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2020年3月10日 (火)

東京教区の皆様へのメッセージ

カトリック東京教区の皆様へ

新型コロナウイルス感染症に伴う困難な時期にあって

カトリック東京大司教区 大司教
菊地功
2020年3月09日

新型コロナウイルスの感染は世界的規模で拡大を続け、社会全体を巻き込んだ総合的な対応が急がれています。

教会にあっても、日本国内は言うに及ばず、近隣諸国でも公開のミサの中止が相次いでいますが、昨日はイタリアにあっても全国的な公開のミサの中止が発表されています。

この困難な時期にあって、わたしたちは祈りの力をあらためて認識したいと思います。普段のように皆が主日に集まることができなくても、洗礼を受けた一人ひとりは主イエスの体の一部としてつながっていることを思い起こしてください。わたしたちはそれぞれの場で祈りを捧げるとしても、その祈りは個人的な祈りではなく、教会共同体の祈りとして捧げられています。

聖書にあるとおり「正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたら」すと、わたしたちは信じています(ヤコブの手紙5章16節)。ですから病気が蔓延したからといって、わたしたちは祈りを止めることはありません。感染に対応する様々な手段を講じる中には、わたしたちの霊的な戦いをも含めていなければ、この世界にわたしたちが教会として存在する意味がありません。祈り続けましょう。

なおミサの中止は、上記のように『公開のミサ』の中止であって、教区内の小教区や修道院にあっては、「公開されない」形で、ミサが通常通り司祭によって毎日捧げ続けられています。教区共同体内から、ミサが消えてしまったわけではありません。司祭はたとえ一人でミサを捧げたとしても、すべては「公」のミサとして捧げるからです。

教皇ヨハネパウロ2世の回勅『教会に命を与える聖体』に、こう記されています。
『(司祭が祭儀を行うこと)それは司祭の霊的生活のためだけでなく、教会と世界の善のためにもなります。なぜなら「たとえ信者が列席できなくても、感謝の祭儀はキリストの行為であり、教会の行為だからです」』

もちろん実際にミサに与って聖体拝領することは、わたしたちの信仰生活にとって最も重要ですが、それ以外の場合にも、例えば聖体礼拝のうちにあって、またはミサに参加することができない場合にあっては個人の祈りのうちに、現存されるキリストとの一致を求めながら霊的に聖体を拝領することも忘れてはいけない教会の伝統です。

教会の中には、信仰の表現の理解にあっても、祈りの方法の理解にあっても、様々な考えを持った方がおられることは事実です。それが教会の多様性を担保し、霊性を豊かにしています。

この困難な時期にあっては、互いの命を守ることを最優先に考え、豊かな思いやりの心で支え合うことを第一に考えてくださることを望んでいます。今回のような、まれに見る状況に遭遇して、お一人お一人のこれまでの信仰生活の体験に基づいた、様々な思いが交錯していることと推察いたします。こういったときだからこそ、わたしたちがキリスト者として、主イエスの体における一致へと招かれていることをあらためて思い起こし、一人で祈っているときであっても、それが目に見えない形であったとしても、わたしたちはつねに主イエスの体である一つの共同体に結ばれているのだという信仰における確信を深めていただくことを期待しています。わたしたちはこの信仰を一人で生きているのではありません。目に見えないきずなのうちに、ともに道を歩みながら、信仰を生きているのです。
 

また今般の状況を契機として、そういった多様性を制限する機会として利用しようなどと考えることは不遜ですし、また個人の思いを最優先させることも兄弟愛に欠け、キリストの体における一致から離れてしまう危険性があります。困難に直面しているいまこそ、兄弟姉妹としての互いの信頼を深め、支え合ってすべてのいのちを守ってまいりましょう。

信仰におけるいのちへの希望を掲げながら、愛といつくしみの心を持って、感染した方々の回復と一日も早い事態の収拾を、わたしたちの母である聖母マリアの取り次ぎのもと、父である神に祈りましょう。

いと高き方を隠れ場とする者は、全能者の陰に宿る。
私は主に申し上げる「わが逃れ場、わが城、わが神、わが頼みとする方」と。
まことに主はあなたを救い出してくださる。鳥を捕る者の網から。死に至る疫病から。
主は羽であなたを覆う。あなたはその翼のもとに逃れる。
(詩編91、1節から4節)

 

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