吉祥寺教会で堅信式
11月15日の日曜日に、吉祥寺教会で29名の方の堅信式と、3名の方の初聖体ミサを捧げました。
新型コロナの感染が継続する中、バチカンからは様々な指示が送付されてきておりますが、堅信の秘跡の授け方についても、過日、典礼秘跡省から指示がありました。今回のコロナ禍という緊急事態にあって、個々の堅信を授ける際に、直接頭に按手することが秘跡の要件として不可欠かどうかと言う問いに対して、典礼秘跡省は、塗油前の按手の祈り(聖霊の七つの賜物を願う祈り)において、司祭が手をさしのべることで十分であると回答。また塗油の際には、直接親指で聖香油を塗らなくても、たとえば綿棒などを用いても良いと指示がありました。(もちろん緊急事態下の特例です)
通常は按手の祈りでも手をさしのべますが(下の写真のように)、同時に、個別に塗油をする際に右手を頭に乗せて按手をするのですが、当分の間はその直接触れる按手を省略しています。また、聖香油の塗油も、さすがに綿棒というわけにも行かないので、脱脂綿に聖香油をしみこませ、一人ずつ塗油させて頂いています。
参加者も限定され、聖歌も最小限となり、いつもとは異なる雰囲気の中でしたが、秘跡の力は変わりません。堅信を受けられた方々、初聖体を受けられた皆さん、本当におめでとうございます。
なお当日は、神言会で先日叙階された篠崎エジルソン師が、まず堅信式ミサに共同司式され、その後に、ご自分の初ミサを捧げられました。篠崎神父様は、キューバに宣教師として派遣されることになっているそうです。(写真すぐ上)
ミサ後には、これまた先日、司祭叙階60年をお祝いされたばかりの後藤神父様を囲んで、吉祥寺教会の神言会員と昼食でお祝いして参りました。
なお堅信式のミサは、こちらのリンクからビデオを見ることができます。
以下、堅信式・初聖体ミサ説教です。当日は原稿なしでお話ししましたので、多少の繰り返しや逸脱がありますが、ご参考までに。
吉祥寺教会堅信式・初聖体ミサ
このところまた毎日のように報道されていることですが、PCR検査で陽性者の方の数が増えています。これから寒くなっていくので感染が拡大するだろうと専門家の方々は仰っていますし、クリスマスと年末年始がやってくる中で、教会の活動はどうなっていくのかという大きな不安を抱えながら、私たちは今、信仰生活を歩んでいます。
今日堅信を受けられる方々もそうでしたが、今年は聖週間、そして復活祭を祝うこともできませんでした。ご復活に洗礼を受ける為に準備されていた方々はじめ、いまだに洗礼を受けることができない方々が沢山存在しています。堅信式も、教区が聖霊降臨の日の合同堅信式を中止にせざるをえませんでしたので、多くの方が堅信の秘跡を待ち望んでいるという状況でもあると思います。
そういう中で私たちは今、「教会っていったいなんなんだろう・教会とはいったいどういう存在なんだろう」という、私たち自身のアイデンティティに関わる問題を目の前に抱えています。
感染を避ける為に自分が病気にならないだけでなくて、他の人を病気にしない・感染させないという双方向の責任があり、自分さえ良ければということではなくて、他の人の命を守るという、積極的な意味合いをもって感染対策をしていかなくてはなりません。感染対策としては真っ先に「密集、密接、密閉の三つの密を避けましょう」と言われていています。またそのために、「社会的距離を保ちましょう」というわけですけれども、教会というのは残念なことに、毎週日曜日に集まる度に、小さなこの建物の中に多くの人が集まって「密集、密接、密閉」の状況でお祈りします。しかもその中で一緒に歌を歌ったりするのですから、まさしく、「避けなければならない」といわれていることをすべて行うのが、教会の活動であるわけです。
いつも通りの教会活動ができない。一緒にお祈りができない。一緒に歌えない。様々な活動、例えば教会の日曜学校や聖書研究会、祈りの会など、人が集まる事自体が非常に難しくなっています。
「では教会っていったい何なんだろう?」
これまでであれば、日曜日に教会に時間通りに出かけていってミサに与ることで、「ああ、私は教会の一員なんだ。普遍教会のメンバーなんだ、共同体の一員なんだ」ということを肌で感じることができたわけですけれども、それが出来ない、またはそれが難しい。行きたいけれど行けないというような状況が続いている中で、じゃあ「教会共同体」とはいったい何なんだろうと。集まることで、たしかに安心を得ることができますよね。一緒の仲間がそこにいて、一緒に祈って、一緒に聖体拝領に与って、一緒に御言葉に耳を傾けたり。。。そうした事が、私達に教会共同体の安心感を与えてくれるわけですけれど、残念ながらそれができない中で、「じゃあ私たちの教会はいったい何なんだろう?」それを本当に考えさせられる。
「私たちの共同体っていったいどうやって存在しているのだろう?」
同じ所に住んでいるわけでもない、同じ地域に固まってみんなで住んでいるわけでもない。同じ場所で同じ仕事をしているわけでもない、全然違う所でまったく違う生活をしている人たちが、集まることすらできない中で「私たちは共同体です。教会共同体です」と言うことに、いったいどういう意味があるんだろうかと、それが出来ない状況下で、いやおうなく考えさせられています。すぐにこれが回答ですというモデルは出てこないのですが、考えるヒントは第二バチカン公会議です。教会っていったい何なんだろうかと考えた時に、教会憲章の中には、教会というのは二つの実体があるんだと記されています。この地上における組織としての教会と、天上と繋がっている霊的な共同体、この目に見える物理的な存在と、霊的な存在という、2つの側面が教会にはある。そしてその二つはそれぞれ独立して別々に存在しているわけではなく、一緒になって、混じり合って一つの実体として存在しているのが教会なんだと、教会憲章に記されている。それを読むにつけ「教会って物理的な側面だけではなくて、霊的な側面、霊的な繋がりの側面というのがとても大切なんだ」ということを、私たちは今年、あらためて思い起こさせられているのですね。
今までは、物理的な側面が強調されてきた嫌いがある。しかし、霊的な側面、霊的な繋がりの重要さ、私たちには教会の霊的な繋がりがあるんだということを、今年思い起こさせられています。
「霊的な繋がりを充実させましょう」と簡単に言うけれど、実際に具体化させるのはとても難しいです。例えば同じ祈りをしているんだ。例えばロザリオの祈りをしているんだ。時は違えど、場所は違えど、同じ祈りで繋がれているんだ。または聖書の言葉、聖書に記された神の御言葉。日曜日の朗読の箇所は「聖書と典礼」に載っていますし、今はインターネットの時代ですから、インターネットを通じて今日の朗読をすぐに知る事ができますが、この神の御言葉を共有している。今日この神の御言葉を、時は違えど、場所は違えど共有しているんだ。同じ神の御言葉で私たちは繋がっているんだという、この思いがとても大切だと思います。
東京教区で3月1日の主日から10月31日までカテドラルからミサの中継をしていましたよね。
いろいろ事情があって、この間の10月31日で一旦終わりにしたわけですけれども、それ以外でもイグナチオ教会やいろいろな所でミサの中継が継続されています。実はミサの中継を観るということも一つの霊的な絆を強めていく為の手段ですよね。残念ながらカトリック教会としては、オンラインだけでは、実際に典礼に参加したことにはなりません。ご聖体拝領もできませんし、オンラインではミサに参加するという勤めを果たしたことにならないわけですが、それでもあのオンライのミサを観ることによって、霊的な繋がり、この祈りによって、この霊的聖体拝領を通じて、私たちは結びあわされているんだという思いを、強めることはとても重要だと思います。そして、今日堅信の秘跡をを受けられる方々、初聖体を受けられる方々。
私たちは綿々とイエスキリストの時代から、この聖霊による堅信、聖霊による祝福、聖霊による導き、それによって教会がずーっと導かれている、その聖霊を受けることによって、私たちは綿々と繋がっている霊的な共同体の一員となるのだと実感します。同じ聖霊の恵を受けて、同じ聖霊の祝福を受けて、同じ聖霊の守りを頂いて、私たちは霊的な兄弟姉妹として今結び合わされている。それも今、この場所だけではなくて、世界に広がる普遍の教会、そしてそれはイエス様の時代から始まって今に至る、綿々と連なる聖なる普遍の教会の中で私たちは繋がれているんだということを、改めて感じさせられています。ご聖体を今日初めて受ける、これによって最後の晩餐でイエスご自身が、「これを私の記念として行いなさい」と残されていったあの記念、あのイエスの御体と御血を頂くことによって私たちは、あのイエスの最後の晩餐から今に至るまで、綿々と続いているこの信仰共同体の絆の中にあって、主と繋ぎあわされている。霊的な絆の内に私たちは一つの共同体として生かされているんだということを、堅信と初聖体を通じて、改めて感じさせられます。
「私が聖霊を受けた、私ががご聖体を受けた」、そういった私だけの喜びではなく、それは世界に広がる普遍教会の絆の内に、そして天上の聖人たちとともに、天上におられる人々とともに、すべて繋がっている普遍の教会の共同体の絆のうちに私が加えられたという、堅信や聖体の秘跡に与ること、それは「私」だけの喜びではなくて、教会の喜びなんです。
洗礼を受けて、堅信の秘跡を受けて、御聖体の秘跡を受けることによって、それぞれ綿々と伝えられてきたこの信仰共同体の絆の中に、あらたに生かされる。この絆の内に繋がれる兄弟姉妹にとって、普遍教会全体にとっての大きな喜びが、今日のこの堅信の日、初聖体のミサであると思います。
秘跡を受けられるお一人お一人の上に、神様の豊かな祝福と聖霊の導きがあるよう、心からお祈り致します。
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