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2021年10月 9日 (土)

町田教会で堅信式、年間第27主日

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緊急事態宣言が解除となり、ミサの公開が再開しましたが、その直後の最初の堅信式が、10月3日に町田教会(主任司祭は林神父様)で行われ、17名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。感染症の状況の中、堅信式も何度も延期になり、皆さんよくぞ待ってくださいました。その忍耐と犠牲に、御父の豊かな報いと聖霊の祝福がありますように。

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またこのミサの中では、教区の神学生である熊坂さんが、朗読奉仕者の選任を受けられました。司祭養成の過程では、まず哲学課程が終わったところで司祭助祭の候補者として認定を受けます。その後、朗読奉仕者と祭壇奉仕者の選任をそれぞれ受けて、助祭叙階に至ります。助祭叙階後は、短くても半年以上の助祭としての務めを経て、司祭に叙階されることになります。

現在東京教区には4名の神学生がおり、東京カトリック神学院に在籍しています。熊坂さん、冨田さん、田町さん、今井さんの四名です。ご存じのように司祭になるためには、現在の養成課程では、最低でも7年間必要です。例えば、今日、志願者が現れたとしても、まず教区の中で、教区養成担当者による見極めの期間があり、その後神学院の入学試験を経て7年です。加えて今現在の新しい養成の課程では、神学院での勉学と養成をすべて修了してから初めて助祭叙階となり、そ助祭としての奉仕を半年以上経験してから司祭叙階ですので、実際には8年近くがかかることになります。

ひとりでも多くの青年が、教区の教会共同体を導く牧者として生きていく決断をし、司祭の道を歩んでくださるように、皆様のお祈りをお願いいたします。また司祭への道を進むべきかどうか悩んでいる青年がおられましたら、より良い識別が出来るようにと励まし、またともに歩んでくださいますように。

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準備いただいた町田教会の皆様、ありがとうございます。また当日の映像配信も準備が大変だったと思います。ありがとうございます。町田教会の皆様には、感染対策のため、多くの方には参加いただけませんでした。また次回、皆さんとお会いできればと思います。

以下、町田教会での当日のミサ説教を録音してテープ起こしをした原稿を掲載します。

年間第27主日

町田教会堅信式ミサ

新型コロナの感染症が私たちの社会に大きな影響を与えて、すでに1年半が過ぎてしまいました。教会も様々な影響を受けています。信徒の方々の中には、感染して亡くなられた方もおられますし、入院されている方もおられます。

幸い、他の多くの国々と比較するとまだその影響は少ない、小さい方だと思います。

でも新しいウイルス感染症ですので、実体が解明されていない。はっきりとわからない中で慎重に行動して行かざるを得ないので、他の国の様々な事例を参考にしながら、東京教区でも昨年は1度、政府の緊急事態宣言に合わせてミサの公開を中止しました。3月から6月まで、その後はできる限りミサに与ることができるようにしています。  

私たちの信仰生活の中心はやはり聖体祭儀です。ご聖体におけるイエス様の現存とともに、私たちは信仰を深めていく。そして、共同体のつながりを確認する、絆を確認する、実感する。そういう意味でも、この聖体祭儀はとても大切な秘蹟ですし、これなしには考えられないわけですから、なるべくご聖体に与っていただく、聖体祭儀に与っていただくということで、緊急事態宣言が何回か出ても、感染対策を続けながらミサを続けてきたわけです。

教会に集まっていただいて、感染対策を取りながらミサを続けることは楽なことではないです。司祭だけではなく、特に教会の役員の方、ボランティアで関わってくださる多くの方々に、本当に感謝申し上げたいと思います。お一人お一人の助けがなければ、こうやって教会の活動を続けていくことはできませんでした。感謝申し上げたいと思います。

4回目となる緊急事態宣言が出た時にはどうしようかと考えたのですけれど、ちょうど夏ですね、オリンピックの前です。1年以上過ぎ、感染対策を同じように取ってきても、どうしても緩みが出てきてしまっている。70近くある小教区の中で、危険な兆候が見られたという報告がありました。今回は8月の半ば、新規陽性者の方が5千人くらいになり、どんどん数が上がっていった段階で、カトリックの医師会のドクターなどの方々に相談をしながら、今回のミサの公開を自粛することにいたしました。

幸い9月の半ば過ぎくらいから新規の陽性者の方の数が減っていき、入院されている方々の数も減っていきましたので、9月30日の政府の緊急事態宣言解除に合わせて教会の活動を再開し、今日こうやって自粛期間を過ぎた後の最初のミサをこの町田教会で、共にお祝いすることができることを感謝したいと思います。

さらにはこのミサの中で聖体祭儀だけではなくて、堅信の秘蹟もあるという素晴らしい機会を与えていただいたことを、本当に感謝したいと思います。

医療関係者の方々には心から感謝申し上げるとともに、まだ、病床におられる方々が多くおられますので、その方々の一日も早い回復と健康をお祈りし続けたいと思います。

今回の感染症は、私たちに世界的な規模で起こっている出来事ですから、世界的な規模で手を取り合わなければならない。連帯をしなければならないということを、改めて思い起こさせてくれました。

今このグローバルな繋がりの中で、自分の国だけ鎖国をし、自分の国は大丈夫だから他の国と関係がないんだ、というような形では生きていくことができない世界ですので、私たちは今現在こうやって目に見えない小さなウイルスとの戦いの中にいる中で、世界中の国々と連帯をし、ともに命を守っていかなければならないということを、ひしひしと思い知らされています。

教皇様ご自身も何度も何度も、連帯することの大切さ、私たちは互いに助け合っていかなければ命を守ることができないということを、いくたびも呼びかけておられます。

ところが一年くらいたったくらい、今年のご復活祭でしたけれども、教皇様はご復活祭のメッセージで、「これだけ連帯の必要性を多くの人たちが口にしているにもかかわらず、実際にそれが成し遂げられていない。それどころか自分の国のことばかり考えて、あまつさえ、この感染症の中で戦争をしようと、武力でなにか物を解決しようというような動きさえある。または、この感染症対策の中で経済状況が悪化して職を失い、非常に困窮した状態の中で、別な意味で命の危機に直面している多くの人たちが忘れ去られようとしている。この1年間私たちはいったい何をしてきたんだ」ということを、繰り返しおっしゃられました。私たちは、連帯が必要だ、連帯が必要だと言っているけれど、実際に連帯するということはなかなか難しいという現実に直面しています。


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連帯……。教皇様が、何度も何度も繰り返し言われる、-連帯しなければならない―というのはどこから出てくる考え方なんだろうという事を振り返ってみると、今日の第一朗読の創世記の2章に記されている物語から出てくるんですね。
創世記というのは、第1章の最初の所で、六日間で神様は世界を作って七日目に休まれましたよという、一週間で世界天地が創造された物語が

そこには記されているわけですが、その時にはいろんな物を造って最後に人間を造るわけです。

ところが章が変わって2章に入ると、今度は全く違う話がそこに書いてあるのです。

今日の第一の朗読でその一部が語られています。何をしたかというと、神様は最初に人間を造った。一人の人を造って、そしてその後に、「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」と言うんです。そして神は、様々なものを創造して様子を見るんですね。いろんなものを創造していって人に与えて、それが人を助ける者となるかどうか見ていくわけですけど、残念ながらみんな良いものなんですが、満足なものではないわけです。人間にとって助ける者とはならない。

そこで神は何をしたかというと、もう一人の人を造った。もう一人の人を造った。つまり人間は何のために命を与えられているのか。命を与えられている意味はいったいなんなのか。それは互いに助ける者となるために、私たちは命を与えられているんだ。

その一番根本の例が、男性と女性が一緒になって家庭を造っていくということ。それが一番のスタートなのですけれども、男性と女性だけでなくすべての命、人と人は助け合うために、その命を与えられているんだということを、この創世記の物語は、私たちに教えているんです。

今日の福音も、結婚離婚はどうするんだという掟の話をイエスはしていますが、あらためて創世記の物語を引用することでイエスは、人の命はお互いに助け合うため、一緒になって生きていくために与えられているんだということを、強調されています。

ここから、「私たちは互いに連帯して、この地上で命を生きていかなければならない」と教皇様が繰り返しおっしゃられる言葉の、この根本的な考え方が出てくるんですね。

私たちはこの命を、互いに助け合うために、互いに支え合うために、互いに手を取り合って歩んでいくために、命を与えられているんだと。
だからけっして、クリスチャンは、キリスト者は、優しい人だから他人を助けるわけではないですよね。私たちは何か、優しい性格をもった人たちだから他の人に手を差し伸べたり愛の業を行うのではないのです。私たちは互いに、優しくない人がたくさんいるのをよく知ってますよね。教会に行っても、けっしてみんな良い人ではないのです。でも私たちは助け合うのです。何故ならば、それが、私たちが命を与えられている理由だからです。それが意味だからです。そうしなければ命を生きている意味はないからです。

神は私たちに互いに助け合う者となれといって命を与えてくださったので、私たちは性格が良かろうが悪かろうが、他人を助けるんです。人に優しくするんです。それが、私たちが命を生きる意味であると思います。

そしてこの新型コロナ感染症の只中にいるときに、まさしく私たちは今、互いに助け合うというのはいったい何なんだろうと、改めて考えさせられていると思います。それには色々な道がありますよね。直接的に貧しい人たちを助ける、職がない人に手を差しのべて職を提供するとか、食べるものがない人たちに食を提供するとか、いろんな具体的な行いがありますし、それ以外にも感染対策をすることも、自分の命を守るだけではなくて他人の命を守るために、積極的な愛の行動です。

互いに支え合っていくというのは、いろんな方法があるんですね。みんなが同じ事をすれば良いということではなくて、それぞれが互いにできることを忠実に果たしていくことによって、互いに命を守り、互いに支え合って、助け合ってこの命を生きていく。
それが、神が私たちに命を与えられた理由なんだということを、あらためて心に刻んでいきたいと思います。

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今日堅信を受けられる方々は、洗礼から始まってご聖体、そして堅信、この3つの秘蹟を受けることによって、キリスト教の入信の秘蹟が完成します。洗礼を受け、ご聖体を受け、そして堅信を受ける、この3つで、完成した成熟したキリスト者として完成するんですね、ここで。
ですのでこれからは、堅信を受けてから成熟した大人の、年齢は関係なく、大人のキリスト者として生きていくということが求められています。それは福音に記されている、イエスが求められている、様々な生き方を忠実に果たしていく責任が生じるということだと思います。

でももちろん、私たちはそんな簡単に完璧な、今日の堅信の秘蹟を受けた途端にスーパーマンに変わるわけではないです。堅信式の後で立派な人に生まれ変わるわけではないのです。残念ながら。弱い人間ですから、必ずしもイエス様が言う通りなんてできないですよね。できないからこそ、堅信の秘跡の時に聖霊をいただくのです。

聖霊は私たちを変えてくださるのではなく、聖霊は、私たちの弱さを補って、私たちを後ろから支えてくださる神の息吹(いぶき)です。神の力です。神様は堅信の秘蹟を通じてこれから日々、後ろから一生懸命息を「ふーっ」と吹きかけて、あっちへ行きこっちへ行き、倒れそうになる私たちを、まっすぐ進むように支えてくださっているんですね。

この神様の息吹、神様の支え、神様の思いを、信頼して、大人の信仰者として、これからの日々の生活を歩んでいっていただきたいと思います。

 

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