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2021年9月14日 (火)

2021年「秋田の聖母の日」

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第7回目となる、秋田の聖母の日が、本日9月14日と明日15日行われています。とはいえ、昨年に続き、感染症の状況のため、秋田の聖体奉仕会に集まることは取りやめとなり、オンラインでの開催となりました。(写真は、配信ビデオからのスクリーンショットです)

オンラインで公開されたビデオは、youtubeで後ほど見ていただくことも出来ます。わたしは、毎年この日に合わせて巡礼を企画してきた横浜の信徒の旅行者「パラダイス」が企画した、zoomでの祈りの集いから、参加した皆さんと一緒に祈りました。

秋田の聖母の日が始まったきっかけは、2013年10月に、ローマ教区が主催して世界各地の聖母巡礼所を中継で結んだロザリオの祈りに参加したことでした。当時のことはこちらに記してありますし、当時にビデオもまだ見られるようです。リンク先に貼り付けてあります。10月12日の夜に始まり、時差の関係で徹夜で祈りをささげ、翌日のミサで締めくくった集まりには、海外も含め各地から多くの方が参加されました。当時の日記には、事前申し込みは800人ほどでしたが、当日はそれ以上に人が聖体奉仕会に集まったと記されています。

この行事に触発されて、翌年から、9月14日の十字架称賛と15日の悲しみの聖母の両日、聖体奉仕会で「秋田の聖母の日」と名付けた祈りの集いを開催してきました。それ以来、毎年、国内外から、多くの方が参加してくださっています。また秋田地区の神言会司祭団も、協力してくださっています。わたしは17年に新潟教区から東京教区に移っても、毎年この行事には参加しておりましたし、それに併せて巡礼も行ってきました。残念ながら、昨年と今年は、感染症の状況の中で多数が集まる行事は中止となりましたが、今年は初めての試みとして、オンラインでの開催となりました。

来年こそは、秋田の地で皆さんと一緒になって祈りをささげることが出来ることを、希望しています。この困難な状況から解放されるように、聖母の取り次ぎでお祈りいたしましょう。

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本日は十字架称賛の祝日です。いまでこそ、ファッションで十字架を身につける一般の方もおられるようになっていますが、もちろん十字架の起源は、処刑の道具であります。決して「かっこいい」ものではありません。しかしその十字架に、特別な意味を与えたのは、主イエスであります。主イエスこそが、「恐るべき処刑の道具」を「輝かしい栄光のあかし」に変えてくださいました。だからわたしたちは、誇りを持って十字架を示します。感謝を持って十字架を仰ぎ見ます。信頼を持って十字架により頼みます。勇気を持って自らの十字架を背負います。

教皇フランシスコは、2015年から16年にかけて開催したいつくしみの特別聖年の大勅書「イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔」にこう記しています。

「十字架の傍らでマリアは、愛弟子ヨハネとともに、イエスが口にしたゆるしの言葉の証人となりました。イエスを十字架につけた者たちに与えられた究極のゆるしは、神のいつくしみはいかに果てないものであるかを私たちに教えます。マリアは、神の子のいつくしみが限りなく、例外なく誰もがこれに与ることを証言しています」

十字架の傍らに立つ聖母マリアと弟子ヨハネは、苦しみのうちに自らをいけにえとして奉献されるイエスに一致するとともに、自らが生涯をかけて説き続けた愛といつくしみの教えを、生命の極みにあっても言葉と行いであかしするイエスの姿に触れることになりました。

十字架の上で「父よ彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と、迫害する者のために赦しと神のいつくしみを祈り、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と、神の前に謙遜にある者のためには愛の言葉を述べられたイエス。

パウロはコリント人への手紙にこう書いています。

「キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。(1コリント1章17節)」

人間の知恵を労して、いくら神の愛といつくしみについて雄弁に語ってみせたところで、その言葉の知恵は、結局はキリストの十字架をむなしくしてしまうとパウロは説きます。なぜならば、キリストの十字架上での生命の極みにおける生きる姿こそは、愛といつくしみという福音の、まさしく目に見えるあかしそのものだからです。そのあかしを生きていない私たちが、いくら人間の浅はかな知恵を労して言葉を並べ立てても、イエスのすさまじいまでの生命を賭した十字架上での愛といつくしみのあかしに並ぶことなど出来ません。十字架は神の愛の目に見える証しであります。神の愛の具体的な行動の目に見える証しであります。

私たちも、私たちの生きる姿そのものによって、イエスの教えを、福音を、その愛といつくしみを、あかししていかなくてはなりません。教会は、キリストの十字架の傍らに立ち続け、苦しみのうちにおけるイエスの愛といつくしみの言葉と行いに一致し、自らもその模範に倣いながら生きていかなくてはなりません。その生きる姿で、福音をあかししていかなくてはなりません。福音に基づいた世界、すなわち神が望まれる世界を実現するためです。

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明日もまた秋田の聖母の日の二日目が、ビデオで配信されます。どうぞ一緒に、聖母とともに祈りをささげましょう。すべての人に救いの福音がもたらされるように、聖母の助けを願いましょう。わたしたちが主イエスの十字架での苦しみにあずかり、主の愛を身に受けて、自らあかしして生きることが出来るよう、その模範である聖母に倣うことが出来るように祈りましょう。(写真上は、ローマのサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂)

なお、秋田の聖母の日のビデオ配信などは、こちらのリンクから聖体奉仕会のホームページをご覧ください。

 

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