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2022年1月24日 (月)

神のことばの主日、ケルンデー@東京カテドラル

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年間第三主日となった1月23日。この日はまず、教皇フランシスコによって定められた「神のことばの主日」です。加えて教会は、1月18日から,パウロの回心の1月25日まで,キリスト教一致祈祷週間としています。さらに1月の第四の日曜日は、東京大司教区にとって、「ケルン・デー」であります。盛りだくさんの日曜日でありました。

東京教区とケルン教区との姉妹関係については,東京教区のホームページに詳しく掲載されています。このリンクから,さらに奥へと探索ください。最初のページに到達すると,左側にいくつか項目が並んでいますから(「ケルン教区の紹介」など),そこをクリックすると,さらに詳しい情報が掲載されています。

そして東京教区とケルン教区の姉妹関係は、さらに白柳枢機卿時代に,ミャンマーの教会への支援へと発展しました。これまでも東京教区では11月にミャンマーデーを行って、ミャンマーの司祭養成の支援を行ってきましたが、2021年2月にクーデターが発生し,軍事政権下で厳しい毎日が続いていることと,キリスト者が少数派の同国で教会への暴力的攻撃も発生していることから、昨年来、しばしば、支援のための祈りをお願いしてきました。今回も,ケルン教区から,一緒にミャンマーのために祈りをささげようという呼びかけがありました。東京教区が,ことさらにミャンマーのための祈りや支援を強調するのは,ミャンマーの教会支援がケルン教区との関係の中で生み出された新たな兄弟姉妹関係であり、ケルンから受けた支援への感謝の気持ちの表現でもあるからです。

クーデター発生から間もなく一年になります。そこで来週、1月30日の日曜日の夕方、東京在住のミャンマー共同体の方々と、築地教会において、私も参加して、平和のための祈りをささげる予定でおります。

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教皇様は,「神のことばの主日」にあたり、サンピエトロ大聖堂で捧げたミサの中で、女性6人、男性2人をカテキスタとして任命し、さらに女性3人と男性5人を朗読奉仕者に任命されました。バチカンニュースから引用します。

「教皇は、2021年1月に、使徒的書簡「スピリトゥス・ドミニ」を通し、教会の朗読奉仕者と祭壇奉仕者に、男性だけでなく、女性も選任することができるよう、教会法を改定した。また、同年5月、自発教令「アンティクウム・ミニステリウム」をもって、「信徒カテキスタ」の務めを公式に定め、信者がその特性を生かしながら福音宣教へ積極的に取り組むことを励ましている。」

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以下、1月23日日曜日午前10時の,関口教会のミサでの説教の原稿です。一部、前晩の「週刊大司教」メッセージと重複します。

年間第三主日C(配信ミサ)
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2022年1月23日

東京教区にとって本日は、「ケルン・デー」であります。東京教区にとって、ケルン教区との繋がりには歴史的な意味があり、また物質的な援助にとどまらず、霊的にも大きな励ましをいただいてきました。東京教区のホームページには、こう記されています。

「まだ第2次世界大戦の傷あとの癒えない1954年、当時ドイツのケルン大司教区の大司教であったヨゼフ・フリングス枢機卿は、ケルン大司教区の精神的な復興と立ち直りを願い、教区内の信徒に大きな犠牲をささげることを求めました。そして その犠牲は、東京教区と友好関係を結び、その宣教活動と復興のための援助をするという形で実現されていきました」

そこにはフリングス枢機卿と当時の土井枢機卿との、個人的な出会いもあったと記されています。

もちろんドイツも敗戦国であり、当時は復興のさなかにあって、決して教会に余裕があったわけではありません。にもかかわらず海外の教会を援助する必要性を問われたフリングス枢機卿は、「あるからとか、余力があるから差し上げるのでは、福音の精神ではありません」と応えたと記録されています。この自らの身を削ってでも必要としている他者を助けようとする精神は、当時のケルン教区の多くの人の心を動かし、ケルン教区の建て直しにも大きく貢献したと伝えられています。

それ以来、東京カテドラル聖マリア大聖堂の建設をはじめ、東京教区はケルン教区から多額の援助を受けて、さまざまな施設を整えることができました。東京教区の感謝の気持ちは、白柳枢機卿の時代、1979年の両教区友好25周年を契機として、ミャンマーの教会への支援となりました。それ以来、わたしたちは毎年の「ケルン・デー」に、いただいたいつくしみに感謝を捧げ、その愛の心に倣い、今度は率先して愛の奉仕に身をささげることを、心に誓います。またケルン教区のために、特に司祭・修道者の召命のために、祈りをささげてきました。

友好50周年当時のマイスナー枢機卿の書簡には、東京教区への支援を通じて、「私たちの目と心が、世界中の欠乏、飢え、病気に向けて開かれることとなりました。東京教区との、信仰と祈りの生きた共同体が存在しなかったならば、ケルン教区においてその5年後に、全ドイツの司教たちに働きかけて、世界中の飢えと病気に対する教会の救済組織「ミゼレオール」を創設しようとする歩みはなされなかったかも知れません」と記されています。いまやこの「ミゼレオール」は普遍教会において国際カリタスと並んで立つ、世界的な司牧的援助団体に成長しています。

わたしたちも、余裕があるからではなくて、苦しいからこそ、積極的に支援の手を差し伸べるものでありたいと思いますし、その積極的な行動は、必ずやわたしたちを霊的に成長させてくれると、わたしは信じています。

さて、先ほど朗読されたルカ福音は、公生活の初めに、聖霊に満たされたイエスが、ガリラヤ地方の会堂で教えた話を記します。ナザレの会堂で、イエスに渡されたイザヤ書に記された言葉こそ、イエスが告げる福音の根幹をなす、人となられた神の生きる姿勢を明示したものでした。イエスこそは、とらわれ人に解放を告げ、主の恵みの年を告げる存在であることが明らかにされます。

そのイザヤの言葉を受けて、イエスご自身が、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と言われたと、福音は記します。まさしく、人となられた神の言葉は、力ある生きた言葉であります。

パウロはコリントの教会への手紙で、キリストの体と私たちとの関係を解き明かし、多様性における一致こそが、キリストにおける教会共同体のあるべき姿であることを明確にします。

ネヘミヤ書は、エルサレムの城壁が総督ネヘミヤによって修復された後,祭司エズラが民に向かって律法を読み上げた出来事を記します。この時、民にとって朗読された律法は、単なる神の定めた掟を羅列する文章ではなく、神からの直接の生きた呼びかけの言葉として、心に響き渡ったことが、記されています。

本日、年間第三主日を、教会は「神のことばの主日」と定めています。この主日は、教皇フランシスコによって、2020年に始められました。「神のことばの主日」を制定した使徒的書簡「アペルイット・イリス」で教皇様は、この「神のことばの主日」を、「神のことばを祝い、学び、広めることにささげる」主日とされました。その上で教皇様は、この主日がキリスト教一致祈祷週間と重なることも念頭におきながら、次のように記しています。

「わたしたちがユダヤ教を信じる人々との絆を深め、キリスト者の一致のために祈るように励まされる、その時期にふさわしいものとなることでしょう。これは、ただ時期が偶然重なるということ以上の意味をもっています。「神のことばの主日」を祝うことには、エキュメニカルな価値があります。聖書はそれを聴く人々に向かって、真の、そして堅固な一致への道筋を指し示すからです」

その上で教皇様は、「聖書のただ一部だけではなく、その全体がキリストについて語っているのです。聖書から離れてしまうと、キリストの死と復活を正しく理解することができません」と指摘し、第二バチカン公会議の啓示憲章が、「聖体の秘跡に与ることに匹敵する」と指摘する神の御言葉との交わりの重要性を説いています。啓示憲章にはこう記されています。

「教会は、主の御からだそのものと同じように聖書をつねにあがめ敬ってき〔まし〕た。なぜなら、教会は何よりもまず聖なる典礼において、たえずキリストのからだと同時に神のことばの食卓からいのちのパンを受け取り、信者たちに差し出してきたからで〔す〕」(『啓示憲章』 21)。

いのちのパンとしての主イエスの現存である神のことばに親しむことは、主イエスの現存である聖体の秘跡に与ることに匹敵するのだと、第二バチカン公会議は指摘しています。

ミサの中で聖書が朗読されるとき、神の言葉はそこで生きており、そこに主がおられます。私たちを生かしてくださる主の言葉の朗読に、真摯に耳を傾けましょう。

そして、1月18日から25日までは、キリスト教一致祈祷週間であります。今年は、マタイ2章の「私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」をテーマに掲げ、特に中東の諸教会のために、またその地域の人々のために祈ることが求められています。

中東と言えば聖地があるばかりではなく、長年にわたってさまざまな紛争が繰り返されてきた地であり、時に宗教対立を口実に争いが起こったり、領地紛争で罪のない子どもたちの血が流されたりすることが続いているところでもあります。

一致祈祷週間のために用意された資料には「中東の歴史は、昔も今も、紛争と対立にあふれ、血に染まり、不正と抑圧により暗雲に覆われています。・・・この地域では血なまぐさい戦争や革命が繰り返され、宗教的な過激主義が台頭しています」と記されています。

わたしたちはただ単に組織として一緒になればよいものでもなく、同じ祈りを一緒にすれば済むものでもない。それよりも互いのことをよく知り、理解を深め、適切な対話を行って、一致して神の福音を証ししていくことができる福音宣教の道を探っていくよう努めたいと思います。特に今年は、聖地を含めた中東地域の平和のためにともに祈りましょう。神の救いと神の支配の実現がもたらす本当の喜びを共にできるよう、多様性の中で一致して歩み続けたいと思います。

 

 

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