週刊大司教第五十七回:待降節第四主日
待降節も終盤です。今年は主の降誕が土曜日なので、待降節第四週が十分にあります。良いクリスマスを迎えるためにも、良い準備をいたしましょう。
本日12月18日、前東京大司教である岡田武夫大司教様が帰天されて一年となりました。昨年の帰天時には、コロナ禍で、教区の皆での落ち着いたお別れのミサなどもできませんでした。残念に思います。さいたま教区と東京教区の両者で長年牧者の務めを果たされた岡田大司教様ですから、本来であれば、さいたま教区や東京教区の大勢の方とともに感謝の祈りをささげ、永遠の安息を祈るべきところです。
先週末土曜日の午後、岡田大司教様が心を込めて指導されていた東京教区のアレルヤ会の皆さんと、カテドラルで追悼のミサを捧げました。あらためて、永遠の安息を祈ります。
以下、本日午後6時配信の、週刊大司教第57回目のメッセージ原稿です。
待降節第四主日C(ビデオ配信メッセージ)
週刊大司教第57回
2021年12月19日間もなく主の降誕です。教会の伝統には、重要な祝日や特別な願い事があるときに、9日間の連続した祈りを捧げる習慣があり、ラテン語の数字の9から「ノベナ」と呼ばれています。さまざまな機会にノベナの祈りが捧げられますが、特に聖霊降臨祭前と降誕祭前のノベナが知られています。フィリピン出身の信徒の方々には、早朝に集まりノベナのミサに与る「シンバンガビ」が有名で、東京でも、主に夕方ですが、このミサが捧げられる教会があります。教会は、主の降誕を喜び祝うために、心を込めて準備を進めます。
ミカの預言は、エルサレム近くの小さな町ベツレヘムから、イスラエルの王が現れると記し、「主の力、威厳を持って」治める王の支配こそが、神の平和の実現であると述べています。
ヘブライ人への手紙は、旧約時代のいけにえが、形に捕らわれ心の伴わないものとなったことで神から離れる結果となったことを指摘し、新約の契約は「御心を行うために」来られた主ご自身のいけにえによってただ一度で成し遂げられ、わたしたちは自らの救いのために形式的な祈りを捧げ続けるものではなく、新しい命に招いてくださる主をたたえ神を賛美するのだと指摘します。
ルカ福音は、聖母マリアのエリザベトご訪問を記しています。教皇フランシスコは「福音の喜び」の終わりで、マリアのこの訪問に触れ、「マリアは・・・すぐに動かれる聖母、人に手を貸すために自分の村から『急いで』出掛ける方です。正義と優しさの力、観想と他者に向けて歩む力、これこそがマリアを、福音宣教する教会の模範とするのです(288)」と記しています。
わたしたちが待ち望んでいる救い主は、形式的な崇敬を求めているのではなく、福音の実現が待ち望まれている地へ出向いていって、神の望まれる秩序を打ち立て平和を実現するようにと、わたしたちを招いておられます。主ご自身が、その道程をともに歩んでくださいます。
わたしたちが今ともに歩んでいるシノドスの道は、まさしく主がともに歩んでくださる道程です。準備文書に記されているいくつかの設問は、回答を求められているものではなく、それを基にして小さなグループでの振り返りと分かち合いのための手引きです。今歩んでいるシノドスの道程は、小さな会議をたくさんすることではなくて、まず教会とは一体何であるのかの共通理解を深め、それがともに歩む神の民なのだという認識を共有し、その上で、歩み続けるために、小さなグループでの振り返りと分かち合いが求められています。東京教区で毎週提供しているビデオで是非学びを深めていただき、その後に、小さなグループで祈りのうちに分かち合いを進めていただくことを期待しています。
準備文書の手引きの設問に2番目には、「聴くこと」の大切さが指摘され、次のように記されています。
「聞くことは最初の一歩ですが、それには偏見のない、開かれた精神と心が必要です。わたしたちの部分教会は、誰に対し「耳を傾ける必要がある」でしょうか。・・・耳を傾けることを妨げている偏見や固定観念を認識していますか」
聖母は天使のお告げに耳を傾ける方です。ともに歩まれる主ご自身も、わたしたちの声に耳を傾けてくださる方です。わたしたちは、神の民としてともに歩もうとするとき、互いの声に耳を傾けているでしょうか。声を拾い上げようとしているでしょうか。振り返りたいと思います。
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