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2021年4月30日 (金)

続:東京第司教区司祭叙階式

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4月29日の司祭叙階式の記事の続きです。

叙階されたお二人については、また、教区ニュースなどでプロフィールも紹介されたりすることでしょうからそちらに譲ります。

この二人に続く東京教区の神学生は、今の時点では、神学課程に2名、哲学課程に1名、予科に1名と、総勢4名です。予科から司祭叙階まで、最低でも7年半がかかります。司祭養成には時間がかかります。大切な役割なので、それだけの時間をかける必要があるからです。しかし、例えば来年2022年春に入学したとしても、実際に司祭として働けるのは2030年頃です。いまの東京教区の司祭団の年齢構成を考えるならば、やはり、あと数名は神学生がいないことには、近い将来、いくつかの小教区には、派遣できるだけの人数の司祭がいない事になるものと想定します。しかもそれは遠い将来ではなく、ごく近い将来です。

どうか召命のために祈り、また小教区に召命を感じている方がおられたら、励ましてください。ピンポイントで祈ってください。お願いします。召命は人間が勝手に作り出すことは出来ません。神からの呼びかけです。わたしたちが出来るのは、呼びかけられた人が、その呼びかけに気がつくように、さらにそれに応える勇気を持つことができるように、祈りを通じて励ますことです。

ところで、昨日の東京カテドラルでの司祭叙階式は、youtubeの関口教会のアカウントで繰り返し見ていただけますが、叙階式にはいつものミサと違って、いくつもの典礼上の「儀式行為」が行われます。司祭に叙階される人(受階者)は何度も司教の前に進み出て、なにやらしております。

叙階の儀式行為の中で、どこが一番重要だと思いますか。一番大事なところはあまり目立たないので、よく、叙階式に参加された方は写真を撮るタイミングを逃してしまったりします。(なお、カテドラルでの教区の典礼儀式では、撮影は担当の係が行います)

一番重要なのは、「按手」と「叙階(聖別)の祈り」です。特に「按手」は忘れてはいけません。

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名前を呼ばれて前に出て、司教と推薦する司祭との問答があり、司教の説教が続きます。説教に続いて、司教といくつかの問答があります。もちろんこの問答も重要で、司祭の生涯にわたる生き方を明確に約束する部分です。司祭の務めを受け入れる決意の表明です。そして受階者は床に伏して諸聖人の連願が歌われます。その後、受階者は司教の前に進み出て、ここで司教は何も言わずに按手します。司教の按手に、列席する司祭の按手が続きます。

按手が終わると、司教は叙階の祈りを唱えます。この按手と叙階の祈りを欠いてしまうと、叙階の秘跡は秘跡としてなりたちません。ですからここが一番重要です。

この後受階者は司祭の祭服を身につけ、司教の前に進み出て聖香油を塗油されます。そして最後に、カリスとパテナを授与されて、平和のあいさつで司祭叙階のための典礼の儀式は終わりです。

按手は、儀式書にもさらりと書いてあるだけなので、見落としそうになることもあります。(儀式書には、唱える部分と、ト書きのように、動作などを指示する部分が記されています。そのト書きの部分は、本来は赤字で書いてあるのでルブリカと呼ばれますが、いかんせん、唱える部分は黒でフォントが大きく、ルブリカはそれとなくしか記されません。按手は祈りをなにも唱えずに行い、その直後の叙階の祈りは黒くはっきりと印刷されているので、見落とすのです)

その昔、とある修道会で行われた助祭叙階式で、司式されていた司教様が熱を出されていてぼーっとしておられ、按手を忘れると言うことがありました。司祭叙階であれば、その後に参列している司祭団による按手に続くので、司教さんが按手を忘れることはありませんが、助祭叙階は、司教だけによる按手なので、そのまま気がつかれない可能性があります。そして見事に忘れられました。

誰も気がつかなければそのままでした。でも独りだけ、そのことに気がついた司祭がいて、ミサ後に指摘したため、もちろん叙階は無効です。そのため受階者はその週明けに司教館へ出向いて、司教さんから叙階の儀をもう一度やり直してもらったということです。

叙階式は、按手が肝心です。

 

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