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2020年9月26日 (土)

年間第26主日(世界難民移住移動者の日)@東京カテドラル

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9月最後の主日は、世界難民移住移動者の日と定められています。この日にあたって教皇様もメッセージを発表されています。(教皇メッセージは、こちらのリンクから、中央協議会のサイトでご覧ください)

残念なお知らせですが、東京教区司祭、フランシスコ・ザベリオ岸忠雄神父様が、9月24日(木)午後2時5分、老衰のために、入居先のベタニアホームにて帰天されました。享年87歳でした。 ベテラン司祭をまたひとり失いました。岸神父様の永遠の安息のためにお祈りください。

岸神父様の通夜は9月27日(日)午後6時から、葬儀ミサは9月28日(月)午前11時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われます。聖マリア大聖堂は現在、感染症対策のため入場制限をしておりますので、葬儀ミサ前にお別れの祈りをささげる時間を設けます。

9月28日月曜日、午前9時半から10時半まで、岸神父様のご遺体を大聖堂に安置いたしますので、お別れの祈りの時としていただければと思います。

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以下、本日土曜日の夕方6時からささげた、年間第26主日ミサの説教原稿です。

年間第26主日A(公開配信ミサ)
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2020年9月26日
世界難民移住移動者の日

「最高の福音宣教者であり、ご自身が福音そのものであるイエスは、もっとも小さい人と特別に同じ者となりました。(「福音の喜び」209)」

「福音の喜び」にそのように記された教皇フランシスコは、2013年の教皇就任直後に、地中海に浮かぶイタリア領の島ランペドゥーザに赴かれ、アフリカから逃れてきた難民の人たちと出会い、彼らのために、また海の上で生命を落とした多くの人たちのために、祈りをささげられました。さらには、助けを求めている人たちの悲しみや苦しみに気がつくことのなかった怠りの罪を認め、ゆるしを願われました。それ以来、助けを必要としている人、社会の主流から忘れ去られている人、法的に困難な状況の中でいのちをつないでる人たちへの心配りを最優先とする姿勢は、教皇フランシスコの言葉と行いを通じて明確に現されてきました。

教皇は「福音の喜び」に、「そこにおられるキリストに気づくよう、わたしたちは招かれているのです。すなわち、家のない人、依存症の人、難民、先住民族、孤独のうちに見捨てられてしまう高齢者などのことです」と記され、神のいつくしみそのものである主イエスに倣い、教会が、そしてわたしたちがいつくしみの無償で無尽蔵な提供者となるように、呼びかけられます。

教会は、9月最後の主日を、「世界難民移住移動者の日」と定め、「各小教区とカトリック施設が、国籍を超えた神の国を求めて、真の信仰共同体を築き、全世界の人々と『共に生きる』決意を新たにする日」(中央協HP)としています。

教皇は今年のテーマを、「イエス・キリストのように、逃れざるをえない国内避難民を受け入れ、守り、促し、彼らと共生する」と定められました。

特に新型コロナウイルス感染症が蔓延する中で、政治経済の状況が不安定ないわゆる途上国にあっては、経済が悪化し医療資源も逼迫する中で、貧富の格差がさらに拡大していると伝えられます。とりわけ政情が不安定である地域にあっては、これまでも課題であった国内避難民が、公的な保護を受けられないことにより、いのちの危機に直面している状況が伝えられています。

教皇は今年の祈願日のメッセージにおいて、世界が感染症対策にばかり目を奪われている陰で、「大勢の人々を苦しめている他の多くの人道的緊急事態が過小評価され、人命救済のため緊急で欠くことのできない国際的な取り組みや援助が、国の政策課題の最下位に押しやられていることは確か」だと指摘します。

その上で教皇は、「今は忘れる時ではありません。自分たちが直面しているこの危機を理由に、大勢の人を苦しめている他の緊急事態を忘れることがあってはなりません」と呼びかけておられます。

また教皇は、そういった困難に直面する人たちの現実を知り、歩みをともにする姿勢こそは、いのちの危機に直面する今だからこそ、普遍的に必要な生きる姿勢であることを思い起こすように呼びかけます。すなわち、社会にあって弱い立場に置かれている人たちへの特別な配慮が、ひいては社会全体を、神のいつくしみに導かれた生きる姿勢を優先する場に変えていくのだと、教皇は主張されています。

神からのたまものであるいのちをいただいて、共に支え合いながら生きているわたしたちは、性格としての優しさの故に助け合うのではなく、与えられたいのちには神に由来する尊厳があるからこそ、互いに手を差し伸べ合い、いつくしみを目に見える形にして生きていきます。それは例えば、第二バチカン公会議の現代世界憲章に、こう記されています。

「すべての人は理性的な霊魂を恵まれ、神の像として造られ、同じ本性と同じ根源をもち、さらにキリストによってあがなわれ、神から同じ召命と目的を与えられている。したがって、すべての人が基本的に平等であることは、よりいっそう認められなければならない(現代世界憲章29)」

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現在の日本では、国内避難民という存在は、遠い海外の事としか考えられません。しかし、カトリック難民移住移動者委員会のこの祈願日にあたってのメッセージには、「現代の日本にも多くの「国内避難民」が存在しています。すでに日本で生活しながら、さまざまな理由で家を失い避難している人びとです。非正規滞在となり、長期間入管施設に収容されている人、仮放免されても家が無い人、野宿を強いられている人、「ネットカフェ難民」と呼ばれる人」と記されています。

また難民の方々だけではなくて、いまわたしたちと一緒にこの国でいのちを生きている多くの人が、さまざまな背景を抱えながら、いのちの危機に直面しています。世界各国と同様に日本に住む多くの人がいま、何らかの影響を受け、また孤独のうちに孤立して、いのちの危機に直面しています。東京教区でもCTICカトリック東京国際センターが中心となって、できる限りの援助活動をしていますが、それを一部の特別な活動としておく訳にはいきません。教会であるわたしたち全体が、それぞれできる限りの努力を重ね、社会全体が神のいつくしみを具体的に生きる場となるように変わるための原動力の一つになりたいと思います。

教皇は祈願日のメッセージの終わりに、今般のパンデミックにあって、連帯のうちに協力するように呼びかけ、こう記しています。

「『今は、エゴイズムの時ではありません。・・・』わたしたちの共通の家を守り、神の原初の計画にいっそう近づけるためには、だれをも排除しないかたちで、国際協力、世界的な連帯、地域レベルでの取り組みを確実なものとするよう努めなければなりません」

パウロはフィリピの教会への手紙に、「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れたものと考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」と記していました。

新型コロナウイルス感染症という状況の中で生きているわたしたちは、今年、助け合うために連帯する必要性を感じさせられ、実践させられています。自分だけを守ろうとする心ではなく、「へりくだって、互いに相手を自分よりも優れたものと考え」、互いにいのちを守る努力をいたしましょう。

もちろん思いやりの心を持っての助け合いは、わたしたちキリスト者の専売特許ではありません。しかしながら、福音にあるように、わたしたちは主イエスとの個人的な出会いを通じて、すでにこの事態が起こる遙かに以前から、いつくしみの主に倣い、互いを慮る道へと招かれていました。すでにその招きに従うと、福音に登場する兄弟のように、「お父さん、承知しました」と応えてしまっています。ですから、わたしたちには、その約束を実践することに大きな責任があります。

教会共同体を、社会のただ中にあって、神のいつくしみを提供する場とするように、まず自分自身から、神のいつくしみに生きる人生の歩みをはじめてまいりましょう。

 

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2020年9月24日 (木)

新潟教区司教叙階式@新潟教会

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新潟教区の新しい教区司教、パウロ成井大介司教様の司教叙階式が、9月22日午前10時から、カテドラルである新潟教会で行われました。成井司教様、おめでとうございます。また新潟教区の皆様、成井司教様のご家族の皆さま、心からのお喜びを申し上げます。

だいぶ前から、私の後任となる司教が決まった場合、今度はどのようなお祝いをしたら良いのかを、新潟教区の大瀧事務局長と考えてきました。私が東京大司教に転任したのが2017年の12月ですから、それからほぼ2年半以上の時間がありました。その間、私は新潟教区の使徒座管理者でしたから、毎月一度は新潟へ出かけて、いろいろと相談をしておりました。

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ところが、この感染症の影響で、すべての計画は吹っ飛んでしまいました。そもそも集まることが出来ない。密集、密閉、密接を避けなければなりませんから、できる限り小規模で行わなくてはならない。成井司教様の任命が発表されたときから、非常に悩みました。

しかし、実際にさまざまな対策を講じたことで、かえってふさわしいお祝いが出来たとも感じています。そもそもカテドラルで司教叙階式を行い、司教座への実際の着座も出来ました。2004年に私が新潟で司教叙階されたときは、新潟清心女子校の体育館での式でありました。

また、大きな会場で行えば、たぶん考えることもなかった、ネットでの中継も実現しました。裏方として準備してくださった皆さんに心から感謝します。そしてそんな困難な事情の中で、特に青年たちが中心になって動いてくれました。随所で、数少ない新潟の青年たちが、活躍してくれました。これから成井司教さんと一緒に、新しい新潟教区を生み出していってくれるだろうと、期待しています。

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叙階式は、東京教会管区の管区大司教としてわたしが司式させていただき、その両サイドには、横浜の梅村司教と札幌の勝谷司教がついてくださいました。それ以外に、仙台の管理者である小松神父、さいたまの山野内司教、名古屋の松浦司教、京都の大塚司教、大阪の前田枢機卿と酒井司教、広島の白浜司教が参加してくださいました。

教皇大使は先日帰天されて不在ですので、代理としてトゥミル参事官が参加し、教皇様の任命書を朗読してくださいました。

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成井司教は私と同様、神言修道会の会員ですので、神言修道会の日本管区長ジェブラ神父と、現在は名古屋の南山大学学長でありますが、長いことローマで神言修道会の副総長をしておられたキサラ神父の二人が、全世界の神言会員を代表して参加してくれました。

聖堂内は、距離を保つため、司祭団と、ご家族と、各地区からの代表のみ。全体で70名ほどの参加でしたでしょうか。目の前にいる人数は少なくとも、ネットを通じて、また祈りを通じて、教区全体と日本全体と、そして世界へと繋がっていることを感じる式でありました。ミサの終わりには、サプライズで、青年たちが用意した、教区内の各教会からの写真や動画をつなげ編集したプレゼンもあり、感動の時間でした。

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これで私の新潟での仕事は、すべて終わりました。皆さんに感謝です。ミサの最後に、成井司教と並んで花束をいただけたことは、本当にうれしかったです。あとはすべてを成井司教に任せて、さらなる新潟教区の発展をお祈りします。

叙階式の翌日、天気もよかったので、東京へ戻る前に、新潟教会の周囲を散歩してきました。以前は毎日のように散歩していた道です。新潟は、いつものように、優しく、暖かく、心安まる町でした。またいつか、新潟でお会いしましょう。皆様のお祈りと支えに、心から感謝します。

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2020年9月19日 (土)

年間第二十五主日@東京カテドラル

年間第二十五主日となりました。

本日から、ミサに参加される方の年齢制限を解除いたしました。これまでは75歳以上の方には自宅からお祈りくださるようにお願いしていましたが、現在の対策を忠実に行う限り当面は大丈夫であろうと判断しました。もっとも不安のある方や健康に課題のある方にあっては、これまで通り自宅でお祈りすることを勧めます。また主日のミサ参加義務を、今後も当分の間、免除しております。

ただ慎重な対応はまだまだ必要ですし、これから冬に向かってどのように状況が変化するか分かりませんので、状況に応じて判断をしていくように心掛けます。皆様のご理解と協力を、お願いいたします。

9月20日からの一週間は、叙階の秘跡に関わる週間です。まず20日がわたし自身の司教叙階16年目の記念日であり、なおかつ22日は新潟教区において私の後任となる成井司教の司教叙階式があります。さらに26日の土曜日には、イエズス会の村山師の司祭叙階式も控えています。さらに昨年2月に秋津教会で助祭叙階式を行った御受難修道会の稲葉師の司祭叙階式も、関西で26日に行われるとうかがっています。それぞれ叙階を受けられる皆さんのために、お祈りください。その後、10月3日は、東京教区のホルヘ師の司祭叙階と古市師の助祭叙階も控えております。

以下、本日午後6時からの主日ミサ(公開配信ミサ)の説教の原稿です。

年間第25主日A(公開配信ミサ)
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2020年9月19日

 

「パンデミックは、特に不平等という社会問題を浮かび上がらせ、それを大きくしました」

8月26日にバチカンで行われた一般謁見での、教皇フランシスコの言葉です。

「パンデミックは、特に不平等という社会問題を浮かび上がらせ、それを大きくしました」

教皇の言葉を待つまでもなく、今回の新型コロナウイルスによる感染症は、世界各地で、病気そのものとしてもいのちへの脅威となっていますが、同時に経済の側面からも、いのちへの脅威となっています。

未知の病気に直面して感染症対策をとるにあたり、社会全体が立ち止まらざるを得なかった中で、勢い経済活動は停滞し、特に不安定な雇用状況にある人たちや、援助を必要とする人たちに、いのちへの脅威が襲いかかりました。

教皇は一般謁見で、こう続けています。
「ある人々は家から仕事ができる一方で、他の多くの人にはそれができません。ある子どもたちは、困難にも関わらず、学校教育を受け続けることができますが、他の非常に多くの子どもたちにとっては、その教育はいきなり中断されました。一部の力のある国々は、この危機のために貨幣を発行できますが、他の国々にとって、それは未来を抵当に入れることを意味します。」

途上国などの開発や発展を見守る国連開発計画は、2015年から2030年までの15年間で、持続可能な発展のためのさまざまな目標を掲げ、とりわけ過酷な環境の中でいのちをつないでいる世界の多くの人たちの生活改善に取り組んでいます。

その国連開発計画は、ホームページ上で、今回の事態に直面する中で、「世界の教育、健康、生活水準を総合した尺度である人間開発指数が、今年、測定を開始した1990年以来、初めて減少する可能性があると予測」していると記しています。

2000年からの15年の指針であったミレニアム開発目標と、2015年以降の15年の指針である持続可能な開発目標(SDGs)を実現し、すべての人がそれぞれの人間としての幸福を実感できる世界を目指そうとしていた国際社会は、ゆっくりではあるものの、確実に前進を続けていました。それが、1990年以来はじめて、前進を止め後退する危機に直面しているというのです。

国連開発計画は、「新型コロナウイルスには国境は関係なく、もっとも弱い立場にある人々がもっとも大きな打撃を受け続ける」と警告を発しています。

8月19日の一般謁見で、教皇フランシスコは、今回の感染症への対策には、まず治療法を見つけることと、さらに「社会の不正義、機会の不平等、疎外、もっとも貧しい人の保護」への取り組みという二つのいやしの対応が必要だと指摘し、こう言われました。

「この二つのいやしの対応において、福音書は、不可欠な一つの選択を示しています。それは、貧しい人々への優先的配慮という選択です」

もちろん教会は、これまで長年にわたって、さまざまなレベルでの援助活動や社会福祉に関わる事業を行ってきました。信徒の皆さんにも、教会内外で、積極的に社会貢献の活動をしておられる方が少なくありません。特に近年は、災害などが起こったときに、ボランティアとして現場に駆けつける人も増えてきていますし、そういったボランティア活動自体が、当たり前のこととして社会的に認知されるようになりました。

ただ今回のコロナ禍の事態による影響は、社会のさまざまな方面に及んでおり、日本においても、社会的に、経済的に、また法的に、弱い立場に置かれた多くの人たちを直撃しているという事例を耳にいたします。

本日の福音は、ぶどう園の主人と労働者の話でありますが、実に理解が難しい話でもあり、さまざまな側面から、それを解説することが出来る話でもあります。

そこには、いのちをつなぐために雇ってほしいと願う労働者が描かれ、また一日に5回も広場に出かけていって、そのたびに労働者を雇用するぶどう園の主人が描かれています。

客観的に見るならば、主人が5回も広場に出かけていくことによって多くの労働者が雇われたのですから、喜ぶべき出来事であります。しかしながら、世の常識から言えば、賃金は労働への対価ですから、長く働く方がより多く報いを受けて当然となりますので、なんとも釈然としない話でもあります。ただ単に、この主人のように優しくありなさいと諭す話でもないように思います。

わたしはこのたとえ話は、人間の価値はどこにあるのかを教えている話であると思います。すなわち、どれほど働けるか、どれほど稼いでいるか、どれほど役に立つかと言った価値基準ではないところに、神は人間の価値を見いだしていることを示す話であります。

確かにわたしたちが生きているいまの社会では、どれほど社会に貢献するかが、その人のいのちの価値であるかのように理解されるきらいがあります。

それは障害と共に生きている方々に生きている価値はないと断言していのちを奪った事件のような極端な事例に限らず、例えば、感染症が収束しない中で、感染した人を攻撃するような価値判断にも現されています。病気になって周囲への脅威だからという判断ではなく、社会に対する脅威となったいのちには価値がないという判断を、如実に表している行動です。今回の事態に伴って発生する個人への攻撃や差別的言動の根源には、単なる優しさや思いやりの欠如ではなく、社会を支配する人間のいのちへの価値観が反映されているようにわたしは思います。

「主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる」と記すイザヤ書は、自らが創造されたいのちを決して見捨てようとはしない、神のあわれみ深さを教えています。

「なぜなにもしないで一日中ここに立っているのか」というぶどう園の主人の言葉は、雇われることのなかった労働者が、一日中必死になって働く場所を求めている姿を、「一日中ここに立って」という言い回しから想起させてくれます。必死になっていのちをつなごうと努力する人間のいのちを、無条件に豊かにあわれみで包もうとする父である神の姿勢が、労働の時間に関係なく、おなじように報いを与えるぶどう園の主人の姿に投影されています。いのちを創造し与えられた神は、そのいのちが存在するというその事実だけを持って、すべてのいのちをおなじように愛され、守ろうとされています。そこから離れていくのは神の側ではなく、わたしたちであります。

いのちの危機を肌で感じたこの時だからこそ、わたしたちはあらためて、神の視点から見た人間のいのちの価値を思い起こしたいと思います。わたしたちにいのちを与えられた神が、条件なしにすべてのいのちを愛おしく思うように、わたしたちも、困難に直面する多くのいのちに思いを馳せ、手を差し伸べ、支え合って生きたいと思います。共にいてくださる主に導かれ、すべてのいのちを守るための行動をとり続けたいと思います。

 

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2020年9月18日 (金)

教皇大使追悼ミサ並びに感染症対策の一部緩和について

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9月8日に、ちょうど四ヶ月の闘病生活の後に帰天された駐日教皇大使ジョゼフ・チェノットゥ大司教の追悼ミサが、教皇庁大使館の主催で東京カテドラル聖マリア大聖堂で捧げられました。司式は司教協議会会長の高見大司教で、日本の多くの司教が参加されました。また東京在住の外交団や、政府関係者からもご参列いただきました。感染症対策のため、カテドラルは入場制限をせざるを得ず、信徒の方々の参列はお断りせざるをえず、残念でありました。

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現役の外交官が日本国内で亡くなると言うこと自体が滅多にあることではなく、日本の教会にとっても1983年に現役で亡くなられたガスパリ教皇大使以来の出来事です。教皇庁大使館を中心に、外務省、防衛省、司教協議会、東京教区と調整を行い、典礼や総務に関しては東京教区が担当しました。日本政府からは、現役の特命全権大使逝去にあたり、外交儀礼に則り、自衛隊の儀仗隊が派遣されました。また天皇陛下からは教皇フランシスコ宛に弔電がよせられ、茂木外務大臣や外交団長のサンマリノの大使からの弔辞もいただきました。また祭壇内陣前には、天皇皇后両陛下をはじめ皇族の方々から、花輪がよせられました。

ご遺体は、この後故郷であるインドへ移送され、現地で葬儀が営まれます。チェノットゥ大司教は、インドでもシロ・マラバール典礼(インドに二つあるカトリック東方典礼のひとつ)に属しているため、教皇様からはシロ・マラバール典礼のジョージ・アレンチェリー枢機卿宛に弔電が送られ、ミサの最後に朗読されました。またご遺体はシロ・マラバール典礼の祭服を着用して、棺に納められました。

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9年間に及ぶ日本でのお働きに、心から感謝します。教皇大使には外交官として国際政治における大切な役割もありますが、教会における役割も重要です。私を含め教区の司教は、それぞれが同じ立場で独立して教皇様に直結していますが、その司教と聖座の間を取り次いでくださるのが教皇大使の役割です。チェノットゥ大司教は、生前、精力的に全国各地の教会や修道院を訪問され、よく準備した日本語のメッセージを読まれたり日本語でミサを司式されたりして、大変な「人気者」であったと思います。教会の皆さんにとって、教皇様の代理である大使が各地を訪問し、その実情を知り、励ましてくださることは、大きな喜びであり恵みであったと思います。その働きに対して、豊かな報いが御父のもとで与えられますように。

さて、東京教区の教会は、現在ステージ3の対応を持って感染症対策をしながら、活動を再開していますが、9月19日付で一部制限を緩和いたします。すでに小教区には公示を送付し、また教区のホームページにも掲載してありますが、以下に再掲します。

2020年9月14日
教会活動の制限緩和について

 新型コロナウイルス感染症による社会活動への影響は続いており、いのちを守るための慎重な対応は、まだまだ必要だと考えられます。

 東京教区では、1月末からの感染症対策に始まり、2月27日からは公開ミサを中止とし、その後6月21日から、密集・密接・密閉を避け、人数制限などを行いながら、公開のミサを再開する対応をとってまいりました。感染症対策や年齢制限なども含め、教区の皆様には前例のない忍耐をお願いしております。いのちを守るという積極的な対応の意味を理解してくださり、ご自分の要望を二の次とされ、辛抱強くご協力いただいている多くの皆様のおかげで、これまでのところ、教会共同体におけるクラスターなどの発生は報告されていません。単純に結論づけることは出来ませんが、これは、現在東京教区で採用している感染症対策に一定の効果があることの証左であり、何よりも皆様が積極的にまた誠実に対策を実行してくださっているためであると思います。皆様お一人お一人の忍耐とご協力に、心から感謝申し上げます。

 ステージ3の対応を持って教会活動を再開してから、間もなく3ヶ月となります。それぞれの小教区における感染症対策も、実情に応じてさまざまな修正が現場で行われてきました。これまでは基礎疾患をお持ちの方と、特に75歳以上の高齢者の方々には、ミサへの参加をご遠慮いただき自宅でお祈りするようにお願いしてまいりました。しかし、現状の教会の感染症対策を的確に行うのであれば、高齢の皆様にも安全にミサに参加していただくことは可能であると判断いたしました。

 今後もしばらくはステージ3の対応を継続しますが、75歳という年齢制限については、9月19日(土)以降、行いません。

 ただし、高齢の方や基礎疾患をお持ちの方に、感染した場合の重篤化の高リスクがあることは変わりません。したがって、健康に不安のある方、体調の優れない方、外出に不安のある方は、現在のまま自宅でお祈りください。なお東京教区のすべての方を対象に、主日のミサにあずかる義務を、引き続き当分の間、免除いたします。

 自宅に留まられる場合でも、教会共同体に霊的に一致していることを心にとめてください。また司祭の訪問を希望される場合は、遠慮せずに主任司祭にご相談ください。

<参照>若干の変更があります。変更部分は下線部です。

2020年9月19日以降のステージ3の対応

1: 聖堂内で、互いに1.5から2メートルほどの距離を保つため、入堂人数の制限をします。それが不可能な場合は、聖堂を典礼に使うことはできません。

聖堂内で距離を確保するための具体的な方法について、主任司祭の指示に従ってください。人数制限をお守りください。また、ミサのある教会を求めて、移動することをお控えください。ご自分の所属教会、または共同体の一員となっている教会の指示に従ってください。

2: 高齢の方・基礎疾患のある方には、体調を見極めて、不安がある場合などは、いのちを守ることを優先して、自宅でお祈りください。教会での年齢制限は行いません。

  なお、主日ミサにあずかる義務は、教区内のすべての方を対象に免除します。

3: 1月31日以降の当初から行われてきた手指消毒など感染症対策を充分に行い、換気を保ち、しばらくの間は全員マスクを着用してください。

4: しばらくの間、ミサや集会などで、聖歌を「全員で一緒に歌う」ことを控えてください。オルガン独奏や、距離をあけての独唱、聖歌隊などの少数者による歌唱(広い空間がある場合のみ)などは可能です。

5: しばらくの間、ミサでの奉納も行いません。またしばらくの間、聖体拝領はできる限り、直前に消毒をした手でお受けください。口での拝領を希望される方は、特に司祭の手指を介した感染を防ぐため、事前に司祭にご相談ください

6: ミサ以外の会議などは、通常の室内定員の半分程度であれば、上記3のような対策をした上で、互いの距離をとり、時間をなるべく短くして行ってください。

付記:75歳以上の司祭にあっても、司式や聖体授与を行って構いません。聖体を授ける司祭や臨時の奉仕者は、必ず直前に手指を消毒し、マスクを着用してください。信徒の方に「聖体授与の臨時の奉仕者」をお願いすることも、主任司祭の判断にゆだねます。

 

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2020年9月12日 (土)

年間第24主日@東京カテドラル

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年間第24主日となりました。

9月8日に駐日教皇大使ジョゼフ・チェノットゥ大司教様が帰天されました。76歳でした。大使は、すでに昨年役職の定年を過ぎておられましたが、教皇訪日の準備にあたるために延長されておられ、2011年10月に来日されてからほぼ9年という、長い在任となりました。教皇訪日の準備には心身共に疲れられたことと思いますが、年明けには楽しみにしておられた休暇での故郷インド訪問も、新型コロナ感染症のために取りやめとなり、東京の大使館で自粛生活が続いておりました。そのなか、5月8日早朝に自室で倒れられ、駿河台日大病院で緊急手術を受けられました。脳梗塞と聞いていますが、倒れたときにさまざまな損傷を受けた模様で、複雑な手術が数回続きました。残念ながら、現在の感染症の状況の中、面会は大使館関係者に限定されておりました。その後、意思の疎通も可能になってきたことから、8月初めに聖母病院へ転院。なんとか車椅子でもインドへ帰ることが出来るようにと懸命な闘病生活が続きました。故郷のインドの親戚の方も来日することも出来ず、最後はオンラインでなんとか見舞いをすることが出来たとうかがいました。

葬儀はインドの故郷で行われますが、その前に日本でも追悼ミサを行う予定で調整中です。なにぶん現役の外国大使の帰天ですので、日本政府も関わる調整となります。日時については決定次第、大使館から公表されるものと思います。またこういった状況ですから、多くの方に参列いただけませんので、インターネット中継も行われる予定です。

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大使は、2011年来日直後、仙台で開催されていた日本と韓国の司教団の集いに出席され、一緒に石巻を訪問されました。そのときからいまに至るまで、東北の復興には常に思いを寄せてくださいましたし、それを教皇様にもしばしば伝えてくださいました。そういった配慮が、昨年の教皇訪日にあって、教皇様ご自身から、東日本大震災の被災者との集いを行いたいというリクエストとなりました。

また教皇大使の重要な役割の一つが、司教選任手続きにありますが、チェノットゥ大使の最初の選任手続きは札幌の勝谷司教でした。ちょうどそのときわたしが札幌教区の使徒座管理者を兼任していましたので、何度も何度も、丁寧なやりとりを重ねたことを覚えています。

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チェノットゥ大司教の長年の教会への貢献と信仰のあかしに、御父が豊かに報いてくださいますように。R.I.P.

また今朝ほど入ってきたニュースでは、福音宣教省長官で前のマニラ大司教であったタグレ枢機卿が、所用でマニラに到着した際、空港で受けた検査で新型コロナ陽性となったとのこと。症状はないとのことですから、安心しましたが、枢機卿の健康のためにお祈りください。

東京教区では、現在の検査陽性者などの状況から、感染対策のステージは変更しないものの、いくつかの制限を変更することを検討しており、最終調整中です。9月14日月曜日の午後に、公表いたしますのでお待ちください。ただし、まだ慎重な対応は不可欠だと思いますので、大きな緩和は難しいと思われます。

以下、本日土曜日の夕方6時から関口教会の主日ミサ(公開配信)で行った、ミサ説教の原稿です。

間第24主日A(公開配信ミサ)
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2020年9月12日

 

「あわれみ豊かな神をイエス・キリストは父として現してくださいました」
教皇ヨハネパウロ二世の回勅「いつくしみ深い神」は、この言葉で始まります。

その上で教皇は、社会をさらに人間的にすることが教会の任務であるとして、こう指摘します。
「社会がもっと人間的になれるのは、多くの要素を持った人間関係、社会関係の中に、正義だけでなく、福音の救世的メッセージを構成しているいつくしみ深い神を持ち込むときです。(14)」

本日の第一朗読であるシラ書も、マタイ福音も、ゆるしと和解について記しています。

自分と他者とのかかわりの中で、どうしても起こってしまう対立。互いを理解することが出来ないときに裁きが起こり、裁きは怒りを生み、対立を導き出してしまいます。シラ書は、人間関係における無理解によって発生する怒りや対立は、自分と神との関係にも深く影響するのだと指摘します。他者に対して裁きと怒りの思いを抱いたままで、今度は自分自身が神との関係の中でゆるしをいただくことは出来ない。

当然わたしたちは、神の目においては足りない存在であり、神が望まれる道をしばしば外れ、繰り返し罪を犯してしまいます。そのたびごとに神に許しを請うのですが、神はまず、自分と他者との関係を正しくせよと求めます。ゆるしと和解を実現しなければ、どうして神にゆるしを求めることが出来るだろうかと、シラ書は指摘します。

マタイは、借金の帳消しに関わる王と家来とその仲間の話を持ち出し、イエスの言葉として、「七回どころか七の七十倍までもゆるしなさい」と言う言葉を記しています。もちろん490回ゆるせばよいという話ではなく、七の七十倍という言葉で、ゆるしの限りない深さを示します。

なぜゆるし続けなくてはならないのか。それをパウロはローマの教会への手紙で、「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです」と記すことで、わたしたちの人生は、主ご自身が生きられたとおりに生きることが目的なのだと指摘します。

そして、わたしたちが倣おうとしている主イエスは、自らの命を奪う者を十字架上でゆるすかたであり、まさしくヨハネパウロ二世が言われるように、「あわれみ豊かな神を・・・父として現して」くださる方です。ですからわたしたちは、あわれみ・いつくしみそのものである神に倣い、徹底的にゆるし、和解への道を歩まなくてはならず、それはわたしたち一人ひとりの性格が優しいからではなくて、主イエスに従うのだと人生の中で決めたのだからこそ、そうせざるを得ないのであります。

わたしたちはこのところ、どちらへ進んだらよいのか迷い続けるはっきりとしない状況の中に取り残されているような思いを抱いています。感染症の事態は終息はせず、今日もまた、懸命にいのちを守るため努力を続ける医療関係者の方々がおられます。医療関係者の働きに敬意を持って感謝すると共に、迷い続けながらも、やはりいのちを守るために慎重な行動をとりながら、わたしたちもともに最善の道を模索し続けていきたいとおもいます。

人生には不確定要素がつきものだとはいえ、いわば五里霧中のような状態が続けば続くほど、わたしたちは不安が増し、心に壁を築き上げ、自分を守ろうとするがあまり、人間の身勝手さが社会の中で目につくようになってしまいます。

自粛警察などという言葉も聞かれましたが、他者の言動に不寛容になるのは、自分の世界を守ろうとする心の壁を強固に築き上げているからではないでしょうか。徹底的に異質なものを排除し、心の安定を得ようとするのは、それだけ心に余裕が失われているからではないかと思います。攻撃的な声もそこここに聞こえてきます。感染症に限らず、例えば暴力的な行為の被害を受けた人に対する攻撃的な言動には、理不尽さを越えて、いのちに対する暴力性すら感じさせられます。わたしたちは、心を落ち着けて、何を大切にしなくてはならないのかを、今一度心に思い起こしたいと思います。

東京ドームでのミサ説教で、教皇フランシスコは、「キリスト者にとって、個々の人や状況を判断する唯一有効な基準は、神がご自分のすべての子どもたちに示しておられる、いつくしみという基準です」と指摘されました。

またこのカテドラルに集まった青年たちに、「恐れは、つねに善の敵です。愛と平和の敵だからです。優れた宗教は、それぞれの人が実践している宗教はどれも、寛容を教え、調和を教え、いつくしみを教えます。宗教は、恐怖、分断、対立を教えません。わたしたちキリスト者は、恐れることはないと弟子たちにいわれるイエスに耳を傾けます。どうしてでしょうか。わたしたちが神とともにおり、神とともに兄弟姉妹を愛するならば、その愛は恐れを吹き飛ばすからです」と呼びかけられました。

長期にわたる感染症の事態のなかにあって、あらためてこの教皇の言葉を思い起こしたいと思います。いまわたしたちに必要なのは、愛と平和のための行動であり、いつくしみという判断基準です。

もっとも、神のいつくしみは、ただただ優しければよい、何でもかんでも咎めることなくゆるせばよいと言っているわけでもありません。何でもゆるされて、何をしても良いというのであれば、この社会に共同体は存在できません。わたしたちは、ただばらばらになってしまうだけだからです。七の七十倍のたとえは、犯した罪の責任を免除するものではありません。

教皇ヨハネパウロ二世は、回勅「いつくしみ深い神」にこう記しています。
「出し惜しみしないでゆるす要求が、正義の客観的諸要求を帳消しにするわけではないことは言うまでもありません。・・・福音のメッセージのどのあたりを見ても、ゆるしとか、ゆるしの源泉であるいつくしみは、悪とか人をつまずかせることとか、損害をかけ侮辱したりするのを許容するゆるしというような意味ではありません。どんなときでも、悪とか、人をつまずかせたこととかは償い、損害は弁償し、侮辱は埋め合わせをするのがゆるしの条件となっています。(14)」

他者の言動を裁くのは、常にわたしたちにとって大きな誘惑の一つです。特に不安と不確実さが社会を支配するとき、その原因を求めて他者を裁いてしまう誘惑が増大します。教会共同体の中にさえ、互いを裁く傾向があることは、何年も前から指摘されてきたことでした。わたしたちは常に、裁きの共同体ではなく、ゆるしと和解の共同体になりたいと思います。

教皇フランシスコの指摘です。「必要なのは、自分の過去を振り返って祈り、自分自身を受け入れ、自分の限界をもって生きることを知り、そして、自分をゆるすことです。他者にも同じ姿勢でいられるようにです。(「愛のよろこび」107)

いつくしみそのものである神に倣い、互いにゆるしと和解を実現し、神の正義に支配される社会の実現を目指していきましょう。

 

 

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2020年9月 5日 (土)

年間第23主日@東京カテドラル

Tokyolaudatosi

9月に入りました。最初の日曜日は被造物を大切にする世界祈願日です。

また今年から、9月1日から10月4日までは、教皇フランシスコ訪日を記念して、「すべてのいのちを守るための月間」となっています。これについて解説する司教協議会会長高見大司教の文章の註には、次のように記されています。

「すでに正教会は、コンスタンティノープル全地総主教ディミトリオス一世のイニシアティブにより、1989年から9月1日を「被造物の保護を祈る日」としていました。その後2007年に開催された第3回ヨーロッパエキュメニカル会議において、その9月1日からアシジの聖フランシスコの記念日である10月4日までを「被造物のための期間」とすることが提唱され、世界教会会議(WCC)がそれを支持し、現在では「被造物の季節(Season of Creation)」としてエキュメニカルな年間行事になっています」(全文はこちら

すなわち9月は、日本のカトリック教会だけではなく、世界中のキリスト者が、ともに天地の創造主である御父の与えてくださった共通の家のために、思いを馳せ、心を砕き、祈りをささげる「とき」です。

東京教区のホームページには、FABCの人間開発局(OHD)が整えた毎日の祈りの翻訳が掲載されています。すでに触れたように、原文が送付されてきたのが8月末で、9月に間に合わせるため、教区本部広報担当が急遽翻訳してくれました。短いけれど、豊かなテーマの祈りです。ご活用いただければと思います。リンクはこちらです

さて、新型コロナウイルスの感染は、毎日新規に公表されるPCR検査の陽性者数が、若干低い数字で推移しているようですし、このところ東京の実効再生産数も1を切る日が続いています。まだまだ慎重な対応が必要ですが、現在の教会における感染症対策としての活動制限を、多少緩和することが出来るかどうか、意見を交換中です。とはいえ、即座に制限を撤廃できる要素はあまりありませんから、しばらくは慎重な対応が必要だと判断しています。したがって、9月6日から13日までの一週間も、これまで通りの感染症対策を継続します

以下、本日の東京カテドラルにおける公開配信ミサの説教原稿です。

年間第23主日A
東京カテドラル聖マリア大聖堂(公開配信ミサ)
2020年9月6日
被造物を大切にする世界祈願日

 

「ラウダート・シ、ミ・シニョーレ(わたしの主よ、あなたはたたえられますように)」というアシジの聖フランシスコのことばで始まる回勅「ラウダート・シ」を2015年に発表された教皇フランシスコは、翌年から9月1日を、「被造物を大切にする世界祈願日」と定められました。日本の教会は、9月1日が平日となることも多いことから、その直後の日曜日を、この特別な祈願日と定めています。今年は9月6日が、「被造物を大切にする世界祈願日」であります。

教皇はこの祈願日について、2016年の最初のメッセージで、「被造物の管理人となるという自らの召命を再確認し、すばらしい作品の管理をわたしたちに託してくださったことを神に感謝し、被造物を守るために助けてくださるよう神に願い、わたしたちが生きているこの世界に対して犯された罪へのゆるしを乞うのにふさわしい機会」となる日であると述べています。

教皇フランシスコが語る被造物への配慮とは、単に気候変動に対処しようとか温暖化を食い止めよういう環境問題の課題にとどまってはいません。「ラウダート・シ」の副題として示されているように、教皇がもっとも強調する課題は「ともに暮らす家を大切に」することであり、究極的には、「この世界でわたしたちは何のために生きるのか、わたしたちはなぜここにいるのか、わたしたちの働きとあらゆる取り組みの目標はいかなるものか、わたしたちは地球から何を望まれているのか、といった問い」(160)に真摯に向き合うことを求めているものです。

そのために教皇は、「あらゆるものは密接に関係し合っており、今日の諸問題は、地球規模の危機のあらゆる側面を考慮することの出来る展望を」(137)必要とすると指摘し、それを総合的エコロジーの視点と呼んでいます。

そこでは、わたしたちが暮らす「共通の家」で発生しているすべての課題が教会の、そして全人類の取り組むべき課題であって、全体を総合的に考察することの重要性が強調されています。

日本の教会は、昨年の教皇訪日を記念し、今年からこの世界祈願日にあわせて、9月1日からアシジの聖フランシスコの祝日である10月4日までを、「すべてのいのちを守るための月間」と定めました。

日本の司教団は呼びかけのメッセージで、「すべてのいのちを守るためには、ライフスタイルと日々の行動の変革が重要であることはいうまでもありませんが、とくにこの月間に、日本の教会全体で、すべてのいのちを守るという意識と自覚を深め、地域社会の人々、とくに若者たちとともに、それを具体的な行動に移す努力をしたいと思います」と、その趣旨を説明しています。

パウロはローマの教会への手紙で、「そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません」と記していました。

パウロは隣人への愛こそが、すべての掟の根本にあるのだと強調します。

おなじように、「共通の家」への配慮も、単に住環境をよくしたいとか健康を守りたいとか、自分の利益を中心にした考えではなく、まさしく自分以外のすべての人に対する愛、隣人への愛に基づく配慮であり、行動です。

新型コロナウイルス感染症によってもたらされた混乱の中に、わたしたちは立ちすくんでいます。今回の事態は、わたしたちに価値観を転換する機会を提供しています。これまで生活のために不可欠だ、変えることは出来ないと思われていたことが、実は他にも選択肢があり得ること、変える可能性があることを、今回の事態は教えています。

もちろん感染拡大以前の世界に戻ることが一番簡単でしょう。しかし今回の事態は、いのちを守るために、わたしたちは何を大切に生きるのかを問いかけています。隣人への愛を生きるために、どのような道を歩むべきなのかを、問いかけています。共通の家を守るために、何を選び、何を捨て去るのかと、問いかけています。

しばしば耳にするようになった「新しい生活様式」とは、単に物理的な行動の変革で感染を防止しようという消極的な視点に留まらず、神からのたまものであるいのちを守るために、いったい人類が何を優先するべきなのかを今一度考え直し、隣人愛に基づいていのちを生きる新たなスタイルを確立するように求める概念であるように思います。

しかしながら同時に、「共通の家」への配慮は、単に表面的な行動の改革を求めているものではありません。

教皇は「ラウダート・シ」に、こう記しています。
「『内的な意味での荒れ野があまりにも広大であるがゆえに、外的な意味での世の荒れ野が広がっています』。こうした理由で、生態学的危機は、心からの回心への召喚状でもあります。」(217)

その上で、教皇フランシスコは、「必要なものは『エコロジカルな回心』であり、それは、イエス・キリストとの出会いがもたらすものを周りの世界とのかかわりの中であかしさせます。(217)・・・永続的な変化をもたらすために必要とされるエコロジカルな回心はまた、共同体の回心でもあるのです」(219)と指摘されています。

わたしたちは賜物として与えられているいのちを、一人で生きてはいません。創世記に記されているように「「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう(創世記2章18節)」と言われて、神はいのちを与えてくださいました。ですからわたしたちには、「共通の家」にあって互いに助ける者として存在し、互いへの愛、すなわち隣人愛の実践において、いのちを守る務めがあります。

「この世界でわたしたちは何のために生きるのか、わたしたちはなぜここにいるのか、わたしたちの働きとあらゆる取り組みの目標はいかなるものか、わたしたちは地球から何を望まれているのか、といった問い」に答えを見いだそうとすることは、まさしく回心の第一歩であり、わたしたちはその回心を共同体として共に行わなければなりません。そしてその回心こそが、わたしたちを信仰における「新しい生活様式」へと導いてくれるでしょう。

福音にあるように、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」という、主ご自身の約束に信頼するとき、共同体としての回心の歩みには、常に主ご自身が同伴してくださることをわたしたちは確信します。

与えられた賜物であるいのちを大切にし、互いのいのちを守り、神によって創造された「共通の家」を大切にしながら、福音に基づいた生きる道を模索し続けましょう。

 

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2020年9月 1日 (火)

すべてのいのちを守るための月間(9月1日から10月4日まで)

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教皇フランシスコは、2015年に回勅「ラウダート・シ ともに暮らす家を大切に」を発表され、全世界の人に向けて、「私たちの共通の家」という総合的な視点から、エコロジーの様々な課題に取り組むことを呼びかけられました。その上で教皇は、毎年9月1日を「被造物を大切にする世界祈願日」と定められました。日本ではこの世界祈願日を9月最初の主日と定めていますので,今年は9月6日が祈願日です。

 

この日は、東方正教会の兄弟姉妹との一致のうちに、また他の教派やキリスト教共同体とともに、「被造物の管理人となるという自らの召命を再確認し、すばらしい作品の管理をわたしたちに託してくださったことを神に感謝し、被造物を守るために助けてくださるよう神に願い、わたしたちが生きているこの世界に対して犯された罪へのゆるしを乞う(2016年教皇メッセージ)」日です。すなわち、環境問題への行動を促し,生きる姿勢において回心を求める日でもあります。

 

日本の司教団は、昨年11月の教皇訪日を受けて,教皇フランシスコが日本から世界に向けて発信されたさまざまなメッセージを具体的に生きていくために、訪日のテーマである「すべてのいのちを守るため-Protect All Life」を深め、黙想し,祈り、行動するために、特別な期間を設けることにしました。「ラウダート・シ」に記されたメッセージこそ,教皇が日本から世界に向けて語られた、賜物であるいのちへの強い思いを具体化するものです。

 

そこで日本の司教団は、9月1日から10月4日(アシジの聖フランシスコの記念日)までを、「すべてのいのちを守るための月間」と定めました。司教協議会会長の髙見大司教様は、「すべてのいのちを守るためには、ライフスタイルと日々の行動の変革が重要であることはいうまでもありませんが、とくにこの月間に、日本の教会全体で、すべてのいのちを守るという意識と自覚を深め、地域社会の人々、とくに若者たちとともに、それを具体的な行動に移す努力をしたい」と呼びかけておられます。

 

今年は新型コロナウイルス感染症対策のため,教会における特別な行事などを制限せざるを得ませんが、教皇様の呼びかけを心にとめ,司教団で用意した祈りなどを共に祈りながら、「私たちの共通の家」への心遣いを深め、また私たち一人一人の回心のときとしていただきますように,お願いいたします。

なお東京大司教区ホームページに特設サイトを設けています。こちらのリンクです。

また同じ期間を、全世界の教会も被造物を大切にする月間としています。ご存じのように、この一年、来年の5月までは、教皇様が定めた「ラウダート・シ」特別年の最中です。

それと併せて,数日前にアジア司教協議会連盟(FABC)の人間開発局(Office for Human Development)から,この特別月間のための祈りが送付されてきました。この祈りには、FABCの会長であるミャンマーのチャールズ・ボー枢機卿のメッセージがつき、環境問題に取り組んでいるインドのOHD事務局担当者が作成した祈りや聖体礼拝の手引き、さらには毎日の祈りが添付されていました。

日本の司教団の公式の翻訳ではなく、東京大司教区の広報担当者が,3日4日ほどの時間しかないなかで,すべて翻訳してくれましたので、ホームページに掲載してあります。

通常こうした祈りは,翻訳後に,典礼の専門家などの校閲や助言を経てから公開されるものですが、なんといっても今日から始まる月間ですし、送付されてきたのが先週ですから(日本人も、みんな英語がわかると思われているのかもしれません)、まだ専門家の校閲をしていない荒削りの翻訳ですし、言葉ももう少し練る時間があれば良かったのですが、その作業をしていては9月はあっという間に終わってしまいます。それではあまりにもったいないですので、このまま掲載することにしました。皆様の霊的成長の一助となることを願っています。

 

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