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2021年2月11日 (木)

世界病者の日メッセージ

Lourdes2011a

例年2月11日には、東京カテドラル聖マリア大聖堂において、午前中にスカウトのBP祭ミサ、そして午後には世界病者の日のミサを大司教司式ミサとして行っています。残念ながら今年は、感染症の現状から、どちらのミサも中止となりました。

病者のために祈る日に、病気のために肝心のそのためのミサが出来ないことは無念です。祈りのひとときを共にしていただくために、ビデオメッセージを作成しました。東京教区のホームページにも掲載されていますが、ビデオのリンクはこちらです。(写真は三枚ともフランスのルルドの聖地)

以下、そのビデオメッセージの原稿です。

世界病者の日メッセージ
2021年2月11日

神からの賜物であるわたしたちのいのちは、その始まりから終わりまで、ありとあらゆる脅威にさらされています。それは、暴力や武力による脅威であったり、人間の悪意に基づく脅威であったり、排除や差別による脅威であったり、政治的意図や政治的支配欲による脅威であったり、政治思想に基づく圧政による脅威であったり、貧困や疾病による脅威であります。

そしてこの一年、わたしたちは未知の感染症によるいのちへの脅威にさらされています。この一年ほど、互いのいのちへの思いやりと支え合いが重要であることを思い知らされた一年はありません。そしてこの一年ほど、いのちの尊厳について考えさせられた一年はありません。

今現在も、新型コロナ感染症のために病床にある多くの方々、特にいのちの危機に直面して闘っておられる多くの方々のために、心からお祈りいたします。

またいのちを守るために、日夜懸命に努力を続けている医療スタッフ、介護職にある方々、また未知の感染症の解明のために日夜研究を続けている専門家の方々。その懸命な働きに、心から感謝すると共に、皆さんの健康が守られるようにお祈りいたします。

今回の感染症は、軽い風邪のようでもありながら、同時に急速に重篤化していのちを奪われるケースも多くあり、どうしても疑心暗鬼にとらわれてしまう状況を生み出しています。加えて、この感染症に対抗するためには、基本的に手洗い、うがい、マスクに社会的な距離を保つことがあげられ、いきおい、人と人との繋がりが断絶されてしまう状況も生み出しています。

感染した場合の隔離の状況や、重篤化した場合の完全な孤立は言うに及ばず、今回の感染症はさまざまな場で、孤立を生み出し、孤独のうちに多くの人を追いやっています。また疑心暗鬼が深まるにつれて、感染した人やその家族への排除の動きや差別的な言動の事例も聞かれ、さらには必死になって治療に専念する医療スタッフへの差別的な言動もあると聞いています。

利己的な思想や価値観の広まりは、この数年の世界的風潮でもあり、助け合うことや支え合うことが意味を失い、孤独や孤立のうちに取り残される人が多く見られるようになっていました。異質な存在を排除し、自己の価値観を守ることに専念する社会は、寛容さを失います。教皇フランシスコは、しばしば誰も排除しない社会の実現を呼びかけ、隔てる壁を打ち壊し、広がる溝に橋を架けるようにと諭してきました。

そういった社会の風潮に、この一年は新型コロナ感染症による不安が加わりました。心の不安を増幅するような事態の頻発は、疑心暗鬼の闇をひろげてしまいます。疑心暗鬼が生み出す相互不信には、対立を引き起こす負の力があり、残念ながら寛容さを生み出すような前向きの力はありません。

そういう闇の中に取り残されるとき、自らを守るために利己的となるわたしたちは、あたかも人間のいのちには価値の違いがあるかのような思い違いすら生み出してしまいます。自分を守るためならば、異質な存在は排除しても構わないという考えは、いのちに対する尊厳の欠如です。まさしく、寛容さを失い、相互不信にあえぐ社会は、ヨハネパウロ二世が指摘した「死の文化」に彩られた社会です。闇の中を歩んでいる今だからこそ、教会はあらためてこの社会の中で、「死の文化」に対抗する「いのちの文化」を強調して行きたいと思います。善が悪に勝利を収めるだけの力を持っていることを、証明していかなくてはなりません。

主イエスによる病者のいやしは、もちろん奇跡的な病気の治癒という側面も重要ですし、その事実が神の栄光を示していることは忘れてはなりませんが、同時に、人と人との繋がりから排除されてしまったいのちを、いやし、慰め、絆を回復し、生きる希望を生み出すところにも大切な意味合いがあります。孤独の中で孤立し、暗闇の中で不安におののくいのちに、歩むべき道を見いだす光を照らし、そのいのちの尊厳を回復するところにも大切な意味合いがあります。

Lourdes2016a

世界病者の日と定められた2月11日と言う日は、1858年に、フランスのルルドで、聖母マリアがベルナデッタに現れた日でもあります。聖母はご自分を、無原罪の聖母であると示され、聖母の指示でベルナデッタが洞窟の土を掘り、わき出した水は、その後、70を超える奇跡的な病気の治癒をもたらし、現在も豊かにわき出しています。わき出る水は、病気の治癒の奇跡を起こすこともありますが、それ以上に多くの人に希望と生きる勇気を与える源となっています。

ルルドの泉がもたらす奇跡的治癒は、キリストのいつくしみの深さとすべてを超える偉大な力を示していますが、同時に、ルルドという聖地自体が、そこを訪れる多くの人に心の安らぎを与えていることも重要です。すなわち、聖地自体が、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」というイエスご自身の言葉を具現化している場所となっているからです。ルルドの聖地が生み出す安らぎの雰囲気は、希望を失った人の心に希望を回復し、互いへの思いやりの心を思い起こさせる力があります。わたしたちすべての教会共同体が、おなじように生み出したい、霊的な安らぎの雰囲気の模範であります。

教皇聖ヨハネパウロ2世が、1993年に、この日を世界病者の日と定められ、病気で苦しんでいる人たちのために祈り、同時に医療を通じて社会に貢献しようと働く多くの方々のために祈りを捧げる日とされました。今年ほど、この日の持つ意味が切実に感じられる年は、近年ありませんでした。

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教皇様は、今年の世界病者の日のメッセージで、この一年の感染症の緊急事態に触れながら、こう述べています。
「病には必ず顔がありますが、それは一つだけではありません。病者一人ひとりの顔、無視され、疎外されていると感じている人、基本的人権を認めない社会的不正義の犠牲者の顔もあります(回勅『Fratelli tutti』22参照)。このパンデミックは、医療体制の多くの不備と、病者へのケアの不足を露わにしました。・・・病者のケアと看護に資源を投じることは、健康を主要な共通善と捉える原則に結びついた優先事項です」

その上で教皇は、病で苦しみ人に寄り添うことの重要性を強調し、「わたしたちは個人としてだけでなく、共同体としても、寄り添い続けます。キリストにおける兄弟愛はまさに、いやすことのできる共同体を生み出します。だれも見捨てない共同体、もっとも弱い人を真っ先に受け入れ、歓迎する共同体です」と、いつくしみを体現する共同体であるようにと呼びかけます。

東京ドームミサで呼びかけた、「傷のいやしと、和解とゆるしの道を、つねに差し出す準備のある、野戦病院となることです」と言う言葉を思い起こします。

世界病者の日は、私たちすべてを包み込む神の癒やしの手に、いつくしみの神の手に、ともに包み込まれることを実感する日でもあります。主の癒やしといつくしみの手に包み込まれながら、互いの困難さに思いやりの心を馳せ、その程度に応じながら、具体的に支え合って生きていくことができるように、野戦病院となる決意を新たにする日でもあります。その安らぎの中に、いのちを生きていく希望を見いだす日でもあります。

神のいやしの泉へとベルナデッタを招いたルルドの聖母マリアが、わたしたちを希望の源である御子イエスのいつくしみへと導いてくださいますように。

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