週刊大司教第四回:待降節第一主日
待降節が始まりました。主の再臨を待ち望むわたしたちの信仰をあらためて見つめ直し、また御言葉が人となられた受肉の神秘を祝い感謝するための心の準備をする季節です。
ここ数日、東京をはじめ各地では、新型コロナウイルスの検査陽性者が増大しています。第三波が到来しているという指摘も耳にいたします。教会のさまざまな活動における感染対策を、あらためて確認いたしましょう。長期の対応ですので、慣れてしまって危機感を失っている可能性があります。まだ収束していないどころか、あらためて拡大していると思われます。週明けには多少の活動制限について注意喚起を発出する予定で調整中です。基本の手洗い・消毒、マスクの着用を忘れず、適切な距離を保ちながら、密集・密接で大きな声を出すことを避け、換気に留意する。こういった基本を忘れることのないように心掛けましょう。
本日28日には、バチカンにおいて枢機卿会が開催され、13名の新しい枢機卿が親任されます。アジアからはフィリピン中部カピス教区のホセ・アドビンクラ大司教とブルネイ使徒座代理区長のコルネリウス・シム司教が含まれています。残念ながら、アジアからのお二人は、旅行制限のためバチカンに赴くことが出来ず、後日、教皇大使からビレッタや指輪を授与される予定となっていますが、新しい枢機卿様方のためにお祈りください。
特にブルネイのシム枢機卿は、全国で43万ほどの人口の中で信徒総数が2万人弱。教区(使徒座代理区)には司祭が3名(総数です)しかいないという厳しい状況の中で、司牧活動を続けてこられた方です。ブルネイの教会のためにもお祈りください。
なおそのほか、本日親任される枢機卿は、以下の方々です。(中央協議会のホームページより転載)
〔80歳未満の9人〕
- マリオ・グレック司教(教皇庁シノドス事務局長、マルタ、63歳)
- マルチェッロ・セメラーロ司教(教皇庁列聖省長官、イタリア、72歳)
- アントワヌ・カンバンダ大司教(ルワンダ・キガリ教区、ルワンダ、61歳)
- ウィルトン・グレゴリー大司教(米国ワシントン教区、米国、72歳)
- ホセ・アドビンクラ大司教(フィリピン・カピス教区、フィリピン、68歳)
- セレスティノ・アオス・ブラコ大司教(チリ・サンティアゴ教区、カプチン・フランシスコ修道会、スペイン、75歳)
- コルネリウス・シム司教(ブルネイ使徒座代理区長、ブルネイ、69歳)
- アウグスト・パオロ・ロユディーチェ大司教(イタリア・シエナ教区、イタリア、56歳)
- マウロ・ガンベッティ神父(アッシジ聖フランシスコ修道院院長、コンベンツアル聖フランシスコ修道会、イタリア、54歳)
〔80歳以上の4人〕
- フェリペ・アリスメンディ・エスキベル名誉司教(メキシコ・サンクリストバル・デ・ラス・カサス教区、メキシコ、80歳)
- シルヴァーノ・トマーシ大司教(元教皇庁大使、イタリア、80歳)
- ラニエロ・カンタラメッサ神父(教皇付き説教司祭、カプチン・フランシスコ修道会、イタリア、86歳)
- エンリコ・フェローチ神父(ローマ教区司祭、元カリタスローマ責任者、イタリア、80歳)
以下、本日の週刊大司教でのメッセージの原稿です。
待降節第一主日(週刊大司教メッセージ)
2020年11月29日誰ひとりとして、この世界で永遠に生き続ける者はいない。それをわたしたちは知っています。さまざまな人生を、さまざまな時間のスパンの中で生きていくとしても、すべての人に必ず終わりがやってくる。ただ、その終わりのときは遙か彼方だと思い込んでいるにすぎません。
同時に、自分に与えられた時間には限りがあることを知っているからこそ、自分が生きている間には困難が起こらないようにと、問題を先送りすることもしばしばあります。とりわけ問題の解決に乗り出したときの負のインパクトが大きければ大きいほど、解決を先延ばしにしようとします。
まるで時間が困難を解決してくれるのだと言わんばかりに、問題への取り組みを先送りして、今のこの刹那を安楽に暮らそうと考える誘惑があります。確かに、以前は治療が困難であった難病にも、時間の経過と共に新しい薬品や治療法が開発され、過去には不治の病であったものが、今や治癒可能となった例も少なくありません。現在の新型コロナ感染症にしても、時間が経過すれば、何らかの解決法が見いだされると信じています、実際には何の根拠もありません。仮にそうであったとしても、それは単に無為に過ごした時間の積み重ねが問題を解決するのではなく、その間に注ぎ込まれた多くの専門家の地道な研究や努力の積み重ねの結果であります。普段からの地道な積み重ねがないところには、いくら時間を費やしたとしても、新たな変革は訪れません。未来の光のためには、困難な中にあっても常に地道な努力の積み重ねを怠ってはなりません。
教皇フランシスコは回勅「ラウダート・シ」において、「もはや、世代間の連帯から離れて持続可能な発展を語ることは出来ません」と指摘されました。(159)
教皇はより良い世界を実現するためには、刹那的な自己中心の考え方だけではなく、共通善に基づいて、将来世代への責任も視野に入れよと説いて、次のように指摘されます。
「わたしたちがいただいたこの世界は後続世代にも属するものゆえに、世代間の連帯は、任意の選択ではなく、むしろ正義の根本問題なのです。」(159)
その上で教皇は、「わたしたちは、後続する世代の人々に、いま成長しつつある子どもたちに、どのような世界を残そうとするのでしょうか。・・・どのような世界を後世に残したいかと自問するとき、わたしたちはまず、その世界がどちらに向かい、どのような意味を帯び、どんな価値があるものなのかを考え」なければならないと指摘されています。(160)
わたしたちには、どのような世界を後世に残していくのかという先送りすることの出来ない課題があります。その課題は、この世界で生きる意味をあらためて問い直す、言うならば結構しんどい挑戦、すなわち生き方の見直しという問いかけに直面することを求めています。
教皇は現在のパンデミックの状況の中で、未来を見据えて連帯するようにと、こう呼びかけられます。
「現代における連帯は、パンデミック後の世界に向けて、また、わたしたちの人間関係や社会の病のいやしに向けて、たどるべき道です。それ以外に道はありません。連帯の道をたどるか、事態を悪化させるか、どちらかです(9月2日の一般謁見)」
「目を覚ましていなさい」と言う主の呼びかけは、単に覚醒していること自体を指すのではなく、未来を見据えて、今を生きるわたしたちが、将来世代との連帯の中で、被造物の管理を任された僕としての責任ある行動をとるように求めています。現実社会において世界的な連帯は、まだ夢物語であります。地道に、連帯の必要性を呼びかけ、また自らも行動し続けたいと思います。
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