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2020年9月26日 (土)

年間第26主日(世界難民移住移動者の日)@東京カテドラル

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9月最後の主日は、世界難民移住移動者の日と定められています。この日にあたって教皇様もメッセージを発表されています。(教皇メッセージは、こちらのリンクから、中央協議会のサイトでご覧ください)

残念なお知らせですが、東京教区司祭、フランシスコ・ザベリオ岸忠雄神父様が、9月24日(木)午後2時5分、老衰のために、入居先のベタニアホームにて帰天されました。享年87歳でした。 ベテラン司祭をまたひとり失いました。岸神父様の永遠の安息のためにお祈りください。

岸神父様の通夜は9月27日(日)午後6時から、葬儀ミサは9月28日(月)午前11時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われます。聖マリア大聖堂は現在、感染症対策のため入場制限をしておりますので、葬儀ミサ前にお別れの祈りをささげる時間を設けます。

9月28日月曜日、午前9時半から10時半まで、岸神父様のご遺体を大聖堂に安置いたしますので、お別れの祈りの時としていただければと思います。

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以下、本日土曜日の夕方6時からささげた、年間第26主日ミサの説教原稿です。

年間第26主日A(公開配信ミサ)
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2020年9月26日
世界難民移住移動者の日

「最高の福音宣教者であり、ご自身が福音そのものであるイエスは、もっとも小さい人と特別に同じ者となりました。(「福音の喜び」209)」

「福音の喜び」にそのように記された教皇フランシスコは、2013年の教皇就任直後に、地中海に浮かぶイタリア領の島ランペドゥーザに赴かれ、アフリカから逃れてきた難民の人たちと出会い、彼らのために、また海の上で生命を落とした多くの人たちのために、祈りをささげられました。さらには、助けを求めている人たちの悲しみや苦しみに気がつくことのなかった怠りの罪を認め、ゆるしを願われました。それ以来、助けを必要としている人、社会の主流から忘れ去られている人、法的に困難な状況の中でいのちをつないでる人たちへの心配りを最優先とする姿勢は、教皇フランシスコの言葉と行いを通じて明確に現されてきました。

教皇は「福音の喜び」に、「そこにおられるキリストに気づくよう、わたしたちは招かれているのです。すなわち、家のない人、依存症の人、難民、先住民族、孤独のうちに見捨てられてしまう高齢者などのことです」と記され、神のいつくしみそのものである主イエスに倣い、教会が、そしてわたしたちがいつくしみの無償で無尽蔵な提供者となるように、呼びかけられます。

教会は、9月最後の主日を、「世界難民移住移動者の日」と定め、「各小教区とカトリック施設が、国籍を超えた神の国を求めて、真の信仰共同体を築き、全世界の人々と『共に生きる』決意を新たにする日」(中央協HP)としています。

教皇は今年のテーマを、「イエス・キリストのように、逃れざるをえない国内避難民を受け入れ、守り、促し、彼らと共生する」と定められました。

特に新型コロナウイルス感染症が蔓延する中で、政治経済の状況が不安定ないわゆる途上国にあっては、経済が悪化し医療資源も逼迫する中で、貧富の格差がさらに拡大していると伝えられます。とりわけ政情が不安定である地域にあっては、これまでも課題であった国内避難民が、公的な保護を受けられないことにより、いのちの危機に直面している状況が伝えられています。

教皇は今年の祈願日のメッセージにおいて、世界が感染症対策にばかり目を奪われている陰で、「大勢の人々を苦しめている他の多くの人道的緊急事態が過小評価され、人命救済のため緊急で欠くことのできない国際的な取り組みや援助が、国の政策課題の最下位に押しやられていることは確か」だと指摘します。

その上で教皇は、「今は忘れる時ではありません。自分たちが直面しているこの危機を理由に、大勢の人を苦しめている他の緊急事態を忘れることがあってはなりません」と呼びかけておられます。

また教皇は、そういった困難に直面する人たちの現実を知り、歩みをともにする姿勢こそは、いのちの危機に直面する今だからこそ、普遍的に必要な生きる姿勢であることを思い起こすように呼びかけます。すなわち、社会にあって弱い立場に置かれている人たちへの特別な配慮が、ひいては社会全体を、神のいつくしみに導かれた生きる姿勢を優先する場に変えていくのだと、教皇は主張されています。

神からのたまものであるいのちをいただいて、共に支え合いながら生きているわたしたちは、性格としての優しさの故に助け合うのではなく、与えられたいのちには神に由来する尊厳があるからこそ、互いに手を差し伸べ合い、いつくしみを目に見える形にして生きていきます。それは例えば、第二バチカン公会議の現代世界憲章に、こう記されています。

「すべての人は理性的な霊魂を恵まれ、神の像として造られ、同じ本性と同じ根源をもち、さらにキリストによってあがなわれ、神から同じ召命と目的を与えられている。したがって、すべての人が基本的に平等であることは、よりいっそう認められなければならない(現代世界憲章29)」

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現在の日本では、国内避難民という存在は、遠い海外の事としか考えられません。しかし、カトリック難民移住移動者委員会のこの祈願日にあたってのメッセージには、「現代の日本にも多くの「国内避難民」が存在しています。すでに日本で生活しながら、さまざまな理由で家を失い避難している人びとです。非正規滞在となり、長期間入管施設に収容されている人、仮放免されても家が無い人、野宿を強いられている人、「ネットカフェ難民」と呼ばれる人」と記されています。

また難民の方々だけではなくて、いまわたしたちと一緒にこの国でいのちを生きている多くの人が、さまざまな背景を抱えながら、いのちの危機に直面しています。世界各国と同様に日本に住む多くの人がいま、何らかの影響を受け、また孤独のうちに孤立して、いのちの危機に直面しています。東京教区でもCTICカトリック東京国際センターが中心となって、できる限りの援助活動をしていますが、それを一部の特別な活動としておく訳にはいきません。教会であるわたしたち全体が、それぞれできる限りの努力を重ね、社会全体が神のいつくしみを具体的に生きる場となるように変わるための原動力の一つになりたいと思います。

教皇は祈願日のメッセージの終わりに、今般のパンデミックにあって、連帯のうちに協力するように呼びかけ、こう記しています。

「『今は、エゴイズムの時ではありません。・・・』わたしたちの共通の家を守り、神の原初の計画にいっそう近づけるためには、だれをも排除しないかたちで、国際協力、世界的な連帯、地域レベルでの取り組みを確実なものとするよう努めなければなりません」

パウロはフィリピの教会への手紙に、「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れたものと考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」と記していました。

新型コロナウイルス感染症という状況の中で生きているわたしたちは、今年、助け合うために連帯する必要性を感じさせられ、実践させられています。自分だけを守ろうとする心ではなく、「へりくだって、互いに相手を自分よりも優れたものと考え」、互いにいのちを守る努力をいたしましょう。

もちろん思いやりの心を持っての助け合いは、わたしたちキリスト者の専売特許ではありません。しかしながら、福音にあるように、わたしたちは主イエスとの個人的な出会いを通じて、すでにこの事態が起こる遙かに以前から、いつくしみの主に倣い、互いを慮る道へと招かれていました。すでにその招きに従うと、福音に登場する兄弟のように、「お父さん、承知しました」と応えてしまっています。ですから、わたしたちには、その約束を実践することに大きな責任があります。

教会共同体を、社会のただ中にあって、神のいつくしみを提供する場とするように、まず自分自身から、神のいつくしみに生きる人生の歩みをはじめてまいりましょう。

 

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