青年との集いで、社会的に孤立している人が少なくないこと、いのちの意味が分からず、自分の存在の意味を見いだせず、社会の隅にいる人が、決して少なくないことに気づかされました。・・・多くの人が、当惑し不安を感じています」

教皇が指摘する日本の社会とは、希望を失った社会です。いのちを生きる希望が失われている社会です。
この希望を失った社会にあって、わたしたちには、「いのちの意味」をあかしし、伝えていく務めがあります。
人間の存在の意味を伝えていく務めがあります。
互いに支え合い、誰ひとりとして排除されない社会を実現していく務めがあります。

そのためには、生活の中で福音を真摯に生きて、「他の人々がいのちと希望を持つことが出来るために、自分のいのちを費やすことが出来る人々」、すなわち奉献生活者の存在による預言的なあかしが必要です。

東京ドームのミサが終わる際に、わたしは、東京教区を代表して、また日本の教会を代表して、教皇様に御礼を申し上げました。その御礼の言葉の終わりの方で、次のように教皇様に約束をいたしました。
「わたしたちは、小さな共同体ですが、教皇様の励ましをいただき、アジアの兄弟姉妹と手を取り合い、歩みをともにしながら、神から与えられたいのちの尊厳を守り、いつくしみの神のいやしと、希望の福音を宣べ伝えていきます」

教皇様が日本で語られた力強い言葉を耳にして、皆様もそれぞれの心の内に、様々な思いを抱きながら、その呼びかけに応えようと、それぞれの決意をされたのではないかと思います。わたし自身の決意はこの御礼の言葉の最後です。教皇様訪日を受けて、わたしたちはそれぞれに心に誓った約束に、忠実に誠実に生きたいと思います。

今の社会の現実の中で、奉献生活者はその存在の意味を問われています。いや教会自体がその存在の意味を問われています。福音に忠実に生き、いのちの希望をあかししてまいりましょう。

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