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2021年12月24日 (金)

主の降誕、おめでとうございます。

Christmas2021

主の降誕の夜を迎えました。おめでとうございます。

今年もまた困難な状況の中でのクリスマスとなりました。皆様は、どのような状況で、クリスマスを迎えておられるでしょうか。

暗闇の中に誕生した幼子は、いのちの創造主である神のみ言葉の受肉です。暗闇に輝く、命の希望の光です。クリスマスのミサが、まず最初に夜に行われるのには、闇に輝く光の与える希望を、心で感じるという大切な意味があるのだと思います。

皆様、お一人お一人の心にも、闇に輝く光がともされ、希望が生み出されますように。

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以下、本日午後9時の東京カテドラル聖マリア大聖堂で捧げられたミサの説教原稿です。

主の降誕 夜半ミサ(配信ミサ)
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2021年12月24日午後9時

順風満帆な人生というものは、どこかにありそうで実際にはないと言うことを、この二年間わたしたちは肌で感じさせられています。どんなに自分の人生がうまくいっていると思っていても、自然の力の前で、わたしたちはなすすべもなく立ち尽くしてしまうことがありうるのだということを、世界的な規模で、この時代を生きているほぼすべての人が自覚するという、凄まじい状況の中に、わたしたちは置かれています。

暗闇に取り残されたとき、希望の光はどこから来るのかと必死になって探し回るように、この二年間、一体何を信じたら良いのかも定かでなく、意見が対立し、互いに自分の正当性を主張して、時にはののしり合いにまで発展しながら、光を求めて、人類は彷徨っています。

助け合わなくては生きていけない。支え合わなければ生きてはいけない。そんなことは当たり前と分かってはいるけれど、しかし自分のいのちが危機に直面するとき、そこまで考える余裕はない。ただでさえ孤立と孤独が深まっていると指摘されてきた現代社会にあって、この二年の感染症による危機は、わたしたちを分断と利己主義と孤立へと強烈にいざなってきました。

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教皇様は、今年の貧しい人のための世界祈願日のメッセージで、パンデミックによって格差が激しくなり貧困が増し加わって命を危機に直面させていることを指摘し、こう記しています。

「貧困層は激増しており、残念ながらそれは今後数か月は続くでしょう。一部の国はパンデミックのきわめて深刻な影響を受け、もっとも弱い立場の人は生活必需品も得られなくなっています。炊き出しに並ぶ長蛇の列は、こうした事態の悪化を如実に表しています」

その上で教皇様は、「個人主義的な生活様式は貧困を生み出すことに加担し、しかも貧困の状況の責任をすべて貧しい人に負わせてばかりです。しかし、貧困は運命の産物ではありません。エゴイズムの結果です」と指摘されています。わたしたちを覆っている暗闇は、その深さを増し加えています。暗闇は命を危機に直面させています。

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主イエスの降誕を祝うこの夜、イザヤ書は「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住むものの上に、光が輝いた」と告げています。

ルカによる福音は、闇夜のただ中に、羊飼いが恐れを抱くほどの強烈な光が輝き渡り、救い主の誕生を告げたと記しています。

イザヤ書は、暗闇に輝く光として誕生する幼子が、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」であり、その支配は、「正義と恵みの業によって」永遠に続くであろうと記します。

ルカ福音は、輝く光の中で天使たちが、神を賛美して「地には平和、御心に適う人にあれ」と歌ったと記します。

パウロは、「恵み」は、わたしたちに「この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え」、希望を持って栄光の現れを待つようにと教えている、と記します。

その上でパウロは、キリストが受肉し、わたしたちとともに時の流れの中で命を生き、「ご自身を捧げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖いだし、良い行いに熱心な民をご自分のものとして清めるためだった」と記しています。

わたしたちが光を必要とする暗闇に生きていると言うことは、それは神が定めた秩序に逆らっている状況であり、パウロによれば「不法」の状態であり、「この世で、思慮深く、正しく、信心深く」生きていくための恵みに欠けた状態であり、さらには、命を生きる希望を失った状態であり、平和の欠如であり、それが故に、神の御心に適う状況ではありえない。

だからこそ、神は、自ら定めた秩序を回復し、賜物として与えられた命が生きる希望を取り戻すようにと、自ら人となり、わたしたちとともに歩まれる道を選ばれました。

わたしたちは、キリストの言葉に、命を生きる光を見出します。わたしたちは、キリストの行いに、命を生きる光を見出します。光を見出すからこそ、わたしたちはその言葉と行いを自らのものとし、今度は暗闇の中でわたしたち自身が光を輝かせようとします。わたしたちは、命の希望を告げしらせ、神の秩序を打ち立て、正義と恵みを具体的に生きる者となりたいと思います。

教会は、この困難な社会の状況の中で、広がる格差による分断が孤立と孤独を深める社会の中で、教皇フランシスコが繰り返されるように、いつくしみを具体的にもたらす野戦病院として、出向いていく教会であり続けたいと思います。

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教皇様は回勅「フラテリ・トゥッティ、兄弟の皆さん」において、兄弟愛と社会的友愛に生きるようにと呼びかけ、「一人で救われるのではなく、ともに救われる道しかない(32)」ことを強調されます。その上で教皇様は、「孤立することで、成長したり充実感を得たりする人はいません。愛はそのダイナミズムによって、ますます寛容さ、他者を受け入れるいっそうの力を求めます。・・・わたしたちは、歴史のダイナミズムと、民族・社会・文化の多様性のうちに、互いに受け入れ合い配慮し合う兄弟姉妹から成る共同体を形成する使命が宿っている(96)」と指摘されています。

教会は今、シノドスの道をともに歩んでいます。教会は、救いの完成を目指してともに歩んでいく神の民です。暗闇の中で一人でもがき、道を見いだそうそうとする共同体ではなく、互いに支え合い、受け入れ合い、配慮し合う共同体です。教会は、命の与え主である神が、すべての人を救いへと招いておられる御父であると信じているからこそ、誰ひとり排除されず、忘れ去られることなく、ともに歩む民であることを自覚し実現しようとしています。

シノドスの道をともに歩むときに、互いに「識別する」、「聞く」、「参加する」という三つの行動が、大切であると、準備文書は指摘しています。

わたしたちには、今までの歩み、今の歩み、これからの歩みを静かに黙想し、聖霊はわたしたちをどのように導き、どのように力づけ、どちらの方へと向かわせているのかに気づくことが求められます。

わたしたちは、教会に集う人々が教会をどのように受けとめているのかについて、お互いに耳を傾けあわなければなければなりません。聞くためには、寛容さと忍耐が必要です。

そして、わたしたちキリスト信者の基本的な姿勢の一つは、参加です。ミサに、祈りに、ボランティアグループに、ひいては地域の活動に、社会に積極的に参加することが求められます。コロナ禍で参加の形は変わりつつありますし、参加の仕方についても創造性が求められています。

教会共同体が、互いに支え合い、歩みをともにする交わりの共同体であるならば、教会は救いの完成を先取りする存在として、暗闇の中で輝く光となることができるでしょう。

人となられた神の積極的な行動力に倣い、またわたしたちの贖いのために自らを捧げられた神の愛に倣い、わたしたちも常に前進を続ける連帯の共同体、神の民であるように努めましょう。

 

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